週刊READING LIFE vol.122

私の英語克服体験記《週刊READING LIFE vol.122「ブレイクスルー」》


2021/04/05/公開
記事:大久保 尚(READING LIFEライターズ倶楽部)
 
 
「蒸し暑い!」
 
約15年前、私が30代半の時に、初めてフィリピンに降り立った時の感想だ。
 
フィリピンのセブ島。日本から直通の飛行機で4時間と少しで着く。
島全体に広がるコバルトブルーの海を求めて、世界中から、バカンスを求めて観光客がやってくる島。ビーチに加え、大きなショッピングモールや、歴史的建造物もあり、フィリピンの一大観光名所となっている。
 
そんな島が、何年前からか、英語を学ぶための留学生で集まるようになった。アジアから、特に韓国人が多いのだが、世界中から、アフリカやヨーロッパから来ている人もいる。もちろんその中には日本人も多く、特に、近畿地方から来ている学生が多い。なぜかというおと、関西空港から、セブ島への格安航空会社の飛行機が飛んでおり、学生でも手が出しやすいので、近畿圏からの学生が多いとのことだった。
 
私が、なぜフィリピンのセブ島に行ったのかというと、それは、ご多分に漏れず、英語の学習をするため。長年、外資系の会社で企画の仕事をしていたにもかかわらず、英語はからっきしであったため、なんとかしたいと思い、一年奮起して、会社に無理を言って有給休暇をとり、短期留学をすることにしたのだった。
 
なぜ、30歳過ぎてから英語を克服しようと思ったのかというと、
 
その1年前に、命を落としかけたためだった。
 
ただでさえ、私は歳のわりに、手術経験が多い。高校時代に野球肘の手術をしたのを皮切りに、鼠径ヘルニア(いわゆる脱腸)、椎間板ヘルニア、盲腸、網膜剥離、白内障と、6回も手術をしている。それぞれ、命には別状のないものばかりだが、入院生活であったほうがいい物や、手術への心構えなどは、人並み以上に相談に乗れるようになった。それはさておき、その数々の病気? 怪我? の中で、私が死にそうになったのは、外科手術の中でも一番簡単だと言われる、盲腸の手術の時だった。
 
「入院は約1週間、手術後3日で退院できます」
 
盲腸の手術の時に医者に言われた言葉だ。私は、説明する医者の後ろに佇む、若い研修医の姿に少し不安を覚えつつも、「まあ、盲腸の手術だし、そんなに難しいものではない」と考え、予期せぬ休暇が取れたというように、とても気楽に考えていた。
 
無事、手術当日を迎え、何度目かの、色々な穴から色々な管を入れられ、改造人間状態下半身麻酔をうたれ手術時間を待っていた。そこに入ってきたのは、担当の先生と、研修医。どうやら研修医の先生が手術をするようだった。若干の不安はありつつも、手術は進んでいった。もちろん、何事もなく手術は終わり、無事、3日後に退院することとなった。
 
しかし、異変は、退院したその日に起きた。
 
退院の次の日、体へのダメージもあまりなかった事から、仕事に穴を開けることもできないので、早速出社した。久しぶりの仕事だったので、意気揚々と働いていたのだが、午後を過ぎたあたりから、どうも体がだるくなり、夕方になると熱っぽくなってきた。「もしかしたら、たった1週間の入院でも、思った以上に体力が落ちているのかもしれない」と思い、就業時間後、すぐに帰宅することとした。
 
帰宅すると、それまで張っていた気が緩んだのか、いきなりガクッと膝から崩れ落ちてしまった。
「あれ、なんだ?」
と自分で思い、呆然としていると、妻が、
「どうしたの? 大丈夫? 顔が赤いよ」
と言ってきた。
 
確かに、熱っぽかったので、体温計を取り出して、熱を測ってみると体温計は40℃を示していた。
「何だ? この数字」
今まで、みたことがない数字に、愕然とし、とにかく寝ることにした。
 
しかし、寝てみたものの、関節は痛むし、暑くなったり、寒くなったりを繰り返し、うまく寝付くことができなかった。
夜になっても、熱は下がるどころか、体調が悪くなるばかり。
再度、熱を測ってみると体温計は42℃を示していた。流石にこれはまずいと思い、手術をした病院に連絡をし、体調が悪い旨を伝えたものの、「今、宿直に内科医がいないので、明日朝にもう一度来てください」という返答だった。私はその病院のお役所的対応に怒りを覚えつつ、仕方ないと思い、翌朝医者に行くこととした。
 
よく寝むれないまま、翌朝、準備をしようと起きるものの、体がだるすぎて、全てのことにやる気が出ない。かろうじて、顔を洗い、着替えを済ませるものの、靴下を履く気力が残っていない。そのまま、ソファーにもたれかかり、ボーっとしていると、それを見かねた妻が、「靴下履かせてあげようか?」と言ってきた。私は、その言葉に甘えて、靴下を履かせてもらい、ようやく外出する準備を整えることができた。
しかし、今後は、あまりにもだるくて、歩くことができない。仕方なく、妻に肩を貸してもらい、駅のタクシー乗り場までなんとか歩いて行った。そこまでは、たった5分の道のりのはずだったが、この時は、永遠に感じた。
 
そして、本来の受付時間よりも大分前に病院に着くと、まだ、開院の準備をし始めたような看護師さんが、掃除をした状態で「まだ準備中なので……」と言って振り向き、私の顔をみた瞬間に
「ちょっと、熱を測ってください!」と急に言い直した。「俺は、どんなひどい顔してんだ?」と思ったが、朦朧とした状態だったので、言われるがまま、寝転がらされ、熱をはかると、やはり熱は42℃を超えているようだった。この辺りから、私の意識は曖昧になっていた。
 
とにかく、何かまずい状況であるようだったので、私は普通の待合室ではなく、奥の診療室のベッドに寝かされ、診察を待つこととなった。入れ替わり、立ち代わり、外科、内科、皮膚科など、色々な科の先生が出入りし、いろいろな診察と、質問をしていった。
 
私は、意識が朦朧としていたのだが、精神状態は冷静で、自分の状況を客観的に感じていた。
「ああ、医者は俺の病気がなんなのか、わからないのだな。多分、こないだの盲腸の手術が原因だと思うけど、それを認めたくないのかな?」
とか、
「なんか、とにかく眠りたいな」
などと考えていた。
 
先ほど、医者から色々な質問をされたと言ったが、その中でも、非常に衝撃的な質問があった。
おそらく、医者は色々な原因を考えていたのだろう、原因となるような質問をいくつかされた。(と思う)そんな中で言われたことが、
 
「直近1ヶ月で、風俗もしくはそれに似たサービスを受けたことありますか?」
 
という質問だった。
 
「えっ、無いですけど」(本当です)
と、答えて、「なんだ、この質問は。風俗に行くと、こんな状態になるリスクがあるのか?」と心の中で、驚くとともに、恐怖を感じた。一瞬の欲望のために、こんな状態になるリスクがあるのなら、絶対に行かないと、この時、心に決めた。
この後、しばらくして、再度同じ質問をされることとなるのだが、その時は、「俺、そんなに風俗に行きそうに見えるのかな?」と最大の疑問符が頭をよぎった。
いずれにせよ、朦朧とした意識の中で、衝撃的な質問だった。「多分、盲腸だよ」と心の中では思っていた。
 
それから、検査は続き、原因がわからないまま、眼科で瞳孔の検査までさせられた。瞳孔を開く目薬を差し、1分半経った時に目の状態をみるのだが、この1分半が、永遠に感じ、もう眼科の椅子に座っていることが辛く、先生に「まだですか?」と聞いた時に、「まだ30秒」と言われた。まさか、時間が経つのがこんなに遅く感じるとは、「次元が変わるとはこういうことを言うのかもしれない」と思いつつ、じっと我慢していた。
 
そして、一連の検査が終わると、無菌の個室に入院させられ、首から点滴を刺され、眠ることとなった。この時は体温調節がうまくいかず、初夏だったにもかかわらず、寒気を感じる時は毛布を5枚重ね、暑さを感じる時は、氷嚢を、脇、股、首に抱えて体を冷やした。体は、全身が日焼けをしたように真っ赤に腫れ上がり、後から見舞いに来た私の母には、「たこ入道」みたいだったと言われた。「たこ入道」というものがどういうものなのかいまひとつわからないが、たこのように赤かったということらしい。
 
人間は、40℃を超えた熱を出し続けると、欲というものがなくなり、ただただ眠りたくなるものだということを、この時、身を持って感じた。生きるために必要な食欲でさえも無くなってしまうのだ。
 
「ショック状態で、肝臓と腎臓の機能が停止しています。次は肺の機能が停止するかもしれません。その時はICUにうつします。そうなった時は覚悟してください。おそらく今夜が山です。」
 
入院をした日の夜、私の妻が医者に言われた言葉だ。
 
当然、私は朦朧としいているだけなので、何がどうなっているのかわからない。ただ、眠っているのが気持ちいいとういことが、しばらく続いた。そして、どうやら私の知らないうちに山は超えていたようだった。
 
入院して、3日ほど経った頃、急に、空腹に襲われた。とにかく、何か食べたくて仕方がない。昨日までは何か食べたいとなんて1ミリも思わなかったのに、急な出来事だった。体温を測ってみたところ、39℃台に熱は下がっていた。「ああ、人間は体温が40℃以下になると食欲が湧くのか」と自分の体ながら、感心した。体重は3日で5kgほど落ち、元気になってからは、「いいダイエットだったな」と思った。
 
その後、追加で1ヶ月の入院が必要となり、そして、真っ赤になった体は、日焼けと同じように皮膚の皮が剥け、正に、頭の先からつま先まで、脱皮した。結局、原因となったのは、盲腸の手術の傷口から入った「黄色ブドウ球菌」による感染症だった。いわゆる院内感染であるMRSAではと思ったが、一度退院しているので、どうやらそうはならない様だった。
 
そして、この時、朦朧とした状態で、心に決めたことがあった。
 
「ああ、もしかしたら、このまま死ぬのかもしれない。もし、生きていたら、英語しっかりやらなかったから、死ぬまでに克服しよう」
 
ということだった。
 
そして、とりあえず、フィリピンに行って、英語漬けの日々を過ごしたら、最短で英語が喋れる様になるだろうと思って、フィリピン留学を決断した。
 
フィリピンでは、日本の学生たちに混じって、平日は毎日15時間ほど英語漬けの日々を過ごした。また、勉強だけではなく、休日は、フィリピンの現地の文化にも馴染むべく、現地に友達を作り、アイランドホッピングや、シュノーケリングなどを楽しんだ。しかし、英語の上達は、そんなに甘くなく、たった1ヶ月の留学では、英語で会話をすることなど程遠いレベルのままだった。
 
フィリピンから帰り、会社に復帰すると自分の意に反して英語の会議が多く設定される様になった。会社としては、1ヶ月も休んだから、それなりの結果を出せということだったのだろう。それは、よくわかるので、日本に帰ってきてから、毎朝5時半に起きて、英語の勉強をし、夜と、土日にも勉強をする日々を4年くらい続けた。やり方としては、まずはTOEICの点を800点以上にし、その後、英会話に力を入れるという方法だった。TOEIC、2年ほどで800点を超え、英会話に移ったが、これがなかなか克服できなかった。
 
なるべく早く話したいと思っていたので、とにかく、口から出す。早く話すことを意識する練習を続けていた、ある日、海外との電話会議で司会をしなければならない会議があった。その時、今の自分の実力で大丈夫かと思い、事前にシナリオを作り、会議に望むことにした。当然だが、会議はシナリオ通りに進まず、みんなが思い思いのことを話すような会議となった。だが、その時、自分が思いのほか英語が聞け、そして話せる様になっていることに気づいた。
 
「そうか、あとは覚悟の問題だったのか」その時強く思った。いくら完璧な準備や十分な勉強をしていても、覚悟が足りなければ、いつまで経っても自信が持てず、話すことができない。ある程度のところでどんどん実践していくことが必要なのだと、自分の中で、納得した瞬間だった。
 
その後は、積極的に英語の世界に飛び込む様になり、英語の勉強方法なども研究する様になり、今は英語を話せる様になるための英語コーチもやる様になってしまった。30歳までの自分では、考えられない、大きな変化を得ることができた、英語による体験だった。まさにブレイクスルーすることができた実体験であった。
 
「人間万事塞翁が馬」
 
私が好きな言葉の一つである。
 
まさか、盲腸で死にそうになった体験から、英語を克服する事に繋がるとは夢にも思っていなかった。人生、マイナスの力を反動にして、大きくプラスにすることができる。
英語の克服の道のりは、英語だけでない、もっと大切なものを学んだ大きな体験だった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
大久保 尚(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

埼玉県生まれ。中央大学出身
「マーケティングの力で日本を元気にする」というスローガンのもと、マーケティングコーチ、組織コンサルという個人事業主及び中小企業向けに業績を上げるためのコンサルティングを実施。日本HPおよび、アマゾンジャパンにおいて、トータル20年マーケティング職に従事。特にアマゾンでのマーケティング責任者としての経験を生かし、講師や講座などを実施。
その他、自分が英語で苦労をし、それを克服した経験をもとに、3ヶ月で結果が出る英語コーチとしても活動をしている。

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2021-04-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.122

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