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週刊READING LIFE vol,104

アランからもらって、Kちゃんに贈る言葉《週刊READING LIFE vol,104 私を支える1フレーズ》

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記事:東ゆか(Reading life編集部ライターズ倶楽部)
 
 
職場にKちゃんという女の子がいた。Kちゃんは26歳。私よりも8つぐらい年下で、一見すると憂いなど抱くことのない若者だと思っていた。
 
しかしKちゃんはいつも疲れていて、カフェインの錠剤がお供だった。
 
「昨日も夜勤だったんすわー」
「明後日も夜勤なんすわー」
 
Kちゃんは大学を卒業してからフリーターとなり、音楽イベントの企画の仕事につくことを夢見て、昼間は私の勤めていた企業でアルバイトをし、夜はライブ会場の設営や撤収などの仕事に精を出していた。
 
「夢見る若者」
 
Kちゃんの姿はそんなふうに年上の人や、安定した仕事についている人には映るかもしれないが、未来が見えない状態が不安だということは、かつて私も同じように20代を過ごしていたから、痛いほどよく分かった。
 
Kちゃんは突拍子もなく、時に「人生ってマジ何なんですか」
 
と言い放って、パソコンの上に突っ伏していた。
会社が面している道玄坂からは、今日も明るい光と、風俗求人サイトの宣伝カーの音が注ぎ込んでいた。
 
なんとなく、Kちゃんの境遇が理解できる私は、なにかKちゃんに言葉をかけてあげたかった。
私はこう言った。
 
「*********」
 
 
 
大学を卒業した私は何年かフリーターとして働いていた。フリーターをしていたことには理由があったのだが、長くなるので割愛するが、Kちゃんと同じような理由からだった。
 
時給で働くフリーターは常に生活が不安定だ。特に私は楽なバイトしかしたくなかった質で、楽なバイトというのはだいたい時給が安い。大して稼ぐこともできず、生活費ギリギリのお金を稼いでは、給料日になると支払いに追われてほとんどが消えていくという生活を送っていた。貯金もできないし、年金の支払いも無視。税金も滞納。電気は支払いが遅れて止まるという生活を送っていた。
 
フリーターを続けていても収入は上がらない。
就職してみようか? まだしたくない。
いつこんな生活が終わる? 知らない。分からない。
私の夢はいつ叶う? 知らない。分からない。
そもそも私の夢って叶うの? それも知らない。分からない。
 
お金のないひもじさというのは、人を言いようのない不安に突き落とす。
 
「貧すれば鈍する」という貧乏人にとって恐ろしい言葉がある。
懐が貧しくなると、思考も貧しくなって、どんな人でも愚かになってしまうという諺だ。私は「貧すれば鈍する」を地で行っていたのか、とにかくお金の不安がつきまとい、将来のこともうまく考えられなくなっていった。
 
できること、やるべきことはたくさんあるはずなのに、何をすべきかまで考えが及ばない。前に進みたくても泳ぎ方が分からずに、海面をジタバタともがき続けているような状態だった。
 
そんな当時、バイト先の書店で出会った本があった。アランという人の書いた『幸福論』という本だ。
 
白っぽい表紙の本ばかりが目立つ人文書売り場の中で、普通の本よりも少し小さめで、緑色の表紙がひときわ印象的だった。可愛い見た目と「この本を読んだら幸せになれるのかしれない」という期待から、『幸福論』を購入した。
 
『幸福論』は様々な思想家や小説家の言葉を織り交ぜながら、アランが「幸福とは何か」を展開していく本だ。登場する思想家や小説家の名前は知らない人ばかりだし、幸福とは何かという考察も、すんなり頭に入ってくるような単純なものではなかった。それでもじっくりと、何度も行間を行きつ戻りつしつつ読み進めた。
 
「なるほど」と思わせる言葉が端々にあって、その都度ページの角を折り曲げていた。気がつけば2ページに1回はページの角が折り曲げられていて、「これじゃあどこが大事なのか分からないや」と我ながら笑ってしまった。その中でも、今でも忘れることない印象的な言葉があった。
 
「幸福でいるためには3日以上先のことを考えないことだ」
 
アランによると、人は3日以上先のこと考えると、大なり小なり不安をいだいてしまうらしい。大金持ちでも3日先の株価の大暴落を想像してしまうと居ても立っても居られなくなるし、その日暮らしの貧乏人なら言わずもがな。3日以上先のことなんて、誰にもどうなるか分からない不明瞭でさが、悪い想像を呼び起こしてしまうということらしい。「なるほど」と思った。
 
私は確かに貧してはいるけれど、今すぐに家を追い出されて、食うに困るということはない。今日と明日と明後日ぐらいなら、絶対に元気に暮らしていくことができるだろう。
将来のこともどうなるか分からないけれど、どうなるか分からないなら、くだらない想像を働かせるよりも、今や明日できることをするしかないのではないのだろうか。
 
それなのに今の私は一体何だ。考えても仕方のないその先の、3日以上、1ヶ月以上、1年以上先のことを考えて、今日という日をジメジメと過ごしている。これはもったいないことだ。
 
難しい言葉が並んだ本の中に現れた、冗談みたいに簡単な言葉に拍子抜けしつつも、どんな言葉よりも納得がいって、思わず「ふふふ」と笑みが漏れてしまった。
 
 
 
パソコンの上で突っ伏しているKちゃんに声をかける。
 
「Kちゃん、3日以上先のことを考えると、誰でも不安になっちゃうんだよ。Kちゃんは今、とりあえず仕事もあるし、明日や明後日のお金には困らないよね。それなりに毎日楽しんでいるみたいだし。それならその先の、よくわかんないことを考えて不安になるのは損じゃないかな。心が元気で前向きじゃないと、チャンスも掴めないと思うんだよね」
 
Kちゃんは「あー! そうっすね! 確かに!」と答えて、カフェインの錠剤を飲みながら仕事を再開させた。
 
Kちゃんからはお互い会社を離れた後でもたまに連絡がくる。やっぱり不安になるときがあるようで、その度に「人生って何なんすかー」と、LINEの文字越しに絶叫している。私もその都度「3日以上先のことは考えないように」と声をかけている。
 
これは私が、自分自身に向かって、今でもかけ続けている言葉でもある。今私はフリーで仕事をしていて、月末に請求書を作りながら、来月も乗り越えられそうだったり、厳しそうだったりという生活を送っている。親からは「もう就職はしないの?」と心配そうに声をかけられる。
 
1ヶ月先、1年以上先のことを考えたら、誰も私がどうなっているか分からない。しかし私は、今のこのフリーの仕事がとても好きだ。社会に出て12年。フリーターのときに抱いていた夢とはまったく違うものになってしまったが、やっと自分が楽しめる仕事があることを知ったのだ。3日以上先のことを不安がって、今の仕事を辞めたくないと思っている。
 
「3日以上先のことは考えない」
 
これが私を支える1フレーズだ。
 
ただし電気代や税金はちゃんと支払っている。電気が突然止まったり、区役所から差し押さえ予告の真っ赤な封筒が来るのは、3日以上先の漠然とした不安ではなく、恐ろしい緊急事態を引き起こすからだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
東ゆか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

湘南生まれの長野育ち。音楽大学を声楽専攻で卒業。フランスが大好き。書店アルバイト、美術館の受付、保育園の先生、ネットワークビジネスのカスタマーサポート、スタートアップ企業OL等を経て、現在はフリーライターと編集者見習い。

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2020-11-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol,104

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