ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光

第4回:睡魔を制する者がウルトラを制する《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》


2022/03/01/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「あなたは寝ないでどれだけ活動できるだろうか?」
 
私がこれまで最長で起き続けた時間は50時間である。
丸2日以上、一睡もせずに山の中を走り続けた。
 
こう書くとまるでどこかの戦場から「脱走」でもしていたのですか?と聞かれそうだが、
実はこれは私の趣味の「ウルトラトレイルランニング」の話しである。
 
「トレイルランニング」とは、山の中を走る山岳レースで、その中でも100kmを超える超ロングレースのことを「ウルトラトレイルランニング」という。私は数年前に趣味で山を走り始めたのだが、その魅力にハマってしまい、今では100kmを超えるレースに年間数本出ている。
 
その中でも全長160kmを超える「100マイルレース」は世界中のトレイルランナーの中でもっとも人気があるカテゴリーである。100マイルレースの制限時間は殆どの場合30時間以上で設定されている。険しいコースなら50時間を超えるものまである。
つまりウルトラトレイルランニングを完走しようと思ったら、必ず一晩以上走り続けることが必要になるのだ。
 
 

人間の活動限界


私が初めてウルトラトレイルランニングを知ったときに一番初めに驚いたのはその距離よりも、制限時間の方だった。35時間とか40時間と書かいてあるが、正直それだけの時間を走り続けるという事がイメージできなかった。
 
「どこで寝るの?」
「野宿?」
「それとも寝てないの?」
 
寝ることに対する疑問がいくつも浮かんだ。
 
それはそうだろう。
普通の人間にとって「寝る」という行為は「食欲」と「性欲」に並ぶ欲求である。
寝ないで何かをし続けるなんてことは通常やりたいと思わないはずだ。
 
しかし結論から言うと「ほぼ寝ない」のである。
 
ウルトラトレイルランニングとはある意味どれだけ寝ないで走り続けられるのかを競うレースなのだ。
実際私が2019年に参加したUTMBという海外レースでは二晩徹夜して走り続け42時間かけてゴールした。レース前後の時間も合わせると50時間は活動し続けていた。この間に寝たと言える時間は途中で10分目をつぶっただけで、あとは寝ていない。
 
しかもこのレースは170kmを走る間に、累積で10,000m以上登らなければいけない。つまりレース中にエベレスト一回分以上、富士山なら2.5回以上登っている計算になる。
 
それだけの運動を寝ないで行わなければいけないのである。
 
 

幻覚は全員見ている


この間、身体には様々な現象が起こる。
まず一晩を超えたあたりから異常な眠気に周期的に襲われるようになった。レース途中にあるエイドステーションで食料を補給するたびに血糖値が跳ね上がるため、血糖値を下げようと「インシュリンショック」という症状が起こり、激しい睡魔が襲ってくるのである。
 
皆さんもランチを食べた後に眠気が来ると思うが、それの3倍くらい激しい眠気だと思ってもらえればいい。そのため、何人かの選手は道端でうずくまって寝始める選手もいる。
 
そして二晩目に差し掛かったときに私は走りながら夢を見始めた。
実際にはスイスの田園を走っていたのだが、突然私は日本で仕事をしている最中に同僚に向かって「俺ちょっと走ってくるわ」と言って走りに行くという夢を見始めた。そして何故か日本の田んぼの中を走っている気になったのだ。
 
これは現実と夢の世界がくっついてしまい、頭の中で違う映像が被って見えてしまったのである。
その後は幻覚がそこかしこに見えてくるようになった。
走っていると100mくらい先に沢山の人が集まっているように見えた。また近くにある石が突然「ググっ」と動いたり、木に人の顔が浮かんだり、様々な幻覚が見えるようになった。
 
脳はあまりに疲労すると視覚情報を正しく処理できなくなり、見えているものと脳内で処理して認識した情報に食い違いが出始めているために起こる現象である。
 
人によって出方は異なるが、多くの選手に起こる現象なのである。
 
 

眠気対策の2大戦略


ではウルトラトレイルランナーはこの問題にどのように対処しているのだろうか?
実は解決策は大きく分けて2つある。
 
一つは、思い切って寝てしまう事だ。
寝てしまうと言っても数時間も寝る時間は無いので、数分から長くても1時間程度、どこか仮眠できる場所を見つけて寝るのだ。「それだけでは睡眠が足りない」と思われるかもしれないが、これは身体のダメージを回復させるための睡眠ではないので、睡魔を取るだけなら一瞬「寝落ち」するだけでも消えることがある。そのため、エイドステーションでは多くのランナーが椅子に座って寝ている。また仮眠スペースがあるエイドステーションも用意されているので、そこで仮眠をとることもできるようになっているのだ。
 
しかしこれは「悪魔の誘い」でもある。
一度寝てしまうと、その気持ちよさ、温かさに身体が「もう走りたくない」と反応し始め、そのままリタイヤしてしまう選手が何人もいる。そのため、本当に一瞬だけ目をつぶるだけにしないと二度と立ち上がれなくなってしまうのだ。
 
そしてもう一つの方法は「カフェイン」である。
しかし、通常の取り方をしたのでは効果が薄いので、特別な下準備を行い、カフェインの効果を最大限に高めるのである。
 
ランナーたちはレース数日前から「カフェイン断ち」を行う。
これは体の中にあるカフェインを一度空っぽにして、カフェインに対して体を超敏感にするという方法である。
一般的には摂取したカフェインは1~2日で体から抜けると言われている。しかし普段からカフェインを取っている場合、身体にはカフェインに対して「耐性」がついてしまい、効果が薄まっている。おそらく普段からコーヒーを飲んでいる人は、その効果を実感するのはほんのわずかではないだろうか?
 
そのためランナーたちはこの耐性を取り去るために1~2週間、コーヒー、お茶、チョコレート、エナジードリンクなどのカフェインが入っている飲み物や食べ物を一切口にしない生活を送るのだ。
ところがやってみると分かるが、この作業は思っている以上に辛い。
 
カフェインを毎日摂取していると、実は軽い中毒症状になっている。つまりカフェインを取らないと我慢できない体になっているのだ。そのため、カフェイン断ちを始めて数日は禁断症状が出る。まず日中に激しい睡魔に襲われる。そして同時に激しい頭痛がする。このためカフェイン断ちを始めた1~2日は仕事どころではない。そのためカフェイン断ちを始めるなら土日から始めるのがベターだ。土日なら眠くなったら寝てしまえばいいので、禁断症状を抑えやすい。そして3日目くらいからだんだんと眠気や頭痛が治まってくる。1週間もするとほとんど症状は出なくなるので、ここまでくるとだいぶカフェインの耐性が取れて来たことになる。2週間続けると耐性はほぼなくなると言われている。
 
ちなみにカフェイン断ちをすると夜の睡眠の質が高まるのを実感できるはずである。まず夜中に目が覚めることが殆どなくなり、朝起きたときにぐっすり眠れたという感覚を味わうだろう。
今までなら朝起きても寝たりないという感覚があったかもしれないが、それが一切なく頭の中がスカッとした状態で目覚めることができる。カフェイン断ちをすると「普段こんなにもカフェインで体を動かしていたのか」と実感できるはずである。
 
これで下準備は整った。あとはレース中に眠くなったときにカフェインを摂取すれば一時的に体が覚醒する。頭の中のモヤモヤが消え、今までの体の痛みや疲れも一瞬消える感覚を味わうだろう。カフェインとはこれほどの効果があるのかと実感できるはずである。
 
 

仙元山100


ところがこのカフェイン断ちも効かないときがある。
2020年に参加した「仙元山100」という100マイルレースでカフェイン断ちをしたにも関わらずレース中にカフェインを入れても全く効かなかったことがあった。
  
「仙元山」とは逗子市にある標高300m足らずの小さな山である。しかし登ったときに見える相模湾と富士山のコントラストが最高で、多くのハイカーに愛されている。
 

 
「仙元山100」とは、この仙元山と三浦半島で最高峰である大楠山を繋いで1周35kmのコースを5周するというレースで、地元の逗子、葉山、鎌倉に住むトレイルランナーたちが有志で開催しているレースである。
 
スタート地点は森戸海岸は夕日がとても美しいビーチで、夏には多くの海水浴客で賑わう逗子、葉山の中でも屈指の人気スポットである。
 

 
レースは森戸海岸をスタートして仙元山に登り、そこから二子山、乳頭山、畠山を抜け大楠山を繋いで行く。途中で南葉山霊園を抜け関口牧場という絶品ソフトクリームで有名な牧場に立ち寄ることもでき、疲れた体を癒やすことができる。
 
このコースは逗子、葉山の良いところだけを集めたコースなのだが、5周となると完走するまでに30時間は必要になる。つまり夜を超えなければいけないのだ。
 
11月某日、早朝5時にレースはスタートした。
元気であれば1周約5~6時間で回ってくることができる。2周目までは日中のため、気持ちよく走ることができるが、3週目からは夜間パートになる。ここから約12時間は闇の中だ。
 
ヘッドライトをつけて夜の山の中を進んでいく。昼と夜では地形が変わったのではないかというほど、その見え方が変わってしまう。先が見通せなくなるため、距離感がつかめなくなるのだ。また見える範囲も狭いため否応なしに集中力を使い疲労感も増す。
 
そして深夜0時を回ったころには身体と脳の疲労から眠気が襲ってきた。
私はこのレースの前までに2週間以上カフェイン断ちをしていたので、すかさずカフェイン入りのジェルを飲み込んだ。
これで数分後には頭がすっきり冴えてくるはずである。
 
ところが10分経っても20分経っても眠気が取れる気配がなかった。
「おかしい、なぜだ」
すかさずもう一本ジェルを飲み込んだが結局眠気がはれることは無かった。
 
睡魔との格闘は数時間続いた。眠気で足元がふらつく。
そして明け方、もう限界というところで、一緒に走っていた仲間から「ちょっとだけ寝ませんか?」と声をかけられた。実はこの時仲間2人と一緒に走っていた。そして彼らもこの数時間睡魔と戦い限界だったのである。
 
カフェインが効かない以上、仮眠をとるしか手がない。
そしてコース上に仮眠スペースも無いので私たちは大楠山登山道の途中の平らな場所に腰を下ろして寝ころんだ。11月の明け方なので既に気温はだいぶ下がっている。汗で体が冷えることを防ぐために持っていたレインウェアを着込んで防寒対策をした。
 
「ここなら寒さで目も覚めるし、仲間も一緒だから寝すぎることも無いだろう」
 
そう思って目をつぶった。
そして一瞬で深い眠りに落ちた。
 
それから少しして寒さで目が覚めた。
時間にしたら5分程度だろうか。それでも思った以上に眠気が取れ「これならいける」という感覚があった。そして仲間も起こしてあげようと隣を見た。
 
ところが、さっきまでいたはずの場所に二人の姿がなかった。
おかしいとあたりを見渡してもどこにもその姿が無い。そしてよく見るとあたりがかなり明るくなっていた。
 
私はとっさに自分の腕時計で時間を確認した。
何と40分以上も時間が経っていたのである。
5分のつもりが実は40分も寝ていたのである。しかも一人で。
 
「まさか、置いて行かれたのか?」
「寝すぎの恐ろしさはお互いよくわかっているはずだ。たとえ先に行くとして一声あってもよかったのではないか」
そんな思いが頭の中を駆け巡った。
 
そして私は急いで飛び起き走り始めた。
身体が軽い、さっきまでの眠気が嘘のように取れている。
これほどの爽快感を味わったことは無いほどの気持ち良かった。
「やはり40分も寝ると違うな」とこれまでのレースでは味わったことがない感覚に新鮮な驚きを感じていた。
しかし仲間に置いてけぼりにされた悲しみだけが、時々頭をよぎった。
 
結局その後、前を走っていた仲間に追いつき一緒にゴールに向かった。
それとなく声をかけてくれなかったことを尋ねると「気持ちよさそうだったので、寝かせておこうと思った」とのことだった。
 
「せめて一声かけてよ~」と言おうと思ったが、それは止めておいた。
そして31時間19分かけて160kmを走り切りゴールした。
 

 
このコースは葉山町の名所だけをギューッと詰め込んだようなコースである。
体力に自信のある方はぜひ一度挑戦してみていただきたい。
 
 

【今回のコースプロフィール】


全長:約160km(1周32km×5周)
累積獲得標高:6,500m
消費カロリー:およそ10,000kcal
 
[ロード:ー/トレイル:〜]
森戸海岸ー木の下交差点〜仙元山山頂〜ソッカ山山頂〜セブンイレブン葉山町長柄店ー南郷上ノ山公園〜二子山山頂〜馬頭観音〜FK3分岐〜FK2分岐〜FK1分岐〜乳頭山山頂〜畠山山頂〜不動橋交差点ー大楠山登山口交差点ー大楠山阿部倉口〜南葉山霊園ー大楠山芦名口(ファミリーマート横須賀芦名店)〜大楠山山頂〜前田橋ーR134ー御用邸前交差点ー三ヶ岡つつじコース〜三ヶ岡真名瀬コースー森戸神社・森戸海岸
 

 
 
 
 

□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)

静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。

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