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週刊READING LIFE vol.80

自粛期間に、歯が痛くなりました《READING LIFE Vol.80 2020年の「かっこいい大人」論》


記事:射手座右聴き(天狼院公認ライター)
 
 
なんてかっこ悪いんだろう。自分が情けなくなった。
ズキズキズキズキ。
朝起きると、痛みははっきりとしたものになっていた。
左の一番奥。抜いていない親知らずの隣の歯。
その下がズキズキする。
やがて、顎の左側も違和感がでてきた。
これはまずい。
舌で触ってみると、大きな穴が空いていた。
なんで放置しておいたのか。
 
最後に歯医者さんを予約したのは、去年の6月。
その時は、別の歯の治療が一段落したところだった。
急に入った打ち合わせで、キャンセルしてから、もう10ヶ月が経っている。
そう思っている間にも、歯の痛みは増してきた。
かっこ悪いけど、電話してみるか。
と思った時、別の不安が襲ってきた。
 
「今、歯医者さんて、開いてるのかな」
4月上旬だった。新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が出て
一週間ほど経過している。
いや、そもそも、今、歯医者さんに行くことは、リスクではないだろうか。
いや、私が行くことも、歯医者さんから見たら、リスクではないか。
目立った症状はでていないものの、
無症状でウィルスを持っている可能性は否定できない。
それは誰にでもあてはまることだ。
 
その間にも歯の痛みは増していく。いや、むしろ、顎も痛くなってきた。
どうしよう。家から歯医者さんまでは、少し離れている。
近所の歯医者さんに行ってみようか。
と思ったが、それそれで、不安だった。
初めてのところに行くよりは、今まで伺ったところに行こう。
万が一、何かあっても、今までの先生ならば、納得がいく。
 
勇気を出して、電話してみると、つながった。
「○○歯科です」
「すみません。去年伺っていたものなんですが、急に歯が痛み始めまして」
「とりあえず、見せにきてください。いますぐなら、空いていますから」
先の見えない自粛期間を、この歯では乗り切れない。とにかくすぐに向かうことにした。
と言っても、交通機関はどうしよう。電車か。タクシーか。いや、電車では30分はかかる。家も病院も駅から遠い。しかし、実際、距離はそんなにあるわけではない。
山手通りにでて、タクシーを探す。しかし、自粛期間だけあって、なかなか通らない。
自家用車ばかりだ。
 
仕方ない。あきらめて、反対側に渡って探す。すると1台、空車のマークが
止まってくれた。
「反対の向きで申し訳ないのですが、どこかでUターンして、中野にお願いします」
「わかりました」
運転手さんは、70代の男性だった。
「急いでるんですか」
「そうなんです」
「では、空いてそうな道を選んでいきます」
「すみませんが、よろしくお願いいたします」
困っている時だからか、自分の言葉遣いがいつもより丁寧な気がして、
ちょっと自分にひいた。でも、この丁寧は、そんなにかっこ悪くないだろう。
後部座席の手前に乗るか、奥に乗るか、悩む。
手前は、前の人が乗っていたあとなので、ちょっと緊張感がある。
奥は奥で、運転手さんの真後ろになるので、プレッシャーを与えるような気がする。
手前でも、奥でもない、真ん中あたりに乗った。
「窓、もう少し開けてもいいですか」
「もちろんです」
まだ少し寒いけど、換気は大切だ。
「急いでるんですか」
「はい。これから歯医者さんなんですよ。急に痛みだしたので」
「それは大変ですね」
「まあ、自業自得なんですけど。急いでるので、のらせてもらいました」
「そうですか。最近は病院へ行く、お客さんを乗せることが多いです」
「えー、そうなんですか」
少し怖くなった。
「ずーっと咳き込んでる人なんか多いですよ」
「怖いですね」
「38度以上熱が続いてる方とか」
「えー」
また怖くなった。
「でも、放って置けないじゃないですか」
「まあそうですね」
答えながら、怖さだけが増していった。
もしかしたら、このタクシーで感染するのじゃなかろうか。
とっても自分本位だけれど、そう思った。
それを見透かしたように、運転手さんは言った。
「もちろん乗車してもらったあとは、消毒しますし、私もほら、
マスクして、手袋して運転しています」
ちょっとほっとした。
「そこまで考えてもらって、ありがとうございます」
答えたものの、まだ不安が完全に拭えるわけではない。
が、しかし、運転手さんの次の一言で、少し気持ちが変わった。
「会社のみんなも怖がって、出勤しないんですよ。
出てくる車のが少ないんじゃないかな」
「え、そうなんですか」
「はい。家族のいる人なんかは、休んでいます。私は独身だし、
困ってる人の役に立つなら、と思って乗っています」
「素晴らしいですね」
「実は、若い頃、死にかけたことがありまして」
「え、どういうことですか」
「サラリーマンをしていたのですが、大きな病気をして、会社を辞めたんですよ」
「どんなご病気だったんですか」
「ええまあ、話すと長くなるんですけど。それまでは、毎晩、徹夜徹夜で働いてたんですよ。昼間、外回りをして、夜はお客さんと飲みに行って、帰ってまた仕事する、みたいな生活で」
「えー」
「で、成績トップになって、ボーナスもらえるのが楽しみでしかたなくて」
「すごいですね」
「表彰されたり、役職が上がるのが面白くてしょうがなかったんですよ」
「イケイケですね」
楽しそうだった運転手さんの顔が曇った。
「でもね。悪いところが見つかって、入院したら、もう目の前が真っ暗になっちゃって」
「あー」
「誰もお見舞いに来てくれなかったんです」
「えー」
「うつるんじゃないかって」
「感染する病気だったんですか」
「そうじゃなかったんですけどね。連絡もくれなかったんですよ。みんな」
「えー」
「会社は私が必要だったんじゃなくて、成績が必要だったんだなって思いました」
「寂しいですね」
「でも、自分を見直すいい機会になりました。一度、助けてもらった命をどう使うかって考えて、会社をやめました。それからは、いろんなところでボランティアに行ったり、お金がなくなると、タクシーに乗ったりしています。で、今は、乗る人がいないときこそ、乗らなきゃって思ってます」
「すごいですね」
と言いつつ、すごいですね、じゃないよ。と思った。
なんだよ、この運転手さんの優しさ。困っている人の役に立とうとする気持ち。
それに比べて、自分はどうだ。
やれ、歯医者さんで感染しないか、タクシーで感染しないか、と自分の心配ばかり
しているじゃないか。
しかも、ずっと在宅で仕事をしているのに、である。
たしかに、家にいることで、貢献をしているのかもしれない。
とはいえ、この運転手さんの言葉には、胸をつかれるものがあった。
不安なときこそ、誰かのために。
一度助けてもらった命だから、という言葉が耳をついて離れなかった。
ネットを見てもテレビを見ても、最近みんなかっこよくない。
あの政策が悪い。この対応はない。私たちの業種への補償はないのか。
いや、文句を言ってはいけない。ひとつになろう。
愚痴と不満と空回りする鼓舞にあふれている。
みんながみんな、先の見えない状況に、なすすべなく、自分の不安を言葉にしている。
 
そんな中、この運転手さんは、どうだ。
ただただ、人の役に立つという気持ちで今日も運転しているのだ。
リスクが高くても、不安があっても、淡々と。
「ありがとうございました」
言葉にならない恥ずかしさとともに、タクシーを降りた。
わずか15分乗っただけだが、こんなにも自分の生き方を問われるドライブが
あるだろうか。
 
かっこいい大人は、インフルエンサーでもタレントでもスポーツ選手でもなかった。
たくさんの人の、不安や心配ごとを、希望へと運んでいた。
声をあげることもなく、淡々と、淡々と。
 
マスクをし直し、携帯した消毒液で手を消毒してから、歯医者さんのドアを
開けた。
「今、こういう状況ですから、最小限の治療で抑えましょう」
フェイスシールドの向こうから、落ち着いた声が聞こえる。
ここにも、かっこいい大人がいる。
 
また、恥ずかしくなった。
まず、痛い歯をなんとかしたら、痛い自分をなんとかしよう。
かっこよくとまではいかないけれど。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
射手座右聴き (天狼院公認ライター)

東京生まれ静岡育ち。新婚。会社経営。40代半ばで、フリーの広告クリエイティブディレクターに。 大手クライアントのTVCM企画制作、コピーライティングから商品パッケージのデザインまで幅広く仕事をする。広告代理店を退職する時のキャリア相談をきっかけに、中高年男性の人生転換期に大きな関心を持つ。本業の合間に、1時間1000円で自分を貸し出す「おっさんレンタル」に登録。5年で300人ほどの相談や依頼を受ける。同じ時期に、某有名WEBライターのイベントでのDJをきっかけにWEBライティングに興味を持つ。天狼院書店ライティングゼミの門を叩く。「普通のおっさんが、世間から疎まれずに生きていくにはどうするか」 をメインテーマに楽しく元気の出るライティングを志す。
天狼院公認ライター。
メディア出演:スマステーション(2015年),スーパーJチャンネル, BBCラジオ(2016年)におっさんレンタルメンバーとして出演

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2020-05-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.80

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