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週刊READING LIFE vol,101

実は僕、阪神淡路大震災の被災者なんです《週刊READING LIFE vol,101 子ども時代の大事件》


記事:吉田健介(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
ドーーーン!!!
 
まるで巨人が家を揺らしたかのような衝撃。
僕は思わず起きる。いや、思わずというよりは、体に備わった防御本能、スイッチが自動に押された。目を開けた時には、すでに体を布団から起こしていた。
 
ガタガタガタ!!!
 
目の前の視界が上下に揺れ出す。
本当に「ガタガタガタ」という音だった。映画のシーンや、ゲームの魔法で地面が揺れる場面があるが、あの時に流れるガタガタ音は、本当にガタガタと鳴るから、ガタガタという音になるのだ。ま、今だから言えること。この時の僕はそんな冷静な頭ではない。むしろその逆。いや逆と言ってよいのかどうか…… 何が起っているのか理解すらしていない。とにかく「視界が上下に揺れている」という事実が、僕の網膜を通して脳に伝達されている。機械的、無機質に。
5秒か、10秒経った頃、ようやく脳が状況を理解する。
 
「地震だ」
 
当時、5人家族だった僕らは、同じ部屋に布団を敷いて、みんなで寝ていた。横にいる母や、反対側にいる父。その間にいる妹達。誰かが起きている気配は微かに感じるが、横を見る余裕もない。
 
「地震が起きたら、机の下に隠れるように」
避難訓練で先生が言っていたが、あれは嘘だ。いや、嘘ではないが、まあせいぜい震度4程度の想定での話。今目の前で起こっている地震はそれを遥かに超える揺れ。それも早朝。ここまでくると、人は何も身動きが取れないようだ。机の下に隠れるとか、避難するとか、そういう問題ではない。ただ黙って事態がおさまるのを待つしかない。いや、待つというのか、もう自然の成り行きに任せるしかない。まるで河原に転がっている石ころと同じ。ただただ、風が吹き、雨に濡れるしか術はない。そこに意思はない。あ、石だけに「意思」とかけているわけではない。いやいや、緊張感のある内容を語っているくせに、何を言っているのか。どのテンションで読めばいいのか読者が困ってしまう。失礼。まあ、今だからこそ言える冷静なる視点。俯瞰した情景というやつだ。とにかく、その日は人生で忘れることのできない日となった。
 
阪神淡路大震災。
1995年1月17日、朝の5時46分。淡路島を震源として、マグニチュード 7.3、僕の住んでいた場所は震度7を観測した。死者は6434人。当時としては戦後最大の災害となった。
 
「地震だ」
僕自身が自覚した後も、揺れは続いた。
ガタガタガタ!!!
本当に長かった。
 
揺れがおさまった後、僕たち家族がどういった会話を交わしたのかは全く覚えていない。
 
「大丈夫?」「すごい地震だったね」
恐らくそんなことを言い合ったのだろう。
とにかく、ただ事ではない事態が起こったことは間違いなく、朝の6時前だったにも関わらず、僕たちは状況の確認をするために、それぞれが早い朝を迎えた。
 
当時僕が住んでいた兵庫県西宮市は、木造の家屋も多く、僕の住んでいた家も木造だった。それも長屋で、お隣同時は壁一枚で繋がっていた。シンプルに言うと、昔からあるボロい家だった。
 
「潰れたに違いない!」
父や母の知人たちは、地震のニュースを聞いて、真っ先に僕たちの家のことを心配したそうだ。それくらい、古い家に住んでいた。だが奇跡的にも、そう本当に奇跡としか言いようがないわけだが、僕たちの家は無事だった。ほぼ無傷に近い状態。ちょっと傾いたくらい。しかも、家具が倒れてくることもなく。あえて言うなら、当時コレクションしていた僕のCDだけが、見事に床にぶちまけられていたくらい。
「壁に吊ってあった洗濯物ですら落ちなかったのに……」
 
話を戻そう。
揺れがおさまると、悲しいくらいの沈黙が辺りを包んだ。
ガタガタガタと、大きな音が鳴り響いてた後だっただけに、その後の静寂は、本当に静かなものだった。
冬の早朝の空気感。
 
すぐに行なったのは、状況確認。ガスや水道、電気が無事かどうか。
ガスは止まっていた。
電気はOK。
水はチョロチョロとだが、細い糸のような線が蛇口から流れていた。
 
ラジオを付けたり、テレビを付けたり。とにかく状況の把握。
今のようにスマホもなく、インターネットも普及していない。
自分たちの目で1つ1つ情報をかき集めて、事態の全体像を把握していくしかない。
 
1時間ほど経った頃には、淡路島を震源とする地震が起こったこと。
規模は広く、神戸の街が焼け野原になっていること。
とんでもない事態が僕たちに襲いかかってきたこと。そういった事実を知ることとなる。
 
「学校、行った方がいいかな?」
当時、中学1年生だった僕は母に尋ねた。
「一応、行っといたら?」
 
今考えると、何と無茶振りをする母だろうか。巨人が地面を揺らしていたかのような地震が起きた後というのに…… 後から知ることになるが、外はなかなか悲惨な状態。そんな息子を通常通りの時間で登校させようと言うのだ。しかし、みんな正確な判断ができないでいたのだ。類稀なる事態に僕たちが遭遇していた証だ。
 
いつも通り準備をして、いつも通りの時間に友人を迎えに行き、僕は学校への道を歩いた。
これも今考えると不思議なのだが、迎えに行った友人も、友人だ。よく僕の迎えに応じたものだ。送り出した彼の家族も然り。みんな正確な判断ができないでいたのだろう。まさに前代未聞の事態。
 
ちなみに、外の状況はなかなかのものだった。道路はめくれ上がり、家屋は所々崩れていた。どこからか、ガスの臭いが時たま鼻を刺激した。人々は、何が起こったのかを各々で確認するかのように、何かをしていた。何をしていたのかは覚えていない。僕自身、頭の中は呆然としていたから。少なくとも「逃げろー!」とか「閉じ込められているぞー!」と言った大きな声は聞こえてこなかった。むしろ、あれだけ大きな地震が起こった後にも関わらず、人の数は思った以上にまばらで少なかった。
 
僕の住んでいた街は、被害が大きかった場所と、そうでなかった場所のちょうど境界線に位置していた。自転車で10分程神戸方面に行けば、高速道路が横倒しになっている現場に行くことができた。社会の教科書にも載っているあの状況だ。反対の大阪方面に、10分くらい自転車を走らせて隣町に行けば、売り切れ続出だったカセットコンロのガスボンベが普通にコンビニで買うことができた。家屋の倒壊もほとんどなかったようだ。そんな中間に僕たちは位置していた。
 
「お前らこんな日に何しに来てんねん! 帰れ帰れ!!」
右手で追い払う仕草をしながら、校門前で体育の教師に怒られた。
 
「やっぱりそうやんな……」
そう、やっぱりそうなのだ。だって、道路はめくれているし、倒壊している家屋はあるし、神戸の方では焼け野原になっているみたいだし、余震でちょいちょい揺れも起こるし。
今だからもう一度言う。本当のまじで、あんな日に何をしに行ったのか。まったくどうしようもないやつだ。送り出す母も含め、頭がどうかしていた。
 
この日から学校は1ヶ月間の休校。
当時通っていた中学校は避難所として地域の人たちに利用されていた。
ボランティアとして同級生が学校へ手伝いに行く者も少なくなかったという。
僕はというと、ほとんど家から出ることもなく、ゲームをしたり、同じCMが流れるテレビを見たりしながら、妹たちとダラダラ過ごしていた。
 
父は神戸方面へ自転車を走らせて状況を自分の目で見に行ったりしていたようだ。
看護師をしていた母は、事態が事態なだけに、通常通り仕事に行っていた。
あの1ヶ月は、空白以外の何者でもない。何をするでもなく、何ができるでもなく、ただ静かに、ただ安全に、僕たちは毎日を過ごしていたし、過ごそうと努めていた。
 
一番怖かったのは、地震が起きた日の夜だった。
余震が定期的に続く中、またいつ大きな揺れが襲ってくるか分からない。もし大きな余震がきたら、我が家は今度こそ、間違いなく木っ端微塵になるに違いない。みんなそう実感していた。いつでも逃げることができるように、パジャマではなく私服で寝た。布団に入ると、恐怖感が襲ってきた。起きている時と違って、寝ていると、それはまさに無防備でしかない。俊敏性も防御力も不利な状況。「ちゃんと逃げれるだろうか……」そんな不安しかなかった。翌朝目覚めた時「よかった。生きてる……」そう思ったこと、いまだに忘れない。
 
最新情報はテレビ、ラジオ、新聞。
朝日新聞を取っていた我が家。当然、見出しは地震のこと。しかも死者数の数字がデカデカと載っていた。その数は日に日に増えていった。はじめは100人ちょっと。次の日は数百。次の日が500を超え、800を超え、1000を超え…… 僕の記憶による不確かな数字ではあるが、毎日の見出しに載る数字がどんどん上がっていったことを覚えている。
 
学校が再開さてからも、地震による影響は続いた。教室は移動、給食はパック詰めでどこかから配送されてきた。部活動はなく、早い時間帯での下校が続いた。だが4月に入り、中学2年生を迎える頃には、僕たちの日常は通常運転に戻っていた。
 
あの震災以降、街の風景は随分と変わった。木造家屋は軒並み取り壊され、新しい家やマンションが軒を連ねるようになった。
「ここも家が建つのか……」
空き地になった場所を見ると、以前どんな建物が建っていたのか思い出せないことが不思議だった。当たり前にある風景として、自然に溶け込んでいたのだろう。なくなると違和感だけが残る。しかも、新しい家が建つと、新しい景観に僕の目も慣れて、違和感など感じなくなるだろう。
 
あれから約25年が経った。
日本の総理大臣は何人か交代し、イチローは2000本安打を達成し、アメリカでは黒人初の大統領が誕生し、テロが起き、戦争が起き、東日本大震災が起き、原発の問題が起き、祖父は亡くなり、妹ももうこの世にはいない。息子が誕生し、今は2人目が妻のお腹の中にいる。そして僕は39歳となった。
時計の針はしっかりと進み続けるわけで、それと同時に世界では色々なことが起きている。それと同時に僕は年齢を重ね、それと同時に皺の数を今日も増やしている。
 
今何ができるか。ちゃんと一生懸命に生きているのか。日常に忙殺されて忘れてしまうことが多々ある。「ああ、これではいけないのに……」
 
朝日新聞デジタルに阪神淡路大震災が発生した日のことを扱ったページがある。当時の映像や写真などを集めて、発生してから1日の間に、どのような事態が周りで起きていたのかまとめたサイトだ。映像や写真を見ていると、一気に僕の頭の時間は逆戻しになる。当時の空気感がありありと思い出され、体の奥底に緊張が走る。
「そう、こんな感じだったな」
 
今の僕はちゃんと生きているのだろうか。
当時亡くなった人の分も含めて、僕はしっかりと歩いているのだろうか。
まだまだできることはあるのかもしれない。まだやれることはたくさんあるのかもしれない。
せめて、自分がやろうとしていること、やりたいこと、譲れないもの、ブレてはいけないもの、守らなければいけないもの、そんな諸々を大切にしていかなくてはいけない。
朝日新聞デジタルを見ながら改めてそう実感する。
 
つい忘れがちになってしまう。薄れてしまう。
改めて自分に起きたことを思い返し、自分にできることを見つめる必要があるようだ。
 
そんなことを思いながらこの文章を書く。あの時の中学1年生は、まだ心の中にしっかり残っているみたいだ。この文章を書き終わったら、パソコンを閉じて、やろうとしていたことを進めてみよう。言い訳ばかりしていては何も始まらない。時間は有限。命がちゃんとあるのだから、一生懸命やるべきことをやっていこうではないか。
 
改めてそう感じる僕がいた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田健介(READING LIFE編集部公認ライター)

現役の中学校教師。

1981 .7.22 生まれ。
関西大学卒業、京都造形芸術大学(通信)卒業、佛教大学(通信)卒業。
『オトナのための中学校数学』執筆中

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2020-10-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol,101

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