心と身体の再起動スイッチ

被虐待経験を持つ女性が”言葉を紡ぐ”ことで涙を流した時間《“治す側”から”治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》


2025/11/24/公開

 

記事:内山遼太(READING LIFE公認ライター)

 

※一部フィクションを含みます。

 

「泣いたら、怒られるから——」彼女はそう言って、長い間、涙を封じてきた。声を出さず、感情を抑え、ただ生き延びてきた。けれど、ノートに言葉を綴るうち、手が止まり、涙が零れた。それは、悲しみではなく”自分を取り戻す”ための涙だった。

——

 

彼女が私のもとを訪れたのは、三十代半ばの時だった。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断を受け、長年カウンセリングを受けてきたが、なかなか症状が改善しないという。

 

初回の面談で、彼女は静かに座っていた。背筋を伸ばし、両手を膝の上できちんと揃え、表情を微塵も崩さない。その姿は、まるで人形のようだった。

 

「今日は、どんなお気持ちですか」と私が尋ねると、彼女は少し考えてから答えた。

 

「特に、何も感じません」

 

その声は、平坦だった。抑揚がなく、感情が削ぎ落とされていた。

 

カルテには、彼女の生い立ちが記されていた。幼少期から十代にかけて、継続的な虐待を受けていた。身体的な暴力、精神的な支配、そして感情の否定。

 

「泣くな」「笑うな」「怒るな」——彼女は、感情を表に出すことを禁じられて育った。

 

感情を表出すると、暴力が待っていた。だから彼女は、感情を殺すことを学んだ。悲しくても泣かない。嬉しくても笑わない。怒っても黙っている。

 

「平静でいること」が、彼女の生存戦略だった。

 

けれど、感情を抑え込み続けることは、心を壊す。押し殺した悲しみ、怒り、恐怖——それらはどこにも行かず、心の奥底に溜まり続ける。やがてそれは、フラッシュバック、不眠、過覚醒といったPTSD症状として現れる。

 

彼女もまた、その苦しみの中にいた。

 

カウンセリングでも、彼女は感情を表さなかった。カウンセラーが「今、どう感じていますか」と尋ねても、「わかりません」としか答えない。表情も乏しく、声も小さい。

 

これは「停電」の一つの形だった。停電とは、心身の機能が一時的に失われ、感じる・考える・動くといった活動が停止している状態を指す。彼女の場合、「感じる力」そのものが、長年の抑圧によって完全に遮断されていた。

 

感情が停電すると、人は生きていても「生きている実感」を持てない。喜びも、悲しみも、怒りも感じられない。ただ、無感覚のまま日々を過ごす。

 

それは、生き延びるための適応だった。けれど同時に、彼女から「人間らしさ」を奪っていた。

 

 

作業療法の導入を決めたのは、カウンセリングだけでは彼女の心が開かないと感じたからだった。

 

言葉で感情を語ることが難しい人には、別の表現方法が必要だ。絵を描く、粘土をこねる、音楽を奏でる——そうした非言語的な活動を通して、抑え込まれた感情が少しずつ解放されることがある。

 

最初のセッションで、私は様々な画材を用意した。絵の具、色鉛筆、クレヨン、パステル。

 

「今日は、絵を描いてみませんか。何を描いてもいいです。上手に描く必要もありません」

 

彼女は戸惑った表情を見せた。「何を描けばいいですか」

 

「何でもいいですよ。今、心に浮かんだものを」

 

彼女は長い間、白い画用紙を見つめていた。そして、茶色のクレヨンを手に取り、小さな丸を描いた。それだけだった。

 

「これは何ですか」と尋ねると、彼女は首を横に振った。「わかりません」

 

次の週も、また次の週も、彼女は小さな形を描くだけだった。丸、四角、線。それ以上のものは描けなかった。

 

ある日、私は別の提案をした。「絵を描く代わりに、言葉を書いてみませんか」

 

彼女は少し興味を示した。「言葉、ですか」

 

「ええ。詩でも、日記でも、思いついた単語でもいい。ただ、言葉を紙に書いてみる」

 

彼女は小さく頷いた。

 

私はノートとペンを渡した。「誰にも見せる必要はありません。あなただけのノートです」

 

彼女はノートを受け取り、じっと見つめた。

 

 

最初の数週間、彼女はほとんど何も書かなかった。ノートを開いても、一行か二行。「今日は曇り」「疲れた」——短い言葉だけが並んでいた。

 

けれど、私は急かさなかった。「書けた分だけで十分です」と伝え続けた。

 

一ヶ月が過ぎた頃、彼女が少し長い文章を書いてきた。

 

「朝、目が覚めた。また一日が始まる。何のために生きているのかわからない。でも、生きている」

 

その言葉を読んで、私は何かが動き始めたことを感じた。

 

次の週、彼女はこう書いていた。

 

「誰かに必要とされたい。でも、どうせ私なんか」

 

その文章は途中で終わっていた。

 

「この続きは?」と尋ねると、彼女は首を横に振った。「書けませんでした。書こうとすると、苦しくなって」

 

「大丈夫です。書けるところまでで十分ですから」

 

数週間後、私は彼女に新しいテーマを提案した。「今日は、『小さい頃の自分』について書いてみませんか」

 

彼女の表情が強張った。「小さい頃、ですか」

 

「ええ。どんなことでもいい。覚えていること、感じていたこと」

 

彼女は不安そうにノートを開いた。そして、ペンを握った。

 

長い沈黙。

 

やがて、彼女の手が動き始めた。

 

「小さい頃の私は、いつも怖かった」

 

その一行を書いた瞬間、彼女の手が止まった。

 

「怖かった、怖かった、怖かった」

 

同じ言葉が三回、繰り返された。

 

そして、彼女の目から涙がこぼれた。

 

「私、泣いてる……」

 

彼女は自分の涙に驚いたように、頬に触れた。

 

「泣いたら、怒られるから。泣いちゃいけないって、ずっと我慢してきたのに」

 

涙は止まらなかった。ポロポロと、ノートの上に落ちていく。

 

「でも、今は誰も怒らない。泣いてもいいんですよね」

 

「ええ、泣いていいんです。ここでは、誰もあなたを怒りません」

 

彼女は静かに泣き続けた。そして、また言葉を書き始めた。

 

「小さい頃の私は、いつも一人だった。誰も助けてくれなかった。でも、あの時の私に、今の私が言ってあげたい。『大丈夫だよ。あなたは生き延びたよ』って」

 

その言葉を書き終えた時、彼女は深く息を吐いた。

 

「初めてです。あの頃の自分のことを、ちゃんと思い出せたの」

 

これが「再起動」だった。再起動とは、停電していた心身の機能が、少しずつ回復し始める過程を指す。長い間封じ込められていた感情が、言葉を通して解放される。涙が流れることで、凍りついていた心が少しずつ溶けていく。

 

完全に癒えるわけではない。けれど、「感じる力」が、ほんの少しだけ戻ってきた。

 

 

その日から、彼女の書く言葉が変わっていった。

 

短い文章だったものが、少しずつ長くなった。一行だったものが、一段落になり、一ページになった。

 

ある日、彼女が書いてきた文章には、こう記されていた。

 

「今日、公園で子どもが笑っているのを見た。その笑顔を見て、私も少しだけ温かい気持ちになった。感情って、まだ私の中にあったんだ」

 

別の日には、こう書いていた。

 

「雨の音を聞いていた。昔は、雨の日が嫌いだった。暗くて、冷たくて。でも今日は、雨の音が心地よかった。少しだけ、優しく聞こえた」

 

感情が、少しずつ戻ってきていた。

 

涙は痛みの終わりではなく、感情の再接続の始まりだった。

 

長い間、彼女は感情を「危険なもの」として封じ込めてきた。感じることは、傷つくことだった。だから、何も感じないように生きてきた。

 

けれど、人間は感じるために生きている。喜び、悲しみ、怒り、恐れ——それらすべてが、生きている証だ。

 

言葉を書くことは、「自分を再構築する行為」だった。

 

バラバラになった感情の断片を、言葉という形で拾い集める。そして、それを文章として紡ぐことで、自分の物語を作り直す。

 

「あの時、私は傷ついた」と書くこと。それは、その傷を認めることだ。

 

「でも、私は生き延びた」と書くこと。それは、自分の強さを認めることだ。

 

そうした言葉の積み重ねが、彼女を少しずつ癒していった。

 

半年後、彼女は詩を書くようになった。

 

「凍りついた心」というタイトルの詩には、こう記されていた。

 

「長い冬が終わり 

少しずつ氷が溶けていく 

流れ出す水は 

涙の形をしている 

でも、もう怖くない 

この涙は 

私が生きている証だから」

 

その詩を読んで、私は深く感動した。

 

 

作業療法士として、私が大切にしているのは「安全な表現の場」を提供することだ。

 

虐待を受けた人は、自分を表現することを恐れている。表現すると、拒絶される。否定される。傷つけられる——そんな体験を繰り返してきたからだ。

 

だから、まずは「ここでは何を表現しても大丈夫」という安全な環境を作る必要がある。

 

言葉を書くことは、その安全な表現の一つだ。

 

誰にも見せる必要はない。批判される心配もない。ただ、自分の内側にあるものを、言葉として外に出す。

 

その過程で、抑え込まれていた感情が少しずつ解放される。

 

彼女の場合、それが「涙」として現れた。

 

涙は弱さの証ではない。それは、感じる力が戻ってきた証だ。

 

一年後、彼女は作業療法を卒業した。

 

最後のセッションで、彼女は私に一冊のノートを見せてくれた。最初のページには、「今日は曇り」という短い言葉。最後のページには、長い詩が綴られていた。

 

「このノートは、私の再生の記録です」と彼女は言った。「最初のページの私と、最後のページの私は、全然違う。感情を取り戻すって、こういうことなんですね」

 

彼女の顔には、穏やかな笑顔があった。

 

「先生、ありがとうございました。言葉が、私を救ってくれました」

 

その言葉を聞いて、私は深く頷いた。

 

言葉が、彼女を再び「生きる方」へ導いた。

 

 

人は、言葉で自分を理解する。

 

「私は悲しい」と書くことで、自分が悲しんでいることに気づく。

 

「私は怒っている」と書くことで、自分の怒りを認識する。

 

「私は傷ついた」と書くことで、その痛みを受け入れる。

 

書くことは、自己理解の第一歩だ。

 

そして、自分を理解することが、癒しの始まりになる。

 

彼女は今、自助グループで自分の体験を語るようになった。同じように虐待を受けた人たちに、「あなたは一人じゃない」と伝えている。

 

そして、毎日、日記を書き続けている。

 

「書くことが、私の生きる力になっています」と彼女は言う。

 

言葉が、彼女の人生を再び動かした。その瞬間を、私は忘れない。

 

涙を流すことを許された日。それは、彼女が自分を取り戻し始めた日だった。

 

 

※本文における用語の定義

 

停電: 心身の機能が一時的に失われ、感じる・考える・動くといった活動が停止している状態。統合失調症においては、幻聴への恐怖から「声を出す」という基本的なコミュニケーション機能が遮断され、世界とのつながりが断たれた状態を指す。

 

再起動: 停電していた心身の機能が、少しずつ回復し始める過程。完全な回復ではなく、音を出すことから始まり、声を出し、言葉を発するという段階的な変化を通じて、コミュニケーション能力が徐々に戻ってくる過程を意味する。

 

❏ライタープロフィール

内山遼太(READING LIFE公認ライター)

千葉県香取市出身。現在は東京都八王子市在住。

作業療法士。終末期ケア病院・デイサービス・訪問リハビリで「その人らしい生き方」に寄り添う支援を続けている。

終末期上級ケア専門士・認知症ケア専門士。新人療法士向けのセミナー講師としても活動中。

現場で出会う「もう一度◯◯したい」という声を言葉にするライター。

2025年8月より『週刊READING LIFE』にて《“治す側”から”治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》連載開始。

 

 

 

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2025-11-24 | Posted in 心と身体の再起動スイッチ

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