【プロローグ】まっすぐな恋愛って何ですか?《正しい不倫のススメ》
記事:江島 ぴりか(READING LIFE公認ライター)
「あなたは、まっすぐにすすんでね。お願いだから」
いつもの古い座敷のある居酒屋で、650円の定食ランチをつつきながら、
同僚の加奈子(仮名)はボソッと、でもしっかり私をけん制するような口調で言った。
私と加奈子は同じ四十路半ば。
彼女は子どもが大好きで、保育士をしていたこともある。本当なら早く結婚して子どもを産んで、今頃は……と望んでいただろうが、なかなかいい縁にめぐり合えなかったのか、最近はもう諦め始めた、とこぼすようになっていた。
私は、さほど子どもを持つことに執着はしていなかったが、生涯共に生きるパートナーは絶対に欲しいと思っていた。
だから、ネットのマッチングサイトも試したし、お見合いパーティーやバスツアーにも一時期はよく参加していた。おかげで、デートしたり連絡を取ったりする相手は、比較的コンスタントにいたのだが、どの男性とも結婚には至らなかった。「男は釣った魚にはエサはやらないものだ」とはよく言われるが、その頃の私はその言葉にうなずくことばかりで、出会いを求めて活動することに疲れ果てていた。
ビビビッとくる相手には出会えないまま、いたずらに年を重ねた者同士、二人きりになると「最近どう?」とか「あの彼とはどうなったの?」という話になる。
ほぼ同年代の他の同僚たちが、職場で毎日我が子の話で盛り上がっている中では、こんな恋バナはできない。
晩婚・嫌婚時代の最先端を行く仲間として、加奈子は唯一、ぶっちゃけられる相手だった。
だから、わざわざ言うことでもないのだけれど、彼女には隠したくなかった。
いや、そのときは、誰でもいいから、ただ話したかっただけかもしれない。
私にとって人生初めての経験で、初めて、人ではなく社会に対して罪悪感を抱いた。
でも、それと同時に、何とも言えない高揚感や、すごい秘密を手にしたときのような興奮もあった。これまで見聞きしてきた、いろんな情報や考えや感情が一気にわぁっと押し寄せてきて、自分の気持ちが抑えられなくなっていた。
元カレとはもう完全に終わった、と報告した後に、
「実は、家庭のある人に、言い寄られてて……」
と打ち明けた。
加奈子は「えっ?」と小さく声をあげてから、
「付き合ってるの?」
と聞いてきた。
「いやいや。何もないよ。ちょっと迫られているだけ」
笑いながら、私は予定通りうそをついた。
だって、これは生まれたばかりの秘密だから、まだ全部は教えたくない。
それに、控えめでどちらかというと奥手そうな加奈子は、不倫なんて軽蔑するに決まっている。
そこまでは想定内だったが、彼女の次の言葉は、ちょっと意外な表現だった。
「まっすぐにすすんでね」
そのときはそこで終わった。
しかし、彼女のセリフは、私に大きな問いを投げかけた。
〝まっすぐ〟というのはどういう意味なんだろう?
不倫が〝まっすぐ〟じゃないならば、〝まっすぐ〟な恋愛ってなんだろう?
妻子のある人を好きになったのはそれが初めてだったけど、
じゃあ、それまでの私は〝まっすぐ〟に恋愛をしていたのだろうか?
私が今、その既婚男性に感じている気持ちは〝まっすぐ〟じゃないのだろうか?
わかってる。
加奈子が言いたかったのは、道徳的、倫理的に反することはダメだよ、という意味だったのだろう。
確かに、一生添い遂げると誓った相手がいるのに、他の人と付き合ったりしたら、責められたり非難されるのはわかる。結婚がまっすぐに続くバージンロードだとしたら、不倫は裏道や抜け道を使ったり、見つからないように回り道したりして、コソコソ会う関係だ。〝まっすぐ〟というイメージじゃないだろう。
でも、何時間もPC画面を眺めながら、あるいは、バスの中で交換したプロフィールカードをにらみながら、
年齢、婚姻歴、学歴、収入、身長、趣味、特技、休日の過ごし方、そしてもちろん見た目……なんて事を細かくチェックしている私、
この人はアリ、ナシ、まぁ……キープかな? なんて頭を高速回転させながら、初めて会った男性たちをジャッジして順位をつけている私、
そんな自分の姿を思い出すと、とても〝まっすぐ〟な気持ちで相手と向き合っていたとは言えないように思った。
いいな、と思ってしばらく付き合った男性もいたけれど、本当に好きだったんだろうか?
たぶん、好きだったんだろう。
彼の安定した仕事とか、趣味のサーフィンとか、日焼けした肌が。
もしくは、外国語が話せることとか、持ち家があることとか、気前よくごちそうしてくれるところとか。
でもそこに、純粋な愛情はあったんだろうか?
本当に好きなら、〝エサ〟がもらえなくなっても気にならないはずだ。
彼が何もくれなくても、何もしてくれなくても、一緒にいるだけで、楽しくて幸せなはずだ。
好きな人のそばにいることが、一番の〝エサ〟なのだから。
いいや、違う。
本当は、たくさんの愛情をもらっていたのに、私が勝手にがっかりしていたのだ。
婚期をとうに過ぎたんだから、結婚するなら誰よりもいい相手としたい。
ほら、待っていたからこそ、こんなにすてきな男性と結婚できたんだよ! と自慢してみたい。
自分はそんなことを考える女じゃない、と思っていたけれど、実際はコテコテの理想の結婚相手を頭の中にこしらえていて、それは年齢とともにますますゴージャスになっていた。
誰かと付き合い始めても、その結婚相手像と合わなければ、どんどん減点していく。しかし、理想通りだった部分は決して加点されない。だから、付き合えば付き合うほど、どんな相手も限りなく0点になってしまう。
こんなバカバカしいことをしていたなんて。
こんな失礼なことをしながら、男性と形だけのお付き合いをしてきたなんて。
本当に好きな人と出会って、結ばれたいだけなのだ。
今のところ、そういう相手と出会えないから、結婚できないだけなのだ。
むしろ、結婚している人の多くは妥協しているに違いない。だから結婚できたのだ。
私は〝好き〟という気持ちに妥協したくないだけだ。
そんな、既婚女性全員を敵に回すようなことまでも、私はどこかで思っていた。
ただ、自分好みのマネキンを一生懸命デコレーションしていただけで、自分の〝好き〟という気持ちと向き合うこともせずに。
妻子ある彼とは、めったに会えない。
月に1回会えればいい方だ。
連絡も1週間に1回あるかないかだ。
彼が仕事で成功して稼いでいたって、
テレビでインタビューを受けていたって、
ほどよく締まったいいカラダをしていたって、
誰かに「私の彼なの!」と自慢できるわけじゃない。
クリスマスに夜景を見ながら乾杯できるわけじゃないし、
特別なプレゼントもない。
年が明ける瞬間に、「おめでとう」コールもできないし、
バレンタインや誕生日にデートの予定を入れることもない。
でも、私の気持ちは今までになく〝まっすぐ〟だった。
彼のことが本当に大好きで、彼の姿を想い浮かべるだけで心が満たされた。
ホテルで安いコンビニのワインを飲みながらおしゃべりをしたり、夜中にカップ焼きそばを2人でつつきながら空腹を満たしたりする時間が、この上なく幸せだった。
彼から何かを欲しいとは思わない。ただ、少しでも長く一緒にいたいだけだ。
彼も同じだった。
LINEでメッセージのやり取りをしたり、手をギュッと握ったりするだけで喜んでくれた。
「奥さんがいるのに」とたしなめると、「それなのに、って僕が言いたい」と返された。
普通なら深刻な気分になりそうなシチュエーションなのに、彼は子どものような笑顔で告白してきた。
「ただ、恋に落ちたんだ」
私はその言葉で、恋に落ちてしまった。
そんなの遊ばれているだけだよ、と思われるかもしれない。
不倫するような男は、そうやって女をだますんだよ、と。
でも私には、もうそんなことは大事じゃなかった。
彼が私をどう思っているのか、どのくらい想ってくれているのか、そんなことはどうだっていい。
揺るがない真実は、私が彼を本気で好きなのだ、ということだけだ。
もしかしたら、結婚という期待を持たない関係だったからかもしれない。
彼と結婚してどんな家庭を作ろうとか、
何人子どもが欲しいとか、
そのためにはどのくらいお金が必要かとか、
老後はこの人とどうやって過ごそうとか。
そんな余計な思考を取り払って、相手だけを〝まっすぐ〟見つめたからこそ、
自分の気持ちがはっきり分かったのかもしれない。
不倫は、私に純粋な〝好き〟という気持ちを思い出させてくれたのだ。
不倫のおかげで、私はちゃんと恋愛できたのだ。
私の、初めての〝まっすぐな不倫〟が、どんな結末を迎えたのか、それは連載の最後にお伝えしよう。
あるいは、結末ではないかもしれないが……?
その前に、不倫によって覚醒した女たちの物語を、これからご紹介していきたいと思う。
❏ライタープロフィール
江島 ぴりか(Etou Pirika/READING LIFE公認ライター)
北海道生まれ、北海道育ち、ロシア帰り。
大学は理系だったが、某局で放送されていた『海の向こうで暮らしてみれば』に憧れ、日本語教師を目指して上京。その後、主にロシアと東京を行ったり来たりの10年間を過ごす。現在は、日本国内にて迷走、いや瞑想中。2018年9月から天狼院書店READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。
趣味はミニシアターと美術館めぐり。特技はタロット占い。ゾンビと妖怪とオカルト好き。中途半端なベジタリアン。夢は海外を移住し続けながら生きることと、バチカンにあるエクソシスト(悪魔祓い)養成講座への潜入取材。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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