私もこの境地に達したいものだ《週刊READING LIFE vol,104 私を支える1フレーズ》
記事:山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
イラスト:糸瀬友子
『天使のように大胆に! 悪魔のように細心に!』
このフレーズに出遭ったのは、私が高校生時代の1975年のことだった。
当時から映画館通いが絶えなかった私だが、観る作品の殆どが洋画だった。これは、映画観賞の師匠である映画解説者・淀川長治先生の影響によるものだった。それでも淀川先生は、日本映画の監督でただ一人、黒澤明監督の作品だけは、懇切丁寧に教え導いて下さった。何しろ、一歳違いの黒澤監督(先生の方が一歳上)とは、戦中に同じ東宝(映画会社)で出逢い、それ以降互いに最も信頼のおける親友であったからだ。
冒頭のフレーズは、黒澤明監督が映画を演出する際の心構えを問われた時に、その答えとして仰ったとされている。
ということは、この映画に対する心構えは、フランシス・フォード・コッポラ(『ゴッドファーザー』)やスティーブン・スピルバーグ(『E.T.』)、そしてジョージ・ルーカス(『スターウォーズ』)に受け継がれている訳だ。何故なら、ハリウッドの巨匠となった彼等こそが、自他ともに認める“黒澤フリーク”であり、黒澤明監督の弟子を自認しているからだ。
1975年に、そこまでの全黒澤作品の簡単な解説が付いたスチール写真集が出版された。その題名も『天使のように大胆に! 悪魔のように細心に!』だった。こうした本が少なかった当時この本は、私の様な映画フリーク少年にとってバイブル的本と為った。
何しろ、DVDは勿論無く、セルビデオがやっと出始めた時代だったので、映画とは映画館に通ってみることを意味していた。ただ、映画衰退期(特に邦画界)だったので、少し前まで街中に存在していたリバイバル映画館(二番館)が、どんどんと姿を消していた時期でもあった。
そうなると、日本映画の旧作を観る機会等、殆ど無かった。極たまに、街の市民会館等で8mmや16mmフイルムでの上映会が有ったが、今度はその情報が得られなかった。ネット等、SFの世界でも語られない夢の物だった時代、情報誌『ぴあ』が発刊(1972年)されたばかりで、情報が貴重さを保っていた時代だった。
アルビン・トフラーが、『第三の波』を記して情報革命を唱える迄、後5年程待たねばならい時代だった。
なので、黒澤明監督の映画が上映される情報は、本当に貴重だった。私は、例え授業をサボってでも黒澤作品を観に出掛けていた。
幸運なことに、黒澤明監督の作品は、二番館が無くなった時代でも時折上映されることがあった。それは、東宝のメイン館でのリバイバル上映だった。名作の多い東宝に於いても、黒澤作品は別格の扱いだった証拠だ。
丁度、私が高校に上がった頃、エド・マクベインの『キングの身代金』を原作とする誘拐事件を扱った、黒澤監督の『天国と地獄』(1963年作品)が、リバイバル上映された。
私は、土曜日の授業が終わるや否や、学校を飛び出し新宿の映画館へ向かった。いつにも増して急いだのには、訳があるのだ。それは、『天国と地獄』のリバイバル上映を知らせるラジオ・スポットで、
「金は揃ったか? 金を鞄に詰め、明日の“第二特急第二こだま”に乗れ」
と、犯人役の山崎努の野太く低い声が流れたからだった。
どうやら、身代金受け渡しを告げる電話らしかったが、私には物語の流れが全く掴むことが出来なかった。しかしそれによって、映画に対する興味とワクワク感が増すばかりだった。
この、ラジオ・スポットが切っ掛けとなり、私はいち早く『天国と地獄』を観ようと映画館へ急いだのだった。
『天国と地獄』を未観の方もいらっしゃるので、作品に対する説明は一切しない。
私も味わった、ワクワク感をもってこの作品を観て頂きたいからだ。
『天国と地獄』を観終えた私は、暫く席から立てないでいた。感動以上に、心を揺さぶられたからだ。それはまるで、‘脳震盪’ならぬ“心振盪”だった。
それでもその感動を観想として言葉にすると、決して“素晴らしい”ではなく“面白い”だった。それも、“圧倒的に面白い”だった。
私は、それまで出遭ったことが無い感動に、席を立てずにいたのだった。
それからというもの、
「黒澤作品で、何がお勧めですか」
の、質問に対して私は間髪を入れず、
「『天国と地獄』です」
と、自信を持って答えることにしている。
『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『羅生門』といった時代劇を、私が勧めると予想していた相手は、ちょいと虚を突かれた様な表情となる。しかし、『天国と地獄』を観賞した後は決まって、
「超絶面白かったです!」
と、笑顔で観想を言って下さるものだ。
『天使のように大胆に! 悪魔のように細心に!』は、黒澤明監督が『天国と地獄』の公開時のインタビューに答えた時に発せられたとされている。
まるで、黒澤監督が自らの作品についての言葉の様だが、実は別のコンテンツについての言葉だ。
そのコンテンツとは、ドイツの文豪ゲーテの『ファウスト』だ。『ファウスト』の登場する悪魔・メフィストテレスは、非常に繊細な言動をする。ファウストに対し、『よくお考えになるがいいですよ。聞いたことは忘れませんから。』と念を押す。
読書家としても有名な黒澤明監督は、文豪ゲーテが描く悪魔を、細かく取り決めをする意外と臆病で慎重との印象を持ったのだろう。
その反対に、天使は行動をする際に、細かな取り決め等しないので大胆と見えたと考えられる。
黒澤監督は、『天国と地獄』の中でも、身代金を要求する医学生の犯人(山崎努)を、実に細心な人物として作り上げている。高校生の私が、頭の中を“?”で一杯にしたラジオ・スポットの台詞も、『天国と地獄』を観賞して想い返すと、実に細かく慎重だったと理解出来るのだ。
その反対に、犯人を追う刑事(仲代達矢の好演)は、大胆な手法で犯人を追い詰めるだけでなく、犯人を営利誘拐以上の罪で罰しようとする。
そればかりではなく、身代金を要求される被害者の大金持ち(三船敏郎・演)も、ストレートな感情表現で、細心な仕掛けをする犯人に立ち向かうのだ。
この様に、巨匠・黒澤明監督の『天国と地獄』は、監督が映画を演出する上で心掛けている『天使のように大胆に! 悪魔のように細心に!』を地で行く様な作品に仕上がっている。
男子高校生が、大好きになる理由しかない作品なのだ。
私はこの『天使のように大胆に! 悪魔のように細心に!』の言葉を、人生の上でも実践する様にしている。
それは特に、ビジネス上で役立つことが多い。
金銭の行き来が伴うビジネスでは、時に心を鬼ならぬ悪魔にしなければならない時がある。特に、価格決定の交渉時だ。
私は黒澤監督の教え通り、心に悪魔を宿して慎重の上にも慎重に言葉を選び交渉する。決して、本音は出さない。第一、商売上の本音なんて、1円でも高く売りたいしか無いからだ。
誰でも同じだと考えるが、だからこそ最大限の細心さが要求される訳だ。
それと同時に私は、細心さに勇気を込めるようにしている。私の要求が、受け入れてもらえないと判断したなら、直ぐに勇気をもって撤退することにしている。
本来私は臆病な性格なので、致命的リスクに関してはいち早く避ける方が得策と刷り込まれているからだ。臆病者は、細心さと同時に勇気を持ち合わせないと大変なことになる。それは、1%の致命傷を感じ取る繊細さといってもいいだろう。
多分、私の中の悪魔は、桁外れて臆病なのかもしれない。
同じ様に私は、真実を追い求めたり正義を貫こうとする時は、大胆に事を運ぶ様に心掛けている。
何事も、自分が正しいと思うことをする際は、細かなことを気にしてはいられないものだ。それは同時に、受け入れてもらうまでに時間が掛かることも意味している。
何しろ、その正義とは実に主観的で、時に自分勝手なものだからだ。なので折角、自分が何かをして差し上げても、相手の為にはならないことがあるからだ。正確には、大概の善意なんて自分勝手で成り立つといっても過言では無いだろう。
しかし、既に解かっていることとはいえ、自分の善意が通じない時は力が抜けてしまうものだ。それでも、続けていればいつか通じる日が来ることも有るだろう。
なので、自分が天使で居る時には、忍耐を連れていた方が良い。そうでないと、天使として振舞う前に、心折れてしまうからだ。
『天使のように大胆に! 悪魔のように細心に!』
私は、敬愛する黒澤明監督から頂いたこのフレーズに、長い間支えられ続けてきた。
そこには感謝しかない。
恩を受け取るばかりだった私だが、今回少しばかりの御返しをしたい。
私を支えてくれたフレーズに、人生で得た言葉で返答したい。
それは、
『天使には忍耐を、悪魔には勇気を』
と、いう言葉だ。
如何だろうか。
□ライターズプロフィール
山田THX将治(山田 将治(Shoji Thx Yamada))
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
現在、Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックを伝えて好評を頂いている『2020に伝えたい1964』を連載中
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
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