話せて書けなかった私が、もう一人の自分に出会うまでく《週刊READING LIFE vol.131「WRITING HOLIC!〜私が書くのをやめられない理由〜」》
2021/06/06/公開
記事:リサ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「私は誰でもない。私は名前で呼ばれない。奥さんとか、お母さんじゃなくて、私は何者? この先何をしたいの? 子供たちが巣立ったとき、私の手に何が残るの?」
母の日記を見つけて読んでしまったことがある。日記といっても、大学ノートに何ページ分か、このような走り書きがされているものだった。走り書きは、数週間続いて途切れていた。おそらく、書かずにはいられなくなり書き始め、いつのまにかやめてしまったのだろう。
殴り書きのような手書きの字に、とめられない思いがにじみでていた。
その日記には、こうもあった。
「もうあの人とは暮らしたくない! 無理! これ以上は無理!!!」
おそらく、祖母のことだろうと思う。
姑にあたる祖母と母の折り合いは悪かった。
当時、我が家は、3世代の同居生活で、母は、家政婦さんのような生活だった。祖母は厳しい人で、料理から掃除の仕方まで母のやり方に逐一口を出した。
私が、幼いとき、母と祖母は、よく声をあげて罵りあっていた。
台所のダイニングテーブルをはさんで向かい合った2人が、あごを前に突き出して声を発していた風景を覚えている。幼いながらに、動物園のライオンが威嚇しあうみたいだなと思っていた。
そんな彼女が、大学ノートに書きなぐった言葉。
「これ以上は無理!!!」
こうして書くことで、母はなんとか自分を保っていたのではないかと思う。
そんな母の娘で、祖母の孫である私も、当時は、子供ながらに苦しんでいた。
2階の母の寝室と、1階にある祖母の居間、どちらからも同時に名前をよばれて、階段の踊り場で泣き続けたこともある。
小学校にあがると、私も、ときおり、日記を書き綴るようになった。
ただの日記ではない。空想日記だ。
ノートは、キティちゃんの表紙だった。開いた中のピンク色の紙の一番上に、日付を書き込むところまでは事実だ。
たとえば、4月10日とその日の日付を書き込んだら、その先には、こんな内容が続いている。
「きょうは、イギリスのきぞくから、ぶとうかいによばれた。せかいでいちばんというステーキをたべた。南のしまのおおさまからおくられた、100まんえんのパイナップルとデザートもおいしかった。プールでおよごうとさそわれたけど、さいきんは、すぐつかれるので、じかようのジェットにのって、はやめにかえって、ねた」
ってな具合。
幼稚な表現だったが、自分が世界的なセレブで、特別な生活をしているという空想だった。
たえずギスギスしていた家の中で、日記の中の、もう一人の自分の世界に逃げ込んでいたのかもしれない。書いているときだけは、すべてを忘れて、とても幸せだったのを覚えている。
空想日記は、不定期だが、小学校の高学年になるまで続いた。
高学年にもなると、自分の地位が伯爵になっていて、公爵や男爵との恋愛やしがらみ、貴族の間での領地の統治にまつまるもめごとなども書き綴られており、日記の中の私も、現実の私も、どちらも大変そうだった。
いずれにしても、日記の中のもう一人の自分が、現実の自分を保つために必要だったのではないかと思う。
今、私は、再び、文章を書き始めた。
書かねばならないと思った。
書きたいという強い衝動があったというよりは、とにかく、このままではいけないと思っていた。そして、こうして書き始めてみると、やはり、自分を保つために必要だったのだと分かる。
アナウンサーという職業柄、人と話すことは多い。しかし、仕事で、自分自身のことを自由に話すことは少ない。「アナウンサーは、大衆の代表だ」と教えられてきたからだ。
大衆の代表として発言できるように、世の中の多くの人の喜びや悲しみに共感できる、そんな感覚を常に持つようにと言われてきた。
たとえば、天気がよくなれば、「今日は、絶好の洗濯日和、洗濯物がよく乾きそうですね」と言える感覚がなければならない。仮に、自分の部屋が乾燥機付全自動洗濯機で、ここ数年、洗濯を外に干したことなんてなくてもだ。
一方で、「ずっといい天気が続くといいですね」と言ってはならない。農作業をしている人々にとっては、雨もまた恵みの天候だからだ。
ミーハーであることも大切だ。
野球やサッカーなどのスポーツに全く興味がなかったとしても、世の中が熱狂していれば、その理由を理解しなくてはならない。
「私、興味ないんで」ではすまされない。
タピオカが流行った時には、「美味しい」と飲み、皆既月食が観られるとなれば、楽しみにする。
そうやって何事も意識して肯定しようとする作業を繰り返してきた。
世の中を広く知ることが出来る仕事ではある。
自分だけの興味に偏らず、日々のたくさんの情報に触れている。バランス感覚もそれなりに培われているだろうから、さぞや、たくさんの文章が書けるだろうと思っていた。
しかし、大間違いだった。
いざ、パソコンの前に座ってみると、まったく書けなかったのだ。
タピオカで2000字? どう逆立ちしても無理だった。
その答えは、ご想像のとおりである。はっきりいって、浅かったのだ。
ただ、広く浅かった。ぶっちゃけてしまうと、それらに対して、さして興味もなかったのだ。
それでも、話すことはできる。
「いいですね」「ご家族で楽しめますね」「甘いもの好きにはたまりませんね」
しかし、書くことはできない。
私は、いつのまにか、大衆の代表という言葉に甘んじて、自分の趣向で、ものを見ない生活をしていたのだ。何もかも受信するアンテナを持つことはいいことかもしれないが、何もかもそれなりにいいように考えるクセがついてしまい、自分が本当に好きなことや、嫌いなことに鈍感になってしまっていたのだと気づいた。
ふと、母の日記を思い出した。
「私は誰でもない。私は何者?」
自分自身をもっと実感したい。母の日記の心の叫びが、自分に重なった。
文章にするほどの強い思いを感じるにはどうしたらいのか、目を閉じて、胸に手を当てて、それを探すことからのスタートだった。
とはいえ、すっかり中年である。経験値も、凝り固まった価値観もある。心を動かそうにも、なかなか思うようにはいかない。
なぜ、日記をつけていなかったのだろうと思った。ときめきを重ねていた若い頃の感覚や感情が思い出せなかった。
だから、ちょっとでも心が動いたら、それを見逃さないようにした。
コーヒー一杯飲むときにも、ん? と思ったら、ん、ん、ん? と飲みまくった。飲んだあと調べて、うむ~~となって、さらに、また飲んだ。
少しでも、素敵だなと感じた人には、それだけで終わらせないようにしてみた。もう少し話しかけて、ネットで調べたりして、また話しかけたりした。
結局、興味が消えてしまうものもあったが、種火に、やさしく息を吹きかけるようにしていると、しだいに炎が大きくなるものもあった。
やがて、話せるだけで書けないことは、ふるいにかけられていき、書けることだけが、少しずつ文章になっていった。
そんなあるとき、私は気づいた。
それは、一本のにんじんについて書いているときだった。
にんじんの美味しさをどうやったら伝えられるかを考えているうちに、私が書きたいのは、にんじんそのものではないことがわかったのだ。
私は、にんじんをすすめたいのではなかった。
にんじんを食べたら、同僚が明るくなって、社内に活気がでたということを、書きたかった。コロナ禍で冷え切っていた人々の現実を書きたかったのだと気づいた。
そのとたん、瞬く間に筆がすすんでいった。自分の文章を一人でも多くの人に読んでもらいたいと思った瞬間だった。
それからは、何を書けばいいのか、どんなネタなら書けるのかを探す前に、自分の内面の欲求に向き合うようになっていった。
自分が、どうしたいのか、どう生きたいのかを考えた。
自分の内にあるものを書くことはとても難しい。
家族に対する感情や、亡くなった人への思い、生きることの意味…… 今更、掘り起こしてもなあという昔話を引きずり出すのも、簡単ではない。
しかし、なんとか文字にしようとすると、自分の中に眠っているそれらが少しずつ形になって表れて驚いた。
まるで、もう一人の自分に出会ったような感覚だった。
私が迷っていること、ほんとうに欲しているもの、望んでいるものを、書いているうちに文字が教えてくれることもあった。
そうして読み返してみると、私という人間の形に、太い輪郭がついていくような気がした。書いた文章は、いつのまにかお守りのようになった。
人は、言葉でしか、ものごとを考えられない。
「嬉しい」という言葉で、嬉しさを実感し、「辛い」という言葉で辛さを思う。しかし、声にしなければ、たいして実感もないまま消えてしまい、文字にしなければ、ほとんど記憶にも残らない。
書くことは、今、自分がこうして生きていること。自分が、自分の足でたっていることを記すことだ。普段は、顔をみせたがらないもう一人の自分に出会い、再び、彼女と手をとりあって歩んでいく作業なのだと、今は思う。
母の日記を再び思い出す。
「私は、誰でもない。私は何者?」
そう問いかけながら、母も、きっともう一人の自分と折り合いをつけて、前に進んでいたのだろう。
幼い頃の空想日記はどうだろう。
現実の自分とはずいぶんかけはなれていたが、そんな想像の世界の自分と仲良しだったことが、今となっては少しうらやましい。
書くことはまだはじまったばかりだ。
しかし、再び、相棒を見つける喜びを知った今は、生きていくために、生きていく限り、続けていきたいと思っている。
□ライターズプロフィール
リサ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
立教大学文学部卒。地方局勤務
文章による表現力の向上を目指して、天狼院のライティング・ゼミを受講。「人はもっと人を好きになれる」をモットーに、コミュニケーションや伝え方の可能性を模索している。
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