週刊READING LIFE vol.128

ボコボコのサンドバッグが蘇る最良の方法《週刊READING LIFE vol.128「メンタルを強くする方法」》


2021/05/17/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
気力だけは、誰にも負けないと思っていた。どんなに大変だろうと、へこたれることは駄目なことだと思っていた。
弱音を吐くなんて、できない。人に頼るなんて、もっとできない。
そして、いつも笑顔でいなければ、ならない。
そう思っていたのに、どうしてだろう? 私の口角は、接着剤で固定されたかのように微塵も上がらなくなってしまった。
 
今から、約10年前の出来事だ。
ちょうど、身の回りや仕事で、問題が山積みになっていた頃だった。それに加えて、原因不明の激痛が、私の首を襲っていた。まさに、「首が回らない」状態だった。首にコルセットのようなものを付けて、振り返るときも体ごとだ。
そんな状態で、次から次へと起こる問題に、何とか対処しなければと切羽詰まっていた。首が動かせないことは思ったよりも辛く、しかも激痛で体が悲鳴を上げていた。けれど、休めるような状況ではなかったため、聞こえないふりをして自分を奮い立たせていた。
 
そんなある日、仕事中に、周りの人の声が遠くに聞こえるようになった。何だか、耳の周りを膜のようなもので覆われた気がした。音は聞こえているけれど、話している内容が全く頭に入ってこないのだ。例えれば、言葉の分からない海外で、異国の人たちに囲まれている感じだ。
しかも、鈍い音がフワフワと漂うばかりで、私の鼓膜にしっかりと響いてこない。「あれ? おかしい」そう思ったのと同時に、私の中で、何かのシャッターが下りた。
 
目の前が、虚ろに見えた。自分だけ、その空間の中で宙に浮いているような気がした。頭の血管が激しく脈打っているのと対照的に、一切の私の表情は無になった。
普段から、元気印だけが取り柄だった私だ。
話しかけてもニコリともしない私に、周りがざわつき始めたのだけは分かった。
 
こうして、私は生まれて初めてのメンタル不調に陥り、敷居が高いと思っていた心療内科を受診することになった。
初めての診察の時、担当してくれた女性の医師は、患者の本音を導くのが上手だった。
医師に促されると、一気に堰を切ったように、自分でも意識していなかった心の中が露わになった。自分が辛かったこと、嫌だったこと、我慢していたこと。そういったものが、次から次へと溢れ出して止まらなくなった。満杯のコップにしずくを垂らすと溢れてしまうように、我慢していたものが耐えきれずに、こぼれ落ちてきたのだ。
 
当時の私は、まるでサンドバッグのようだった。しかも自分で自分を吊るして、ボコボコにするという、自己完結型のサンドバッグだったのだ。
 
苦しいのに、自分を打つことを止められなかった。
これくらいで病むなんて、どうかしている。まだまだ、やれるはず。
こんな弱い自分なんか消えてしまえばいい。そんな甘えた気持ちでどうする。
運転中に、交差点に突っ込みたくなる衝動に駆られたこともある。今思えば、すでに精神的に追い込まれているのに、私は頑なに認めたくなかった。
 
休職してもしばらくは、休んでいること自体に罪悪感があった。
みんなが働いているのに、平日に家にいることがサボっているようで落ち着かない。私の仕事を誰かが被っているのだと思うと、迷惑をかけていると思っていたたまれない。
薬を飲んでも頭がボーっとするだけで、改善するようには思えなかった。そして自分を責めると、必ず過呼吸に陥った。
 
自分を責めれば責めるほど、私はボロボロになっていった。
こんなはずじゃない。どうして自分はこんなに情けないのだろう? 家族にも職場にも迷惑をかけ、自分で自分をコントロールすることもできない。
 
これまでは、何があっても決して挫けなかったはずなのに。
「何くそ!」と思って頑張れば、何とか乗り越えられたはずなのに。
自分を信頼したいのに、そうできない失望感は、私を根底からグラグラと揺さぶった。
 
今なら分かる。
あの時は、こんな状態に陥った自分の姿を、素直に受け入れることができなかったのだ。
私が、こんな風になるはずがないと思っていた。病むのは自分に負けることと思っていたから、尚更認めるわけにはいかなかったのだ。往生際悪く、いつまでも腑に落ちないから、苦しみの無限ループにはまっていたのだ。
 
情けない自分でも、上手く立ち回れない自分でも、それは私自身であることに変わりはない。自分を責めるよりも、そう受け入れられれば楽だった。ありのままを認めるということは、それだけで心の有り様を大きく切り替える効果がある。
 
あまり堂々と言えるものではないが、できないことを認めたことで、気持ちが楽になり目先が変わった経験があった。
高校生の頃、私は数学が苦手だった。
中学までは、数学に対してそう苦手意識はなかった。けれど、高校入学前の春休みに課題が出された。まだ習っていない、高校数学の問題集だ。予習の意味も込めて、仕上げてくるようにということだった。
英語であれば、習っていなくても単語の意味を調べたりすることで、おおかた答えの想像はつく。けれど、習ってもいない公式や解法を思いつくなどできるはずもなく、私にはハードルが高すぎた。
 
それでも何とか解こうと思案したけれど、すぐに行き詰った。絶望にも似た焦りが、私の頭を支配した。
入学式には、ほぼ解けていないノートを提出する羽目になってしまった。周りの友人たちにどうやって解いたか尋ねると、何と巻末の解答と解法を見て仕上げたという。
「それって、カンニングじゃないの?」変に生真面目だった私は、自分の要領の悪さにバツが悪くなりつつも、そう思っていた。
 
第一印象が悪すぎたのか、なかなか私と数学との相性が良くなることはなかった。
テスト前には、担当の数学の先生に熱心に食らいついて、居残りもして勉強するのだ。しかし、実際のテストになると、せっかく教えてもらったものが頭から煙のように消え去り、私に解けるわずかな問題が終わると、窓際の席から中庭を眺めていることが多かった。
 
秋には、真っ黄色に色づくイチョウの葉をしげしげと見ながら現実逃避していると、試験監督だった数学の先生が苦笑いしながら、窓の外を向いていた私の頭を、答案用紙の前に引き戻したこともある。
 
「おまえは、変に潔すぎる。もう少し粘ろうとか、ないの? 試験前に、あれだけ勉強したのに」
採点後、テストの答案を返すときに、先生はそう言った。
熱心に指導してくださった先生には、申し訳なかった。先生に教わっている時は分かるのに、解法が同じであっても、全く同じ問題がテストに出るはずはないから、もうそこで混乱してしまうという体たらくなのだ。
苦手意識でグルグル巻きになっていた私には、つける薬がなかった。先生には悪いが、私は文系だからと割り切って、自分を納得させていた。
 
もちろん、数学はできるに越したことはない。特に社会人になって、それを痛感することになった。学生時代は、こんな公式なんか社会では必要ないと斜に構えていたのに、使えれば効率的に仕事で活かせると思ったのは、随分後からだ。
 
当時、私にとって数学は、苦手で攻略不可能なものだった。
しかし、数学ができない自分をしっかりと認めていたからこそ、その代わりに他の教科を頑張ろうというモチベーションにもなった。
いくら頑張っても無理だと思うときは、いつまでも一つの考えに固執せず、その状態を受け入れて手放すという潔さも時には必要なのではないだろうか。必要ならば、また機会は巡ってくるものだ。
 
そんな経験もあったのに、休職中も私は自分を責めるだけ責め、しばらくは塞ぎこんでいた。
けれど、空っぽになった自分を認め、責めることをようやく手放せたとき、周りの人たちの支えもあって、私の症状は改善していった。
 
認めることは、自分にそれでいいと許可を出すことだ。こういうのもアリだよと、肯定的に自分の背中を押してあげることでもある。
 
不安なことの多い世の中では、メンタルが強いということに憧れる。またそうでないと、生き残れない気がするかも知れない。
けれど、誰しも、強いだけの人なんていない。
みんな自分のバランスをとりながら、目の前のことに立ち向かっている。平均台の上で足を一歩出すと揺らぐように、何かの拍子にバランスが崩れることもある。だからといって、それが弱いということではない。たまたま、状況とタイミングが重なっただけで、誰にでも起こりうることだ。
 
息苦しさを感じたら、バロメーターが振り切れる寸前と思った方がいい。
どうにかしなければと焦り始めたら、ひとまず美味しいものを食べて幸せを感じた方がいい。
少しでも自分を楽にすることに、罪悪感をおぼえなくてもいい。
自分に負けているのではなく、自分の思い込みに縛られているだけだ。そのままの自分を受け入れることを許し、周りの温かさを信じてみたら、心がふわっと軽くなる瞬間が生まれるはずだ。
 
メンタルを強くしようと、必要以上に気負わなくていい。あれこれと方法を探し回ることで、自分の首を絞めなくてもいい。立ち上がる最良の方法は、すでにあなたの心の中にあるのだから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)

福岡県出身。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。

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2021-05-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.128

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