週刊READING LIFE vol.84

高級車の運転は究極に楽しい。例え自分の車でなくとも《週刊 READING LIFE Vol.84 楽しい仕事》


記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「うわー! こんなに調子良くしかも綺麗にしてくれて、ありがとう」
総てが自分の功績でなくとも、こう言われると悪い気はしないものだ。
そう、『ありがとう』は魔法の言葉だ。
 
人は誰でも、その製品・商品やサービスには、多くの人が関わっていることを知っている。しかし、それらに対する感謝を伝える方法は、最終的に直接手渡してもらえる人に対してしか出来ないものだ。
折角なので、同じ感謝を伝えるのなら、出来るだけ楽しそうに提供してくれる方に伝えたいものだ。何故なら、製品やサービスに加えられた付加価値は、最終的に手渡してくれる方によって、何等の変化も変更も無いからだ。
何人もの労働(肉体的・頭脳的の両方)によってもたらされる果実への感謝を、我々一般消費者は最終的に提供してくれる方にしか伝えられない。昔から言われる、御飯(お米)を食する時、
「お百姓さん(農業従事者)に感謝する」
といった心遣いが、ややもすれば薄れてしまった感が有る。とても、残念だ。
 
これは実際、眼に見えて受け取ることが出来るサービスだけはなく、世の中のもの全てが、感謝の対象となる筈だ。それらに対する感謝の念が、一方通行かつ限定的であって良かろう筈はない。
例えば、私が何か文章を依頼されて書いたとする。私は、世に言う完全なプロフェッショナルなライターでは無いので、感謝を報酬(金銭)で受け取ることは少ない。頂けるのは感謝の言葉だけだ。その時頂ける『ありがとう』の言葉は、大変うれしいものだ。時には、過分に誇らしく思えたりもする。
しかし、本当のところは、私の様な者を一応、文章を書くことが出来る、そして文章を依頼される水準まで引き上げて下さった、天狼院の三浦店主を始め毎週寝る間を削いで講評を加えて下さるスタッフの方々こそ、感謝の対象となるべきと思ってしまうのだ。
 
3年程前、家業の工場を閉め比較的時間に余裕が有った私は、付き合いのあった社労士の先生から、珍しい仕事を依頼された。その仕事は、車で20分位の所で事業を営む、外国車を中心にした自動車修理工場に関してだった。
私も工場経営者の端くれなので十分に理解出来たが、町工場の経営で往々にして問題となるのがバックオフィスワークの改善だ。これは特に悪いことでは無く、商品を製造したりサービスを提供したりすることに特化した人間は、自らの事業を俯瞰で見ることが苦手な場合が多く見受けられるのだ。それは、目の前の業務に注力するあまり、一般企業でいうところの総務的な業務まで目を配ったり手を下したりする時間を惜しむからなのだ。
いきおい、そうした町工場では、事務所(あるだけマシとの意見も有るが)がメチャクチャになっている。未決・未着手業務と、訳の分からない書類の“ゴミ屋敷”と化していることがままある。
私に課せられた、町工場の業務がその整備だった。
 
「山田さん。申し訳有りませんが、労務管理が全く出来ていない工場が有るんですよ。多分、経理とかその他の業務も滞っている筈です。アドバイスして頂けませんか」
との、長年御世話に為った社労士から声掛けに、私は気軽に請け負うことにした。
ところが、聞くと見るとは大違いだった。実際に訪れた、正確には近付いた依頼先は、明らかに街でよく見掛ける自動車修理工場とは大きく違っていた。
私が目にしたのは、工場内は勿論、工場前の私道にまであふれ出した高級外車の集合だった。原因は明らかだった。修理の段取りが取れておらず、ピット(修理現場)には部品が散乱していたからだ。しかも、職人気質の修理工達が、思い思いに各自の作業をしていた。連携という言葉も、一体感もそこには無かった。
幸いにも、二代目を務める社長も、現場の修理工も皆若かった。しかも、先代からの伝統だろうか、その修理技術は一級品らしく、訪れる顧客が絶えなかった。
 
「如何ですか? 何とか整理が付きそうですか」
社長の御母堂で、実質的に先代の後を預かる会長は、心配そうに私に尋ねて来た。
私はというと、見たことも無い高級外車に目を奪われ、本来の依頼を忘れていた。ここで、甘い顔は出来ないと思い、
「何とかします。してみせます。ただし、2か月間は売り上げに直結しないかもしれません。それでも宜しければ、この案件を受けさせて頂きます」
と、正直に告げた。会長は私に、深々とお辞儀をすると、
「承知しました。宜しく御願い致します」
と、快諾して下さった。
2か月売り上げに貢献出来ないと申し出たのは、バックオフィスの整理が、売り上げには直結しないことを私は経験則で理解していたからだ。それでも時間が惜しかった。
私は社長に、今日・明日期限の仕事以外を、一切中断することを依頼した。そして、ピットの整理と清掃を願い出た。年末には少し早かったが、大掃除をしてもらったのだ。
 
翌日から私は、事務所の整理に取り掛かった。修理依頼の注文書式が無かったので、エクセルで急遽作成した。事務所の山積みになっていた書類を、年次・日付だけで選別し、税務調査と無関係な古い書類一切を処分することにした。同時に、顧問会計士に問い合わせ、先方に残してある帳簿や決算書で、事務所に残っていた副本の総ては焼却処分にした。
何事も業務に不慣れな者に限って、恐怖心が先走り不要・無用な紙類を残してしまうものだ。例えば、PCスキルが低い(他人のことは言えないが)者ほど、デスクトップに多くのファイルやショートカットが張り付いているのと同じだ。
2日掛けて、2トントラック程の書類を処分した私は、次に事務所を整理し始めた。そして先ず、未払だった修理工達からの経費伝票や請求書に対応し、支払うべき現金を社長に用意して頂き、然るべき金額を封筒に詰め全員に配布してもらった。
それまで、突然現れた得体の知れないオッサンに、怪訝な表情で窺っていた若い修理工達は、一人で事務所を片付け滞っていた出金を整理した私を見て、劇的にピットの整理を始めた。1週間と掛からずに工場内は綺麗になり、私道にあふれ出ていた車は、一目見てわかる程減って来た。修理・車検の上がった車を返却して、場内のスペースに収めることが出来る様になったからだ。
 
その後私は、工程手順のフォーマットを作成し、作業の‘見える化’を提案した。工員達は、余計な書き物に反論するかと思いきや、進んで私に改革に乗って来た。自分の作業が、業績に貢献していることが分かる様になったからだろう。
それ迄の、1日あたり4台程だった車検整備が、時には1日で10台もこなせる様になった。日に日に修理工達の表情が明るくなった。率先して、工場の清掃や整理も行う様になった。
しかしこうなると、作業が効率化したが為に、部分的に員数の不足が生じた。例えば、緊急に必要となった修理部品を、誰が代理店迄取りに行くのかといったことや、修理や車検が仕上がった車を誰が納車するのかといった問題だ。
ある時、工場長が事務所に顔を出し、
「山田さん、すみません。部品を取りに行って頂けませんか」
と、言ってきた。私には、特段急がなければならない作業も無かったので、簡単に申し受けた。
次には、取引先のディーラーへ納車や引き取りも依頼される様になった。長年の癖は出るもので、取引先からは、
「お宅に新しく入ったオジサン、とっても良い人ですね」
と、評判が社内に伝わる様になった。多分、身に付いた挨拶や対応に、経営者のそれが出てしまったのだろう。
喜んだ社長は仕舞いには私に、車検審査も一人で行く様に指示し始めた。それは、珍しい英国の高級スポーツカーを眺めていた私に、若い修理工が、
「山田さん、スポーツカーは運転出来ますか? もし、出来るんならこの車、
車検場に乗って行って、車検通したらそのままお客さんの所へ届けて下さいよ」
と、冗談半分に言ってきたことが切っ掛けだった。“あ! そうだ”という表情になった社長が、
「山田さん、是非お願いします」
と、言ってきた。
人生で二度と運転することも無い高級車を走らせることは、私にとって断る理由が見付からなかった。私は車検場の手順を聞き、直ぐに出発した。英国製のスポーツカーは、周囲から注目され、例え自分の物でなくとも私の気分を高揚させた。
 
そんなことも有り、当初、3か月ほどの業務と思っていた私は、半年近くもその修理工場に留まることとなってしまった。業務の効率化の目標は、既に達成されていた。私はただ、若い自動車好き達の手助けとなることが嬉しかったのだ。そればかりではない。一生触ることも無かった憧れの外車に、例え一時で運転出来ることが楽しかったのだ。
 
そして、久しく忘れていた、エンドユーザーからの感謝の言葉に勇気付けられたのだ。
 
“待ってました!”と言わんばかりの表情で、愛車を受け取る顧客の皆さんとは間違いなく、車好きとして気分の共有・同調が出来ていた筈だ。笑顔で下さった、
「ありがとう」
の御言葉に、私は、
「ウチの若い工員達の仕事を喜んで下さってこうえいです。帰って、必ず伝えます」
と、言葉にならない気持ちになった。
 
短い間だったが、私にとって思い出に残る『楽しい仕事』だった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)

天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
現在、Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックを伝えて好評を頂いている『2020に伝えたい1964』を連載中
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する

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2020-06-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol.84

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