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週刊READING LIFE vol,103

まさか私がフィギュアスケート《週刊READING LIFE 大好きと大嫌いの間》


記事:岡 幸子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
子供のころからずっと、運動が苦手で大嫌いだった。
走るのは遅く、ダンスも下手で、体力測定で投げたボールは最低ラインまで飛ばず、全力でやっているのに握力測定の結果が低すぎて、「真面目にやれ!」と体育教師に怒鳴られた。
 
忘れられない苦い思い出がある。
中学2年生の時だ。
クラス全員の前でバレーボールのテストが行われた。
その場には、片思い中の男子もいた。
サーブを10本打って、入った本数が点数になる。
絶対に0点を取ることはわかっていた。
だって、これまでの人生でサーブがネットを越えたことが一度もないのだから。
恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい……
どん底の気持ちで自分の順番を待った。
奇跡が起こるはずもなく、既定の10回、打ち上げたボールは全てネットの前に落ちた。
最悪だ。
消えてしまいたいほど恥ずかしかった。
 
ほとんど憎しみにも近い気持ちで運動を嫌っていたのに。
大学に入学した春、サークル選びで学内を歩いていたときのこと。
ロングヘアの綺麗な先輩二人に声をかけられた。
 
「新入生ね。まだサークル決めてない?」
「はい」
「それじゃあ、話だけでも聞きに来て。すぐそこが部室なの」
 
私は美しい先輩に魅せられて、ふらふらとついて行った。
 
「連れてきたよー」
部室に入ると、優しそうなショートヘアの先輩が待っていた。
 
「いらっしゃい、フィギュアスケート部へようこそ。初心者かな?」
「あ、はい、いえ、まだ入部を決めたわけでは……」
しどろもどろに答えると、先輩はにっこりと微笑んだ。
 
「大丈夫、すぐに決めなくてもいいのよ。スケートリンクの招待券をあげるから、一度体験しにきてね。ただで一回、スケートができると思えばいいから」
「運動がとても苦手なんですけど……」
「あら、毎年1年生は初心者ばっかりだから、最初のうちは全員手すり磨きよ。これまで運動ができなくてもスタートは一緒だから安心して。3ヵ月もすれば、ふつうに滑れるようになるから」
 
それは、とても魅力的な響きだった。
全員初心者なら、よちよち歩きでも恥ずかしくない。
運動は大嫌いだ。
大嫌いだけれど、運動ができる友だちを見ると、ものすごく憧れる。
うらやましいのだ。
つまり、心の奥底には運動ができるようになりたいと熱望する自分がいた。
その憧れをフィギュアスケートにぶつけてみようか。
いや、そんな簡単にいくだろうか。
 
「本当に、運動音痴でも滑れるようになるんでしょうか」
「前へ進むだけなら3ヵ月あれば十分よ。ジャンプとかスピンとか、そういう技が難しいの」
「オリンピックでやっているような技ですか!?」
「いえいえ、大学生から始めて3回転ジャンプはとても無理。まずは、1回転を何種類か跳べるようになるのが目標ね。うちの部で今、2回転ジャンプが跳べるのは四年生の先輩ただ一人」
「あの、くるくる回るスピンもできるようになるんですか?」
「スピンは練習すれば大丈夫」
 
先輩に優しく言われると、本当にできるような気持ちになってくる。
いつの間にか頭の中で、華麗にスピンを回る自分の姿が勝手に再生されていた。
 
「あと、うちは体育会だけど陸トレはないから。走ったり、腹筋したりみんな嫌いだから、練習はスケートリンクだけよ」
 
陸上の練習がない!
それはもう、私にとっては何よりありがたい言葉だった。
女子大だからゆるいのかも知れない。
先輩方の雰囲気もどこかおっとりしている。
あんなふうになれたいいなあ……
ぼーっとした気持ちで部室を後にした。
 
渡された招待券は、後楽園球場(東京ドームの前身)横の「黄色いビル」最上階にあった、後楽園アイスパレスのものだった。
大学の最寄駅から地下鉄で一駅だ。
近い。
私はジャージを持って、翌週の体験練習に行ってみた。
同じように招待券をもらって体験しに来た学生が15人くらいいた。
先輩方は、ひらひらしたスカートのついたフィギュアスケートのコスチュームを着ている。
すらりと伸びた足が美しく、同性でもドキドキした。
 
「ようこうそ、新入生のみなさん。貸し靴はフィギュアタイプにしてね。フィギュアスケートのブレードは、スピードスケートのように真っすぐじゃなくて、繊細な動きができるようにカーブがついています」
「ブレードって何ですか?」
「スケート靴の下についている金属の刃のことよ。入部したら靴は足のサイズに合わせて買って、ブレードは別に選ぶの。上級になったら、フリー用とコンパルソリー用でブレードを分けるから、靴も2足必要になります」
「先端についてる、このギザギザは何ですか?」
「トウといって、ジャンプやスピンで使います。靴を裏返してみて。刃に厚みがあって、U字型の溝がついているでしょう」
「ほんとだ。包丁の上に立つわけじゃないんですね」
「そうなのよ。溝の内側がインエッジ、外側がアウトエッジ。フィギュアスケートはこのエッジを使い分けて、色々な技や滑りをしているの」
 
初めて知ることばかりだった。
スケート靴をはいてリンクへ降りると、先輩が言っていた通り、新入生はみんな同じようにふらふらで、手すりが大人気だった。
最初に先輩から手ほどきを受けた後は、自主練習となった。
新入生が他のお客さんと一緒に、よちよちと周回コースを回る中、先輩たちがコースの内側の円の中に集まっていった。
後楽園フィギュアクラブの専属コーチが、カセットデッキから音楽を流しながらレッスンを始めたのだ。
軽快な曲に合わせてコーチの周りを滑る5人の先輩たち。
そのうち、スピンやジャンプの練習が始まった。
コーチが一人一人にアドバイスをしている。
30分のレッスンが終わると、先輩の一人が私たちに声をかけた。
 
「今のは合同練習。レベル別に週2回やっています。休んでも大丈夫。今日も、何人かきていないし。上手くなりたい人は、他に個人レッスンをとっています。レベルが同じ2、3人で個人レッスンをとって、レッスンの回数を増やしている人もいます。一番上手な先輩は、ここのフィギュアクラブに入ってて、全日本選手権にエントリーしています」
「それって……お金かかりますよね」
「まあね。でも、後楽園の年間フリーパスを2万円で買えば、スケートリンクは無料だし。パスがあれば映画館も、遊園地も、ローラースケート場も全部タダよ。あとスケート靴の他、最初に買うのはコスチュームね。入部が決まったら、新入生みんなで渋谷のチャコットへ買いに行ってね」
 
先輩はにこやかに言うけれど。
初期費用だけで7~8万!
驚いたけれど、この時にはもう私の気持ちは入部の方に傾いていた。
 
大嫌いと大好きはシーソーの両端だ。
ものすごく意識しているから大嫌いになる。
恋愛でも友情でも似たようなことが起こるではないか。
大嫌いだった人の意外な一面を知って、突然好きになるとか、よくある話だ。
「愛」の反対語は「憎しみ」ではないという。
大好きで愛していたものに裏切られたとき、愛と同じ重さでシーソーの反対側にバタンと倒れたのが憎しみだ。
愛と同じ重さが憎しみにはある。
だから、別れた異性のことを恨んでいる間は愛が反転しているのだろう。
本当に愛がなくなったら、どうでもよくなる。
「無関心」だ。
私は運動が大嫌いだったけれど、無関心にはなれなかった。
心の底に憧れがあった。
だから、ついふらふらとフィギュアスケートなどという、突拍子もない世界へ足を踏み入れてしまったのだろう。
大嫌いだった重さがそっくり、シーソーの反対側に逆転したのである。
 
同期の一年生は10名が入部した。
運動部出身で、スポーツ万能だった子はテニスサークルと兼部して、あっという間に上達したが、やがて休みがちになった。
何でもすぐにできてしまうから、スケートにこだわる必要はなかったのだろう。
私は違った。
彼女より圧倒的に時間はかかったが、3ヵ月したら本当に前にも後ろにも滑れるようになった。
嬉しくて、もっと練習した。
同じように、大学生になるまで運動音痴だった友がいた。
自分たちには、他のスポーツに浮気する余裕はない。
フィギュアスケートしかない。
二人でそう思っていたので、バイトで稼いだお金が続く限り、一緒に個人レッスンをとりまくった。
 
後楽園フィギュアクラブのビギナーズクラスにも入会した。
フィギュアスケートは、今ではショートプログラムとフリースケーティングの合計得点で争われる。当時は、ショートプログラムがなくて、規定の図形を氷上に描くコンパルソリー、通称「コンパル」が採点された。
コンパルの練習は、何人かでスケートリンクを貸し切って、誰も滑っていないまっさらな氷に自分の軌跡を描く場所を確保しなければできない。
私は、大学を卒業するまでに、どうしても初級の一つ上の1級を取得したかった。
それで一番練習したときは、都心の親戚の家に泊めてもらって、始発でスケートリンクへ行き、午前6時から7時まで貸し切り練習をした後大学へ行き、授業を受けてから夕方リンクへ戻って、今度はフリーの練習をした。
大学の友人は、私がもともと運動音痴の運動嫌いだったと言っても信じてくれなかった。
 
大学4年生の秋。
後楽園フィギュア杯、ビギナーズクラスに出場した。
跳べるのは、半回転と、ささやかな1回転ジャンプ2種類だけ。
スピンは下手なのを3種類。
スパンコールのついたコスチュームを着て、1分間のプログラムを披露した。
まったく下手も下手、人様に見せるような代物ではなかったと思う。
それでも楽しかった。
何しろ、1分間、後楽園のスケートリンクを独り占め。
私のために曲が流れてくれるのだ。
最高だ。
スケートに出会ってよかった。
運動を諦めなくてよかった。
探せばできるスポーツもあるんだなあ……
そう思ったら、自然と笑みがこぼれ、とても気持ちよく滑ることができた。
 
「努力賞!」
 
なんと、私より上手な人はたくさんいたのに、私の名前がコールされた。
涙が出るほど嬉しくて、最後の記念撮影はもう一人でめちゃくちゃハイテンション。
 
「どうして? 努力賞でしょう? なんで1位の人より喜んでるの?」
 
よく練習で一緒になる、フィギュアクラブの小学生が不思議がった。
 
だって、嬉しいんだもの。
私にとっては多分、1位になるより嬉しいのよ。
大嫌いだったものに取り組んだ努力が認められて。
 
だから、あなたもチャンスがあったら挑戦してね。
大嫌いなものの中にも、光があるかもしれないから!
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
岡 幸子(おか さちこ)(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京都出身。高校教諭。平成4年度〜29年度まで、育休をはさんでNHK教育テレビ「高校講座生物」の講師を担当。2019年12月、何気なく受けた天狼院ライティング・ゼミで、子育てや仕事で悩んできた経験を書く楽しさを知る。2020年6月から、天狼院書店ライターズ倶楽部所属。
「コミュニケーションの瞬間を見逃すと、生涯後悔することになる」、「藝大声楽科に通う大学生が、2年間で2回も声帯結節になった話」の2作品で、天狼院メディアグランプリ週間1位獲得。

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2020-11-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol,103

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