週刊READING LIFE vol.127

恋が始まったその日から《週刊READING LIFE vol.127「すべらない文章」》

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2021/05/10/公開
記事:射手座右聴き (天狼院公認ライター)
*事実に基づき、固有名詞だけ変更しています。
 
 
一目惚れだった。
背が168センチくらい。
細身に拳くらいの小さな顔。
顔のわりに大きな目。
まっすぐ見られただけで、ドキドキしてしまう。
スッと通った鼻筋。ほんのちょっとだけ、あひる口。
安野モヨ子さんの漫画にでてくるような
バランスの顔立ち。一度見たら忘れない。
 
初めて入った渋谷の小さなスナック。
109を少し登って、少し左に曲がってその店を見つけた。
偶然だった。
「たまには、こういうところ行ってみますか」
30代の僕らには、ちょっと敷居が高い気もしたが
 
後輩に言われるままにドアを開けた。
 
「いらっしゃいませ」
50くらいなのかな、ママが挨拶してくれた。
 
カウンター8席。奥にテーブルが2席。
こじんまりとしたお店だった。
恐る恐る、カウンターの3席めと4席めに座る。
あまり入り口に座るのも、引き気味な感じだし、
かと言って、あまり奥だと、気に入らなかったときに、帰りづらい。
ここがベストポジションだろう。
 
一番奥には常連らしき、おじいさんが座っていた。
難しい顔をして、本を読みながらウィスキーを飲んでいる。
 
「ここは初めて、ですよね?」
ママが話しかけてくれた。
「場違いだったら、すみません。スナック初めてで」
先に謝ってしまおう。僕と後輩はそういう作戦にでた。
 
「大丈夫よ。もうすぐ若い子もくるから」
「え? 若い子もいるんすか」
後輩がテンション高くなる。
「もう。わかりやすいわね」
ママが笑う。
「ごめんなさい、こいつキャバクラが好きで」
なぜだか僕は饒舌に言い訳した。
 
「いいのいいの。冗談だから気にしないで。カラオケでも歌って」
ママが言う。
 
「何歌っていいか、わからないっす」
と答えたその時だった。
 
ガチャっとドアが開いた。
「ごめんなさい、ママ」
ハスキーな声の女性が入ってきた。
逆光のドアから女性の顔が見えたとき、一目惚れしてしまったのだ。
 
彼女は、上着を脱ぐとカウンターにそのまま入った。
黒いシャツにジーンズ。カジュアルな服装だ。
 
「初めまして。香奈です」
名刺を渡された。
「あ、初めまして。山本です」
なんだかドキドキする。
「小川です」
後輩の目が輝いていた。
「もう、あなたたち全然違うじゃない。香奈ちゃんがきた途端に。私の店なのに」
 
「そ、そんなことはありません」
僕らが同時に言った。
 
「山本さんに、小川さん、よろしくお願いします。何歌いますか」
後輩の小川が曲を選び始めた。
「香奈ちゃんは、どんな曲を聴くの?」
「えー。なんでも聴きますよ」
2000年代のはじめ、こんな会話はありがちだった。
なんでも聴く、と答えても、なんでも聴くかどうか、わからない。
 
「じゃあ、嵐、歌おうかな」
「いいですね。歌ってくださいよ」
 
後輩が嵐を歌う中、さあどうしようかと迷う。
「山本さんはどういうの歌うんですか」
「なんでも歌うよ」
いやー。ここで、エキセントリック少年ボウイを歌う勇気はないな。
フラッと入った店でウケを狙うほどの余裕はなかった。
奥のおじさんは何歌うんだろう。
だいたい、スナックって演歌じゃなくていいのだろうか。
演歌いくか。
普通なら、演歌か古い歌謡曲を入れたと思う。
カラオケは、その場の人が好きそうな曲を入れるもの。
場が盛り上がるもの。そんな風に曲を選んでいたのに。
でも、違った。
でも、その日の僕はちょっとおかしかった。
 
モテたい。そう思ったのだ。
この目の前のタイプな香奈ちゃんに、モテたい。
どうしても、モテる曲を歌いたい。
 
モテたい、がウケたい、に勝ったのだ。
 
「あ。この歌、香奈も好き!」
イントロが流れた瞬間、香奈ちゃんが声をあげた。
「ミスチルの雨のち晴れ、でしょ。大好き」
やったー。
まじか。こんなことってあるんだな。
自分の選んだ曲が、好みの子が好きな曲だなんて。
「山本さん、普段と違いませんか?」
小川が言う。
ややゆっくりめのテンポ。まったりとした歌詞だけど、少し前向きな感じ。
 
忙しくて、彼女もいなそうな歌詞で、寂しさを演出しようとしてみたのだ。
あー。恥ずかしい。今考えると、超恥ずかしい。
でも、その恥ずかしいことができるくらい好みだったのだろう。
 
2番のサビで、僕は彼女にもマイクをむけてみた。
一緒に歌おうと誘ってみたのだ。
そんなこと、普段ならしないのに。
 
なぜかミスチルをデュエットしてしまった。
 
歌がおわると、拍手が起こった。気づいたら、後からお客さんも入ってきた。
「山本さん、楽しい。歌おう、歌おう」
香奈ちゃんは素で喜んでいた。
 
そこから僕らは、どんどん歌った。どんどん飲んだ。
自分らが歌うだけでなく、ほかのお客さんにも惜しみなく拍手をした。
何杯飲んだか、わからない。見るとほかのお客さんは帰っていたし、
小さな窓からは朝の光がさしていた。
「初めてきたお客さんで朝までいたのは、あんたたちが初めてよ」
ママが言った。
 
香奈は、同じ田園都市線だった。駅まで歩きながら、ポロっと言葉がでた。
「いやー、最近やなことあったけど、今日は楽しかった」
香奈ちゃんは聞き逃さなかった。
「何があったの」
「取引先のビルの壁に車、当てちゃって」
「えー。そんなことがあったんだ」
「申し訳ないし、でも、取引先からは、弁償しなくていいって言われてて、気まずくて」
「大変だったんだね」
「でも元気出た。香奈ちゃんのおかげだよ」
僕は、香奈の方に顔を近づけた。
キスのあとに、言われた。
「彼女、いないの? いそうだよ」
「いるわけないじゃん。雨のち晴れ、状態だよ」
「へー、じゃあ、前はいたんだ」
「もう3ヶ月前に」
「まんま歌詞じゃん」
「でも、これからは、香奈ちゃんが彼女になってくれるから」
「もう」
酔ってついた嘘から、恋が始まった。
本当は彼女と別れていなかった。別れるどころか、結婚の話もでていた。
それなのに、僕は香奈を好きになってしまった。
つきあって2年になる彼女とは喧嘩ばかりだった。結婚したら自由がなくなる。
そんな思いもあったし、まだまだ結婚したくない、という気持ちもあった。
口を開けば、結婚生活の話。将来の具体的な話。どこに住むのか。
今の給料だと家賃はどのくらいか。子供は何人欲しいか。
早くローンで家を買った方がいいんじゃないか。
 
車をぶつけた日も、そんな話をしていた。ケータイで話ながら、車を駐車場に止めようとして、バックから、ビルにコツン、とぶつけてしまったのだ。
あー、もうダメかも。彼女のことまで嫌になっていた。
 
そんな話を後輩としながら飲んでいて、スナックを見つけたのだ。
 
これは、新たな恋の始まりだ。運命だ。
僕は思った。
そう思うと、なんだか、景色が変わって見えた。
彼女に感じなかったワクワクやドキドキで、街全体が新しく見えた。
 
香奈とメールのやりとりが始まった。
「昨日はありがとう。楽しかった。また来てね」
「すぐにでも行きたい。終わった後、飲みに行ける日はないの」
僕のスイッチは思い切り入っていた。
「来週の水曜は23時にはあがれると思う」
「じゃあ、水曜にアフター行こうよ」
決戦は水曜日。という替え歌が頭の中で鳴っていた。
 
今度は一人で行ってみた。後輩には内緒だ。
付き合い始めてから伝えたら、どんな顔をするだろうな。
ワクワクする一方で、そわそわも顔にでてしまった。
なんだか落ち着かなかった。
「今日は山本さん、歌わないね」
ママに言われた。
歌うどころじゃないよ。香奈とアフターどうしよう。どこに行こう。
そわそわしながら、お酒だけが進んだ。
 
早く23時にならないかな。心ここにあらずで、飲んでいた。
「先にでて、待ってて」
彼女がさりげなく、メールしてきた。
「わかった」
会計を済ませて、先に出た。
外でうろうろしていると客引きが寄ってくる。
無視する。
俺は、今日これから一目惚れの子とデートなんですよ。
心の中でそんなことを言う。
 
15分ほどして、香奈がでてきた。
「おつかれ。飲み直す?」
僕は笑顔で聞いた。
が、香奈の表情は曇っていた。
「山本さん、嘘ついてるでしょ、私に」
「え」
「嘘ついてる。彼女いるでしょ」
「いないって。3ヶ月前に別れたって」
「嘘」
「なんで」
「月曜にね、常連さんが来たの」
「え」
「で、常連さんが言うのよ。この前、うちのビルにバックから車ぶつけた人がいてね、ビルが揺れてびっくりしたんだよって」
「は?」
「あれ? それって山本さんて人? て聞いちゃったの」
「えええ」
香奈が何をいっているのか、僕にはわからなかった。
「そしたら、そうそう、山本さんだよって」
「それって」
そんな偶然、あるのかよ。
「あなたが車をぶつけたビルの会社、うちのスナックの常連なんだよ」
えええええええええええ。
そんな狭い世間あるのかよ。偶然入ったお店だよ。
「で、常連さんに、聞いたら、山本さんは、婚約してる彼女いるよって。
付き合っちゃダメだよって」
「あは、あはははははははは」
僕は笑うしかなかった。
「ダメだよ、彼女いるんでしょ。大事にしなよ」
香奈が泣き出した。
「私ね、軽くみられるかもしれないけど、真面目な人がいいんだ。ごめんね」
そういうと香奈は、一人で歩き出した。
香奈を止めることもできないまま、僕は、立ち尽くした。なんだよ、このコント。
運命の出会いだと思ったのに。
彼女との煮詰まった関係から、香奈が救ってくれると思ったのに。
また、ワクワクする恋が始まると思ったのに。
 
そこから一週間ほど、僕は落ち込んだ。落ち込んだけど、誰にも言えなかった。
車をぶつけた会社の人、なんで言っちゃったんだろうか。
と思ったけど、そんなことを言うわけにもいかない。
後輩の小川にも、こんな愚痴言えない。
そして、彼女からは、「実家への挨拶、いつにする」 とメールがくる。
それよりも、なによりも、一目惚れした香奈を傷つけてしまった。
泣かせてしまった。
あんなに綺麗であんな真面目な子を。泣いた顔も綺麗だったなあ。
思い出すたび、胸がしめつけられた。
 
そんな悶々としたある日、小川から飲みの誘いがあった。
「この前のスナック、行ったんですよ」
「え、小川、一人で行ったの?」
「すみません。山本さん忙しそうだったので」
「いや別にいいけど」
「そしたらね、香奈って綺麗な子いたじゃないですか」
「あ、あの子」
僕はわざと無関心を装った。
「あの香奈って子、ママに聞いたら、愛人なんですって」
「えええ」
「誰のだと思います?」
「そんなんわからないよ」
「俺らが行ったとき、奥のカウンターにいた、おじいさんの愛人」
 
え? あ? はあ?
あの涙はなんだったの。
私、真面目な人が好き、って言ったじゃん。
彼女いるのに、ダメだよって言ったじゃん。
 
俺の罪の意識はどうしたらいいの。
俺のあの一目惚れのドキドキをどうしてくれるの。
 
じゃあ、あの日のキスはなんだったの。
 
愛人やってる女性に、婚約者を大事にしろ、と泣かれるなんて。
 
スナック(軽食)どころか、ネタのフルコースやん。
 
あ、選曲は、雨のち晴れ、より、嵐で正解でした。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
射手座右聴き (天狼院公認ライター)

東京生まれ静岡育ち。広告会社を早期退職し、独立。クリエイティブディレクター。再就職支援会社の担当に冷たくされたのをきっかけにキャリアコンサルタントの資格を取得。さらに、「おっさんレンタル」メンバーとして6年目。500人ほどの相談を受ける。「普通のおっさんが、世間から疎まれずに生きていくにはどうするか」 をメインテーマに楽しく元気の出るライティングを志す。天狼院公認ライター。
メディア出演:声優と夜遊び(2020年) ハナタカ優越館(2020年)アベマモーニング(2020年)スマステーション(2015年), BBCラジオ(2016年)におっさんレンタルメンバーとして出演

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2021-05-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.127

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