その読書法に関しては大人の関係のようにプロセスを踏んでほしかった《週刊READING LIFE Vol.85 ちょっと変わった読書の作法》
記事:琴乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
*一部フィクションです
「この本をそれぞれが読んで、その後、感想を話し合おうよ」
S君は2冊の本を両手に取って表紙を私に見せた。
一冊は装丁が赤色でRossoと呼ばれていて、もう一冊のそれは青色でBluと名がつけられていた。
その本は、1999年に発行された、当事話題になっていたフィクション『情熱と冷静のあいだ』だった。Rossoの本は江國香織さん著で、Bluは辻仁成さんによって書かれたものだ。一つの恋愛ストーリーを、Rossoでは女性主人公の視点で、またBluでは男性の主人公の視点で描かれていた。
「僕がこっちのBluを読むから、琴乃さんはこっちを読んで。
この本はもう琴乃さんのだから」
私の意思と関係なく、この読後の感想会の実施が決まっていて、本まで準備されていることにあっけにとられていたが、そんなことをお構いなしにS君は私に赤い本の方を差し出した。
「情熱と冷静のあいだ」は話題になっていたから、その内に読んでみたいとは思っていた。そもそも私は、辻仁成さんがロックバンドのエコーズでボーカルをしているときからファンなのだ。Rossoだけではなくて、読むなら両方を読んでみたいと思っていた。2つの異なる人物の視点から、どうやって自分の中で一つの真実が作られていくのか、自分の思考で体験したいと思っていた。また、どちらの本から読むのがいいのか漠然と考えていたが、日々のことに追われて、本を買うところまでにも至らずそのままになっていたのだ。
そこに、本までプレゼントしてもらって、本来なら素直に喜ぶべきだったのだろう。それに、本を読んで感想を話し合うのは好きだ。今ならブッククラブだったり読書会などそういった会もあるが、当事はそういった会も身近になかったので、本を読んで話し合う仲間は貴重だった。
今、こんな読書会の提案をされたらすぐ話しに乗ったと思う。それぞれ別の感性を持った人間が、別々の視点で書かれた恋愛小説を読み、相手の感想を聞く。もしかすると、自分が読み切れていなかったストーリーが見えて来るのかもれない。それに、男の視点と女の視点での違いや、恋愛感情の違い、S君の恋愛への考え方が見えたのかもしれない。と冷静に考えることができる。
でも、当事のわたしはまだ30歳になったばかりで、いろいろなこだわりや理想があった。だから、この提案をすんなり受け入れる気になれなかったというか、すごく複雑な気持ち、あるいは、どちらかというと、この読書会をしたくないと思ってしまったのだ。
S君と私は友達だった。今だから言うが、私はS君のことを少し気に入っていた。彼のまっすぐな性格でむしろ少し不器用な感じの所に好感を持っていた。でも、私はS君よりも数年年上だったし、自分が恋愛対象として興味を持ってもらっているとは思えなかった。だから、告白しても振られることは火を見るよりも明らかだった。結果が見えているのに、告白して振られて会えなくなってしまうよりも、たまにあって食事をするだけで満足だった。それ以上私は望んでいなかった。こうやって、お互いに恋人ができるまででも、友達関係を続けていけたらと思っていた。こういう感情って、多分誰しも人生の中で1度や2度は経験するのではないかと思う。
二人で会うときの会話の話題は、S君が好きなアニメや映画の話題が中心だった。いつもそれらの見どころを熱く語ってくれた。私には弟がいるので、少年ジャンプを読んだり、男子のアニメも見ていたので、S君のマニアックな話にも大筋は理解できた。けれども私の個人的な話をたまにしても、S君はリアクションが無かった。「ふーん」あるいは、黙ってじっと聞いているだけだった。それも、私に興味を持ってくれているように思えなかった理由の一つだ。二人でたまに会うようになって、半年が経った頃、私は留学する予定を立てていた。でも、あまり私の話に興味を示さないS君に自分の将来の計画を話す気にもなれず、話した所で、自分になんの関係もない私の予定を言われても、またきっとノーリアクションだろうと高をくくっていた。それでも、来週出発が迫っていたので、社会人の常識として、一応しばらくは連絡が取れないことを伝えておこうと思った。
「1年間留学するので、しばらく会えなくなる」
「いつから行くの?」
「来週の月曜日」
「えー!!! どうして今まで黙ってたの? 月曜って明後日だよね?」
車で自宅まで送ってくれたS君は、運転席で驚きのあまりのけぞった。
普段、私の話のときは。ムカつくほど感情を表に出さず、落ち着き払った風貌のその男子が見せたそのリアクションに私は逆に驚かされた。
「ごめん、言うタイミングを逃して……」
やはり、大事なことを伝えていなかったことを申し訳なく思い、私は謝った。でもいつもとあまりにも違うS君のリアクションに、留学のことを伝えておいてよかったと思った。
20年前の当事、SNSもEメールもまだそんなに使われてなかった。だから、最後に
「手紙書くね。また近況報告してね」
と言って別れ、私は留学先へ旅立った。
1年の留学だったが、結局半年間延長することになったので、そんなことを私は手紙に書いてS君に送ったように思う。手紙は相手のリアクションが即座にないということもあるし、興味がないかもしれないけれど、必然的に自分の身の回りのことを書くことになった。
S君からしばらく返事は来なかった。だけど1度だけ返事が来た。どうして返事が遅れたのかということが書かれていた。
まず、当時勤めていた会社を辞めたこと。いわれのない濡れ衣を着せられて、退職せざるを得ない状態になってしまったとのことだった。
S君は繊細で真っ直ぐな性格の人だったので、心のなかでいろいろな葛藤があったのだと思う。図太い神経の持ち主なら、気にせず会社に居座ることもできたのかもしれない。でもS君はそうではなかった。
S君はあまり個人的なことを踏み込んで話すことが無かったので、留学中の手紙のやり取りでS君との友達としての距離が少し縮んだような気がした。
私が留学から帰った後、S君とまた時々会うようになった。お互いにアクション映画が好きだったので、映画を観ては、ファーストフード店で時間を忘れて延々と映画の感想や好きなシーンについて語り合った。
そんな事が数ヶ月続いたときに、S君があの『情熱と冷静のあいだ』の読後感想について話し合う提案をしてきたのだ。
今までよく話していたのは、『北斗の拳』とか、ジャッキーチェンの映画とか、アクション物やヒューマンドラマのカテゴリーのもので恋愛ものは無かった。だから私も遠慮なしに言いたいことを言っていた。
しかし、今回の提案は、恋愛もので、しかも、タイトルからもう、胸が苦しくなるような、ハッピーエンドでは無さげなものだった。話し合うなら、とことん、本を読んで心に湧き上がってきた感情を赤裸々にぶつけ合いたい。だけど、私にはそれが怖くてできなかった。多分、それは、私はS君のことを以前よりも好きになっていたからだ。
私にとって、2冊の恋愛小説をそれぞれが読んで、読書の感想を言い合うということは、すごくロマンチックなことに思えた。まるで、それは、特別な大人の関係、つまり体の関係を結ぶように感じられたのだ。男と女が2つの作品を読んだ後の恋愛に対する感情の全てを晒してぶつけ合う。その感情は普段よりももっと心の奥の層にある、人間の心の中心に踏み込んだ感情を交える行為になりそうな予感がしたのだ。
ひょっとしたら、読後の感想会から二人の感情から小説にも書かれていない新しい感情だったり発見だったり気づきだったり、何か新しいものが生まれてしまいそうな、そんな感触が何か特別で、今までのアクションやアニメの感想を話し合う時の感覚とはまったく似て非なるもののように私には思えた。
もしも、私とS君が付き合っていたら、そういった感情を言い合うことは、お互いの関係を深めるコミュケーションの良いツールになっていたのかも知れない。けれど、私達は友達だった。体の関係だって、お付き合いを始めてからお互いを知り、しばらくしてからが一般的だろう。それと同じように、私にとって、このS君の提案は、付き合ってもいないのに読後の一歩踏み込んだ感情の交わり、つまり私にとっては体の関係のような事をやろうと言われているようなものと同じように感じてしまったのだ。S君のことが好きだからこそ、付き合っていないのに、その読書法をすることに余計に抵抗があったのだと思う。全く体の関係と同じような感じだった。
今なら、「全く、深く考えすぎじゃない? 自分に酔ってるんですか?」と過去の私ににツッコミを入れたくなりそうだ。それにS君は、ただ面白い企画を考えてくれて、私に声を書けてくれただけで、何も深い意味は無かったと思う。だが、当事私は真面目だった。だから、Rossoの本をとりあえず受け取ったが、私のその読書に対するこだわりの雑念が邪魔をして、純粋に本に陶酔できなかった。そして、S君と読書の感想を言い合う会もうやむやにしてしまったのだ。
そうして、S君との友達関係はしばらく続いたが、結局お互いの気持ちを確認することもなく、友達として会うこともなくなってしまった。
物事にはプロセスや手順というものがある。今回のこの読書法にも、私はプロセスを踏みたかった。つまりS君と付き合ってから、この読書法を試してみたかったのだ。もしも私がS君とお付き合いをしていたら、きっと、ドキドキしながらも本を読んで感想を言い合って、二人の関係を深められたのかも知れないと思う。
人生、年を重ねたり、結婚して他人と家族になり、子供が生まれ、いいことも悪いことも経験を積み重ねると、プロセスを抜かしたり、手順を変えないといけないことも十分ありだということを学んだ。自分のこだわりだって然りだ。
そんな中で、20年前のこのS君の提案してくれた読書法を思い出し、むしろこの読書法を夫とは違うだれか知らない人とやってみたいという思いが沸々湧き出した。もう、こだわりも羞恥心もなくなったアラフィフのおばさんになってしまった自分を客観視しながら、誰かとこの読書の方法を純粋に実行して、楽しめる方法がないものかといろいろ思考を巡らせる日々を送っている。
□ライターズプロフィール
琴乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
昨年天狼院書店のライティング・ゼミに参加。その後、同書店ライターズ倶楽部にて書くことを引き続き学んでいる。
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