ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光

第3回:人間の満足度は変化の量で決まる《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》


2021/11/22/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「100マイル(160km)を走ると人間の身体はどうなるか?」
 
結論を言えば
 
「壊れる」
 
「そんなの言われなくてもわかるよ」という声が聞こえてきそうだ(笑)
 
しかし、私が行っているウルトラトレイルランニングでは、そんな当たり前のことが分かっているのに、
何百人というランナーたちが、安くもない金額のエントリーフィーを払ってまで参加しているのである。
 
私が100マイルレースに参加しているというと、多くの人から「何のために?」と質問をされる。
おそらくこれは「ウルトラトレイルランナーあるある」で、ほぼすべてのランナーが聞かれているはずだ。
 
「楽しいから」
「山を走るのが気持ちいいから」
「自分の限界に挑戦したいから」
「非日常を味わいたいから」
 
きっとランナー一人一人に様々な答えがあるだろう。
では私がなぜウルトラトレイルランニングに挑戦しているかというと、「成長実感を味わいたいから」という答えが最も適しているのかもしれない。
 
それを一番感じさせてくれるレースに今回3年ぶりに挑戦してきた。
 
 

KOUMI100


長野県小海町で毎年行われている100マイルレース。
それが「KOUMI100」だ。
 
長野県の南アルプスに位置する「八ヶ岳」
その一座に「ニュウ」というちょっと変わった名前の山がある。
標高は2,000m程で、おそらくそれほどメジャーな山ではないので名前を知っている人も少ないはずだ。
 
しかし、毎年10月に開催される「KOUMI100」には400名近いランナーたちが集まり、ニュウに挑戦しているのだ。
 
このレースの一番の特徴は1周35kmの周回コースを5周走るという点にある。
通常のレースはスタートとゴールが別々の場所に設定されている「ワンウェイ型」か、スタートとゴールが同じ「ループ型」に分かれている。
 
KOUMI100はその「ループ型」の中でも珍しい「周回型」で、スタートとゴール地点に1周走って戻ってきては、またスタートをして合計5周まわるのだ。
 

 
この周回型の良いところは、スタート地点に自分の荷物を置いておくことができるため、大量の食糧や水分を持って走らなくてもいいというところである。通常のレースでは途中にエイドステーションがあるとは言え、途中で必要になる食糧は自分で持って走らなければならない。
またウルトラレースは夜間に山の中を走るため、ライトや防寒具も持たないといけないため、背負っているザックはそれなりの重さになる。荷物が重くなるとそれだけ体力が奪われるので、軽量で走ることができるというのは、ウルトラトレイルランナーにとっては大変助かるのだ。
 
またサポートする人たちにとっても、自分がランナーに合わせて移動する必要がなく、待っていればランナーは勝手に戻ってくるため、サポートしやすいという利点もある。
そのため、私のようにチームに所属している人は、仲間がスタート地点でサポートしてくれるため、この上なく贅沢に走ることができるのだ。
 
しかし、周回型にもデメリットがある。
それは「リタイヤしやすい」という点だ。
 
ゴールするまでにスタート地点に4回戻ってくるということは、レースを止めるチャンスが4回あるということだ。これが想像以上にランナーにとっては辛い。
当たり前だが、ランナーたちは1周走って帰ってくるごとに体が「壊れて」いく。
足の筋肉は悲鳴を上げ始め、内臓は長時間走るあいだに何度も上下動するため次第に食べ物を消化できなくなる。その結果強い吐き気に襲われ、酷いときには食べ物を一切口にすることができなくなってしまうのだ。また夜間に入れば寒さに加え、眠気にも襲われる。
 
「なんでこんなことをしてるんだ」
「明日も仕事があるのに、これ以上走ったら仕事どころじゃなくなる」
 
といった思考が頭をよぎる。そうしてボロボロになりながらスタート地点に戻ってくれば、仲間の温かいサポートが受けられ、椅子に座ってゆっくり休むこともできる。
 
すると、「もう十分走ったよ」「俺はよくやったよ」と頭の中でもう一人の自分がレースを止めるように語りかけてくるのである。この思考が出てしまうと、もう一回35kmの山の中に入っていく気力が根こそぎ奪われてしまう。そしてこの自分の中にいる悪魔に心を奪われてしまったら「ジ・エンド」。
そこでリタイヤという選択をしてしまうのである。
 
 

自分の中の悪魔に打ち勝つ


この時に、ランナーは自分の精神力が試される。
事実「100マイルを完走するために何が一番重要ですか?」と問われたら多くのランナーたちは「精神力」というはずだ。もちろん100マイル走り切るための体力や技術は必要である。しかし、ウルトラトレイルランニングに挑戦しようとしている人たちは、普段からトレーニングを行っているので走り切るための体力は殆どの選手には備わっている。
 
ところが完走できるのは実際には参加者の半分以下だ。
特にKOUMI100の完走率は他の100マイルレースに比べても極端に低い。例年30%前後の完走率しかなく、天候が荒れれば完走率はさらに下がる。
 
つまりそれだけメンタルの強さが要求されるレースということだ。
そのためKOUMI100に完走したランナーたちは口をそろえて「弱い自分に打ち勝つことができた」というのだ。
 
実は私はKOUMI100には過去3回出場している。
1回目と2回目は完走することができたのだが、3回目に出場した2018年は3.5周(120km)でリタイヤをしてしまった。この時は自分の中にいる悪魔に打ち勝つことができず、自らレースを放棄してしまった。
 
そのため、今回は前回のリベンジを果たすことが、このレースに参加した一番の理由だったのである。
 
そして今回完走をするために私はペーサーをつけることにした。
実は100マイルレースでは「ペーサー制度」を設けているレースが少なくない。
「ペーサー」とは選手と一緒に走り、選手が完走できるようにサポートを行ってくれる人のことである。
とは言え荷物を全部持ってもらったり、手を貸してもらって走るなど、ペーサーをつけていない選手と条件面で大きな不公平感が出るような行為は禁止されている。
 
あくまで他の選手と同様の条件は守ったうえで、選手が必要なサポートを行うことがペーサーの仕事だ。
その中でも最も重要な役割が「選手を奮い立たせる」ことだろう。
 
KOUMI100ではペーサーは4周目から一緒に走ることができるのだが、3周目の時点で選手は既に100km以上走り、しかも多くの選手は3周目が終わった時点でスタートから既に20時近く走っているため正直この時点でも疲労はかなりのものだ。
 
まさに「ここで止めることができたらどれほど幸せか」と思っている時間帯なのだ。
その選手を奮い立たせて4周目、5周目をいかに走らせることができるかがペーサーの腕の見せ所なのである。
 
今回私は同じトレイルランニングチームの仲間である池田さんに依頼をすることにした。池田さんはTJAR(トランス・ジャパン・アルプス・レース)という日本屈指の山岳レースに参加経験もある山のスペシャリストだ。また緻密なコース分析が得意で、さらにおしゃべりが得意というペーサーにとして完璧な資質を備えている。
 
実は私は3周目で足の疲労により走ることが非常につらい状況でスタート地点に戻ってきた。正直ここからペースを上げることはかなり厳しいと感じていた。
 

【3周目のエイドで既に足が限界に】
 
ところがここで早速ペーサーの本領が発揮された。
池田さんから足が終わったときに押すと効くツボがあるというので、そこを思いっきり押してもらった。
 
「痛いっ!!!」
「マジで痛い」
 
と、あまりの痛さに、何かの嫌がらせなのかと疑いたくなった。
正直最初は効果に半信半疑だったが、ところがなんとその後に驚くほど足が動き出したのだ。
ツボを押すだけでここまで足が動くようになるとは正直思っていなかったので、その効果に驚いた。
 
そしてペーサーが付くことのメリットはもう一つあった。
それはその言葉の通り「ペースを維持してくれる」という点だ。
 
通常選手は疲れてくると残りの距離を走り切ることが目的になるので無理をしなくなる。
そのためペースがどんどん遅くなり、人によっては関門時間に間に合わなくなってリタイヤをしてしまう人もいる。しかしペーサーは選手が着いてこられるギリギリの速さで前を走ってくれるため、結果的に自分を限界ギリギリまで持っていくことができるのである。
 
私もニュウの登りで一人だったら絶対にペースを緩めるところで、ペースを維持することができた。また私は比較的下りが得意なので、下りは自分が前に出ることで自分のリズムを崩すことなく走ることができた。
そして池田ペーサーの軽快なおしゃべりもあり、私は集中力を切らすことなく5周走り切り、一緒にゴールテープを切ることができた。
 

 
過去リタイヤしたレースに3年ぶりにリベンジを果たすことができ、私は目標を達成することができた。
しかし、翌日になってまさか自分がレースを完走したことに強い不満を感じるとは、この時は想像もしていなかった。
 
 

人間の満足度の尺度


私がレースに参加した目的は、3年前にリタイヤした自分にリベンジを果たすために、どんな困難があったとしても絶対に完走することだった。そして今回、その目標だった完走をすることができリベンジを果たすことができた。
 
ところが、完走から一夜明けた時に私の中で一つの感情が芽生えた。
 
「満足できない…」
 
自分でも不思議だった。目標を達成できたのに、なぜ自分がこんな感情を抱いているのか、初めは理解することができなかった。しかし、この感情は時間が経つほどに強くなっていった。
 
そして私はある言葉を思い出した。
 
「人間の満足度はプラスの変化量で決まる」
 
これは行動経済学でノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン博士の言葉である。
彼は、「人間の満足度はストック(蓄え)の絶対量ではなく、プラスにどれだけ変化したかの変化量で決まる」ということを明らかにした。
 
私はこれまでにKOUMI100を2回完走していて、今回で完走回数は3回になった。
つまり完走という「ストック」が増えたことになる。
 
しかし、今回の完走で「回数(ストック)」以外で自分がプラスに成長したかというと、それは非常に限定的だと感じていた。確かに前回リタイヤしたのは自分の心が弱かったからだ。そして今回その自分の弱さに打ち勝ち完走することができた。
 
だが、完走だけであれば過去に2回達成することができている。
つまり自分は「過去に体験した成功体験を追体験しただけで、自分自身は過去と比べて成長していないのではないか」と感じたのだ。
 
もちろんKOUMI100は完走すること自体が簡単なレースではなく、それ自体にも大きな価値がある。しかし初めて100マイルレースを完走した人や、初めてKOUMI100を完走した人が感じる変化量と、2度完走したことがある人が3度目の完走をしたのとでは、感じる変化量にはおのずと違いがある。
 
今回私はレースに参加する目的を「完走する」ことに設定していた。
しかしそれだけでは「プラスの変化量」としては不十分だったのである。もっとチャレンジングなゴール設定をして、それをクリアーしなければ本当の満足感は得られなかったのだ。
 
もちろん人間は年齢とともに過去にできたことができなくなる。だから完走すること自体が自分にプラスの変化量を感じさせてくれるときがきっと来るだろう。しかし今はまだそのフェーズではないはずだ。もっと違うゴール設定をする必要があったはずなのだ。
 
今回のKOUMIでは自分の「ゴール設定の仕方」という点で非常に大きな気づきを与えてくれたレースとなった。やはりウルトラトレイルレースは自分の成長を促してくれる最高の趣味だ。
次のレースではチャレンジングなゴール設定をして、また自分を成長させたいと思う。
 
 

【おまけ】


ちなみに今回自分がどれくらい体にダメージを受けたかお見せしたい。
これは私がレースを完走して3日が経った時の足の様子だ。
 

 
これは元からこういう足の太さなのではなく、足がダメージを受けすぎて、パンパンに浮腫んでいるのである。
これがだいたい4日間ほど続くと、今度はオシッコが大量に出始める。
すると今度は体から水分が抜けるため、元に戻るのである。
そしてこちらがレースから5日目の足である。浮腫みは取れてやっと元に戻ることができたww
 

 
そしてこちらはその間の体重の増減である。
レースが終わって3日後に体重が5kg増え、その後一気に急降下している。
これは全て、体が水分を蓄えそれを一気に放出した結果となっている。
こんな非日常もウルトラトレイルランニングならではである。
 

 
 

【今回のコースプロフィール】


■全走行距離:175km
■累積標高:7,500m
■最寄り駅:JR小海線「松原湖駅」
■スタート地点:小海町スケートセンター
■コース:小海町スケートセンター→稲子登山口→本沢入口→稲子湯→ニュウ手前の分岐点→稲子湯→本沢入口→稲子登山口→小海町スケートセンター
■登山情報:KOUMI100のコースは途中に車でもアクセス可能な「本沢温泉」「稲子湯」といった天然温泉宿があります。また日帰り温泉の「八峰の湯」「小海リエックス」もあり、登山とお風呂の最強セットが楽しめます。私もレース前後は温泉に入って楽しんでいます。ハイカーさんにも優しいコースですので、登山初心者の方も十分に楽しめるコースになっています。
 

 
・湯本 本沢温泉
https://www.yatsu-honzawaonsen.com/#price
・稲子湯
http://www12.plala.or.jp/Inagoyu/
・八峰の湯
http://www.yahho-onsen.jp/
・小海リエックス
http://www.reex.co.jp/KOUMI/HOTEL/index.html
 
 

□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)

静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。

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