週刊READING LIFE vol,103

あの手のぬくもりが教えてくれたこと《週刊 READING LIFE vol,103 大好きと大嫌いの間 》


記事:神谷玲衣(READING LIFE 編集 部ライターズ倶楽部 )
 
 
「あ! これ、帯状疱疹じゃないかな? 痛くないですか?」
パジャマのズボンをお尻の方まで引き下げた、私の腰の辺りを見て、その人が驚愕した顔で言った。
 
一瞬意味がわからなかった私は、ばかみたいにオウム返しに繰り返した。
「タイジョウホウシン……?」
それまで、異常に健康だった私は、恥ずかしながら帯状疱疹を知らなかった。
 
「あの、タイジョウホウシンって何ですか?」
するとその人は噛み砕くように優しく、その病気の説明をしてくれた。
 
帯状疱疹は、ウイルス性の、皮膚にあらわれる病気で、大の男がのたうち回るほどの痛みを伴うことも多いと言われるが、私の場合、「なんか、チクチクするなぁ」といった程度だったのは、本当に不幸中の幸いだった。
 
その日は朝からなんとなく、腰の辺りが痛痒いような気がしていたが、ずっと部屋を暖かくしていたせいで、あせもでも出来たのかと思って、その人に聞いてみたのだ。
その人の言った恐ろしい病気の説明と、私の隣でスヤスヤと眠る、生まれたばかりの娘が似つかわしくなくて、自分の身に起きていることとは思えなかった。
 
その人は、おっぱいマッサージが専門の、加藤さんという助産師さんで、産前から通っていたプレママ教室で紹介してもらった方だ。
初産で、おっぱいのことなど何もわからない私にとっては、とても頼りになる存在で、12月初旬の出産から2週間ほど経ったその日も、家まで出張マッサージに来てもらっていたのだ。

 

 

 

私は、母乳育児に命をかけていた。兄弟は母乳で育ったのに、母が多忙になったのをきっかけに、末っ子の私だけがミルクで育った。
子供の頃からその話を聞くたびに、母の愛を少なく受け取ったかのような寂しさを感じていた私は、妊娠がわかった途端、「絶対に母乳で育てる!」と固く心に誓ったのだ。
 
そして出産前にはおっぱいマッサージの教室にも通い、準備万端だった……はずだった。
 
娘を出産した病院は、完全母乳を推奨している大きな病院で、産んですぐに母子同室で授乳できるように、バックアップ体制も万全だった。それなのに、娘は産まれてすぐに、不整脈と、低血糖による震えの症状で、病院内にあるNICU (新生児 集中治療室) に入ってしまったのだ。
 
完全母乳で育てるという私の夢はいきなり打ち砕かれ、娘はミルクを与えられることになった。それでも、母親が産後初めて出す貴重な「初乳」は、赤ちゃんの免疫をつけるために大切な成分を含んでいるので、ミルクに混ぜて与えたほうがよいと言われた。10cmほどの長さの、針のない小さな注射器を渡されて、初乳を自分で絞り取るようにと渡された。
 
授乳は、母と子の共同作業だ。赤ちゃんが初乳を吸ってくれることで、まだお乳をあげたことのない母親の乳腺が通り、順調におっぱいを出せるようになるのだが、私の場合はその道筋を自分でつけて開通させなければいけなかった。
 
病室のベッドで、乳首をアルコール消毒してからこわごわ絞ってみるが、絞っても絞っても、初乳は簡単には出てくれない。何度も何度も繰り返すがおっぱいや乳首が痛いだけで何も出てこない。焦った私は覚悟を決めて、あまりの痛さに冷や汗をかきながら、渾身の力を込めて乳首をつまんでみた。
 
すると、乳首の先から、蜜蝋のようなオレンジ色のドロッとした液体が出てきた! これが初乳なのか!! イメージした牛乳のようなものとは違って、いかにも濃厚な栄養素の塊といった感じのものを、急いで注射器で吸い取り、ナースステーションに持参した。
 
娘はミルクに、その初乳を混ぜたものを与えられた。娘が人生で初めて体内に摂ったものが私の初乳であったことに、なんとも言えない達成感を感じたのを、昨日のように覚えている。

 

 

 

私の授乳はそんなスタートだったので、なかなか順調にいかず、退院後も加藤さんにマッサージに来てもらっていた。やっと産後2週間たち、授乳も順調に進むかに思えたころの、帯状疱疹の発症だった。
 
加藤さんに言われて、すぐに近くの皮膚科を受診した。診察を終えると、メガネを掛けた若い男性の医師は、こともなげに「帯状疱疹ですね。抗生剤を出すので、2週間、授乳はやめてください」と言った。
「2シュウカン、ジュニュウハヤメテクダサイ」
えっ?
 
「2シュウカン、ジュニュウハヤメテクダサイ」
 
頭の中を、感情のこもらない冷たい医師の声だけが、ぐるぐる回り続ける。
 
私は、消化しきれないその音の意味を、医師に確認してみた。
「先生、おっぱいをあげてはいけないということですか?」
「そうです。抗生剤ですから授乳は出来ません」
 
なんだって? 授乳が出来ないって、どういうこと? なんでこの人は、そんな大切なことを、簡単にやめろなんて言えるんだろう?
 
「授乳をやめるって、私……、困るんです」
「いや、困ると言われても、抗生剤なので」
「抗生剤じゃない薬はないんですか?」
 
その医師は、「帯状疱疹を治すためには、抗生剤を服用しなければいけないので、授乳が出来ない」という、至極当然なことを伝えただけなのだが、母乳育児に命をかけていたその時の私にとって、それは死刑宣告にも思えるほどのショッキングな言葉だった。
 
おっぱいというのは、赤ん坊が飲まなくなると自然に出なくなってしまう。分泌を続けるためには、飲ませ続けることが必要なのだ。
 
私が、抗生剤治療が終わったあとも母乳の授乳を続けたいならば、薬を飲んでいる2週間は、おっぱいを絞っては捨て、娘にはおっぱいでなくミルクを飲ませる、という方法しか無かった。
 
それからの2週間は地獄だった。それでなくても産後の2時間おきの授乳は、寝られなくてしんどいのに、娘にあげることの出来ないおっぱいを自分で絞るのは大変な苦痛だった。
 
せっかく絞ったおっぱいは捨てて、さらに娘に飲ませるためのミルクも作らなくてはならない。ミルクをつくることとおっぱいを絞ること、さらには、せっかく慣れた私の乳首から哺乳瓶に変わったことが原因で、ミルクをなかなか飲まない娘に授乳をすることで、私と夫はほとんど不眠不休だった。
 
毎日毎日、フラフラになりながら、初めての育児に翻弄されていた。娘はなかなか寝付かない赤ん坊で、やっと寝たと思って、そう〜っとベッドに寝かすとパチっと目を開けてギャ〜と泣き出す。それは、背中に、ベッドへの着地を感知するセンサーがついているかのような正確さで、私は「絶対背中にスイッチがあるに違いない!」と本気で思っていた。
 
産まれたばかりの赤ん坊に授乳をして寝かしつける、という育児は、新米の母親としては一番幸せな気分を味わえる時間のはずなのに、その時の私にとっては、苦痛を伴う大嫌いな時間になっていた。
 
抗生剤を飲みはじめて1週間ほどたった頃のことだ。手で自分のおっぱいを絞るのは限界があったと見えて、しぼりきれないおっぱいがどんどん溜まり、胸がズキズキと痛くなってきた。
 
体からの排出物というものは、許容量を超えたら自然と体外に排出されるしくみになっている。汗だって尿だって便だって、普通は自然と排出されるが、赤ん坊の飲んでくれないお乳はそうはいかないのだ。出口を失って増え続けるお乳は、乳房を固くパンパンに膨らませていき、そのうち耐えきれないほどの痛みを伴っていく。
 
一日中、持てるエネルギーのすべてを込めておっぱいを絞り、痛むばかりですっきりしないパンパンの胸を抱えた私は、もう力尽きそうだった。
 
深夜にとめどもなく溢れる涙でぐしょぐしょになりながら、夫に「もうだめだぁ、もう頑張れないよ。痛いの、痛くてたまらないの」とへたへたと壁にもたれて、座り込んで訴えた。
訴えられたところで、夫もどうしようもない。いや、それどころか「絶対母乳にする!」と言い張っているのは私なのだから、夫としては、「オレにそんなこと言われても困る」と言いたかっただろう。
 
深夜に、授乳パジャマからおっぱいを出しながら、鼻水をすすって号泣する妻に、困惑して泣きたかったのは、夫のほうだったかもしれない。結局その日は、パニックになった私を、夫がなだめすかして、なんとか夜が明けた。
 
翌日、私は急いで搾乳機というものをネットで検索した。ポンプの吸引力で、おっぱいを搾乳してくれるマシンだ。次に加藤さんが来てマッサージをしてくれるまで、とうてい我慢できそうにないので、急いで購入しなければと焦っていた。
 
口コミを総合的に判断すると、医療用にも使われているという搾乳機が良さそうだった。その日は12月31日だったので、どうしてもその日中に入手しないと大変なことになる。慌てて色々な店に電話をしまくり、やっと在庫があるとわかった、錦糸町のアカチャンホンポに、夫に買いに走ってもらった。
 
痛みに耐えながら待っていると、もうすっかり辺りが暗くなった頃に夫が戻ってきた。はやる心を抑え、梱包を開けて搾乳機を取り出す。説明書を見ながら早速消毒をして、透明のカップ型の器具をおっぱいにあてがうと、ウイーンウイーンと小さな音を立てながら、そのマシンは動き出した。
 
吸引でカップ内のおっぱいに圧がかかるのを感じながら、祈るような気持ちで、かたずをのんで見守る。しばらくすると、圧で引っ張られた乳首から面白いようにおっぱいが出てくるではないか! もちろん娘が飲んでくれるのとはわけが違うが、それでも手で絞るよりも、よっぽどしっかりとお乳が出てくるのだから、いやがおうにも期待は高まる!
 
高ぶる気持ちで数分使っていると、突然お乳の出が悪くなった。どうやら、乳首に近いところにあるお乳はすぐに出るらしいが、その奥にあるお乳までは吸いきれないようだ。期待が大き過ぎたせいで、お乳のフェイドアウトにまた泣きたい気持ちになったが、気を取り直して、何度も何度もトライしては、少しずつ搾乳を続けた。
 
搾乳機はよく頑張ってくれた! しかしやはり赤ん坊の吸引力にはとうていかなわないようで、搾乳機が吸い取るよりも私のおっぱい製造能力がはるかに上回り、もう私のおっぱいは破裂しそうだった。
 
「このままじゃまずい! なんとかしなきゃ!」
こんな年の瀬に申し訳ないと思いながら、加藤さんに電話をすると、なんと1月2日なら出張してくれるとのことで、心の底から感謝しながら、お願いをした。
翌日の元日は、なんとか痛みをやり過ごし、文字通り、一日千秋の思いで1月2日を迎えた。

 

 

 

約束通り朝早く、加藤さんは来てくれた。
リビング横の和室に敷いたお布団の上で、いつもどおり横たわる私の胸に、加藤さんの温かい手が触れた。
 
「ああ、辛かったでしょう! こんな痛みじゃ搾乳も大変だったでしょうね? みなさんこうなると、メゲてご自分を責めるんですけど、お母さんのせいじゃないですからね」
 
彼女の言葉で、私の中のなにかが壊れた。
 
そっか、私は授乳や寝かしつけが嫌だったんじゃなく、自分が産んだ子供の世話が嫌いになってしまった、自分自身のことが大嫌いだったんだ! と、気づいた瞬間だった。
 
加藤さんがカチンカチンになった胸をマッサージしだすと、白い放物線を描きながら、私の胸から勢いよくおっぱいが溢れ出した。
 
いや、溢れ出したと思ったのはおっぱいではなく、私の哀しみだったのかもしれない。私はパンパンに張った胸からおっぱいをビュンビュン飛ばしながら、滂沱の涙も流していた。胸にも頬にも、種類の違う、生暖かい液体が流れてつたった。
 
大好きな自分の子供なのに、上手に世話ができなくて、授乳も寝かしつけも上手くいかなくて、絶望感に打ちひしがれて、育児の時間が大嫌いになっていた。そして、その大嫌いという感情を持ってしまう自分が許せなくて、さらに自分を責めていた。
 
加藤さんの温かい手は、おっぱいの張りを取り除いてくれただけではなく、そんな私の奥底の、心のしこりも取り除いてくれたのだった。
 
母親には母性愛があり、何があっても無条件に子供を愛し続け、育児ができると思われているかもしれないが、断じてそんなことはない。
どの母親も必死で、子供というおもりのついた、振り子のような感情を味わっているのだと思う。可愛い我が子、というおもりが重たいだけに、「大好き、愛している」と思う感情のフリ幅が大きく、でも反対にそれがうまくいかなくなった時の、「落胆や自己嫌悪」もまた、大きいのだ。
 
おっぱいはもう出なくなったけれど、子育てに悩んで涙が出そうな時は、今でも加藤さんの温かい手を思い出すことがある。
 
「好きがあるように、嫌いと思う自分も許してあげてね。お母さんは、完璧でなくてもいい。大好きと大嫌いの間を行き来するのが、子育てなのだから」と、懐かしい彼女の手のぬくもりが、いまだに語りかけてくれるような気がしている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
神谷玲衣(READING LIFE 編集 部ライターズ倶楽部 )

イタリアでファッションバイヤーとして勤務。帰国後は、16年間、カラーコンサルティング、テーブルコーディネート、人材育成事業などの講師として、専門学校、大手企業、ホテルとフリーランス契約。日本で出産後、夫の転勤でドイツとアメリカで子育てをする。2020年9月から天狼院ライターズ倶楽部に参加。

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2020-11-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol,103

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