週刊READING LIFE vol.131

タバコは吸わないし、お酒もたまに飲むくらい。私も何かに依存していいですか?《週刊READING LIFE vol.131「WRITING HOLIC!〜私が書くのをやめられない理由〜」》


2021/06/06/公開
記事:中川文香(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
私が、たとえお金にならなくても何かものを書いている理由は、小さいプライドのせいかなと思っていた。
 
文章を褒められるのは嬉しい。
読んで「面白かった」とか「なんかじーんとした」と言われると、素直に “書いて良かったな” と思う。
私が一生懸命綴ったこの文字の羅列が、誰かの心に一瞬でも入ってくれたのだ、と考えるとたまらなく嬉しい。
けれどその反面、そういった言葉や「いいね」をもらうことに次第に慣れてしまって、「もっともっと」と欲しがる気持ちが膨れ上がっていったのも事実だ。
それが「もっと良いものを書こう」という方向に進めば良い効果になるけれど、「もっと褒められたい」という方向に進むと途端になにか感じが悪くなっていく。
 
「分かりやすくていいね」
と言われると、
“あれこれ考えて良かった”
と思うし、
「これ、私もそうかも」
と感想をもらうと、
“みんなが共感できるような内容に出来たんだ”
と思う。
 
その裏で、「頑張っているからもっと褒めて欲しい」「こんなにやっているのに、ここまでしか伝わらないんだ」という何とも言えないモヤモヤとした思いも育つようになっていった。
“もっと認めて欲しい” という自己承認欲求が、ぐるぐると黒い気持ちを巻き込んで喉元までせりあがってくるのだ。
それは、 “私はこれまで頑張って書いてきたし” というある種の自分の小さいプライドのせいだと思う。
そのプライドだけに支えられて、これまで色々なことを文章に綴ってきたのだろうと思っていた。
 
この小さなプライドはいったいどこから出てきたのだろうか?
 
子供の頃、読書感想文を書くのは苦手だった。
読書をした感想をメインに書くのだから読書感想文なのだけれど、私のはどうしてもあらすじになってしまう。
「ここを読んでこうだと思った」という感想を、自分の意見を、公の場に出すというのがとても苦手だった。
そのくせ、手紙や日記など、クローズドな場所で読まれる文章を書くのはとても好きだった。
手紙は、ダイレクトに自分の言いたいことを伝えることが出来る。
自分が書いた文章を読んで相手がそれについて反応してくれる。
私が書いたことを読んで、相手が喜んだり、一緒に怒ってくれたり、悲しんだりする。
国語は好きだったし、成績も割と良かった。
手紙や日記として文字を綴るのは好きなはずなのに、物を書くのは好きなはずなのに、どうして作文や読書感想文では褒められないんだろう?
作文のなんとか賞をもらう子を横目に見ながらいつも「いいなあ」と羨んでいた。
 
そんな子供のときの記憶が、文章を書くということへの憧れへと、私の知らないところでムクムクと育っていったのだろう。
 
文章を書くことについては羨ましがる立場であることが多かったけれど、嬉しかった記憶もある。
小学生の頃、たしか市の広報誌だったと思うけれど、先生から「学校の紹介を書いてみないか?」と言われた。
それはクラス皆が書くようなものでは無くて、私一人が頼まれたものだった。
とても嬉しかった。
400字詰めの原稿用紙を前にあれこれ考えて、鉛筆を走らせた。
先生に提出して、ちょっと赤が入って書き直しして、ようやく出来上がった広報誌に自分の文章が活字になって載っているのを見た時は、なんだかすごく感動して、誇らしい気分になった。
もしかしたらあれが、私の記憶がある内で最初の、文章に関する成功体験かもしれない。
 
それから、高校生の頃に小論文を褒められたり、大学生の頃にサークル活動で情報誌を作成して記事を書いたり、社会人になってから友人とサイトを立ち上げて取材記事を書いたり、文章を書くということに近づいたり離れたりしながらなんとなく過ごしてきた。
その積み重ねが、 “わたしはこれまで色々頑張って書いてきたし” という小さなプライドをせっせと育てることに繋がってきたのだろう。
書くのをやめられないのは、この小さいプライドを守るためだ。
だって、書かなくなったら私のこれまで書いてきたものは意味が無くなってしまうような気がする。
これまでやってきたことが、全て消えてしまうような気がする。
だから書くのをやめられないのだ、と思っていた。
 
けれど最近、それだけの理由でもないのかもしれない、と思うようになってきた。
 
では、どうして書くのをやめられないのか?
 
「分からない」というのが正直なところだ。
 
文章で人から良い感想をもらうと嬉しいし、ダメ出しをされるとへこむ。
 
他の人が書いた文章を読んで「面白い! 私もこんな風に書きたい!」と思うし、時には誰かと比べて「私の書くものはなんてつまらないんだろう」と悲しくなることもある。
 
考えていることを書きとめたくて、なんとか伝わるように文字にしたくて机に向かうけれど、ぴったりの言葉が思いつかなくて悔しくなる。
 
うんうん悩んでも良いネタが見つからなくて途方に暮れて、「私はなんてダメなんだ」と自虐モードからなかなか抜けられない時もある。
 
面白い人やモノと出会って、「これを分かりやすく誰かに伝えたい!」と一人静かに興奮することもあるし、「どうやったら今の感情を上手く伝えられるだろう?」と思いを巡らせて、しっくりはまる言葉を見つけた時には一人でニヤニヤする。
 
“書く” という行為を通して、自分の中にはこういったすごくたくさんの感情が眠っている、ということに気付く。
 
「もう書くのやめようかな」と何度も思ったことがあるけれど、褒められたり、なにか反応をもらうと「やっぱりやってて良かった」と思う。
 
“書く” ということ、 “文章を綴る” ということそれ自体がもたらす苦しさもたくさんある。
けれど、それによって知ったたくさんの自分の感情や、時々書き終わった時に感じる、すがすがしい感覚、さっと晴れた青空が眼前にばーっと広がっているようなあの感覚を忘れられなくて、気が付くとまた書いていたりする。
“上手く書けた” と言うと少し感じが違うのだけれど、何というか、自分の中にあるふわふわとした文字の塊、意識のかけらみたいなものを拾い集めて、色々考えてなんとかつなげたら、それが上手く流れていった、というようなあの感覚。
その感覚を一度味わったから、もっともっと、と思ってしまうのかもしれない。
辛いこともあるし、やめようと思ったこともある。
でも、なんだか分からないけれど、いつの間にかまた「書こう」「書かなきゃ」と思ってしまうのだ。
もっと良い感覚を掴みたい、あの気持ちをもう一度味わいたい、その感情が、書くことへ走らせる原動力なのかもしれない。
 
……もしかして、これは、ちょっとした中毒なのでは無いのか?
 
私はタバコは吸わないけれど、ニコチン中毒についてこんな話を聞いたことがある。
 
「タバコを吸うと気持ちがスーッとなって、イライラしていた感情が収まり、ストレス解消になる」
と言う喫煙者が多いけれど、実はそれは錯覚なのだという。
イライラするのはニコチンの離脱症状で、血中のニコチン濃度が下がることによって、落ち着きが無くなったり集中力が落ちたり、不快になったり、という状態になるそうだ。
その後タバコを吸って、ニコチンが供給されるとそのイライラが解消され、「タバコのおかげでストレス解消出来た」と感じてしまうということだ。
つまり、本当はタバコのせいでイライラさせられているにも関わらず、「タバコを吸ったからリラックス出来た」と勘違いする仕組みが出来上がっているのだと言える。
たとえその構造が分かって「禁煙したい」と思ったとしても、なかなかやめるのは難しいとも聞く。
脳がニコチンによって騙されて、依存状態になっているからだ。
 
……これはもしかして、私にもそのまま当てはまるのではないか?
 
何かものを書いているときは時間を忘れてパソコンと向かい合ってる。
書かない、書けないことが続くとなんだかちょっと不安になったり、心もとない思いがする。
自分の伝えたいことを上手に書けたと思うとスッキリする。
その時の気持ちを再び味わいたくて、「やめようか」と思ったりもするのにまた書いてしまう。
文章を書いて、それを表に出して、反応をもらうことがストレス解消になっている、と思い込んでいた。
けれど、実はパソコンに向かって脳を酷使するという、ストレス極まりない行為を乗り越えた上で書いた後のスッキリを味わっていたのだ。
“卵が先か、鶏が先か” みたいな話で「書くことは良い事をもたらしますよ!」と一概には言い切れない気がしてきた。
いや、とても怪しい。
脳にストレスを与えている、ということを理解していても、それでもやっぱり「なんか書かないとなぁ」と思ってしまう。
これは依存症と言って良い状態だろう。
 
でも、でも、依存症と言ったって実に健全な依存症じゃないか。
 
脳を酷使する、という意味ではもしかしたら健全ではないかもしれないけれど、ライティングはタバコやお酒のように、人体に直接的な害を与えるものではない。
周囲の人の体に害を与えるようなものでもない。
いわば究極の一人遊びだ。
自分一人で考えて、自分の脳みそを捻って絞って文字にして、それをひとつひとつ打ち込んでいく。
今のところ書くことによって私に何か被害が生じているわけでも無いし、特に不利益を被っている第三者がいるわけでもない(と信じたい)ので、実に平和な依存症だ。
 
どうして私はしんどい思いしても書くのをやめないのだろう? と思っていたけれど、そうか、ちょっとした依存症だったのか。
だから、「なんで書くのか?」「どうして書くのがやめられないのか?」という問いを自分に投げかけても、答えは「分からない」だったんだな。
だって、知らないうちに脳が依存状態に陥っていたのだから。
 
これからも、自分がなんで書くのか分からないまま、たぶん私は色々なことを書いていくと思う。
また「やめたい」と思ったり「楽しい」と思ったりすることを繰り返して、脳に新しい感情をインストールし、更に依存物質を増やしながら、書いていくだろう。
 
依存状態だと分かったけれど、別にやめなくてもいいや。
自分で「やめよう」と思えばいつだってやめられるしね。
タバコも吸わないし、お酒もたまにしか飲まない。
なにか一つ、依存するものがあったっていいじゃないか。
 
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
中川 文香(READING LIFE編集部公認ライター)

鹿児島県生まれ。
進学で宮崎県、就職で福岡県に住み、システムエンジニアとして働く間に九州各県を出張してまわる。
2017年Uターン。2020年再度福岡へ。
あたたかい土地柄と各地の方言にほっとする九州好き。
 
Uターン後、地元コミュニティFM局でのパーソナリティー、地域情報発信の記事執筆などの活動を経て、まちづくりに興味を持つようになる。
NLP(神経言語プログラミング)勉強中。
NLPマスタープラクティショナー、LABプロファイルプラクティショナー。
 
興味のある分野は まちづくり・心理学。

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2021-06-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.131

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