週刊READING LIFE vol.130

嫁入り後になりたい自分を実現した私が、次世代のためにしたいと考えた3つのこと《週刊READING LIFE vol.130「これからの旅支度」》

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2021/05/31/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
嫁入りは、ちょっとした冒険だった。
 
実家のある横浜から新しい生活が始まる広島の土地まで、その距離は約800キロある。
 
夫と私はその800キロをバイクで移動した。
途中1泊したとはいえ、800kmの距離を短期間に走り切るのはかなり過酷だった。
数百キロ移動すると、天候も違うし、何よりも体力を奪われる。
 
2日目は名神高速道路が道路工事のため、一車線規制をしていた。普通の渋滞なら、車の横をすり抜けて、比較的スムーズに渋滞区間を抜けられるが、運の悪いことに、車線がふさがっているため、車の横はすり抜けることができない。すり抜けることができないまま低速で走行するのは、二輪車にとっては、かなりきついのだ。
 
こりゃあ、下手したら広島につくまでに倒れるかもしれない。
安直にバイクで移動するという選択をした過去の自分を恨んだ。
前を走る夫のバイクに必死についていきながらも、集中力はほとんど切れかかっていてぼんやりとしてきた。
 
ヘルメットで隔てられた世界は一人の空間を際立たせてくれる。奇妙に静かな世界の中は妙にふわふわとして気持ちがよかった。
 
人生、すいすいと進むこともあれば、止まることもある。少しずつしか進めないこともあれば、集中して慎重に進まなければいけないこともある。何かトラブルに巻き込まれることもあるだろう。
 
今までは、成人したと言っても親の庇護下で守ってもらっているような部分も大きかった。こうやって少しずつ実家から離れていくことで、少しずつ別の人生に渡っていくような実感が生まれた。
これからは、新しい苗字に変わって、彼の背中を頼りにしたり、時には自分でいろいろ判断したり、もしかすると子供が生まれて、沢山の責任感を感じながら生きていくのだな。この800キロは、次のステージへの旅支度で、今、産道を通って新しい私が生まれようとして、もがいているところなのかもしれない。
 
とてもとても不思議な時間として記憶にぼんやりと残っている。
 
広島に来る前に、自分で決めたことがある。
全く知らない人ばかりの世界で生きていくのだから、人生やり直したつもりでいこう。
もう、今までのような人に取り繕ってばかりで、人の顔色ばかりうかがいながら息苦しく生きていくのはもうおしまい。
 
これからは、自分が理想とする、明るくて優しい人間になろう。周りの人が笑顔になってくれるような存在になりたい。
 
やりたいことも積極的にやろう。人生一度きりなんだからやってみたいと思ったことはなんでもやろう。「そんなことするなんて恥ずかしい」と言う親ももう近くにはいない。
 
そういう自分になるんだ。ヘルメットの中でもう一度つぶやいた。
 
顔を上げて改めて彼の背中を見つめると、彼が進む先には、渋滞の終わりが見えていた。私の目の前がパーッと開けた。

 

 

 

バイクで嫁入りしてから15年が経とうとしている。子供が生まれるなんて想像もできなかったのに、あっという間に長男は中学生になってしまったし、まさか、3人も子供が生まれるなんて思わなかった。
 
広島に来ても、最初のうちは、思った通りに変わろうなんてすぐにはできなかった。せっかくできた友人は待望の子供を流産してしまい、そんなに子供がほしいと思っていなかった私が妊娠してしまって、縁が切れてしまった。まさか、そんな理由で縁が切れるなんてことがあるとは思わなかったから、当時はだいぶ落ち込んだ。
 
産婦人科の母親学級で、次々と周りが友達になっていくのに、自分は友達ができなくて輪にも入れず、とても焦ったということもあった。結局、出産するまでろくに友達もできず、一人ぼっちで孤独を味わった。
 
さらに、夫が仕事関係の付き合いでどんどん忙しくなり、土日も休みなく出かけるようになって孤独感が増した。
 
このまま、子供と二人で生活していかなければいけないんだろうか……不安になった私を救ってくれたのは、まだ言葉も話すことができない息子だった。
 
子供を連れて歩いていれば、必ず誰かが話しかけてくれる。子供が動くようになれば、子供を話題にして、親同士がつながることができた。
 
友達を作るきっかけの部分が上手くない自分を、子供がサポートしてくれた。根無し草だった私が少しずつ少しずつ広島に根を張っていった。
 
結婚してから料理が出来なくて苦労したというコンプレックスから、子供の料理教室のインストラクターになって活動したり、その活動をきっかけに味噌づくりを習うことができて、発酵の素晴らしさを体感した。以来、発酵食品を作り続けて10年を超えた。
 
土の中に根が少しずつ張っていくように、いろんなことを学び、その度にいろんな人やモノや場所と縁が出来て、私の広島の生活基盤も揺るがなくなってきた。もちろん、嫌なこともあれば、投げ出したくなることもある、沢山ある。きっとそれは、根を伸ばすときに固くて突き進めない部分があるようなものだろう。それだって足を踏ん張って粘り強く接していけば必ず乗り越えられる。広島での生活が軌道に乗ってきたので、嫌なことも乗り越えることができた。
 
もしも、広島に来るときに、自分自身が変わろうと思わなかったら、あの800キロの距離を紆余曲折しながら走ってこなかったら、今の私は存在しないだろう。
 
二輪車に乗って思った方向に向かいたいときには、ハンドルをすぐにきりすぎると倒れてしまう。思う方向に行きたいときには、少し先をみて、行きたい方向をイメージし、そこに向かっていこうという意識で進む。
 
私が意識せずに描いたイメージもそうだったのだと思う。すぐに変わることはできなくても、自分が明るくて優しい人間になりたい、と思ったら、少しだけその方向に意識がいって、劇的に変わることはなくても、気がついたらその場所についていた、ただそれだけのことだ。
 
自分が何かをしたい、自分が変わっていきたい、と思ってもすぐには変わることはできない。でもそこであきらめて、元の自分の方向を向いたら、結局思った道にはすすめない。自分が目指したい方向を向いていれば、どんなに時間がかかっても、きっとその場所にたどり着けるのだ。
 
私は、そんなささやかな、だけど自分の中ではとても大きな成功体験を得て、今この場所にいる。14年前に描いていた自分像にはたどり着けた。じゃあ、これから、どんな道を歩いていこうか。
 
そう考えてみると、今のところ私は次にどうなりたいのか、という明確なビジョンがない。もしかすると、一定のゴールにたどり着いたあとに、次にどこに向かうのかということを考えるのはすごく大切なのかもしれない。
 
これから、どこに向かうのか、そのためにどんな旅支度をしようか。
 
今、思いついたのは、3つだ。
 
1つ目に、次世代にどのような地球を残したいのか考えていきたい。私を取り巻く地球の環境は、物心ついてから40年の間で激変した。家は雨漏りしなくなり、便器も洋式に変わり、雨風もしのぎやすくなったが、地震や豪雨災害が後を絶たず、人間は付け焼刃で対応を続けるしかない。
 
ものすごく大きな問題だし、正直どこから手をつけていいのかも何を学べばいいのかもわからない。でも、わからないからと問題から目をそらして、次世代に押し付けることだけはしたくない。
 
自然に立ち戻れとは、言えない。自分はもう、厳しい自然の中で生きる術を知らないからだ。でも、小さなことでも何かを考えつづけ、考えたことを実行していくしかない。
 
2つめは、子供達に日本をどうやって繋いでいくのかを考えたい。日本という国や文化もまた瀕死だと思うのだ。英語教育の若年化が顕著で、国語がおろそかになっている。言語が失われた国は、国もなくなるということを聞いたことがあるが、そのうちに英語で思考する子供が増えて、いつしか日本語が滅びるかもしれない。その時に日本語で考え、伝えられてきた大切な文化までもが失われてしまう。言語だけではない、食文化も土地に残る風習も、便利さやつながりの希薄さに押されて沢山失われている。日本人としての生き方を誰も教えられなくなってしまう。だから、これも、自分のできる分野だけでも次世代にしっかりと伝えていかないといけない。
 
最後の3つ目は、どんな生き様と死に様を見せていくのか意識する。人間は、誰一人、例外なく死ぬのに、死ぬまでにどのように生きていきたいかを考えずに生きている人が多すぎる。家で看取っていた時代は、死ぬということが日常に組み込まれていて、その作法が伝わっていたのではないか。しかし、今や、死ぬ場所はほとんどが医療機関になり、医療機関で見る人の最期の姿は死への恐怖を駆り立てるものも多い。
 
コロナ禍も死への恐怖があるからこそこのような大きな騒ぎに発展していると思うし、このコロナ禍で、死に近づく人たちと接する機会がますます減って、さらに死への漠然とした不安は増していくだろう。
 
この体には必ず終わりがあって、終わりがあるからこそ、この人生で何をするのかということを意識できるのだということ、それを自分の生き方で、次の世代に見せていくしかない、そう思うのだ。
 
人生80年としたら、私は、既に折り返しに入っている。
 
これから、どこに向かっていくのか、どんなことをして生きていくのかが明確になった今、もう一度自分に必要なことを洗い出して丁寧に暮らしていこう。
 
方向が定まったら、あとはその方向を目指していくだけ。
 
どこにたどり着くかは、未来だけが、知っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

広島県在住。慶応義塾大学文学部卒。フリーライター力向上と小説を書くための修行をするべく天狼院のライティング・ゼミを受講。小説とイラストレーターとのコラボレーション作品展を開いたり、小説構想の段階で監修者と一緒にイベントを企画したりするなど、新しい小説創作の在り方も同時に模索中。

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2021-05-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.130

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