週刊READING LIFE Vol,95

逃げるから未来と向き合える《週刊READING LIFE vol,95「逃げる、ということは」》


記事:和田誠司(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※この物語は事実に基づいていますが、登場人物や社名などは架空のものです。
 
 
みんなにも理想があるように、僕、榎田にも理想がある。
「欲しいなをみんなの手に」
僕はこの理念に惹かれて、新卒でマーケティングのベンチャー企業である、プリズムコーポレーションに入ることに決めた。
大手からの内定はいくつかもらったものの、どの会社もおじさんから言われたことをただ黙って言われたとおりにやる会社に思えて、未来を感じなかった。
それらに比べて、プリズムには世界を変えていく勢いがあった。既存の発想に囚われない自由があるように思えた。
僕は入社する前のインターンシップで、ものすごくワクワクした。
プリズムの人たちは、本当によく仕事をしていた。社長の半田の理念に共感して集まり、世間の王道には従わなかった人たちが、既存のマーケティング手法をぶち壊しいこうとするエネルギーは相当高かった。
「あー早く正社員として、働いてみんなの戦力になりたい」
純粋だった僕は、初めてのおもちゃをもらった子供のように目を輝かせていた。
自分の未来はきっとここにあると信じて疑わなかった。
それがまさか……。僕は理想ではなく、社会の厳しさという現実を知ることになる。
 
プリズムは採用者の説明通り、新卒社員のときからバシバシ仕事を任せてくれた。
おかげで、最新のマーケティング手法をたくさん学ぶことができた。仕事ができるようになるとまた大きな仕事を任せてもらうようになった。急成長のベンチャーを肌で体感し続けることができた。
「おい榎田! このクライアントの提案を明日までに考えてくれ!」
「はい、和田さん了解しました! まだ、20時ですから徹夜でなんとかします! 結構でかい案件ですね! 取れたら面白い流れがまたできますね」
「榎田、取れたらじゃない! 必ず取るぞ!!」
「はい! やらせて頂きます!」
プリズムでは、こんなやりとりがよく起きていた。
毎日、てっぺんを越えて深夜まで仕事をしていた。ベンチャーらしく、定時退社など都市伝説だった。土日も関係なく仕事の依頼が来ていた。丸一日休めたことなど、1年間まったくなかった。それでも仕事は楽しかった。いや楽しいと思えないとやっていけなかった。僕はこの会社で本当は何がやりたいのか、見えなくなり始めていたが、それから逃げていた。
上司の和田さんは、毎日遅くまで働く新人たちの面倒を良く見てくれていたので、なんとか乗り越えていた。成長していたので、分かりやすい成果の方に没頭するようにした。
 
入社1年ほど経ったころから、僕はそこから失敗を続けてしまった。毎日遅くまで働いていたので、細かい失敗をたて続けにしてしまった。ミスがミスを呼び起こしてしまい、どんどん仕事が回らなくなってしまった。それに、2年目ということで、後輩の面倒も見ないといけなくなり、より仕事が回らなくなってしまった。新人育成は好きでは合ったが、余裕のない日々をこなしていた。
 
ちまたでは居酒屋が忙しそうにお酒を運んでいる頃、和田さんがいつもの調子で仕事を運んできた。
「おう、榎田調子はどうだ?」
「いや正直回ってないですね。2年目になってやることが多すぎて、それに、ミスも続いてしまって、トラブル対応に追われてまして……」
「そうかー、それは大変だな。今度また話を聴くよ」
「ありがとうございます!」
「それは、そうと今からこのクライアントの提案を考えてくれるか?」
「あ。もう21時ですよね」
「そうだが、それがどうした?」
「あ、いえ、その。普段ならできるのですが、今はちょっと、新人育成のこととか、トラブル処理のこととかで、ちょっと」
「ちょっとなんだ? できないのか? そんなに忙しいのか? 正直に言ってみろよ」
僕は和田さんが少しイライラしているのを感じたが、優しい和田さんならきっと聞いてくれるはずだと思い、勇気を出して言ってみることにした。
「すみません。今はちょっとできないで……」
言い終わる前に和田さんが切れた。
「お前ふざけているのかー! 俺だってな、去年クソ忙しい中、お前ら新人の面倒を見てたんだよ! お前2年目になって相当たるんでるんじゃないか! ちょっと締めてやらないとな。お前覚悟しろよ」
ひきつる私をよそに、和田さんはカンカンに怒ったまま、自分のデスクに戻った。僕の心は戸惑いと裏切られたことに対するショックだけが残った。和田さんはそんなことは気にもしていないだろう。いや、プリズムにいる人みんなかな。ここには、理念を追求する心しかいらないらしい。
 
それからの和田さんは、豹変した。徹底的に、僕のことを管理し続けた。ちょっとミスをするだけでも、原因と対策を考えるように求められた。ただでさえ少なかった僕の睡眠時間は、日に2~3時間になってしまった。それでも仕事が減ることはなかった。
「勘弁してくれ、もう無理、転職をしよう」
という僕の心の声は
「すみません。できない僕ですみません。もっとがんばりますから許してください」
に変わってしまった。
僕はある日の朝、ベッドから立ち上がることができなくなってしまっていた。和田さんに報告のメールをしようにも、身体がまったく動かなかった。
僕は初めて無断欠勤をしてしまった。その日のお昼ごろ、和田さんが鬼の形相をして、僕の家を訪ねてきた。
僕はボサボサの格好をしたまま、和田さんを迎え入れ、事情を説明した。
「もういい、今日は休め! ただし明日から会社に来いよな、仕事が山のようにたまってるぞ! そんなんじゃいつまで経っても、理念は実現出来ないからな!」
僕は生返事をしたが、和田さんが家を出た後、頭痛が止まらなくなってしまった。そして、次の日、その次の日も会社を休んでしまった。その度に和田さんは、僕の心を無視して連絡をし続けてきた。
「さすがに、やばいな」
僕は精神科に通い、ほどなく退職をした。
 
後から聞いた話だが、辞めた同期全員が、和田さんのパワハラを受けていたらしい。会社もそれを黙認していた。むしろ、和田さんを怒らせた僕たちが悪いということになっていた。
会社説明会で聞いた理想と現実の間には大きい溝があった。あの会社に僕が託せる未来はなかった。
 
退職をして僕はしばらくの間、現実から逃げるようになっていた。未来を考える時間が好きだったので、未来系の記事や漫画を読んで空想を膨らませて、妄想をしては現実から逃げていた。僕がやりたいことを探すことに逃げていた。とにかく現実を見たくなかった。
「未来ロボットのドリエモンの世界がもっと早く実現しないかなー。そのためには、どんなことが必要かなー」
毎日こんなことを考えていた。
インターネットで、「未来 社会」と検索をしてみた。
「Society 5.0? なんだこれ? 総務省がやっていることかどうせくだらないことだろう」
と思って調べてみると、ワクワクが止まらなくなった。
「なんだこれおもしれー! あれ、僕はまだワクワクできるんだ!」
プリズムに入る前のワクワク感を覚えた。
僕はそこから、夢中になりSociety 5.0のことを調べまくった。どうやら、Society 5.0は未来学という未来を考える学問の専門家が構想したものらしい。それを総務省が主導となり、推し進めているとのことだ。僕はありがたいことにSociety 5.0を作った未来学の教授の講演を聴く機会も得ることができた。
 
講演を聞きに行くと、教授は早口で未来のテクノロジーの進化とそこから起きる未来の社会像を話してくれた。
僕は夢中になって、メモを取り続けた。でも、一番良かったことは、教授が講演会の最後に言ったことだ。
 
「皆さんドリエモンは知っていますよね? あの漫画は1970年代に描かれましたが、あの時代は日本に未来があったんです。アメリカは、70年代の日本を見て、未来学というものを作りました。日本には未来を想像し、創造する力がある、このままではアメリカが危ないと。だから、私の専門である未来学は漫画から生まれたものなんです(笑)。
でも漫画も馬鹿にできない、今未来を語っている漫画がありますか? そうないんですよ。今みんな未来を見たくないんですよ。みんな日本に未来がないとおもっているんですよ。悲しくないですか? こらから、私達は未来を考える同士です。みなさん一緒により良い未来を考えて、実現していきましょう! 本日はありがとうございました」
 
僕は、しばらく興奮して、その場を動くことができなかった。
僕の大好きなドリエモンは、本当に日本を、世界の人々を未来へと運んでいるんだ。あのずんぐりむっくりとしかわいいフォルムをしながら、やっていることはクールだな。
「僕もみんなを未来に運んでいきたい。ドリエモン、ありがとう。僕がやりたいことが見えてきたよ。もう逃げないぞ、やるぞ!」
丸い手が僕の背中を押してくれたような気がした。
 
僕は初めに生活費を稼ぐために、フリーランスのマーケッターとして働くことにした。プリズムのことが有ったので、会社に勤めるのはできなかった。
プリズムのマーケティング手法のおかげで、生活には困らなかった。僕はフリーのマーケッターとして、働きながら未来学の勉強は続けていった。
未来学の勉強を続けたおかげで、いろんな知識が増えていった。人に伝えたい気持ちが芽生えてきた。
クライアントに未来学の話をしてみると、意外に受けがよかったので、僕は勇気を出して、イベントを開催することにした。
「未来学×マーケティング~未来を見据えたマーケティングとは?~」
開催してみるとびっくり! なんと50名の人が集まってきたのだ。その中から僕の思いに強く共感してくれる仲間がいたので、そいつらと一緒に会社を起こすことにした。
理念は「未来のあなたが求めるものを、今のあなたに運び届ける」事業のコアは「未来学×マーケティング」だ。
 
会社は順調に成長して、5年目を迎えるようになった。急拡大はいつでもできるが、私はそうならないように調整をしている。もうプリズムのような経験を誰にもさせたくないからだ。事業の将来を感じてくれる人も多くいるが、さらにベンチャーでは珍しくワークライフバランスを取れることも、評判となった。おかげで、いい人材が来てくれて、潰れる心配はほとんどしていない。
今振り返ってみると、あのとき和田さんから、プリズムから、いや現実から逃げて本当に良かったと思う。
世間的には
「逃げる=恥、弱者、悪、怠け者」
そんなイメージがあるが、僕はそうは思わない。
逃げたければ逃げればいい。逃げるということは、生命維持装置が働き、次に向けた体制を整えようとしているのだ。要は未来に向けた準備期間ということだ。
僕が現実から逃げている間、未来を構想する準備ができたのだ。それがなければ今の生活はとてもできていなかった。もしかしたら、自殺をしていたかもしれない。
だから、人間には、逃げるという準備期間が、必要な時期もあるのだ。僕は今の社員たちにもそのことを伝えている。
 
僕が運ぶのは人を苦しめるような、人の心を無視した仕事じゃない。本当の意味でみんなが欲しているものをみんなに運んでいきたい。本当にみんなが求めていることは、安心とか希望とか人の心に関することじゃないだろうか。プリズムで苦しんでいるとき、誰もその心を運んでくれなかった。今の日本にはそんな人が多くいるだろう。それを未来に残さない。僕は未来には、もっと希望に溢れた楽しい社会を作っていきたい。
きっと僕はこれからもみんなに人の心を運ぶために、働き続けるのだろう。逃げたことで、準備は整った。さぁ、行動し続けよう。今の僕たちならなんでもできそうだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
和田誠司(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

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2020-09-07 | Posted in 週刊READING LIFE Vol,95

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