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週刊READING LIFE vol.128

親心は時に子供に呪いをかける事になる《週刊READING LIFE vol.128「メンタルを強くする方法」》


2021/05/17/公開
記事:椎名真嗣(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「まさし、世間から変に思われないように、いつもきちんとせんとね」
この言葉は私が幼少期より、言い聞かされていた母の口癖だ。
 
小学2年生の音楽の授業での事。
授業中私はどうしても小便に行きたくなった。
しかしどうしても先生に「トイレにいきたい」と言い出す事はできない。だって、小便は休み時間中に済ませておくべきもので、授業中に小便に行くなんて、変な事なのだ。私は膀胱が徐々に膨れるのをひたすら我慢する。しかし、とうとう我慢の限界がきた。小便が「ジョー」と勢いよく放出され、生暖かいものがあっという間に股間から尻を伝い、私が座っている床を濡らしたのだった。
 
授業が終わっても私は一歩も席を立てないでいた。
とにかく生徒全員が音楽室をでてから、ゆっくり自分の小便を掃除し、証拠隠滅を図ろうと席でじっとする。
しかし同じクラスの澤田がめざとく私の周りの床が濡れている事に気づいた。
 
「あー、こいつ小便もらしているぜ。せんせーい!!椎名が小便漏らしました!」
 
私は澤田から「小便たれの椎名」と呼ばれるようになった。
まもなく、学校中の生徒から「小便たれ」と呼ばれ、私は小学校卒業間際までいじめられる事になる。
 
この一件以来、私は他人の目が気になるようになってしまった。
人前で極度に緊張するようになったのだ。
 
国語の授業中、前の席から順番に教科書を3段落ずつクラス全員で読んでいく。
「他人の変に思われないようにきちんと本を読まないといけないよ」
と母の声が聞こえてきた。
するとどうだろう。私の心臓は高鳴り始める。
近づくにつれ、心臓の鼓動はドンドン強くなる。
そして私の番。
身体の中の心臓は今にも口から飛び出そう。
 
「サア オォヨグゥゾ、ゥゥゥくじらはアッッオィ、そらのナカヲ、元気ぃぃぃぱい、ススンデイキマシタぁぁぁ」
 
私の声に担任は
「椎名が読むと、元気一杯のくじらも苦しそうだなあ」
と言った。
クラス全員からドっと笑い声が発せられる。私は下を俯きながら、椅子に座った。
 
いつもなら難なくできる事が、人前では過度に緊張して出来なくなってしまう。
「きちんとしなくちゃ」
と思えば思うほど、人前で緊張して、できなくなる。
誰が見ても、きちんとできなければ永遠にこの緊張から解放されない、と思った。
 
当時は野球が大流行り。王のように一本足打法でホームランを打ち、長嶋のように華麗に守備ができれば、誰からも文句は言われまい。緊張からも解放される。小便たれの汚名も即座に返上できるはず。
 
毎朝父親に付き合ってもらい、野球の練習に励む。父にゴロのボールを投げてもらい、長嶋のようにグローブでとる練習を繰り返す。王のように一本足打法で素振りの練習もした。
 
ある日私は意をけっして、近所の公園で野球をする子供達に向かった、野球の仲間に入れてくれないか、頼んでみた。
子供達の中には私に「小便たれ」のあだ名をつけた澤田も混じっている。今日こそ澤田に一矢報いてやろう。
 
試合開始。
新米の私のポジションはライト、打順は9番だ。
ライトの守備位置につく。
すると早速私のところにフライが飛んできた。私は「オーライ、オーライ」と手を広げ、落下位置に走る。
きちんと捕らなきゃ。
しかしそう思った瞬間、私は緊張し、目測を誤った。気が付くとボールは私の1m後ろにポトリと落ちる。
私のエラーでランニングホームランとなり、まずは相手チームに1点を献上してしまった。
 
2回裏、私に打順が回ってきた。
エラーの汚名返上とばかり今まで練習してきた一本足打法で構える。私は足を上げ、思いっきりバットを振った。
しかし、無情にもバットにボールはかすりもせず三球三振。
「小便たれ! もう二度と野球するな!」
と、澤田に言われる。
それ以来、私は野球の仲間に入れてもらえなくなった。
 
何をやってもダメな私。自信なんてつきようがない。
そんなある日。
自宅のポストの中に「柔道をやって、強くなろう!」というチラシを見つけた。
近所の中学校で週2回柔道教室が開かれるらしい。野球に比べると地味だが、野球でバカにした奴ら、特に澤田を見返したくて、私は柔道を始めたのだった。
 
柔道の練習は痛い。
最初は地味な受け身の練習ばかり。投げ技なんていつまでたっても教えてもらえない。ひたすら投げられ、徹底的に受け身の練習をさせられる。畳の上で投げられるとはいえ、かなり痛い。
すぐに辞めたくなった。
しかしここで辞めたら、私は柔道すらきちんとできないで終わる。私は受け身の痛みに耐え、柔道を続けた。
 
気が付いたら柔道を始めて1年が経過していた。
私と一緒に柔道を始めた小学生は5人いたが、1年経つ頃には私1人になっていた。1年も続けると受け身の痛みにも慣れ、待望の投げ技もいくつか教えてもらえた。大外刈り、大内刈り、背負い投げ。相手に投げ技が決まるのが快感だった。やっときちんとできるものができたのだ。
 
小学6年生になり、とても可愛らしい女の子が転校生として我がクラスに入ってきた。
澤田はその娘に向かって、
「あいつ、小2の時、音楽の授業で小便たらしたんだぜ」
とわざと私に聞こえるように言い放った。
私はカッとなり、澤田の胸倉をつかみ大外刈りで思いっきり倒してやった。澤田は背中を強打し、しばらく立ち上がる事はできない。その日を境に誰も私を「小便たれ」と呼ばなくなった。柔道で自信をつけた私は人前で緊張する事はなくなっていった。
 
あれから10年、社会人となり会社に入社した。職種は営業職だ。
最初は中々実績が上げられなかった。しかし辛くても、柔道の受け身を耐えるがごとく地道に努力を続けた。
そしてとうとうトップセールスに。
やった! 小便たれの私がきちんと営業もできるようになったのだ
努力さえすれば、なんだってきちんとできるのだ。
 
入社15年目、待望の営業本部長になる。
その年、会社は30周年を迎えた。
30周年を迎えるにあたり、当社の最優良顧客の役員クラス300名をホテルに招待して、記念式典を催す事となった。私は営業本部代表として7分間のスピーチを仰せつかる。私はスピーチの原稿を十分練り、練習を繰り返した。
 
「他人から変に思われないように、いつもきちんとせんとね」
 
練習中に母のこの言葉がまた、聞こえてきた。
母さん、わかっているさ。
しかし一抹の不安がよぎる。
何せ一世一代のスピーチだ。あの有名なスティーブ・ジョブスの「ハングリーであれ。愚か者であれ」のスピーチをYouTubeで見て、研究した。
 
そしてついに30周年記念式典の日がやってきた。
ホテルの大広間には続々と招待客がやってきた。
まずは社長からの挨拶。社長の次が私だ。
「他人から変に思われないように、いつもきちんとせんとね」という言葉がまた頭の中でこだまする。万が一失敗したら、今まで築いてきた会社の中での私の信用は崩壊だ。
心臓の鼓動が早くなる。小学校の国語の授業の時にように。
 
社長の挨拶がとうとう終わってしまった。
司会者が
「それでは、営業本部長 椎名 真嗣から一言ご挨拶申し上げます。椎名さん、よろしくお願いします」
 
私は司会者に促され、演壇に向かう。演壇に立つとスポットライトが眩しい。
 
「ホンジツッワ おいそがしいナカ、ヘイシャ、サンジュッシュウネン、記念しきてんにオコシイタアダキ、あぁぁぁ ありがとゴザイマッス」
 
ダメだった。
その後の事は記憶にない。失敗だ。私の人生は終わった。
 
スピーチの失敗以来、私はちょっとした打ち合わせでも緊張するようになってしまった。これでは営業本部長を続けていくわけにはいかない。
スピーチ教室に通った。
精神を落ち着かせるために瞑想法も取り入れた。
自己暗示をかけたりもした。
しかし何一つ効果はでなかった。私は思い切って心理カウンセリングを受ける事にした。
 
テーブルをはさんで、カウンセラーの先生と向かい合う。
 
「実は小学校の時から人前にでると緊張してしまって、まともに話す事ができなくなるのです」
と、伝えた。
そしてその後一度は克服できたこと、しかし式典のスピーチでまたぶり返した事等を細かく説明した。
先生は静かに私の話を聞いていたが、私の説明が一段落した所で
 
「式典のスピーチの時、どんなお気持ちになられましたか?」
と聞いてきた。
もう二度と思いだしたくない事だったが、じっくり思い出してみた。
スピーチをする前の緊張感とスピーチが終わった後の絶望感をもう一度味わった。
そして次のように先生に答えた。
 
「強い不安感ですね。このスピーチが万が一失敗したら自分の人生はおしまいだ、と思いました。実際緊張のあまり全身が震え、まともなスピーチはできませんでした」
先生は深くうなずく。
そして私にこんな事を教えてくれた。
 
「人は出来事に反応して、感情が生み出されると思いがちです。椎名さんの例だと、とても緊張するスピーチの場面に立たされて、不安になったとお思いですよね」
その通りだ。先生は続ける。
「しかし、椎名さん以外もその日スピーチをされた方がいらしたかと思いますが、スピーチをした方々皆さんが椎名さんほどの不安感をもたれたのでしょうか?」
 
「それは違うと思います。うちの社長なんかは逆に人前でしゃべるのが大好きですし」
と私は、目立ちたがりに社長を例に答えた。
 
「そうですよね。つまりスピーチに対する椎名さんなりのお考えがその時あったと思うのです。その椎名さんのお考えが、椎名さんを不安にさせた。そのように認知行動療法では考えます。従って椎名さんがその時思ったお考えを変えれば、同じ事があっても不安にならないはずなのです」
 
なるほど、そうか。自分の考え方を変えれば良いのか。
納得した私は頷いた。
私の頷きを確認して先生は尋ねた。
「式典のスピーチの時どんな事が椎名さんの頭の中によぎりましたか」
 
「母の口癖です。『他人から変におもわれないように、いつもきちんとせんとね』という言葉がよぎりました」
 
すると先生は
「では、椎名さんに質問です。万が一きちんとできなくて、他人から変に思われてしまったら、椎名さんはどうなるのですか?」
私は先生の質問に自分でも思いがけない回答をした。
「そんな事になったら人生終わりですね。実際自分の人生はあの時で終わったように思います」
この私の発言を聞いて、先生はにこやかに笑みを浮かべながらこう言った。
 
「世の中全員の人に対して、椎名さんがきちんとしているという事を思わせるのは可能でしょうか? あのスティーブ・ジョブスでも全ての人の心を打つスピーチをきちんとする事はできるのでしょうか?」
 
先生の言葉がズシンと心に響く。
そして先生は続ける。
 
「『きちんとしなければならない』という考えにしがみつく事で、椎名さんに何かメリットがありますか?」
 
先生の言う通りなのだ。母の言ってきた事は所詮不可能な事だし、この口癖を守っていても逆に過度な緊張を自分に強いるだけだ。
 
「お母様の口癖を実現する事は決してできないですし、椎名さんの人生にとって何も役に立たない。椎名さん、こう思うようにしませんか。いつもきちんとしなければならないではなく、『きちんとしていた方がよいが、いつもそうできるとは限らない。きちんとできなくてもそれはそれでしようがない。自分なりのベストを尽くす事が重要だ』と」
先生のこの言葉を聞いて、私は救われた。
私は先生の提案の通り、自分の考え方を改める決心をした。
 
カウンセリングの帰り際、先生は次のようにいって私を送り出してくれた。
「人は、不適切な考えでも、その考えを持ち続ける努力を長年してきているのです。変える努力も時間がかかると思ってください。決して焦らない事です」
 
母は親心で「きちんとせんとね」といってくれたのだと思う。
そして他人からきちんと見えるようにと努力してきた自分を全否定する気は毛頭ない。
しかし、バランスを欠いた思いこみは人を縛り、呪いとなる事があるのだ。私は50歳にしてやって母の言葉の呪いから解放されたのだった。
 
その後、私は人前で緊張する事は極端になくなったのだった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
椎名 真嗣(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

IT企業の営業職を20年続ける。3年前にREBT心理士補を取得。
今回の文章は自身の経験を元に認知行動療法を誰にでも理解しやすいように構成しました。

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2021-05-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.128

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