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週刊READING LIFE vol,104

理想の自分と整頓された生活を手に入れるには「ローマは一日にして成らず」が効く《週刊READING LIFE vol,104 私を支える1フレーズ》


記事:緒方愛実(天狼院書店ライターズ倶楽部)
 
 
「大きくなったら何になりたいの?」
 
あれは確か、小学校低学年の時。幼少期からお世話になっていた小児科医院でのことだった。顔なじみの看護師さんがにこにこと、健康診断で母とやって来た私に問いかけたのだ。
私は、無言で首を傾げた。すると、間髪入れず、私の後ろにいた、私の母が嬉々として答える。
「先生、この子、将来動物病院のお医者さんになりたいんですよ!」
「そっか。動物、好きだもんね?」
和む大人たちに囲まれ、今度は、私は心の中で首を傾げる。
 
わたし、そんなこといったっけ?
 
確かに私は動物が大好きだ。犬、猫はもちろん、シャチも、オウムも好きで。近所の男の子たちに混ざって、カエルや蛇を捕まえて触ることもあった。おしとやかとはかけ離れた、野生児だった。だが、私は動物のお医者さんになりたいとは思ったことなどない。
子どもながら、お医者さんがどんなに大変な仕事かを知っていた。それと同時に、私にはなれないことがわかり切っていたからだ。だって私は。
 
「でもね、先生、この子、算数が苦手で困っているんです」
 
ため息まじりにそう、母が私の現状を口にした。
 
にがて、じゃない。だいっきらいなの!
 
私は、心の中でそう叫んだ。数字を合わせたり、引いたりするだけ。ちっともおもしろくないのだ。なのに、算数の宿題はたくさん出される。理解できず、好きでもないものを子どもがよろこんでするわけがない。宿題は締め切りギリギリまで手をつけず、母に怒られながら夜遅くまでするのがお決まりだった。
お話を読む国語と、絵を描いたり粘土をこねる図画工作の方がしたい。なぜ、半泣きになりながら、大嫌いなことをしなくてはいけないのか。そう、毎日、鬱屈とした気持ちを抱いていた。
人間でも動物のでもお医者さんになるには、大学にいかなければならない。そのためには、算数よりもっと難しい数学の試験があるのだと、教師の家庭の子に教えてもらっていた。だから私は、獣医になりたい、なりたくない以前に、私の脳みそでは無理であることを知っていた。私は、幼少期から、どこか達観した所のある子どもだった。
世間を冷めた目で見ている私は、将来の夢、というのを持っていなかった。周りの子たちが、ケーキ屋さんやお花屋さんになりたいと笑顔で語るのを遠くから見つめつつ、漠然と、大人になっても、数学をしなくちゃいけないのは嫌だなー程度に思っているぐらいだった。
このなんとなく、毎日を過ごしている娘に、親たちは危機感を持ったのかもしれない。そう感じ取った私は、母の言葉に否定も肯定もしなかった。もしかしたら、すべてが面倒くさかったのかもしれない。ぼんやりと座っている私を見つめ、主治医のS先生が、メモを取り出した。一枚破り、自分の手元に引き寄せ、ペン立てから黒いボディの万年筆を取り出した。青いインクが、白い紙にサラサラと走る。その様子に、私は目を丸くして、夢中になる。私の周りの大人で、万年筆を持って、実際に使っている人などいなかった。はじめて見る光景に、私は目を輝かせた。S先生の万年筆の金の切っ先がスッと止まった。先生が、インクを乾かして、私の目の前にメモをそっと差し出す。達筆な青いインクを目でなぞる。
 
「ローマは一日にして成らず?」
 
読み上げて顔を上げると、S先生が微笑んでいた。
「ローマは、今で言う、イタリアという国の付近にあった国の名前だよ。昔は、大きくてとても強い国だったんだ。その、ローマも、すぐに大きくなれたわけじゃない。小さなことを積み重ねて、大国にのし上がったんだ」
「へぇ~」
物語のような話に私は、目を輝かせて先生の言葉に耳を傾ける。
「それと同じ。今は、算数が苦手でも、毎日少しずつ解いて、覚えていけば力になる。無理せず、一歩ずつ、前に進んでみなさい。そうしたら、夢は叶うから」
もしかしたら、大器晩成型なのかもね? そう言って、先生が皺くちゃで、大きな手で私の頭をやさしく撫でてくれた。
 
あれから、うん十年。幼少の私の予想通り、私は獣医の仕事には就かなかった。今も相変わらず、動物は大好きだけれど、その道を目指そうとは思わなかった。数学は最後まで好きにはなれなかったけれど、何かを学ぶ、プロセスは好きだった。本を読み、時にその道の人々から、分けてもらえる知識を収集することによろこびを感じる大人に育った。
数学は絶望的な点数しかとることはできなかったが、文系の点数はずば抜けて高い学生時代。現代文、古典文学の物語を読む学問と並行して、英語を学ぶことが好きだった。外国の、知らない言葉を解読し、自分の口で話すことは興味深く思う。その経験と知識欲は、大人になって突然再び目を覚ました。
さまざまなことの巡り合わせで、ドイツ語を学びはじめたのだ。しかも、大学を卒業して、ずいぶんたったころだった。はじめは、挨拶程度しか知らないレベル、本当にABCD(ドイツ語でアー、ベー、ツェー、デェー)から出発しての猛勉強だった。
大学に編入したい、という高い志があったわけではない。ただ、趣味の延長として、本気で学んでみたかったのだ。脳の活性化もできて、外国の方とコミュニケーションができるなんて最高の学びではないか。
ドイツ語を選んだのは、オタクらしく漫画の影響と、響きが耳に心地よかったこと。そして、覚えるのは難易度が高い、と言われていたのが、私の眠っていた闘争心に火をつけた。今思えば、ドイツという国は、動物愛護先進国であり、学生時代は法律の文献を取り寄せるなど、個人でしていたので、昔から好きだったのかもしれない。
毎日、学習番組とテキストを見比べながら、夢中で勉強した。まさに、ノートに写経のようにびっしりとドイツ語を書き連ねる日々だった。
幸運にも、ネイティブのドイツ人の師に出会うことができ、私の語学力は飛躍的に伸びた。オタク気質も手伝って、私はたった数年で、ドイツへ一人旅に出ても支障のないレベルに仕上がった。比例して、ドイツ文化オタクにもなってしまったが。
 
「よし、来週提出のドイツ語の宿題終わった!」
私は、達成感を感じながら、座椅子に腰をかけたまま背伸びした。ドイツ人の師が、ドイツから取り寄せてくれたドイツ語の教科書を閉じる。本場のものとあって、解説も設問もすべてドイツ語でしか書かれていない。それが、かえって、私の脳のアドレナリンを放出してくれる。若干、変態的な学習者である。
「早めに終わったし、本でも読もうか、な?」
背後を振り向いて、私はギクリと硬直した。
辛い現実が、目に飛び込んで来てしまったからだ。
部屋の中は混沌としていた。
積み上げられた日本語とドイツ語の本、カバン、畳まれた洗濯物、手紙。並んではいる。だが、本来の置き場にどれも収まっていない。畳の上に、騒然と置かれている。
どうやら私は、理系的な要素、特にパズルを解くとか、物事を処理する能力を持っていないらしい。と、言い訳してみる。
読書や、ドイツ語の勉強などの学問は喜んで飛びつくのに。苦手なことは、後回しにする癖がついてしまった。
この惨状を見ると、不快に感じる。だが、どうも、腰が重たくなってしまうのだ。この様子なものだから、友人が遊びに来る前日や、年末大掃除の時、半泣きになるのが通例化している。
 
どうにかしないと、と絶望した顔で見渡す。だが、もう、どこから手をつけたらいいかわからなかった。
 
「日本人って変わってる!」
クリスマス前の、ドイツ語の授業の時のこと。ドイツ人の師が、腕を組んで憤慨した。いつも穏やかな師にしては、珍しい様子に、みんな首を傾げた。
「年末に大掃除するなんて、信じられない!」
「え?」
掃除、という言葉に、私はドキリとした。別の生徒さんが、尋ねる。
「ドイツの人は、年末に大掃除をしないの?」
師が、大きくうなずく。
「もちろん! 冬のドイツはものすごく寒いんだ。そんな時期に、外で窓拭きなんてしたら死んじゃうよ!!」
「なるほど」
生徒のみんなでうなずく。ドイツは、ヨーロッパでも寒冷地に分類される。過去には、南ドイツのミュンヘンで-40℃を記録し、噴水の水が凍ったのだそうだ。確かに、そんな気候で、外で掃除をするなんて自殺行為だ。あかぎれだけじゃすまないだろう。どうやら、師は年末大掃除のことで、日本人の奥さんと何かあったらしい。
「じゃあ、ドイツの人はいつ大掃除するんですか?」
鼻息荒く師が答える。
「するなら、暖かくなってから、春掃除をするよ。まぁ、そもそも大掃除する必要はないんだけどね?」
私達は目を丸くした。大掃除をしなくて済むなんて、そんなすてきなことがあるなんてぜひ教えて欲しい。私は、師に前のめり気味に答えを求めた。
「どうしたら、大掃除をしなくても、きれいな部屋を保てるんですか!?」
今度は、師が目を丸くした。
「簡単だよ、毎日掃除したらいいんだ」
「毎日?」
私は、ガッカリして椅子に座り直した。毎日部屋や家の中を丁寧に掃除するなんて、私には到底できそうにない。そんな私の心を見透かしたように師が笑う。
「いい? 全部じゃなくて、少しずつするんだ。今日は、リビングだけ、寝室だけとか、部分分けして。家族と分担するのが一番いい。家事は、女性だけの仕事じゃない、家族みんなに大切なことだから」
「そうか、少しずつ。それなら、私もできるかもしれません」
師が、私にうなずく。
「そうだよ。勉強も同じ。一気に詰め込むのは良くない。毎日少しずつ、楽しみながらやらないと。まなみだって、ドイツ語を一日で覚えたわけじゃないでしょう?」
いたずらっぽく笑う師の顔を見つめ、私は目を見開いた。
 
そうか、ローマは一日にして成らず、だ
 
「少しずつ、毎日の積み重ねが目標を達成する鍵なんですね!」
「そう、毎日の習慣が今の自分を作っているんだ」
「わかりました、やってみます!」
満足気に笑う師に、私は大きくうなずいて応えた。
 
あの格言が、汎用性の高い言葉だとは思いもしなかった。
師が言うように、勉学だけではない。
掃除をこまめに行えば、整頓された部屋に。
栄養に気をつけて、バランスの食事を作れば健康な身体に。
ジョギングや筋肉トレーニングを欠かさず行えば、理想のプロポーションに。
掲げた大きな目標にきちんと向き合って、日々の小さな目標を達成していけば、望んだものが手に入るだろう。
逆に、手を抜けばどうなるか?
「ま、いっか!」そのあきらめが日々積み重なっていけば、大切なことを少しずつ取りこぼしていく。
部屋が荒れて、身体を壊して、自分に自信が持てなくなっていく可能性もある。
 
日々、ほんの少しだけ、アクションを習慣化するだけ。
それだけで、理想に少しずつ近づいていけるなら、こんなに楽なことはないだろう。
小さなことからコツコツと。
無理のない範囲で、気持ちを切り替えて、時には周りの力を求めて。
楽しみながら、アクションを起こしていこう。
 
私の場合、曜日ごとの分担は、仕事上難しかったので、「ついで」掃除に切り替えた。
紅茶をいれに行く時、古紙を運ぶ。
原稿を書く時デスクチェアに座る前に、不必要な物がデスクにないか確認、収納。
本を読む前に、読書用座椅子の周りを整頓。
時間にして、15分から、長くても30分程度で切り上げるように決めた。
「一気に掃除してきれいにしなきゃ!」という、切迫感からは開放され、自分の時間も確保できているので、ストレスがない。
あんなに苦痛だった掃除が、少し楽しくなった。勉強と同じ。成果が目に見えて実感できるのが良い。
今後は、断捨離の極意も修得したいところだ。ドイツ語や、さまざまなことに挑戦しつつ行いたい。
 
無理せず、一歩ずつ、前に進んでみる。そうしたら、夢は叶うから。
 
S先生と、師の言葉を胸に、理想の自分を見つめて、今日もコツコツ生きていく。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。アルバイト時代を含め様々な職業経験を経てフォトライターに至る。カメラ、ドイツ語、占い、茶道、銀細工インストラクターなどの多彩な特技・資格を修得。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。

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2020-11-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol,104

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