週刊READING LIFE vol.128

死にたての12時間《週刊READING LIFE 「死にたてのゾンビ」》


2021/05/17/公開
記事:本山 亮音(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※この物語はフィクションです。
 
 
ばあやのいびきで目が覚めた。
部屋に備え付けられた大きな柱時計は22時を少し回ったところで、まだカチコチとなり続けている。それなのに、私の心臓の音はもう聞こえない。布団の暖かさも感じない。
ハルは文字通り血の通わない脳で、最後に見た夕方の光景を思い出す。
あれは何時ごろだったのかしら……

 

 

 

2階にある自室の窓から射す茜色が、ベッドのシーツを照らしていた。
それがハルの見た生前最後の光景だった。
鐘の音も聞こえていたから、きっと18時ごろのはず。
 
この町では1日に4回、0時から6時間ごとに鐘が鳴る。0時は1回、正午は2回、6時と18時は共に6回鳴らされる鐘の音は、街から少し離れたこの洋館にまで鳴り響く。
 
記憶の中の鐘の音とばあやのすすり泣きが脳裏にこだまする。
……そう、私は死んだのだ。
 
大正時代に建てられた洋館に住むハルは17歳で命を落とした。
4歳で発作を起こしてから、心臓の病と戦い続け、ほとんどの時間を家の中で過ごしてきた。両親は私が食べたいものを用意してくれたし、大好きな本もたくさん揃えてくれた。
短い人生の中での長い闘病生活だったけれど、それでも幸せな人生だった。外の世界をもっと知りたかったのもホントだけど、大好きな本に囲まれて、物語の世界に没頭できる時間を与えてもらえたと、そう思っている。
 
長い闘病生活には、家政婦であるばあやの存在がいつも近くにあった。
私が最後に目を閉じる時はお父様もお母様も泣いてくれてはいたけれど、夕日に照らされた両親の顔には「やっと……」と言う気持ちが表れているのをハルは見逃してはいなかった。
唯一ばあやが本当に悲しんでくれていたように思う。
 
私はばあやが大好きだった。
今も近くにいてくれるのはやっぱりばあやなのだ。気持ちよさそうに寝てしまっているけれど……。
ばあやはいつも私のことを可愛い、可愛いと言ってくれた。運動をしない割によく食べる私は今では少し、ほんの少しだけぽっちゃりしている。
ばあやが言う通り、きっと他のみんなが痩せ過ぎているだけ、きっと。
 
それにしても……死んだら天国に行けるものだと思っていたのに、なんで家の中にいるのよ。
 
そこはいつも通りの天蓋に覆われたベッドの上だった。
壁際の椅子に掛けて、大口を開けていびきをかいているばあやの顔に落書きでもしてやろうかと立ち上がりかけると、身体の節々からミシミシと乾いた骨がしなるような音をたてる。
 
うん!? 待ってよ、なんで私、動けるの!?
手も足も少しぎこちないけど動かせるし、目も見えるし、耳も聞こえている。
でも、左胸に手を当てても鼓動は感じられない。確かに私は死んでいる。
 
壁に掛けられた鏡の前に立つと、いつもと変わらない私の顔がそこにはあった。
もう一度ベッドに腰かけ、考えをめぐらせているうちに、ばあやが奇妙なことを言っていたのを思い出した。
 
「想いを実らすことなく死んでしまった人は、ゾンビとなって蘇ることがあるそうですよ。その場合、死後12時間以内に好きな人の血を吸えば、この世界に残れるそうです。ただし、ゾンビのまま。もし、血を吸わなければ、12時間後に意識がなくなり、本当の死を迎えるらしいのです。さぁて、ゾンビとして地上に残るか、天国へ行くのか、どっちが幸せなのかしらねぇ」
嘘かホントか、おとぎ話を語るようなおっとりとしたしゃべり声が耳に蘇る。私は幼かったこともあり、ゾンビが怖くて、その夜は眠れなかった。けれど、大きくなるにつれて、そんなことはないと、気にもしていなかった。
 
数年後に読んだ本に出てきたゾンビは、皮膚がただれて目がくぼみ、白目は充血していた。鏡に映った自分がゾンビだとは到底思えない。
 
死にたてだとこんなものなのかしら。
いつも通りの私の顔を触りながら首をかしげるが、そうとしか考えられない。
 
いや、待って、待って、待って。
 
確か私が最後に目を閉じたのは18時過ぎ、つまり、すでに4時間はベッドに寝そべっていたことになる。
 
いや、死んでから目覚めるまで、時間かかりすぎじゃない、私!?
 
まどろみながら思考をめぐらしているうちにも刻一刻と時は進み、時計の針は23時に近づいている。
 
これはまずい。まずはこの洋館を脱出しなければ。
あの人の血を吸うかは後で考えるとして、最後に彼を一目見たい!

 

 

 

貿易会社を立ち上げたおじい様は早くに亡くなり、今はお父様が引き継いでいる。
その会社で働く彼は20歳とまだまだ若いが、頭が切れるらしく、お父様のお気に入りだった。よくこの洋館に招待され、彼と共にディナーを共にしたことも1度や2度ではない。
 
そんな彼は、私に外の世界の話をしてくれた。
きっとお父様のお節介な指示もあったのだろうけれど、いつも優しい笑顔の彼を思い浮かべるだけで、暖かな気持ちになれた。兄のように感じているつもりだったけれど、死の間際に頭をよぎったのは、彼の笑顔だった。
彼に会いたかった。

 

 

 

お母様には着物を着なさいと言われていたけれど、締め付けの少ない洋服をたくさん買ってもらっていてよかった。動きやすく目立たない黒の外出着に着替え、クロッシェという鐘の形をしたツバが下を向いている帽子を深くかぶった。
 
両親も起きているのだろうか、廊下にはまだ明かりが灯っている。ばあやが起きないよう、ベッドの脚に括り付けたシーツを窓から垂らす。窓の桟に足をかけ、思い切って外へと飛び出した。
 
外に出た途端、ズルっとシーツから手の平に伝わる圧力が頼りなくすり抜け、身体が宙に浮いた。
 
ドスッ。
 
なんてことなの! ゾンビになっても体重は変わっていないなんて!!
華麗に着地するつもりが、出鼻をくじかれた。
 
もう、いったーーーー……くない!?
ゾンビだからか、痛覚がないのだ。聴覚も視力もあるのに痛覚はないし、暑さや寒さも感じない。
 
まぁ、これはこれで便利ねと、立ち上がろうとするが、何だかまっすぐ立てない。
足元を見てぎょっとした。片脚が膝を起点に変な方向へ曲がっている。それでも、こんなところで時間を使ってはいられない。すぐに気を取り直す。骨が弱っているのかしら、普段から運動しておくべきだったわねと、力づくで元へ戻す。
 
何とかなるものね。でも、今の音でばあやが起きるかもしれないわ。この時間なら正門から堂々と外に出られるから急ぎましょ。
シーツは見つからないように、庭のくぼみに隠して門へと向かう。
 
体のお肉を揺らしながら早歩きをしても息が切れないし、ゾンビもなかなか捨てたもんじゃないわ。

 

 

 

ハルが屋敷を出る頃、「ぎゃぁーー、ハル様……ハル様が!!」と屋敷にこだまするばあやの叫び声は、1度だけ鳴った鐘の音にかき消され、ハルの耳には届かなかった。

 

 

 

目立たないように壁を伝って、戻り切っていない脚を引きずるように歩く。
 
まさにゾンビらしくていいじゃない。それにしても、この町ってこんなに広かったのね。
 
丘の上に立つ洋館から街へ向かう途中、坂道の上からたくさんの街明かりが見える。箱入り娘のハルは真夜中に屋敷の外へ出るのはこれが初めてだった。
 
街に到着すると、どこからともなく聞こえる酔っ払いの笑い声、喧嘩、男を誘う女の目つき、たくさんの誘惑が頭の中に飛び込んでくる。
 
この中から彼を見つけるなんてことできるのかしら。
 
彼を見つけるヒントを探すのだけれど、刻一刻と時間は過ぎていく。彼の家に遊びに行くことなんてなかったから、家も知らなかった。
疲れはしないけれど、意識が朦朧としてくる。手を当てた頬からは水分が失われている気がして、深く深く帽子をかぶり直す。下を向いて足を引きずりながら暗闇を歩く少女にすれ違い、気付いた人はぎょっとはするものの、声をかけてくる人はいなかった。
 
聴力も視力も次第にぼんやりしてくる。それでも、目覚めてからずっと何かの匂いが鼻を刺激し続けている。
きっと血の匂い。体をめぐらずに、とどまった血の匂いが内側から匂ってきているのかしら。鬱陶しいけれど、まぁ、大した問題じゃないわ。
 
当てもなくさまよい続け、何時間が経ったのだろう。少しずつ空が明るくなり始めている。
公園のベンチに辿り着いて顔を上げると、時計の針は5時を迎えようとしていた。
 
残り1時間。
もう諦めようかしら。ばあやも心配しているだろうし……。お父様、お母様、ごめんなさい、勝手に出てきてしまって。でも、こんな姿では戻るに戻れない。
噴水の顔に映る私の顔は目が充血し、肌も青く、頬には影が差し始めていた。
 
町が動き始め、遠くで汽笛が聞こえる。
 
汽笛……そうか、駅……あの人は仕事で町の外へ出ることが多い。駅に行けばきっと……
 
足を引きずりながら駅のベンチにたどり着く。早朝の電車に乗るため、人々が集まり始めていた。
公園から駅に向かう途中から、ハルの意識は遠ざかり始めていた。
 
何故私は彼を探しているのだっけ。そうだ、彼の血を吸うのよ。彼の血を吸えばまだこの地に残れる。彼の血がいる。そう、彼の血……
 
頭を振り、何とか思考を取り戻そうとするのだが、急激に精神も肉体も弱り始めていた。
こんなに都合よく会える訳なんてない。目から赤い涙が零れるのもそのまま、顔も上げられず、時間だけが過ぎていく。
 
駅の入り口から日の光が差し込み始めた頃、ふっと知った匂いが漂った。死んでからずっと嗅いでいた私の血の匂いに交じって彼の匂いが鼻の奥に入り込んでくる
 
近い。
 
電車に乗り遅れそうなのか、駅の入り口から走って来た彼の右手には、ハルの見知らぬ女の手が握られていた。
 
それを見た瞬間、ハルは完全に理性を失った。
働かない脳のなかは、ただただ血を吸うことしかなかった。彼に近づくと、ハルに気付いた女性が軽く雄叫びを上げる。
 
驚いた彼の目と、真っ赤になったハルの目が合う。
 
ハルにはもう悲しいも辛いも嬉しいも、なんの感情もなかった。ただ獲物を狩るように、足が竦んだ彼に走り寄る。
 
彼を目の前にしてハルは本能的に興奮に駆られ、嬉々としている。地上に残りたいのかどうかなんて、考える思考も持ち合わせてはいない。ただただ彼の血をすすることだけを頭が支配し、彼をとらえて離さない。
牙をむくように歯をむき出しに唸るハルの様子に、周りからも悲鳴があがる。
 
近すぎてもう彼の顔すら見えない。目を閉じ、一気に肩へとかぶりつく。
 
次の瞬間、口の中に血が滴り、全身が開放されたように倒れこむ。
もう何もいらない。満たされた思いに浸りながらゆっくりと目を開けるとそこには彼……ではなく、ばあやが肩を抑えて座り込んでいた。その後ろで失神している彼の足だけがこちらを向いていた。
 
「ハル様、ごめんなさいね」
そう言いながらハルにすり寄り、自分の膝にハルの頭を乗せ、ばあやは語り始める。
 
「ばあやは実はゾンビなのです」
ぼんやりとした頭でハルはばあやを見上げる。
 
「もう100年も前のこと、ハル様と同じようにばあやは死にたてのゾンビになってしまいました。ばあやも身体が弱かったんですね」
 
ばあやが話し始めると、鐘の音が響き始めた。
ゴォーン
 
ばあやは時間がないことを悟って、早口で話し始める。
「当時は恋愛結婚もできず、好きでもない男と結婚しましたけれど、本当は他に好きな人がいました。心臓が止まった後、気がつくとすぐに彼の家へと走り出しました。寝ている彼を見つけると、本能的に血を吸い、彼はもう動かなくなってしまいました。そして私は、死ぬことさえ許されない、ゾンビと化してしまいました」
 
次第に意識が薄れ行く中で、ハルはまさかばあやがゾンビだったなんて信じられず、目を見開く。
 
ゴォーン
 
「ハル様にゾンビの話をしてしまったのは私の失態でした。まだハル様が幼かったですし、私も油断してしまいました。大きくなったハル様が彼のことを気にかけていることも、恋が実らないことにも気づいていました」
 
ゴォーン
 
「もし、ハル様がゾンビになってしまった時は私が止めるしかないと、ハル様の部屋で待機していたのですが……まさかあのタイミングで寝てしまうとは自分でも思いませんでした。ゾンビになってからというもの、何故か睡眠欲だけは強くなってしまっていけません」
とにっこり笑うばあやの話に、笑い返したいけれど、うまく笑えない。それに、ばあやからも生気が失われていくのを感じて言葉に詰まる。
 
ゴォーン
 
「死を迎えることなく、好きな人とも寄り添えず、ゾンビとして過ごす日々は辛いものです。ハル様には絶対にその思いをして欲しくありませんでした。こうして無事にハル様を止めることが出来て、ばあやは役目を終えられます」
 
ゴォーン
 
「それに、私のようにゾンビになった場合、死にたてのゾンビに血を吸われることで、やっとこの生に終わりを迎えることが出来るのです。ハル様を利用するような形になってごめんなさいね」
はにかむばあやの目をしっかりと見てハルが顔をゆっくりと横に振る。
 
あぁ、これでよかったのだと、ハルは思う。
確かに想っていたのは彼だけれど、ばあや程に慕っていた人も他にはいない。
ありがとうと伝えたいけれど、もう声は出ない。
大好きなばあやと天国に行ける。ハルはそれで満足だった。
ばあやは私の考えが伝わったかのようにうなずき、そっと目を閉じる。
 
ゴォーン
 
最後の鐘が鳴り響き、ハルの意識は朝日の中へと溶け込む。

 

 

 

次の瞬間、血が全身を駆け巡り、焼けるような熱さにハルは再び覚醒した。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
本山 亮音(REIDEING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

京都生まれ京都育ち。
2020年10月開講のライティング・ゼミを受講、2021年3月よりライターズ倶楽部へ。

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2021-05-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.128

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