週刊READING LIFE vol.154

40代独身の娘が考える親不孝と親孝行について《週刊READING LIFE Vol.154 人生、一度きり》

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2022/1/10/公開
記事:吉田みのり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
人生100年時代と言われる現在、日本の平均寿命は女性は87歳、男性も81歳を超えている。
十数年前から介護業界に身を置いているのだが、そういう立場でお年寄りと接するときは、例えば担当する方が80歳だったら、「まだ若いですね」と思う。それはお世辞とか社交辞令とかではなく、心からそう思う。私をはじめ介護業界の人と関わるということは、何かしらご病気だったり事情があるわけなのだが、でも80歳くらいであれば、「まだまだこれからですね」と思う。
私は現在ケアマネジャーとして担当している方の年齢層は幅広く、50代前半から90代後半の方までいる。人数は少ないのだが50代、60代の方とも関わっているが大半は80代後半の方だ。常にお年寄りと関わっている身としては、70代なんてまだまだお年寄りの域には入っていないと思うし、私の感覚としては80代後半くらいからが「お年寄りの仲間入り」という感覚だ。
 
しかし、自分についてだったら?
私の「お年寄り理論」を自分の人生に当てはめてみたら?
それはまた別問題に思えてしまうのは、なぜだろう。
 
私は40代半ばとなり、人生の折り返し地点、もしくは人生の後半戦に入ってきていると思う。仕事では80歳を若いと思うのに、折り返しとか後半とか思うと、私も年を取ってしまったと焦る気持ちになってしまう。
その後半戦をどう生きるのか?
 
私は独身で一人暮らしをしている。
ごく一般的な(何を一般とか常識とするかは難しいが)、結婚をして、子どもを産んで、子育てをして……という人生ではない。
もともと結婚するつもりがなかったのかといえばそんなことはなく、ごく普通に結婚して子どもを産んで、子育てをして、でも仕事も頑張って、という人生を想定していた。
どうしてそうならなかったのか、自分でも不思議に思うこともあるし、ふり返ってみると男の人を見る目が少し足りなかったり、自分の意志がしっかりあるようで流されやすかったり、目の前のことしか見えていなかったり……、と反省し納得できる部分もある。
 
私の母は、典型的な昔ながらの「女の幸せとは、結婚して、子どもを産んで、子育てをすること」だと信じて疑わない人だった。今でもそう思っているのだと思う。
しかし、母の結婚生活はちっともうまくいかず、私の父は少々(かなり、かもしれないが)問題がある人だったため母は苦労していたし、結局離婚することになってしまった。
それでも、母の考えは変わらなかった。
それは時代背景や育った環境、母の性格などいろんな要因があるのだろうけれど、自分が失敗してもなお同じことを子どもに期待するのが不思議でならなかった。自分が信じていた幸せに失敗してしまったからこそ、それを母は私たちに望むのだろうか。母は私たち三人兄弟を産んで育ててくれ、それは幸せだと思ってくれているのは確かなのだろうとは思うけれど。
そんな母は、こんなことを書くと時代錯誤だと批判を受けそうだが、「女の子に学歴は必要ない」と思っていたし、仕事も「結婚までのつなぎ」だからと、そういう教育方針だった。そのわりにはテストの点が悪いと怒られたりしたが、大学へ行きたいと言ったら「短大で十分でしょ」と言われたのをよく覚えている。その当時もう20年以上前のことだが、学歴重視の風潮だった中で「女の子だから大学に行かなくていい」なんて言われている友人はほとんどおらず、やはり母は少し世間一般からずれているのかもしれない、と改めて思った。
そんな母だが、自分の価値観を押しつけつつも子どもの意志も尊重してくれていた。だから、大学へ行きたいというのも理解してくれたし、就職もサービス業を目指していたのを反対してはいたが、結局は応援してくれた。私は思春期にはもちろん反抗期もあったが、母の考えとは合わないと思いつつも大きな衝突もなく、一緒によく食事や買い物に出かけたりと仲良し親子だった。
 
しかし、20代から30代にかけては一時期母と心の距離ができてしまった。私の方が一方的に、なのだろうが。
20代後半ともなると、母は「結婚しないの」「子どもが産めなくなるわよ」などストレートに言ってくるようになった。母には悪気はなく、ただただ心配して言ってくれているのだが、友人たちに聞いてもそんなにあからさまに言ってくる母親はあまりいないようだったので、私の母は娘の気持ちをまったく理解してくれていないんだな、と悲しくなった。
4つ下の妹は28歳で結婚したのだが、なかなか子どもができなかった。そんな妹にも母は「早く孫の顔が見たい」と言っていた。
私は、妹に対して子どものことはあまり言わないようにしていた。実際、いくら姉妹、女同士とはいえ、子どもについて本心はどう思っているのか、できなくて悩んでいるのか、持たないという選択をしているのか、他に理由があるのかは聞きづらかった。しかし、あるときに私が妹にちらっと赤ちゃんについて話したことが妹の気にさわったらしく、そのことを母に愚痴をこぼしたらしい。そうすると母は「繊細な子なんだから、気をつけてあげて!」と言ってきた。普段私や妹が傷つく言動を平気でしているくせに、そして私も一応繊細で傷つくこともあるんですけど……と距離を取るようになった。
家族でも難しい問題は多いし、女同士はまたさらに難しいと思う。
 
 
母よりももっと上の世代、今私が関わっている80代前後の方たちは、母よりももっと時代背景から固定観念が強く、辛辣な言葉(発したご本人はそうは思っていないのだが)をいただくことも多い。
あまりプライベートな話はもちろん仕事で関わっているのでしないのだが、でもこちらは仕事とはいえ家庭内の問題、時にはなかなか他人にはしないであろうお金の話にまで首を突っ込まなくてはならず、「ところであなたは」と私自身について尋ねられることも多々ある。
まず年齢を聞かれ、このご時世マスクをしているため実年齢より下に見えるようで、年齢を答えると「そんなにいってるの?(これも悪気はない)」と驚かれ、その年齢からして結婚して子どもがいる前提で話を進められてしまい、子どもは女の子? 男の子? 何人いるの? 何歳なの? 働きながら子育ては大変ね! と矢継ぎ早に質問されてしまう。結婚していないこと、子どももいないことを説明すると、「どうして結婚しないの?」「どうして子どもを産まないの?」と必ず聞かれる。
この質問に傷つくとか怒りを覚えるというよりは、ただ困るのだ。だって自分でもわからないから。結婚も普通にできると思っていたし、子どもを持つこともできると思っていた。でも紆余曲折いろいろとあり、結果それは叶わなかった。これこれこういう理由です、と説明できるようなものは何もない。
だからいつも「どうしてでしょうねぇ」と笑ってその場をやり過ごすしかないのだが、そうするとそれ以上聞いてこない方もいれば、子どもを生んで育てることがどんなに素晴らしいことか、どんなに幸せなことか、それができないなんてかわいそうに……とまで言われてしまうこともあるし、そんな人生でいいのかと少し怒られてしまうこともある。
これも仕方がないと思う。戦中や戦後を生き抜いてきた方々は私には想像もできないような苦労をして生きてきたのだろうし、その時代背景で男性もそうだが特に女性は選択の自由はあまりなく当たり前に結婚して、家を守って、子育てをして生きてきた方ばかりだから。
ただ、そうやって私に「どうして結婚しないのか!」と言う方々の息子さんや娘さんが独身のケースも多々あり、驚く。そうなると、その息子さんや娘さんは私と同様に親の価値観を押しつけられて傷ついているのではないか、困っているのではないか、親子で心の距離がだいぶあるのではないか……と想像して、その娘さんや息子さんが同志のように思ってしまう。
もしくは、その方々は自分の子どもにはなかなか言えないが、他人の私であったら言えてしまうから、子どもに言えない分を同じような生き方をしている私を見つけたら糾弾せずにはいられず、自分と同じ幸せを子どもにも味わってほしかったのにと私に蕩々と子育て論や主婦論を展開してしまうのではないか、とも思う。
それならばそれで、私でストレス解消してもらって、実のお子さんとの軋轢に繋がらないのであれば、ある意味私もお役に立てているのかな、とか考えたりもする。
 
 
さすがに40代にもなり、母も「結婚しないの?」とは言ってこなくなった。あきらめたのか、昨年妹が結婚10目目にして男の子を出産して、初孫に夢中だから私のことは気にならなくなったのか、それはわからないが。
妹が男の子を産んだことで、家族の形が変化し、その子を中心に家族が集まるようになり、新しい関係性を築けている。母との心の距離も縮まり、関係性も昔の仲良し親子に戻れているのではないかと思う。

 

 

 

母が望んだ人生を生きられない私。
結婚して子どもを産む、家庭を守る、夫に養ってもらうのが母が信じる王道の幸せの形。

 

 

 

母が思う幸せの形以外に、子どもの頃から言われ続けていたことがある。
それは「いちばんの親不孝は親より先に死ぬことだ」と。親としていちばんたえられないことは自分の子どもの死に直面することなんだよ、と繰り返し言っていた。母の姉、私の伯母の子が5歳で病気で亡くなってしまったこともあると思う。しかし子どもの頃はその意味があまりわからず、じゃあ死ななければ犯罪者になってもいいの? とか屁理屈をこねていたが、大人になるにつれて理解できるようになった。
 
だから、母が望む人生を生きられなくても、孫の顔を見せてあげられなくても、私が一人で年老いていくのを心配させてしまっているとしても、今のところ元気に生きているということは、いちばんの親不孝はしなくて済んでいるということになる。
母が望んだ人生を生きてくれない娘は、母にとってはいちばんの親不孝と比べてどの程度の親不孝なのだろうか。それをこの先聞いてみるつもりはないし、聞く必要もないと思っているし、それを私が思い悩んだところでどうにかなるものでもない。
いちばんの親不孝はしていないということで許してもらい、これから先もいちばんの親不孝をしないように気をつけて、これから年老いて「お年寄りの仲間入り」をしていく母にできる限りのことはしてあげたい、それが私が唯一できる親孝行だと思っている。
母の望む人生は生きられなかったけれど、でも母が思うように生きてもその責任を母が取ってくれるわけではない。自分で自分の人生の責任を取るのしかないのだから、一度きりの人生、誰かが望んだ、型通りの人生ではなくて、自分自身で納得のいく人生を送りたいと思う。その境地にまだ到達できていないのが、今の悩みなのだが……。
 
私が自分で思う幸せな人生を生きられていることが母に伝われば、母があの世へ旅立つときに「これで良かったんだね」と思ってくれるという希望的観測をもって、まずは今年の反省と、2022年の目標を立てなくては、そして私ができる親孝行についても考えていこう、できることから始めていこうと思う、2021年の年の瀬だ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田みのり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

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2022-01-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.154

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