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週刊READING LIFE Vol,97

藝大声楽科に通う大学生が、2年間で2回も声帯結節になった話 《週刊READING LIFE vol,97「また、お前か!」》


記事:岡 幸子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「また、手術しなきゃいけないかも知れない」
 
8月下旬、夜遅く帰宅した息子の言葉にお皿を洗う手が止まった。
ここ数週間、喉の調子が悪く、病院へ通っていた。
なかなか良くならないので、別の専門医に診てもらったところ、内視鏡による診察で、大学2年生の秋に手術で切除した声帯結節がまたできているのがわかったという。
手術からまだ2年もたっていないのに、また結節?
 
「術後の定期健診で、問題なしと言われていたんでしょう?」
「検診は半年に1回だったし、その病院では問題なしなんだよ。今日診てもらった先生によると、前の手術で奥の方のでこぼこが取りきれていなかった可能性があるって。声帯って筋肉だから、写真に写る表面だけじゃなくて、奥の方もつながっているんだよ。僕の場合、その奥がでこぼこしているせいで完全に閉じなくて、息がもれるらしい。そんな状態で、がんがん歌いすぎちゃったせいで、前の方にもまた結節ができたみたいなんだ」
「また手術になったら……また、何カ月も筆談生活?」
「あー、もう信じられない! 歌手はだいたいみんな結節になるんだよ。でも、しばらく歌わなければ治るんだ。前のときも、1カ月喋らかったのに結節がなくならなくて仕方なく手術になったんだよね。その後、リハビリを半年やったから、本格的に歌を再開してまだ1年ちょっとしかたっていないのに……こんなに弱い喉じゃ、プロとしてやっていけないかも知れない……」
 
ひとしきり話すと、息子はものすごく暗い顔をして自分の部屋へ行ってしまった。
大学を卒業したら歌で食べていくつもりなのだ。プロとして通用しないかもしれない、そんな風に考えたら暗くもなるだろう。しかも、来月にはコロナ禍で延期された本番が、ステージで一つ、リモートで二つ控え、数カ月後には卒業試験がある。練習も必要だ。その間、声帯を使えば結節は悪化してしまうだろう。気が沈むのも無理はない。
 
息子は、高校3年生の夏までは、理系の国立大学を目指す普通の男子高校生だった。
夏休みの始めには飛行機に乗って志望校のオープンキャンパスにも行き、大学の寮も見てきた。それが夏の終わりになって突然、夜、自宅で仕事中の私に志望校変更を伝えにきた。
 
「やっぱり、藝大の声楽科を受けたいんだけど」
「そんな、ピアノも習ったことがない人が藝大なんて受かるわけないじゃない。みんな小さいころから先生について猛特訓してくるんでしょう?」
「器楽科はそうだよ。声楽科も女声は受かるのが難しい。でも、男声は、声が完成するのが30歳くらいだからチャンスがある。声変わりで受験までに練習できる年数が少ないせいで、高校生くらいから始めても追いつけるんだよ」
「将来はどうするの」
「ミュージカル俳優を目指す」
 
普通の親なら仰天するところだが、そのときの私の気持ちは「ああ、やっぱり」だった。
息子のミュージカル好きは、私と夫が子連れでしょっちゅう観劇に行っていたせいに違いない。
胎教のつもりはなかったが、息子は誕生する2カ月前に、私のお腹の中で劇団四季の「ライオンキング」を体験した。生まれた後も、ライオンキングだけで7,8回は観ているだろう。
劇中に登場する動物のヌーが気に入って、ヌーの役者さんたちにファンレターを書いたこともある。車で移動するときは、いろいろなミュージカルのサウンドトラックがBGMとして流れ、自然と歌好きになった。小学校で合唱を始め、高校の合唱部の定期公演では、率先してミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」を上演した。
 
歌は、上手かった。
合唱指導の先生から「藝大受けないの?」と言われたこともあった。
でも、家族の誰もピアノを習ったことさえなく、音楽教育とは無縁の我が家だったので、藝大は夢物語にすぎなかった。息子自身もそんな危なっかしい道には進めないと考えていたのだろう。
当たり前だ。
俳優など、なれるかどうかもわからないし、なれたとしても将来に何の保証もない。
息子は、そのことを自分の人生としてよくよく考えたに違いない。その上で、やっぱり藝大へ行きたいと思ったのだ。覚悟の上の決断だろう。
 
「志望校を、東京藝術大学音楽部声楽科に変えたいってことね」
「うん」
「今の成績じゃあ、どっちみち国立現役合格は無理だと思ってたから、一浪まではサポートしてあげる。それでダメだったら、普通の大学受験に戻ってね」
「声楽科は、私大でもいいところがあるんだけど……」
「ちょっと、待って」
 
私は、目の前のパソコンで私立の音楽大学の授業料を検索した。
医学部並みか、それ以上の金額が書いてあった。
 
「さすがに、これは出せないなぁ。国立大学ならどこに入っても授業料が同じだからいいけど、私立の音大はお金持ちが行くところだよ。うちはそういう家じゃない」
「……」
「あなたにもし、本当に歌の才能があるなら、きっと藝大に受かるでしょう。そうじゃなければ、俳優になるのはとても無理だと思うけど」
「わかった。藝大だけ受ける」
「なら頑張って。応援するよ」
 
そうは言ったものの、応援に何が必要なのか、そのときはまるでわかっていなかった。
1月にセンター試験を国語と英語で受けた後、2月から3月にかけて実技試験が合計4日間あり、歌やピアノや筆記試験など、多くの課題に取り組む必要があった。
実技対策の最低ラインとして、声楽とピアノそれぞれの専門家の個人レッスンを受ける必要があった。幸い、高校の合唱部顧問の先生の紹介で、そのつてはあるという。ピアノも、高校の音楽室に何台かあるので、借りて練習するから買わなくてもいいという。
そんなものかと思って息子任せにしていたら、声楽の先生に最初に会いに行った日の夜、帰宅するなり泣きだした。
 
「玄関開けたら『一人で来たの?』って驚かれた。次は親と一緒に来てって」
「ええーっ、今日は一緒に行くべきだったの?」
「そんなのわかんないよ」
「何か歌ってきた?」
「ううん。知ってる歌曲はあるかって聞かれて、正直にないって答えたら、ものすごく不機嫌になって今日は歌わなくていいって」
「そうかぁ。美術選択で音楽の授業受けてないから合唱曲しか知らないもんねぇ」
「『君なんか教えたくないけど頼まれたらから仕方ない』、『最低一年半はかかるよ』って言われた。あと、イタリア語の基礎を教える気はないから、次くるまでに先輩に聞くなりして、歌えるようにしてこいって」
「次っていつ?」
「二週間後」
 
この夜、私にとってまだ絵空事だった藝大受験への覚悟がようやくできた。
じつは、このときまで心のどこかで、「やっぱり普通の大学を受ける」と言い出すことを期待していたのだ。数日前、センター試験の願書の受験科目を書いている息子を見たとき、「また気が変わるかも知れないから、とりあえず5教科受験で申し込んだら?」と口先まで出かかった言葉をなんとかのみこんだのだった。応援するとか言いながら、心の底では普通の大学に行って普通の人生を送ってほしいと期待している……それが本音だった。
 
親子関係は、親と子が同じボートに乗るかどうかで大きく変わる。
子供が小さいうちは、有無を言わせず親のボートに子供をのせているから、手はかかっても目的地でもめることはない。子供が少し大きくなると、同じ目的地に向かって一緒にオールを漕いでくれるようになって助かる。楽しい時期だ。
子供がもっと大きくなると葛藤が生まれる。
それでも、目的地が同じなら、ボートの中で争っても大したことはない。
大変なのは、子供が親と違う目的地に向かおうとしたときだ。親子が打ち消し合い、どっちにも進めなくなってしまう。我慢しきれず、ボートから飛び降りて泳ぎ始める子もいるだろう。子離れを自覚して、親がボートを降りて子供の進路を見守る位置に引くこともあるだろう。
私は、ミュージカル俳優へと進路を変えた息子の新しいボートを見守ってはいたが、少し前まで一緒に乗っていた普通の人生コースのボートからまだ降りていなかった。同乗者のいないボートの上で、彼が戻ってくるのを待っていたのだ。
全然、応援していなかった!
 
息子の新しいボートに飛び乗って、彼がオールをこぐのを助けなければ。沈没するかもしれないけれど仕方ない。親の願いと違っても、彼が選んだ人生だ。
 
覚悟ができて最初にやったのは、Amazonでイタリア語の辞書を注文することだった。
一緒に合唱部顧問の先生に藝大受験の心構えを聞きに行き、声楽科2年に通う先輩に援助を頼み、ピアノの先生のご自宅まで挨拶に行った。銀座へピアノタッチの電子ピアノを買いにも行った。
 
そうして迎えた、声楽の先生宅への再訪問。
親として、音楽家に弟子入りする作法もわきまえていなかったことを丁重に詫びて、レッスン室で息子がイタリア語の曲を歌うのを見守った。
 
「待って」
ほんのワンフレーズ歌っただけで止められた。
 
「合唱とは歌い方が違うんだよ。ビブラートをかけて」
息子はすぐに修正して歌ったが、また止められた。
 
「息の吐き方が違う」
「支えをしっかり」
「もっと息を流して」
言われた通りに歌い直せる様子に驚いた。こんなことができるのか!
 
「この言葉の意味は?」
「ここはどう解釈した?」
いつの間にか質問が深くなっていた。この二週間、イタリア語を猛勉強していた姿を思い出す。
 
「よく、勉強してきたね」
挨拶から一時間後、険しかった先生の表情は別人のようにやわらいでいた。
 
「半年で受かったら君のためにならないけど、もし半年で受かったら、それは入学した方がいい。頑張りなさい」
先生の言葉を横で聞いて、私は目頭が熱くなった。この場に立ち会えたことを感謝した。
息子のボート、案外いけるかもしれない……親バカ全開でそう思った。
 
大方の予想を裏切って、息子は現役で合格した。
入学してわかったことは、藝大でも声楽科は現役合格率が高いことだった。
そして、他大学も含めた同年代の男子の中には、すでにプロとしてミュージカル俳優の実績を積んでいる人や、事務所が売り出そうとしている人もいた。アマチュアでも何かしていないと、卒業してから動き出したのでは手遅れのようだった。
ミュージカルサークルで公演をしたり、友達とコンサートを開いたり、学園祭で歌ったり、息子の大学生活は充実して見えた。楽しい盛りの2年生の夏、喉の調子が悪くて耳鼻咽喉科を受診し、声帯結節であることがわかった。喋らず歌わず、1カ月様子をみたが改善しない。完治には手術しかないということだった。
手術にはリスクが伴う。
全身麻酔が失敗すれば命にかかわるという説明も受けた。
デリケートな声帯にメスを入れたことが原因で、元と同じようには歌えなくなる可能性もあると言われた。
結節があってもそのまま生活することもできる。そうすると、声帯が完全に閉じないため息がもれ、高音が出ないなど歌うことにデメリットがあるのだった。
歌を仕事にするなら、リスクをとっても切る必要がある。
それが息子の決断だった。
 
無事に手術を終え、喉の絶対安静期間を経て元の声が戻ったときは、心底ほっとした。
リハビリを忠実に行い、定期健診も欠かさず行っていたはずなのに。
 
コロナ禍で、2月から大学での授業がなくなった。
飲食店でのバイトもなくなり、外出自粛期間はずっと家にいた。
大学最後の4年生の授業がオンラインになってしまったのを残念がりながら、オペラからポップスまで、がんがん歌い過ぎてしまったようだ。動画を見て、曲が流れると歌ってしまう。練習も大好きで時間を忘れて歌ってしまう。それがいけなかったのか。
7月に喉の調子が悪くなり、風邪かと思っていたのが長引くので医者を変えた。
プロの歌手を何人も抱えるその医者の見立ては、手術で手前の結節は切除できたが、その奥にあるでこぼこが邪魔をして、声帯が完全に閉じない。無理をして歌うから結節が手前にもまたできてしまったというものだった。自分が執刀するから、即切った方がいいという。
 
声帯結節は、ペンだこのようなものだ。使い過ぎると誰でもなる。
使わなければペンだこが自然に治るように、普通の人はしばらく歌わなければ結節になっても治るものだった。
息子は息を吸うように歌ってしまうらしい。
休息がとれないのに歌うから再発した。もっと声帯をいたわる必要があったのだ。歌バカにもほどがある。自分でその加減がわからなければ、確かにプロは無理だろう。
あるいは、今回の再発に懲りて、この先気をつけるようになっていくのか。
 
9月の最初の本番まで、家では極力喋らないようにして、息子は筆談生活に入った。
2回目の本番の前は、「少し使って慣らさないといけない」ということで、ぼそぼそ喋ったりした。
どちらの本番も、私には結節のあるなしがわからない歌声だった。
3回目の本番を前に、息子は少し明るくなった。
 
「歌ったら悪くなるだけかと思ったけど、昨日受診したら少し良くなってたよ。すぐに手術はしないで、もう少し様子を見た方がいいって」
「そのまま、良くなるといいんだけど」
「奥のでこぼこがなくなることはないだろうから、結局、切ることになるかも知れない。
でも、大丈夫かも知れない」
 
そう、大丈夫かどうか未来のことはわからない。
 
現役で藝大に受かったときは、息子のボートの進路は正しく見えた。
将来、プロとしてやっていけない喉であっても、このボートに乗って後悔はないだろう。
運よく望み通りの道に進めたとしても、成功し続けるのは難しい。売れている役者さんは数えるほどしかいないし、コロナ禍が明けたとき、ミュージカル界がどんな姿に変わるかもわからない。
 
きっと、どこまで行っても子供のボートに同乗した親は、ハラハラするしかないのだろう。
まあ、それが人生だ。
そして我が家はみんなハラハラドキドキのストーリーが大好きだ。
 
そういえば、息子は『タイタニック』が大好きで、DVDを繰り返し観ていたっけ。
親はいつかはいなくなる。
 
息子よ、自分のボートが沈没しても、ヒロインのようにぜひ生き延びてほしい。
どんなピンチにも絶望することなく、立ち向かってほしい。
 
そのとき私は空の上にのぼっていても、君の人生を見ていたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
岡 幸子(おか さちこ)(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京都出身。高校教諭。平成4年度〜29年度まで、育休をはさんでNHK教育テレビ「高校講座生物」の講師を担当。2019年12月、何気なく受けた天狼院ライティング・ゼミで、子育てや仕事で悩んできた経験を書く楽しさを知る。2020年6月から、天狼院書店ライターズ倶楽部所属。

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2020-09-28 | Posted in 週刊READING LIFE Vol,97

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