週刊READING LIFE vol.71

後悔は常夜灯の中《週刊READING LIFE Vol.71 「なおざり」》


記事:黒崎良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「後悔」の理由には大きく分けて二つあると思う。「選択」と「過程」である。
 
このうち「選択」からくる後悔、すなわち選択を間違ったがためにする後悔というものは、比較的諦めがつきやすい。
「これはこれで意味がある選択だ」「自分で選んだのだから」などと考えれば、まあ、ある程度は慰めにもなる。自分が決断したということで、能動的な行動の結果であるからだ。
 
しかしもう一方の「過程」による後悔、すなわち「ああしておけば良かった」という後悔は厄介である。何せ、自分がしなかったことに対しての、なおざりにしてしまったがための結果であるからだ。このままではきっと後悔するぞと分かっていても、いつもいい加減になってしまう。それゆえに自己嫌悪にも落ちやすい。
 
私も、そんな後悔を度々している。
 
その場所に行ってみようと思ったのは、働き出してからすぐのことだった。
周りには植物が生い茂っていたが、看板は健在であった。鉄パイプを半分に切ったような形の内側に、建物の名称が浮き出ている。
 
「東京都立清瀬小児病院」
 
私が幼少時、3年間ほど生活していた場所だ。
私はそれが、記憶にあるそのままであることに歓喜した、と思う。単純に懐かしい気持ちかもしれないが、やはり嬉しかった。
 
しかし、視線を左側に向けると、その喜びも瞬時に萎えてくる。
鈍色の鉄のガードが入口を塞ぎ、奥がどうなっているか、確認することができない。そしてそのガードの前には「作業中」とか「解体中」とか、正確には忘れたが、そのような言葉の張り紙や掲示板が、これ見よがしに置いてあったのだった。つまり、看板の名称の建物は、取り壊し作業中なのである。
もっとも、休日のためか、作業をしている様子ではなかった。そして幸いなことに、入口を塞ぐガードに少し隙間ができていた。
 
周囲には特に人もいない。私は誘われるように僅かな隙間を除いた。
最初に目に入ったのは松の木であった。たくさんの松の木が、所々に立っている。そう、この病院は中や周囲に松の木が植わっていた。裏側には雑木林があり、都内とは思えないほど緑が豊かであった。
つまり、その光景もまた、私の記憶にある光景そのままだったのである。
看板同様、私は歓喜する。ということは、建物もまだ当時のまま残っているのでは?
私は当時歩いたように、視線を動かし、病棟の入り口に目をやる。
登って怒られた、正面の謎のモニュメントも健在だ。そしてその奥に視線を移す。
 
そこには、かつての正面玄関、外来受付の入り口があった。取り壊された残骸として。
 
ただの石の塊が、私には、確かにあの建物だと分かった。いや、そんな気がしただけかもしれないが、在りし日の姿を思い浮かべることができた。
正面玄関だけでなく、横にある入院病棟もなくなっていた。私が長い間暮らしていた子供部屋も当然消えている。
 
かなり前から、この小児病院が、国立病院の一機関となったことは聞いていた。そして世は少子化である。病院一棟丸ごと小児科という存在は、もう御役御免ということなのだろう。
 
私はまたしても後悔する。どうしてもっと早めに来なかったのか。どうして、もっときちんと、このことを考えなかったのか。
 
以前、小児病院が一小児科となると聞いたとき、私は一度、この病院を再び訪れたいと思っていた。別に誰に会おうというわけでもない。当時お世話になった方々が、いまでもいらっしゃるとは思えない。
ただ、自分なりの区切りというか、けじめというか、そういう感傷的な整理をしたかったのだと思う。
 
高校生の時、私は自分の意志で、病院を移ることを決意した。家族の意向もあってのことだが、担当の医師にその旨を伝えたのは、確かに私だ。
もちろん、それは別に悪いことでも制度的に無理なことでも何でもない。だが、当時の私には、10年もの間お世話になっていた病院を変えることは、とんでもない裏切りだと思えた。
 
そしてかの病院を去って、さらに10年ほどが経ち、例の知らせを聞いた時、私の中にあったわだかまりが、ひょいと顔を出す。
 
「そうだ、いつかは見に行こう」
 
懐かしい古巣を思い出す気分で、そんな風に思っていた。
だが、「いつか」というのはいわゆる“フラグ”である。「いつか」とつけばその「いつか」は永遠にやってこない。
 
私は自分の思いをなおざりにし続け、働き始めの日々に忙殺され、そして、気づいたときには手遅れになっていたというわけだ。
 
もちろん、行ってどうするわけでもない。ただ懐かしさに浸るだけでよかった。
よかったのだが、それでも、謝りたかったのかもしれない。誰かに、ではなく、その病院に。
今ではもう、詮無いことではあるのだが。
 
何もしないで後悔したことは、それだけではない。
祖母の死に際して、私はまたもや後悔する。
 
祖母は長らく認知症を患っていた。
認知症独特の、あの奇妙な言動を毎日していた。
家にいながら、いつもの家に帰ると言って、外に出ようとする。
誰もいない台所を見て、あの人がまた来ている、と言う。時として何もない空間に向かって怒鳴る場合もあった。
 
私はその度にイライラしてしまう。
認知症の方を介護したことがある方ならば、何となく分かるかと思うが、とにかく頑固になってしまうし、こちらの言い分を聞いてくれない。
いや、そもそも言い聞かせようとする考えこそ傲慢で、祖母の意志を無視するような行為であることは分かっている。
さらに言うならば、冷たく接してしまう度、このままでは必ず後悔するぞ、ともう一人の自分的な心のささやきが聞こえる。それも分かっている。
 
分かっているが、結果として分かってはいなかったのだろう。来るべき未来のことをなおざりにし、今の感情を優先してしまった。その報いなのか、祖母の死に目には立ち会えなかった。当時の私は、足の手術のために入院していたのである。
そしてまた懲りずに後悔する。もっと優しくしてあげればよかった、と。もっと一緒に何かをしたかった、と。
 
後悔しても仕方ないことを、私は何度でも繰り返し後悔する。
それが「何もしなかったこと」への贖罪でもあるかのように。
 
私の後悔はほとんどがこれである。怠慢によって物事をなおざりにし、その結果悔やむことになる。
よくあることといえばその通りかもしれない。しかし学習もせずに何度も何度も後悔する事態を作り出すのが私である。
 
もっと早くやっておけば良かった、なんてことはまだいい。次は上手くやろうと希望が持てる。いや、実際はまたギリギリに始めて後悔することになるのだけれど、それはそれとして決意は新たにできる。
 
しかし消えてしまうものに対して、ああしておけば良かった、もっとこうしておけば良かった、なんてことは救いようがない。その対象はすでに消滅しているのだから。
 
もう病院にも、祖母にも謝ることはできない。後悔先に立たずとはこのことである。
 
今現在もきっとそうなのだと思う。何かをなおざりにしていて、そう遠くない未来、やはり後悔するのだろう。
ただ、その「何か」というものは分からない。後悔して初めて、「ああ、あのことをなおざりにしていた、何もしなかった。何てダメなやつだ」と自己嫌悪に陥ることで、自分が何をしてこなかったかが露呈する。
 
それを考えてみると、後悔しないためには、小さなことにも全力で、全てのことを一生懸命に考え、隙なく真っ当に人生を生きる、というのが正解となるのかもしれない。
が、そんなことができるのはごく一部の人で、その他大勢の一員である私にできるはずもない。
誰かに対しては「後悔しないように生きた方がいいよ」と警句を弄しながら、その実、それはかなりの無茶を言っているわけだ。
 
かつて入院していた病院の残骸を見たとき、私は理解した。
 
「つまりはそういうことなんだな」と。
 
もしかしたら、まだ残っているかもしれない。実は建て替えだけかもしれない。そんな僅かな期待は、隙間からのぞく瓦礫のように、粉々に砕け散った。
 
だが、そんな絶望にも似た感情を慰めるように、病院名を記した看板は、当時のまま佇んでいた。これからなくなるであろうことは目に見えている。しかし、それだけでも、かつての思い出の破片だけでもそこにあることが、私にはどれだけ救いだったかわからない。
 
思い出は往々にして美化されるものだが、その思い出の場所が思い出のままであるのを確認すると、さらに輝きが増す。
 
散歩をした病院の周り。
絵本を借りた図書館。
縁日に行った公園。
その全てが美しい思い出のままであった。多少の老朽化は否めないところであるが……
 
そうなのだ。きっとこれからも、私は後悔し続けるだろう。
怠惰な性格を改めることも難しそうだし、かと言って生きることに一生懸命すぎると、なんか疲れてしまいそうだ。自慢ではないが体力は全然ない。
全てのことをなおざりにせず、真っ当な人間になることは難しい。
そして消えてしまうものに対して、後悔を繰り返すのだろう。
 
だが同時に、何かを見出すことはできる。消えるものもあるが、そこで見つけ出すことができるものもある。
消えていく病院の傍に、以前と同じ姿の看板があるように。祖母と生活した事実があるように。
そこに僅かな慰めを見出すことくらい、弱く儚い人間には許されると思いたい。そうでなければ、きっと悲しみと悔しさに潰されてしまうと思うから。
 
いつかのなおざりにした事柄のために、私は今日も後悔する。明日も後悔するだろう。今も、あの時も、きっと何かをなおざりにしていた。
 
では、私は、今、何をなおざりにしているのだろう?
 
時間だろうか。お金だろうか。人との繋がりであろうか。それとも、未来に賭ける意志とでもいうのだろうか。
 
答えは、きっと後悔したときに分かるのだ。
 
私はその時を、後悔する時を粛々と待つ。
それは何かが失敗した時かもしれないし、途方もなく慌てる時かもしれない。あるいは、大切な何かが消えた時かもしれない。
 
私は懲りずに、今日も明日に期待を託す。ああなったらいいな。こうなったらいいな。そうならないかな。しかしその期待はきっと叶わない。積極的に掴んだものではないのだから。期待を持つならばそれ相応の能動的な行動が必要だ。
 
それでも、怠惰な私は、何かをなおざりにすることをやめられないだろう。そして後悔するのだ。ある意味人間らしい、と自分を慰めながら。
 
脳裏にあの時の、崩れた病院の残骸が浮かぶ。
きっとこの後も、崩れて消え去る何かを見るのだろう。
 
そうしてふと思い出す。
病気に苦しめられながらも、仲間や看護師さん、お医者さんに囲まれて、笑いながら過ごした日々を。
 
そういえば、一人の看護師さんが、宿直の夜に、絵本を読んで聞かせてくれた。
常夜灯の橙色の光に照らし出される看護師さん。
私たち悪ガキもこの時ばかりは口を閉じる。その静かで麗らかな声を聞きもらさないよう、耳をそばだてる。
ありきたりの知っているおとぎ話が、その看護師さんから語られることにより、命を吹き込まれたように新鮮に聞こえる。
あの時、確かに私たちは、幻想の世界に浸っていた。
 
ああ、そうだ。その思い出と感性を、私はなおざりにしてきた。忘却の彼方へ放っておいた。
もう少し大事にしていれば、早くに病院を訪れていたかもしれない。もちろん、その方がいらっしゃるとは思えないが。
 
今になってまたもや後悔する。
私は、あの看護師さんに伝えたかったのだ。
夜の朗読会、素敵だったよ、と。もっと聞きたかったよ、と。普段いたずらしてごめんなさい、悪い子でごめんなさい、と。
でも……
 
「ありがとう」なんて言えないよなぁ。

 
 
 
 

◽︎黒崎良英(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校で、国語科と情報科を教えている。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。

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2020-03-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.71

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