週刊READING LIFE vol.233

中国語しかスキルの無い私がドケチなマネージャーのいるホテルでバイトしたらこうなった《週刊READING LIFE Vol.233 フリーテーマ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/9/25/公開
記事:前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
今からかなり前の話で恐縮だが、わずか一か月半でサヨウナラしたバイト先があった。
 
私が採用されたのは、中国語が話せたからだ。地方の小さな港町にあるそのビジネスホテルには外国貨物船の船員さんが泊まることがあり、最近になって中国人船員の利用が増えているのだと面接で聞かされた。
 
だがフロント業務で採用になったのに、いざ仕事が始まると、大半がベッドメイクでその次がレストランのウェイトレスだった。この「メイドさん」と社内で呼ばれていたベッドメイクの仕事がヤバかった。季節は夏。朝っぱらから汗を滝のように流しながら部屋を清掃しても、人手不足で終わりが見えない。休憩時間はあってないようなもので、私と三人の専業メイドさんはひたすらシーツをはぎ、掃除機をかけてシャワールームに入り、今ベッドから引っぺがしたばかりのシーツでバスタブから床から便器までピカピカに拭き上げ(最初に見たときは目を疑った)、新しいシーツをピシッと敷き終えると、掃除用具の入ったワゴンをゴロゴロと押した。どんなに暑くても冷房禁止だったので、終わるころにはみんな汗だくでボロ雑巾のようになっていた。せめて着替えて帰りたいが「メイドさんはお客様に接しないので」というわけの分からない理由で、更衣室もロッカーも用意されていなかった。お客さんに見られないから、小汚くてもいいということだろうか。五十歳前後のメイドさんたちは「私たちはこの仕事が長いから、マネージャーのことは子どものころから知っているけど、ほんっっとうにケチに育ったもんだねえ。昔はもっと可愛かったのに」と、何かにつけてボロカスに言っていた。
 
ホテルを取り仕切っていた「マネージャー」はこのホテルグループの社長令嬢だった。雇われマネージャーではないからだろうが、筋金入りのドケチで、もちろん交通費は支給されなかった。だが一番ガックリきたのは、ベッドメイク中は時給が下がると後から聞かされたことだ。家に帰って新聞広告の求人折込チラシを見直したら、「募集:フロント業務」の下に小さく「※他の仕事をお任せするときもあります」と書いてあった。だが時給欄に書かれていたのはフロント業務の最低賃金だけ。そんなことは面接で言ってくれ!
 
このホテルではマネージャーとフロントチーフとサブチーフだけが正社員で、あとは全員パートだった。つまり実質的な仕事は、パートで回っていた。チーフ二人はマネージャーの手足となって働いていたが、ケチな上司を持つと何かとストレスがたまるといつも愚痴っていた。フロントチーフはバイトの初日、「通勤は自家用車ですか?」と私に聞き、「いいえ、電車です」という答えを聞くと残念そうな顔をした。メイドさんに話すと「車通勤の人はもれなく、自動車保険を会社指定の保険会社に変えさせられるからだよ。この会社、保険代理店もやってるから」と教えられた。
 
レストランでもマネージャーから細かな指示を受けた。カレーのオーダーが来たのでレトルトカレーを温めて、よくある銀色のあの器(グレイビーボートと言うそうだ)に注ごうとしたところ、「全部入れたらダメよ! 三分の一は残して冷めたら冷蔵庫にストックしておいて。二回分がたまったらそれを次のオーダーが入ったときに、まとめて鍋で温めてお出ししてね」と注意された。それからというもの、カレーの注文が入りそうになるたび、心の中で「別のにした方がいいですよ!」とテレパシーを送っていた。誰も受信してはくれなかったが。
 
ある日マネージャーから「今日は朝からレストランに入って接客して。中国人の方がいらしているから」と言われた。いよいよ出番が来た。だが背中を押されるようにしてお客様にお水とおしぼりをお出ししたところ、その人達が話していたのは韓国語だった。私が採用された理由が一瞬で消滅してしまった。接客をサボっていると思われても困るのでマネージャーに「中国じゃなくて韓国の方みたいです」と伝えたところ、私を一瞥してマネージャー室に消えていった。聞こえなかったに違いない。
 
英語以外の言語が話せるなら英語は前提として話せるはずだと思っている人がたまにいて、あるときフロントに立っていると、マネージャーが、「英語は話せましたよね」と唐突に言った。「いえ、英語は苦手……」と最後まで言い終わらないうちに、「ちょっとお客様が何をおっしゃっているか分からないから対応して」と受話器を押し付けられた。電話の向こうでは、英語ネイティブではない英語話者が「タワー! タワー! タワーはどこだ!」と連呼している。この町には神戸タワーや京都タワーのようなタワーはないが、寺ならたくさんある。だから仏塔の観光に行きたいのかと思って「どの塔に行きたいのですか?」と質問したら「No!」とブチ切れられた。「いいか、ゆっくり話すぞ。俺は今、シャワーを浴びた。シャワーを浴びると、体が濡れる。体が濡れたら、あなたはどうする? 『タワー』で拭くだろ? 分かるか? それが『タワー』だ。『タワー』はどこにあるんだ?」
……まさかタオルが客室に用意されてないなんて思いませんやん…………と顔から火の出る思いをしながら、リネン室に走ってタオル一式を届けたのだった。
 
こんなふうに、なぜかマネージャーがいるときに限って事件は起きていた。普段はあまり現場に出てこない人なのに。
 
ある日は内線電話を取ると、チェックインしたばかりのお客様の「責任者に代わって!」という怒号が飛び込んできた。マネージャーに伝えると、「お客様の人数分のコーヒーを入れて持ってきて」と私に言い置いてエレベーターに消えていった。コーヒーをお出ししながらお客様のお顔をそっと窺うと能面のように冷ややかで、飲み物に手を付ける気配もなかった。客室の座卓の下に髪の毛が落ちていたので部屋の掃除を頼んだところ、スタッフの対応がめちゃくちゃ感じが悪かったので大変不愉快である、という二重のクレームだった。
 
しばらくしてマネージャーがフロントに降りてきた。今度は私たちスタッフに雷が落ちるかと思っていたら、意外にさっぱりした表情だ。
 
「あの手のクレーマーっているのよねー。小さいことをさも大事件のように騒ぐ人。あんまり真に受けちゃダメよ」
 
耳を疑った。日ごろから人に厳しく自分に甘いマネージャーの言葉とは思えない。
 
「そうは言っても何も誠意を見せないわけにはいかないので、『次回、うちのホテルにお泊りの際は無料宿泊とさせていただきます』ってお伝えしたから、あとはよろしく。今回じゃないからね。次回だからね。今回の分はちゃんと全額いただいてね? 分かった?」
 
え? 今回の宿泊費の割引とか、お部屋のアップグレードとか、お食事券の進呈とか、せめてお飲み物サービスとか、そういうのは……?
 
「しないわよー。それはそれ、これはこれ。今回の宿泊費の対価はキッチリいただきます」
 
そうだった。マネージャーは売上アップと経費節減にすべての情熱を注ぎこんでいる人だった。今と違ってインターネットがなかったから、口コミなどに悪評価を書かれる心配もない時代のことである。どうやってご納得いただいたのか分からないが、さすがマネージャー、ドケチっぷりにブレがない! と、この話を聞いた全員が度肝を抜かれたのだった。
 
こんなこともあった。あるとき、サブチーフが電話を取ったが、なんだか様子が変である。
 
「はい、お忘れ物ですね。〇〇〇号室を本日チェックアウトなさった△△様ですね。え? はい? すみませんもう一度……え? ちょっとよく聞き取れなくて、申し訳ありません……は? お忘れ物ですよね? いび? え? ゆび? 指? ですか!? か、確認して折り返しお電話を差し上げますので、少々お待ちください!」
 
電話を切ったサブチーフは、こわばった顔で「お客様が、お部屋に、『ゆび』を忘れたっておっしゃるんですけど……『ゆび』って『指』ですよね? そうとしか聞こえなかったんだけど、指を忘れるなんてあり得ます?」と、私とマネージャーの顔を交互に見ながら言った。
 
「……まさか、あたまにヤのつく自由業の方が、昨日客室で指をお詰めになったんでしょうか……」
「……もしかしたら、以前に詰めてミイラみたいになった指を、捨てがたくて常に大事に持ち歩いていらっしゃるとか……どうしましょうマネージャー」
「わっ、私は知らないわよっ! サブチーフ! あなた、電話を受けた人間が責任もってちゃんと確認してきなさいよっ!」
 
ホテルの忘れ物は、お客様からご要望があった際にはお送りすることになっている。
 
サブチーフはしぶしぶ「……じゃ、じゃあ僕が行ってきますんで、フロントはよろしくお願いしますねっ!」と恨みがましく言うと、客室階行きのエレベーターのボタンを押した。
 
数分後、エレベーターのドアが開いた。手のひらに、筒状の透明のケースを大事そうに持っている。
 
「……指でした」
 
怖い怖い怖い怖いでも見たい!
やや食い気味で覗き込むと手のひらサイズのプラスチックケースの中に綿が敷いてあって、その上に第二関節から上の人差し指のような指が入っていた。いや、正しくは「義指」だったのだが。
 
「……お客様は指に欠損があって、その指に装着する義指を忘れたってことだったんですね」
「それならそうと、電話口でおっしゃってくれればいいのに……『指! 指!』ってそればっかり大声で連呼されるから、僕が動転しちゃったんですよ……」
「……大変でしたね」
「おまけにメイドさんからも怒られましたよ。掃除に入ったらこれがベッドサイドテーブルに置いてあって、本物の指が入っているのかと思って腰を抜かしそうになったって。でもそんなの僕のせいじゃないし……」
 
ブチブチ言うサブチーフに向かってマネージャーは、
「はいはい、じゃあお客様にお忘れ物の送付をお願いね。ちゃんと着払いよ? 分かった? 忘れ物はお客様の責任ですからね」
と、どこまでもお金のことしか関心がないのだった。
 
マネージャーのいる日に合わせて起きる何かしらの事件に少し慣れてきたころ、やっぱりここは辞めようと決心するできごとが起きた。とうとう私にもマネージャーから、「あなたの家族全員の自動車保険を、うちの会社の取り扱っている保険に掛け替えなさい」と業務命令が下ったのだ。もちろん、家族には家族の付き合いや仕事上の必要があって保険会社を選んでいるし、そこまで指図されるいわれはない。こんな会社に仕える義理はないぞと、一気に気持ちが覚めてしまった。
 
今月末で辞めさせてくださいと伝えると、意外にもあっさりと受理された。それから月末までの間、ホテルにあまり長居をしたくなくて、朝6時からお昼過ぎまでの勤務を終えると社食も食べずにホテルを出た。従業員は一食100円を払えば、賄いという名の、実際には数日前の日替わり定食の小鉢の残りなどが提供されていた。だがこのホテルのある町はご当地ラーメンが有名だったので、仕事帰りにいろんなラーメン屋を渡り歩いていた私は、社食をほとんど利用していなかった。
 
辞めるにあたりメイドさんから「給与明細をもらったら不審な点がないかよく見るんだよ。そして自分が出勤した日にちをちゃんと控えておくんだよ。実際の出勤日より少なくカウントされることがよくあるからね。辞めてしまう人の場合は、なおさらよく確認するんだよ」としつこく念押しされた。
 
辞めてから振り込みがあり、給与明細が送られてきたのでさっそく自分の記録と照合した。すると社食の代金が丸々一か月分、つまり31日分が給料から差し引かれていた。メイドさんの予言は当たっていた。
 
ホテルに電話を掛けるとフロントチーフが出た。電話の理由を話すと、確認して折り返し連絡しますと言われ、翌日に返事が来た。「間違えて処理してしまったの。ごめんなさいね」と謝罪されたが、従業員は各自が壁に張った「社食利用表」の自分の欄に、社食を利用する日には出勤直後に丸を付け、しなければ×を付け、休みの日にはマスに斜め線を入れるというシステムになっているのに、どうして31日分食べたことになっているのか分からない。一か月の間一日も休まず働く人などいないだろうに。これも多分、マネージャーの指示なんだろうな。フロントチーフは追って不足分を入金すると言って電話を切ったが、それにしてもケチすぎて呆れた。 一か月半で辞めたアルバイターだから何も言ってこないだろうと思ったのだろうか。いや、私は言うけど。
 
当時のことを思い出したついでにホテルの名前も思い出したので、ネットで検索してみた。すると意外なことに、どの宿泊予約サイトを見ても軒並み高評価である。当時の従業員で残っている人はいないだろうが、同族経営という形態は変わっていないらしい。外資系ホテルをはじめとする新しいホテルが次々と周囲に立ち並び、コロナ禍でダメージを受けたにもかかわらず、倒産もせず、買収もされなかったのだ。この数十年間で、あのホテルに一体何があったのか。
 
マネージャーは当時30歳と聞いた覚えがある。それならまだ、ホテル運営に携わっている可能性は十分にある。「ここまで高評価のホテルに成長させたのは、何か人生が変わるような大きな『事件』があったからですか? それとも、ドケチ道をひたすら歩み続けた成果でしょうか」などと伺ってみたいものだ。何しろ彼女は、『事件』を呼ぶ女だったから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

広島県生まれ。
黒子に徹して誰かの言葉を日本語に訳す楽しさと、自分で一から文章を生み出すおもしろさの両方を手に入れたい中日翻訳者。

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2023-09-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.233

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