あの時、諦めていたらこの未来はなかっただろう《週刊READING LIFE vol,104 私を支える1フレーズ》
記事:雨辻ハル(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
この記事はフィクションです。
「就職先どうするの? やりたいことはあるの? そろそろ決めないとまずいんじゃない?」
大学3年生の夏休みが終わる頃、有紀に就職先について質問された。彼女は行きたい業界や、やりたいこともはっきりしていたので、沢山の企業のインターンシップに参加していた。そんな彼女が、そろそろ就職を考える時期に、未だに何も考えていない私を見て、心配して声をかけてくれたのだ。
「んー、そうだなぁ。特にやりたいこともないし、とりあえずは安定している公務員でいいかなぁ」
私は質問にそう答えた。幼い頃から「公務員は安定しているからいいぞ」と親に言われていたので、他の企業などには目もくれず、公務員へと進もうと思っていた。残業が多い、飲み会がめんどくさい、満員電車で通勤など、企業に対するマイナスイメージがあったことも、企業へ就職したくなかった原因でもあった。
「そんな理由で公務員って決めちゃっていいの? 企業のことは調べてみたの? 一昔前は残業が多い企業もたくさんあったけど、今は働き方改革の影響で残業が少ない企業も多くなってきたんだよ。興味がある業種もないの?」
あなたは母親ですか、と口に出してしまいそうだった。熱いものが身体の中で沸々としているのがわかった。
「うるさいなぁ。自分の人生くらい自分で決めさせてくれないかな。俺はずっと安定した公務員になる決めていたからいいんだよ。興味のある業種はないこともないけど、俺の実力じゃ内定が出ることもないだろうし、第一、内定が出たとしても就職してから苦労―」
「もういい!! 心配した私が馬鹿だった! あなたは光るいいものを持っているってずっと思っていたのに、当の本人がやる気が無いんじゃどれだけ言っても無駄だった! これから先もずっと言い訳ばかりして、逃げていればいいわ! これから先、後悔しても知らないから。あの時もっと頑張っておけばよかったって後悔すればいい」
そう言った彼女の顔は、私に対する怒りと軽蔑に満ちた顔をしていた。行き場のない感情を押し付けるかのように、机を両手でバンと叩きながら立ち上がり、教室から去っていった。机を叩いた音が私の耳に残った。まるで彼女の怒りを忘れさせないかのように。
私のどこがいけなかったのだろう。ただ公務員になりたい理由を言っただけなのに。あなたの意識の高さを私に押し付けないでくれないかと思った。誰もが皆、あなたのように就職に本気になれるわけじゃない。
ただ1つ気がかりなことがあった。それは彼女は私のどこに光るものを見出したのだろうかということだった。私に光るものなんてあるわけがないのに。
季節は流れ、就職活動が本格的に始まる時期を迎えた。有紀は相変わらず、エントリーシートの添削をしてもらいに行ったり、インターンシップや説明会と、これから始まる就職活動に向けて準備を進めていた。
あの日以来、有紀とはまともに話せないでいた。あれだけ怒らせてしまったのだから私と話したくもないだろう。だいたい、今話しかけても一生懸命就職活動をしている彼女の邪魔になってしまうに決まっているではないか。そう考えると謝りたくても謝る勇気が出なかった。
しかし、謝ること以外にどうしても彼女と話したい理由があった。私はどうしても「光るもの」について聞きたかった。最後に話したときからずっと光るものは何かということを考えていたのだが、結局答えは出なかったので、その答えを聞き出したかったのだ。
だが、話しかけることはないまま就職活動が本格的にスタートした。
今まであまり就活に熱を入れていなかった学科の人たちも、流石に焦りが出てきたのだろうか、毎日スーツを着ているのを見ることが多くなった。金髪だったやつの髪色が、いきなり黒に染まっていたのを見たときはさすがに笑いを堪えるのに必死だった。
そんな彼らとは対象的に、私はまだ就活を始めてすらいなかった。
「最近調子はどうよ?」
学科で1番仲がいい友人の集人が話しかけてきた。
「まだ何もしてないよ。参考書を買い揃えたくらいかな」
「そうかお前は公務員志望だったな。野暮なことを聞いちまった。悪いな」
「いや大丈夫。そういうお前はどうなんだよ」
「毎日、説明会とエントリーシートに追われてる。説明会はまだいいんだけど、エントリーシートが曲者でよぉ。何回添削をしてもらっても、びっしり赤入れされて返ってくるんだよな。自分の長所・短所と志望動機がどうしても上手く書けないんだよ」
そう言って彼は、びっしり赤が入ったエントリーシートを自慢気に見せてきた。
「どれどれ。俺が添削してやるよ」
彼が書いた文章を読んでみた。彼は特別文章が下手なわけでもない。だが、上手いわけでもなかった。一言で言うと、粗い。だが、彼の真っ直ぐな気持ちが伝わる文章だった。どうしてこの仕事がしたいのか、彼の思いがストレートに伝わってくる。誤字や意味が通っていないこと以外で、赤入れをするとしたら、彼の文章は就活のために書かれていないのだろう。
エントリーシートは面接の時に使われることが多い。面接官が質問をするときにはシートの内容から聞かれることが多い。ということはエントリーシートの書き方で面接官の質問を操れるということだ。正直に思いを伝えるだけではいけないのだ。質問を想定して、隠すところは隠さなければいけない。添削者のコメントを読んでいると、明らかに面接を意識したものに訂正されていた。
「お前さ、これを書くとき、面接を意識して書いているか? 面接官はエントリーシートを見て質問をしてくるんだぞ。だからこいつを上手く書けば、どんな質問が来るか事前にわかるだろ。全部正直に書く必要はないんだ。あえて書かずに、面接官に質問させて口頭で答えるもの1つの手だと思う。ここの赤入れはそういうことだと思うぞ。それとな、ここは文章の繋がりが悪い。意味が繋がっていないから、こう変えたほうがいいぞ」
この文章のどこが良くないのかを、実際に文章を書きながら彼に丁寧に説明した。
「前から思っていたけど、お前って教えるの上手いよな。わかりやすく噛み砕いてくれるからとても理解しやすい。ちょっと上からなのが玉に瑕だけどな」
そういえば、以前、留年するかもしれないから助けてくれと彼に言われ、勉強を教えたことがあった。基本から理解できていなかったようだったので、1から彼に説明したことがあった。そのことを言っているのだろう。最後の一言は余計だが。
「そうか? 普通だと思うけどね」
「自分が得意にしていることは無自覚なことが多いんだよ。自分では当たり前だと思うことが、他人からしてみればすごいということもある。今までに言われたことなかったか?」
「言われたことないな。でも昔から教えることは好きだったから、よくわからないやつに教えていたよ」
「そうだ。お前、公務員志望なんだろ? 同じ公務員だし、教師にでもなってみたらどうだ? 残業は多いかもしれないけれど、やりがいを求めるお前にはぴったりだと思う。教える仕事がお前には向いているよ」
驚きを隠せなかった。まさか教えることが向いているとは自覚がなかったからだ。昔教えていたのは、そうしていれば退屈な授業から抜け出せるし、教えることが自分の勉強にもなると思っていたからだ。まさかそれが私の長所になっていたとは思ってもいなかった。
まさか、夏のあの日に有紀が言っていた「光るもの」って「教える」ことなのだろうか。
「そういえば、お前、有紀と仲良かったのに、最近めっきり話さなくなったよな。何かあったのか?」
「実は……」
彼に有紀とのことを話した。怒らせてしまったことも、光るものがあると言われたことも。
「その態度じゃ、有紀も怒るって。自分の将来のために頑張っているやつに向かってその態度はねぇよ。お前も頑張っているときに、俺がどうでもいいような態度で接してきたら怒るだろ?」
「怒るね」
「それと一緒だろ。今度謝る機会を作ってやるから。その時、ちゃんと謝れ? な?」
なんておせっかいなことをしてくれるんだ、と思ったが、真っ直ぐな彼なりの優しさを仇で返すことはしたくなかったので、了承することにした。有紀に謝らないまま卒業を迎えてしまうことも嫌だった。この機会を逃してしまえば、多分一生謝る機会はない気がした。
「あと、有紀が言っていた光るものって、俺と同じことだと思うぞ」
集人と別れてから、教員について調べることにした。給料、勤務時間、業務内容、そして教員採用試験のことまで、片っ端から調べた。確かに業務時間は長かった。過労死してしまう人がくらいの勤務時間の長さに驚いたが、それよりも彼に言われた、教えることが上手い、ということが頭から離れられなかった。
「この道なら頑張れるかもしれない」
就活に対して全く乗り気じゃなかった私の意識が少しずつ変わり始めた瞬間だった。
教員採用試験は1次試験と2次試験に別れている。1次試験は受ける場所によって異なるが、だいたい6月の下旬から7月の中旬に行われる。いくら公務員の勉強をしてたとはいえ、3月のこの時期に教採へシフトして試験までに間に合うのだろうか。あまりにも時間が無さすぎやしないか。教員を目指していたやつが昨年の6月から勉強を始めていたことを見ていたので不安でしかなかった。
「あの時もっと頑張っておけばよかったって後悔すればいい」
あの日に有紀に言われた一言が思い出される。
「教採は毎年受験することができる。落ちてもいい経験になるに違いない。とりあえず試験までやれるだけやってみよう」
そう心に言い聞かせ、教採の勉強を始めることにした。
せっかく買った公務員試験の参考書は、やりたいことが見つかったので、もったいないが売ることにした。退路を断つために仕方がなかった。これで後戻りはできない。
「このあとちょっといいか?」
教採まであと1ヶ月くらいになった頃、久々に大学に来た集人が声をかけてきた。以前行きたいと言っていた企業から内定が出たということは噂で聞いていたが、私が勉強で忙しかったのでなかなか話すことができずにいた。ちょうど勉強の息抜きをしようと思っていたところだったし、彼とも久々に話したいことがあったので付いていくことにした。
「おい、どこに連れていくんだよ」
「まぁまぁそう焦るなって」
「俺には時間がないんだよ。早く戻って勉強をしなきゃ―」
目の前には髪を茶色に染めた有紀がいた。最後に見たときは黒髪にスーツ姿だったのに。髪を染めたということはそういうことだろう。
少しの沈黙が3人の間を駆け巡った。どう話を切り出していいかわからなかった。集人に助けを求めようとしたが、私たちのどちらかが話し始めるのを待っているようで、目を閉じて立っていた。
「内定出たんだね。おめでとう」
気まずさに耐えきれず、私から話を切り出した。半年ぶりにした会話だった。
「ありがとう」
有紀はこちらを見ずに、少し下の方を見ていた。彼女なりの気まずさがあったのだろう。
「あのときは君の気持ちも考えずに、あんな態度をとったりしてごめん。俺が子供だった。見なければ行けない未来から目を背け、君の厚意を台無しにしてしまった。君が言っていた光るものはなんだろうって、あれから半年間ずっと考えたんだ。ようやく最近その答えが見つかった気がするよ。正確にはそこで寝てるあいつに教えてもらったんだけどね。俺、教師になるよ」
教師という単語を聞いたとき、彼女の表情が少し明るくなったような気がした。
「教師を目指そうと決意したのは3月くらいだった。君も知っていると思うけど、教採は6月の終わりくらいから始まる。3ヶ月しかないから今年は諦めて、来年受けようと思った。でも君が言っていた、あの時やっておけばよかったって後悔すればいいって言葉がどうしても頭を離れなくてね。受かるかどうかわからないけれど、今必死に勉強をしているんだよ」
彼女は何も言わず、ただ顔を抑えて立ちすくんでいるだけだった。だが、少し身体が震えているのがわかった。
「君が言っていた光るものは何なのかはわからないけれど、俺はこの道でやっていこうと思う。あの時、考える機会をくれてありがとう。怒ってくれてありがとう。あの言葉がなかったら、俺は頑張れてなかったと思う、本当にありがとう。それじゃ」
そう言い残して、その場を去った。一方的だったが、今の私にはこれが精一杯だった。後は合格してから伝えようと思った。後ろから嗚咽のようなものが聞こえてくるが、集人に任せておけば大丈夫だろう。浮かんでくる様々な感情を振り払い、さっきまで勉強をしていた教室へ戻った。
今、私は縁あって母校の高校で働いている。3年生の担任だ。
「お前なー。そろそろ本腰入れて勉強しなきゃ駄目だろ。今はそれでいいかもしれないけどな、大人になった時に、あの時もっとやっておけばよかったって後悔するぞ。今はこの言葉の意味がわからないかもしれないけどな、後にわかる時が来る。だからこの一年だけは必死に頑張れ」
あの夏の時の私と同じような生徒ばかりだ。勉強していない生徒を指導する度に、あのころの自分に言い聞かせるように指導をしている。あの時、有紀に言われた言葉を、教師になった今高校生の彼らに伝えている。
人生に後悔は付き物だ。どうせ後悔するくらいなら、やって後悔したほうがいいに決まっている。あの時の言葉がなければ、後悔ばかりの人生だっただろう。未来ある私の生徒たちにはそうなってほしくない。
私の教育感の根底には有紀に言われたあのフレーズがある。
□ライターズプロフィール
雨辻ハル(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
愛知県知多半島出身。
学生時代からローカルや移住に興味を持ち、地元のために何かやりたいと考えていた。天狼院書店のライティング・ゼミを受講したことがきっかけで、20年以上住んでいる知多半島の魅力を記事にして発信したいと思うようになり、現在は「知多半島の魅力を知多半島民に伝える」をテーマにしたブログを執筆している。信仰、宗教、民俗学の視点から知多半島を切り取った記事も書いていきたいと考えている。
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