週刊READING LIFE Vol,97

毎月のあなたの存在が教えてくれたこと《週刊READING LIFE vol,97「また、お前か」》


記事:琴乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「琴乃さん、ズボン汚れてますよ」
 
初めて働き始めた20代初めのことだ。仕事が終わり、同じ職場の人達数人で食事に行くことになり目的の店に歩いていたときのことだ。
 
私の後ろを歩いていた男の先輩が、耳元でさり気なく、「私のズボンが汚れている」と教えてくれたのだ。私は思わず振り返ってお尻のところを見た。
 
その日は、買ったばかりのお気に入りの白いズボンを履いていたのだが、お尻の下辺りに赤いシミが付いていた。
 
(また、あんたか)
 
私は情けなくて泣きそうになった。二十歳を超えた良い大人なのに、服を汚してしまうなんて。しかも、自分では気が付かなくて男の人に指摘されるなんて。
 
私の生理はいつも周期とは無関係に突然やってきた。その日だって、予定日ではなかったはずだ。だから白い新しくかったズボンを着て出社したのだ。店につくとすぐにトイレに駆け込んだ。その夜は食事や会話なんて楽しめるはずもなく、憂鬱な気持ちで時間を過ごした。
 
こんな事は珍しいことではなかった。量が多い日は、シーツや下着が汚れたり、急いでいるときに限って、トイレの時に経血で便器を汚してしまうこともしばしばあった。
 
当時、働き始めてすぐの20代前半、生理は妊娠するために大切なこととは分かってはいたけれど、楽しみにしていた旅行や遊びに影響するし、不快な感覚でなんとも言えない特有の匂いも嫌だった。洋服も気にしなくてはならないし、私にとって煩わしい、楽しみを阻害するものとしか受け取れなかった。

 

 

 

数年後、そんな私に変化が現れる。あれだけ煩わしいと思っていた生理だが、早く来てほしいと思うようになる。
 
「生理が遅れているの……。妊娠したかもしれない」
 
不安で押しつぶされそうになりながら、当時お付き合いしていた人に打ち明けた。
「え? そうなの? もし、そうなら、遠慮せずに教えて。お金出すから」
 
お金って、何のお金だろう。妊娠したとしたら、もっと話し合うべき事があるはずじゃないか。でも彼は、私の意向などまるで無視で、中絶するという前提で勝手に話を進めた。
当時、私は20代半ばだった。もしも妊娠していたとしたら、結婚して子供を生むという選択肢もあったはずだ。
 
結局、生理が長い間来ず、妊娠していたらどうしようと不安でたまらなくなり、産婦人科に妊娠かどうかを確認しにいった。
 
検査の結果、妊娠してはいなかった。おそらく不安で不安でたまらなかったら、精神的にも不安定で生理が来なかったのだろう。妊娠していないとわかってしばらくしてから生理が来たのだった。
 
その時、かすかだけれども私の中で声がした。
 
「お願いしても避妊もしてくれない人、妊娠したかもしれないと言うと、話し合う余地もなく、子供は堕ろすと決めつけるろくでもない人とは別れたほうがいいよ」
 
なのに、私は自分から別れを切り出せずにいた。だが、彼との関係はそれ以来ぎくしゃくして自然消滅してしまった。
 
「それでよかったのよ」
 
とまた小さな声が聞こえた。

 

 

 

30代になって、私は転職した。会社の期待を裏切らないようにとがむしゃらに働いた。海外のオフィスとのやり取りもあった。日本の夕方から、ヨーロッパのオフィスが開く。だから何時になってもメール受信が途切れない。いつも仕事は締め切りに追われていて、終電で帰ることも度々あった。転職と同じ時期に結婚したが、夫も家事に協力的だったので、結婚しても働き方は変えないと自分で決めていた。女子だから、結婚しているからと仕事のしかたを変えることはしたくなかったし、そう周囲から見られたくなかったのだ。
 
だが、それはそんなに容易いことではなかった。生理の周期は定期的になったが、今までそんなに気にならなかった生理痛が徐々にひどくなり、痛すぎて仕事に集中できないほどになっていった。その痛みはまるで子宮をギュッと内側から握られるようなそんな痛みだった。痛みが酷い時はまっすぐ立つことすらままならなかった。
 
薬で痛みをごまかしてなんとか出社しても、集中力も上がらないし、ミスが起き、仕事のパフォーマンスも明らかに違う。不快感はもちろんだけれど、それ以外にも血流が悪くなっているのがわかり、肩こりやむくみや冷えがひどくなった。婦人科検診の結果、子宮筋腫があることがわかった。幸いすぐに手術を要するような種類のものではなかったが、それも生理痛の悪化と関係していたようだった。
 
それだけではなく、生理の前のPMS(月経前緊張症)も目に見えるようにひどくなっていった。生理前は眠くて眠くてしかたがなくなり、家に仕事を持ち帰っても、夕食後は体が動かなかった。そして、精神的にはイライラして涙もろくなったり、孤独感がひどくなったりした。ひどい夫婦喧嘩が頻発するのは決まってこのときだった。
 
せっかく見つけたやりがいのある仕事。男の人みたいにバリバリ仕事をしたかった。しかし思うようにはならなかった。まさに、生理が来る毎に足かせをはめらたような気持ちになった。

 

 

 

仕事にも結婚生活にも慣れてきた頃だった。高齢出産のボーダーラインと言われている35歳を目前にした時、子供が欲しいと思うようになった。妊娠できるように努力してみても、私の生理は毎日きっかり予定日にやってきた。そうやって1年ほどが過ぎた。高齢というのもあるし、もしかしたら不妊症なのかもしれない。自分の生活をもう一度振り返ってみた。もし不妊症だったら治療するのかどうするかも考えてみた。ネットで調べてみたところ、治療は経済的にも精神的にも負担が大きそうだった。
 
「もし不妊症だったら、治療はしないようにしよう。子供は諦めよう。これ以上、自分にストレスを与えたくない。仕事だけで、体も限界まで酷使しているし、精神的にも十分なストレスを抱えているのだから」
 
そう私の中で声が聞こえた。
 
当時、仕事には慣れて来てはいたものの、仕事の量は減ることはなかったし、職場の人間関係でストレスがあったのは確かだった。だから妊娠できないのかもと考えた。それ以来、ストレスを軽減するために、音楽を聞いたり、アロマのマッサージを利用したりと自分がどうすればリラックスできるかを考えて、セルフケアの時間を取ることを始めた。
 
不妊治療専門の病院に行こうと思っていた矢先、妊娠検査薬で妊娠していたことがわかった。だが、その数日後に出血があった。慌てて病院に行くと、まだ心拍はあるが、流産になりかけている可能性があるため安静にするようにと言わた。そして、妊娠を継続させるためにホルモン剤を投与された。その後はお腹に宿った息子の命を守るために、無理はしないで安静にしようと決めた。おかげで大きなトラブルはなく、私は無事に息子を出産した。

 

 

 

近年、生理についてタブー視しないで、リアルな現実を受けいるべきだという世の中の動きが見える。スゥエーデンの生理用品メーカーlibresseのCM(制作はイギリス)では、通常CMではよく使われる青い液体の変わりにリアルな赤い液体を使っていたのは衝撃的だった。だが、それが真実なのだ。
 
また韓国のナトラケアという生理用品ブランドのCMでは、「つらくてイライラする。何を着ても不安。決して爽快なんかじゃない。何もしたくない。それが生理」と生理の女子のありのままの本音が飛び出す。
 
生理用品も日々改良されている。だが、生理のつらさ自体は変わらない。そして生理はどの女性にもあることで、タブー視されるべきでない。そういう現実をCMを利用して性別に関わらず知ってもらえるようになるのは素晴らしい動きだと思った。
 
私は、もうすぐ50歳で、更年期を迎えようとしている。これらのCMを見たのを機に自分の生理についても振り返ってみた。
 
気がつけば、初めて生理が始まって以来もう40年近くが経とうとしている。出産後も比較的定期的に来ていた生理だったが、今年の初夏くらいからだろうか、いつもよりも間隔が空いてきているように思えてきた。同じ年の友達の中では、ほとんど生理はなくなってしまった人もいる。私もそろそろ終わりに近づいているのかもしれない。もしかしたら、もう気が付かないうちに終わったのかもしれない。そう思えてきた。
 
なんだか、寂しい気持ちになった。それは、妊娠ができなくなったらとか、女としてもう終わったような気がするとかそんなものではない。40年近くも私のところに毎月やってきて、時には遅れてきたりして、私に大切なメッセージを送り続けてくれたあなたにもう会えないと思えたからだ。
 
そしてそのメッセージは一貫していた。
 
「自分を大切にしなさい」
 
ということだった。若い頃に「妊娠したかもしれない」というと、付き合っていた人から、中絶するという前提で話をされた時もそうだった。
 
30代、転職後、がむしゃらに働いていた時も、頑張ることが美徳とされていた昭和の時代に育った私は、自分の身体や心を犠牲にして、会社に認めてもらうために身を粉にして働いていた。けれど、一ヶ月に一回、生理前のPMSや最中の生理痛のため、否が応でも期間限定で仕事のペースを落とさざるを得なかった。それは、頑張りすぎて、疲労やストレスで身体やメンタルを壊してしまわないために必要なことだったように思えた。
 
妊娠したくても、なかなか妊娠できないときもそうだった。ストレスケアが必要なことを教えてくれた。
 
むしろ、私の生理は、私自身も気が付かない、かすかな私の中にある身体や心の本当の声や、ときには悲鳴を拾って、その存在で一生懸命メッセージをおくり続けてくれたのではないかと思えてきた。
 
「自分を大切にする」
 
分かってはいるけれど、家事、仕事、子育てに追われる日々では、自分から意識しないと自分をケアする時間や気持ちの余裕がないのが現実だ。生理は40年かけて、私にその重要性を教え続けてくれていたのだ。そして、生理が完全に終わってしまった後も、ちゃんと一人で自分の体と心を尊重して余生を送れるように私に仕向けてくれていたように思えた。
 
これからは、あなたが来なくても、あなたのメッセージを忘れないように生きていきたいと思う。一人で不安ではあるけれど、辛くなったら、自分に無理しているなと思ったら、あなたからのメッセージを思い出すようにしようと思う。
 
次いつあなたに会えるのかわからない。もしかしたら、もう会えないのかもしれない。だから今、あなたに伝えたい。
 
「長い間、大事なことを教え続けてくれてありがとう」
 
と。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
琴乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

昨年天狼院書店のライティング・ゼミに参加。その後、同書店ライターズ倶楽部にて書くことを引き続き学んでいる。

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2020-09-28 | Posted in 週刊READING LIFE Vol,97

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