週刊READING LIFE vol,118

たまには負け犬の遠吠えでも聞いてみてください《週刊READING LIFE vol.118「たまには負けるものいいもんだ」》


2021/03/09/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「あなたは100%でないと満足しないのかな? せめて7割できていれば大丈夫という風には思えないかな?」
体調が悪くなって病院に行ったとき、医師にそう言われた。
できるかできないかは別として、常に全力投球、全速力が正しいと信じてきた私には、その言葉は到底受け入れられるものではなかった。
 
「7割って、手を抜くってことですか?」
「そうじゃなくて、7割もできているというように思えたら、気が楽になるんじゃないかな?」
 
私には、よく分からなかった。7割しかできないって、駄目じゃないの?
あまりにも疲れた様子の私を見かねたのだろう。当時のかかりつけだった医師は、私の近況を尋ねた後、冒頭の言葉を発したのだ。
 
釈然としないまま、病院を後にした。医師の言葉が、小さな棘のように抜けそうで抜けなかった。
そもそも、具合が悪くて来ているのに、何だか諭されているような雰囲気も癪に障っていた。
 
症状は、風邪と疲労だった。薬をもらい、温かくして、しばらくゆっくり休んでくださいねと言われたが、そんな余裕など私にはない。明日までに体調を戻さなければ、仕事は待ってはくれないのだ。
仕事のときばかりではない。可哀想に、幼かった私の娘は、「早く! 早く!」と呪文のように唱える私に従って動かなければならなかった。思えば、いつも忙しい私の犠牲になっていた。
 
何かに急き立てられているかのように、全てを迅速に進めなければ、猛烈に自分のできなさ加減を責めてしまうのだ。きちんと進んでいなければ、負けている気がした。
 
誰に負けているのか? 何に負けているのか?
その問いに、明確な答えはなかった。
ただ、変なところが完璧主義だった私は、締め切りに追われている漫画家のように、怒涛の日々を駆け抜けていた。早く完璧にできることが勝利、できなければ今日は負けだ。
悔しいが、できなかった日の方が断然多い。ということは、自分が駄目だったということを知る日々ばかりが、積み重なっていくのだ。
 
やり方や要領が悪いのかと、何度も効率を見直してみるけれど、なかなか思うように捌くことができない。
すると、四六時中自分にダメ出しをしてしまい、どんどん自己肯定感が低くなっていった。
 
大丈夫だよと言われても、気になった。
自分で、自分の首を絞めているようなものである。なかなか、自分に対して及第点を付けてあげられない。自分のやっていることを、これでよしと認めてあげることができなかった。
 
職場では周りに甘えることも下手で、自分で勝手に重いものを背負い込んでいた。
年齢的にも、「できません」では通用しない。人手もない。仕事は年々増えていく。そんな状況の中、痩せ我慢することばかりが上手になって、ひたすら自分に鞭を当てていた。
 
今思えば、あの頃の私は、真っ直ぐで乾燥した木の枝のようだった。
そんな枝は、ポキリと折れやすい。多少形は曲がっていても、しなりのある枝の方が折れにくいものだ。
私はいつ折れるか、ビクビクしていた。
折れたら負けだ。ギリギリでも耐えなければならない。折れることを、自分が許さないのだ。
干乾びている枝にはひびが入り、何とか木の皮で繋がっている状態だった。次に強風が来れば、たちまち吹き飛んでしまっただろう。
 
だがそんなある日、ついに枝はポキリと折れてしまった。
私は負けたのだ。けれど、私が思っていた折れ方とは違っていた。
強風に煽られて折れたのではなく、皮一枚で繋がっていた哀れな枝を見て、誰かが優しく手折ってくれたのだった。
言うなれば、負けは負けでも、コテンパンにやられる前に棄権して不戦敗といったところかもしれない。
 
図らずも枝を折ってくれたのは、偶然見つかった病気だった。病になったことで落ち込むこともあったが、思いがけずそれは私のクッションとなって、すんでのところで転げ落ちるところを救ってくれたことは否めない。
「もう、そろそろいいんじゃない?」
そう言われている気がした。
 
100%やりたくても、病のせいでできない。そういう言い訳は、できなかったときのための丁度良い隠れ蓑になるような気がした。しかし、それに甘んじるのは自分が嫌だったし、手を抜こうとは思わなかった。
しかし、この時になって初めて、医師が言った「せめて7割できたら大丈夫」という言葉が現実味を帯びた。
 
あまり気は進まなかったが、完璧とまではいかなくても、ここまでできれば大丈夫という基準を自分に設定してみた。がむしゃらに100%を目指すのではなく、冷静に俯瞰的に見ようと努力することにした。すぐにはできず、たまにオーバーヒートすることはあったけれど。
そうやって、自分の中の不安を下げてみると、今まで必死に守ろうとしていた100%が一体何だったのかと思うほど、案外困らないことに気がついた。
 
これまでは、できないことばかりに焦点を当てていた。あれが足りない、これができないと自分の中の粗探しばかりをしていた。
最初から白旗を上げた気持ちでやってみると、完全勝利を目指さない分、気が楽になった。白旗を上げるとは言っても、諦めるという意味ではない。タスクやその量を減らすということでもない。
 
きっと、心構えの違いなのだ。
今日は、これができた。少しでも事業を進めることができた。7割もできた。
初めから、そう思うことができたなら自分を苦しめずに済んだのだろう。その視点がなかったばかりに、常に自分を苦境に追い込んでいたのだ。
 
仕事に押し潰されてしまうのは負けと思っていた私だが、押し潰していたのは実は自分自身だった。
同じ川を眺めるにも、両岸のそれぞれから見れば景色が違う。
仕事量や人手不足など、大変だったのは自分だけではないのだ。どのような心構えで取り組むかで、きっと心の負担感は違っていたのだ。
 
自分を雁字搦めにしていた私が今思うことは、勝つことばかりを追いかけず、たまには負けてみないと分からないことがあるということだ。そんなに肩肘張って生きていかなくても、ちゃんと世の中は温かいし、周りも何とも思っていない。
あの時の私に会えるのならば、頑張ることはいいことだけれど、そんなに必死にならなくても大丈夫と伝えたい。
あの医師が言っていたように、7割できたらラッキーくらいの心構えでいた方が、気持ちに遊びがあっていい。しなやかな心で見つめた方が、案外物事は上手く進むものだ。
そのことに気がつくのに、随分時間がかかったけれど。
 
負けを認めるのが怖かった私を、あのとき棄権させてくれてありがとう。あのまま試合に臨んでいたならば、場外まで投げ飛ばされていたかもしれない。結局は仕事を辞めることになったけれど、今の私に後悔はない。
 
人生勝ち組とか、負け組とかいう言葉がある。
いつも勝つことに価値を見いだしていると、その基準に合わなくなった途端に不安になるし、自分が負け犬のように思えてくる。
アスリートや勝負師であれば、白黒のハッキリした勝ち負けと常に隣り合わせだから仕方がないが、そうじゃない一般ピープルの私にとって、勝ち負けとは一体何だろう?
以前の私であれば、できたということが勝ちで、できなかったということが負けだと言うだろう。
 
では、どこまでできれば勝ちで、どこまでできなければ負けになるのだろうか?
ある程度の基準はあるだろうが、それは、その人が考えるレベルによって異なる。
同じものを見ても、これで十分だと思う人と、これじゃまだ駄目だと思う人もいる。
例えば、同じ競技に出場したとしても、地区大会まで勝てたのだから、次は全国大会で一勝するのが目標だという人もいれば、全日本選手権で勝たなければ意味がないという人もいるだろう。
その人が目指すレベルや考え方で、一つのことの捉え方というのは、恐ろしいほどに違うのだ。
 
だから、事実としての勝負ではなく、自分の中の勝ち負けとは主観的なものだ。できる、できないのレベル設定も自分次第なのだ。
負けたと思いたくないのならば、初めのハードル設定は低めにしておいて、少しずつ積み重ねていく。するとそれがいつか、自分の勝ちレベルにまで到達することがあるかもしれない。
初めからマックスで勝ちレベルに照準を合わせておくと、見えないゴールに挫折する可能性も高くなる。今の私には、鼻息荒く一直線に勝ちを取りに行くのではなく、肩の力を抜いて、でも着実に力をつけていくやり方のほうが魅力的に映る。
 
負けたと思っていたけれど、実は勝ちよりも心地良く、今まで知らなかった世界がそこにはあった。
そこには、狭い檻に囲まれた臆病な自分を癒してくれる、優しく明るい日差しが待っていただけだった。
 
近頃、ユーチューブで、生まれ星座のタロット占いを見るのが面白くなっている。カードリーディングというらしく、出たタロットカードを解説して下さるのだが、カードに描かれた絵から様々な情報を読み取り、前向きに励まされる感じが心地良いのだ。
リーディングを行う人によって、絵の細かい部分からメッセージを読み取るやり方が様々なのも面白い。チャンネル登録者数が多く人気のある人は、説得力や声のトーンなどが素晴らしく、エンターテイメントとして見るのも楽しい。
共通しているのは、どんなカードが出たとしても、そのカードの意味づけを決してマイナスな言葉にされないところだ。ポジティブな読み取り方で、視聴者を勇気づけてくれるのが良い。視聴者あってのユーチューブなので、わざわざ嫌なことは口にされないのであろうが、それでもカードの読み取り方に、そういう観点があるんだと目から鱗が落ちるような思いをするときがある。
やはり、何でも捉え方なんだと腑に落ちたものである。
 
終わりがあるということは、その先に何か新たな始まりがあるということだ。
明けない夜はないし、日はまた昇る。表からと裏からでは、見え方が違うだけなのだ。
そうやって、一つのことを多角的に見ることができれば、哀しくなることもない。負けが駄目だと思うこともない。
 
それから、もう一つ。
自分が負けたと思わなければ、それは負けにならないということだ。
ギリギリで、まだ負けてない。負けたとは認めていない。そう思うことで、自分を奮い立たせることもできるのだから。
あれ、こんなこと言ったら、負け惜しみに聞こえるだろうか?
たまには負け犬の遠吠えでも聞いてみてください。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2021-03-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol,118

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