週刊READING LIFE vol.73

「コロナに負けない、史上最高の恋」《週刊READING LIFE Vol.73「自分史上、最高の恋」》


記事:ただくま みほ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「今帰還した」
 
ごく短い文の葉書が私の祖母・玉子(たまこ)の元に届いた。昭和21年の5月初旬、玉子が26才の時のことだ。「ヘェー、あの兵隊さんは静岡県の人とは随分遠い所の人だったんだな」差出人の住所と名前を見て玉子は驚いたという。
 
祖父・礼一と玉子は戦時中の慰問袋を通じて知り合った。慰問袋というのは戦地にいる兵士を慰め、勇気づけるために、中に日用品や手紙を入れて送った袋のことだ。玉子が誰に届くかわからない慰問袋を送ったところ、たまたま受け取ったのが礼一だった。その時から戦地の礼一と、岐阜県にいた玉子の間でやりとりが始まったのだった。
 
冒頭の葉書は礼一が日本に帰ってきてからの最初の便りで、その時玉子は初めて礼一がどこの人かを知ったのだった。
 
祖父は私が幼い頃に亡くなっている。そのため祖父から私が直接聞いた言葉は何一つ記憶がない。祖母やその娘である母や、叔父叔母から伝え聞いただけだ。それから祖母が記した「蛍みち」という祖父の追悼句集。これが二人の関係性を知る手がかりだ。
 
今回、初めて調べてみて知ったことだが、慰問袋がきっかけになって文通し、復員後結婚したというケースは世の中に結構あるようだ。
22才の兵士と12才の少女が文通を重ねて、復員後に少女を迎えに行って結婚ということもあったらしい。その兵士は戦地から「生きて帰れたら、必ず迎えにいくから」と送ってきていたそうだ。
 
葉書の後、礼一は岐阜県の玉子の元を訪ねてきた。戦時中の文通の中身や、復員直後に玉子を訪ねてきた時にどれほどのやり取りがあったのか、詳しく聞いたことはない。ただ、玉子の親の方から礼一に「婿に来てくれないか」という話があって、二人の結婚が決まったと聞いている。
 
戦地の兵士にとって、慰問袋を送ってくれた女性というのは遠くにあって思い焦がれる相手だったのだろうということは想像できる。
過酷な戦地において、早く日本に帰りたい、安心したい、この人に会いたい、という想いを募らせていたかもしれない。
 
独身の兵士にとっては、戦争が終わって日本に帰り、慰問袋の彼女と結婚する、ことは一つの憧れだったのかもしれない。祖父もそのような想いを抱いていたのだろうか。そしてそんな可能性を胸に描きつつ祖母を訪ねてきてくれたのだろうか。
 
祖父にしてみれば、実家から離れ初めての土地で、慰問袋の相手以外知り合いのいない場所で、仕事も結婚生活も始めるということを決断したわけである。
 
戦争で強制リセットされていたから?
慰問袋の相手だったというだけでそこまで決められる?
 
いや、やはりそこはそれを決めるに値する存在として祖母がいたのだろう。
 
2020年3月の今、世界は新型コロナウィルスによるパニックの中にある。WHOがパンデミックを宣言。日本では学校が一斉休校になり、各地の卒業式は短縮で開催された。東大の入学式も中止された。昨日、3月19日の時点で感染者の多い大阪と兵庫間の往来を自粛するよう要請が出された。
 
東京オリンピックも開催が危ぶまれている。海外の選手からも予定を見直してほしいという声が出ているし、トランプ大統領も「延期を」と発言した。そんなアメリカも国家非常事態宣言をしている。
 
「こんなに世の中ががらっと変わるのかというのが正直なところ。本当に急激に全ての人の生活が変わることになった」とトヨタ自動車の豊田会長も発言しているように、日々刻々と状況が変わっていっている。
 
私自身も3月中に予定されていた講座開催などの仕事がほとんど中止・延期となってしまった。
SNSを始めとして、いろいろ安心できない情報が飛び交っている中、ふと祖父・礼一のことを思いだした。
 
祖父は私の先祖の中で私が半生を知り得る中で最も過酷な中を生き抜いた一人だと思っている。戦地を生き抜き、戦後を生き抜いたという意味で、だ。
 
祖父はどんな思いで戦地を生き抜いてきたのだろう。帰還船の中は相当苦しい船旅だったらしく祖母にもその思い出を語っていたそうだ。
 
祖父が赴いていたという南方の戦地での様子も、帰還船の中の話も、具体的なエピソードとしては私は何も知らない。
でも、この平和な時代を生かさせてもらってきた私では経験したことのないほどの過酷なものであったことは間違いない。
 
そんな中を祖父は生き抜いて、祖母に出会い、そこで希望のシナリオを描いてくれた。
 
「不渡りの手形酷しく霜の夜」
 
祖母による追悼句集の中の句だ。
故郷から離れた土地で包丁や調理器具を卸す事業を起こした祖父は、代金が不渡りになるという経験をしている。新しくオープンした温泉旅館にまとまった納品をして喜んだのも束の間、受け取った手形が不渡りになってしまい、銀行で融資を受けて年の瀬を越したそうだ。
 
私は3月の講座は中止・延期になってしまったが、恐らく祖父が経験した不渡りほどの金額ではないと思う。その時の祖父の気持ちはどれほどのものだっただろう。どんな想いでそれを切り抜けていったのだろう。それを想像すると、少々のことは大したことないように思えてくる。
 
「開店の花輪に伸びる雲の峰」
 
また、祖父は不況の波に見舞われたこともあった。
そんな中、祖父は「不景気の時にこそ業績を上げるのだ」と遮二無二に努力して店を持った。祖父と祖母は一大財閥を築いた安田財閥の話を何度も何度もして、励まし合ってきたのだという。
 
今回、この新型コロナウィルスによって世界が揺れている状況の中で句集を改めて読むと、以前とは違った句が目に目に留まった。「問題はチャンス!」今の私が合言葉にしていることだ。まさに祖父もそんな発想で仕事をして、店を持つに至っていたのだ。
 
「夫の背の温み嬉しき冬の午后」
 
手術することになった祖母を祖父が背負って手術室まで運び込んだのだそうだ。
「結婚以来、最初のそして最後になった貴方の背の温かみ、今も胸に甦ってきます。少しよろけそうになった貴方に『お父さん、落とさないでね』と軽口を言う私に、『ウン』とだけ答えてくださった貴方……」と付記がある。
 
伝え聞く限りでは、ぶっきらぼうな印象の祖父だ。でもそんな祖父の姿を傍らにいた祖母が愛おしく振り返り、句集にまとめておいてくれた。このことを本当にありがたいと思う。
 
東京オリンピックの開催も含めて、新型コロナウィルスにより世界が今後がどうなるかは、まだ状況はわからない。でも私の心は決まっている。状況に応じて今までのやり方にとらわれることなく、新しいやり方で次の時代を生きていく、ということだ。祖父と祖母がそうしてきたように。
 
2020年3月、今私がここに存在できている理由の一つは、間違いなくこの二人のおかげだ。祖父は第二次世界大戦の戦地を生き抜き、戦後の日本を祖母と一緒に生き抜いてくれた。
 
いや、この二人は代表格ではあるけれど、ほかにもたくさんの、何代も前の人達が、綿々と命を繋いできてくれた。私が名前も知らない誰かと誰かのおかげで、誰かが誕生し、そして誰かと恋をして、今の私に繋がっている。
飢饉や疫病に苦しんだり、戦国の時代もあった。そんな時でもその誰かは生き抜いてくれた。
 
いうなれば今の私は、祖父祖母を始めとする先祖達の生き抜く力の結晶。どんな時代でも希望のシナリオを胸に生き抜く力が、もう私の中にあるという証明を自分自身の存在によってしていることになる。
 
今ここに自分が存在するということが、もう自分の生きぬく力の証明になっているということ、このコロナで揺れる今、これほど心強いことない。
 
今、自分の中にある史上最高の恋の連続に勇気づけられる。
世界はこれから「どうなっちゃうの?」じゃない。「どうなったとしても!」だ。
どんな時代になっても最後の瞬間までどうとでも生き抜くだけだ。
 
今ここにもし祖父がいてくれたなら、どんな言葉をかけてくれるだろう。無口でもあり、ひょうきんなところもあったと聞く祖父の言葉。そもそも祖父が自分のことを「オレ」と呼ぶのか「ワシ」と呼ぶのか、またそれ以外なのかも知らない。
 
でもきっと「オレの孫だから大丈夫や」と言うように声をかけてくれるのではないかと思う。
 
祖母は句集のあと書きにこう書いている。
「夫の後から歩いた三十五年。 色々な事がありました。 それは蛍の光そのままにか細い、今にも消えそうになるかと思えば、また集団で光る明るい道にもなったり。 この一本の道を二代目、三代目と受けついで、確かな道にしてくれることを信じています……」
 
「この世の仕事を終えた時、貴方のお傍へ参ります。その時こそ永遠に別離のない夫婦になりましょうね」
 
私の中にある、自分史上最高の恋。それは祖父と祖母を始めとする私の命に繋がる先祖達の物語だ。今、この状況で自分に生き抜く力があることを思い起こさせてくれる。
 
祖父と祖母がいて母が誕生し、私も生まれた。今では私にも子どもがいる。
 
大丈夫。私も生き抜いていくのだ。

 
 
 
 

◽︎ただくま みほ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
岐阜県生まれ、岐阜県在住。
ファイナンシャルプランナー、方眼ノートトレーナー、アロマテラピーインストラクター。
2019年12月からライティングゼミを受講中。2019年3月からライターズ倶楽部。

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2020-03-30 | Posted in 週刊READING LIFE vol.73

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