ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光

第6回:日本で一番痛いレース《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》


2022/07/25/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「悪いことをすると地獄に落ちる」
 
地獄にも色んな種類があり、血の池地獄や灼熱地獄など、皆さんもイメージするものがあるだろう。
その中に「針山地獄」というものがある。これは正しくは「衆合地獄」の中の一つで、針の山を裸足で歩かされるというものだ。
 
ちなみに「衆合地獄」とは現世で邪淫(みだらな行い)を犯した人が落とされる地獄である。
つまり、生きているときに浮気をしたり、人前で破廉恥なことばかり言っているドスケベは、この衆合地獄行きということだ。
 
実は今回私はこの針山を走らされるような地獄を体験することとなった。
 
 

ONTAKE100


長野県王滝村と岐阜県にまたがる御嶽山。
この山の麓で行われるのが「ONTAKE100」というレースである。
 
「ONTAKE100」には100kmと100mileの2種目あり、100mileに参加するためには前年までに100kmを14時間以内に完走することが条件となっている。
100kmを14時間で完走するのは上位20~30%ぐらいのため、100mileに出場するためそれなりの走力が求められる。
 
私は2015年に100kmを12時間23分で走り、100mileの出走権を得ることができた。
そして翌年の2016年に100mileの部に出場し、22時間7分でゴールした。実はこの大会が初の100mileレースで、私がマイラー(トレイルランニングの世界では100mile完走者のことを「マイラー」と呼ぶ)になることができた記念すべき大会なのである。しかし、その時のあまりのキツさに「ONTAKEはしばらく出ない」と心に決めたレースだった。
 
ところがこの2年コロナの影響で、数多くのレースが中止となる中で、何か強い刺激が欲しくなり、出ないと決めていたのに思わずエントリーをしてしまった。人間恐ろしいもので、当時あれほどツライ目にあったにもかかわらず数年たつと「良い思い出」に変わってしまい、またONTAKE走っても良いかなと思ってしまうのだから不思議だ。しかし、それこそがトレイルランナーたちがトレイルランニングにハマってしまう根本的な理由のような気がしてならない(つまりは刺激ジャンキーなのだww)
 
 

走る座禅


ONTAKE100には別名がある。
 
「走る座禅」
 
本来座禅とは静かに座って瞑想し、心を落ちつかせることによって煩悩を打ち消すために行うものだ。
しかし、それを走りながら瞑想するとは一体どういうことなのだろうか?
 
実はONTAKE100の一番の特徴は「林道」を走るという点にある。
ここで「林道」というものを簡単に説明しておきたい。
「トレイル」には大きく分けて2種類ある。
 
それが「林道」と「登山道」だ。
 
おそらく多くの人が想像する「山道」とは「登山道」を指しているのではないだろうか。
登山道とは人が山の中を歩くためにできた自然の道で、登山やトレッキングの時に歩くのはほとんどが登山道だ。そのため地面は起伏に富み、木の根があったり、川を渡ったり、岩場をのぼることもあり、トレイルランニングの醍醐味を味わうことが出来るのである。
 

<これが一般的な日本の登山道>

 
一方で「林道」とは農林水産省や林野庁が管理していて人工的に建設・整備した道を指している。
この道は山の保全を目的としているため車の通行ができるように整備されているため、地面も「登山道」と違ってなだらかである。そのため「林道」はランナーにとっても走りやすい道なのだ。
 

<ontake100の林道はガレた道が多い>

 
しかし、走りやすいということは、裏を返せば「走らなければいけない」ということでもある。
ONTAKE100は100mile走るうちの大部分が「林道」のため、走ろうと思えば走れてしまうところが最大のポイントなのである。
 
特にONTAKE100の「林道」のもう一つの特徴が風景がさほど変わらない点にある。
そのためランナーたちは長い林道を同じような景色を見ながら永遠と走り続けなければいけない。
そして疲労がたまり脳が疲れてくると、たまにトリップしてあの世を感じるときがある。それがONTAKE100が「走る座禅」と呼ばれるようになったゆえんである(これには諸説あり人によって解釈は異なる)
 
 

永遠と降り続く雨


今回のONTAKE100は2020年、2021年とコロナの影響で中止となったため、実に3年ぶりの開催となった。また近年、集中豪雨などで開催地である王滝村も大きな被害を受けており、これまでのコースでは開催することが難しいため、急遽コースが変更となり「周回型」のコースとなった。
 
スタート地点である「松原スポーツ公園」を中心に右回りに周る「上松エリア」を2周、左回りに周る「滝越エリア」を1周走るというコースである。
 

<上松エリア(1、2周目):スタート地点から右回りに約55kmを走るコース>

 

<滝越エリア(3周目):左回りに約50kmを走るコース>

 
これはスタート地点にレース中に2回戻ってくることができるため、デポバックを置いておくことができるので補給を取りやすいというメリットがある。
 

<デポバッグがずらっと並ぶ姿は野戦病院さながら>

 
一方でスタート地点に戻ってきてまた走り出すというのは、選手の中にある「もう走りたくない」という気持ちを何度も揺さぶられるため、非常にメンタルが試されるのである。
 
事前の天気予報ではレース中に一時的に雨が降ったとしても、そこまでの長雨にはならないという予報だった。ところが実際にはスタート前から雨が続き、100mileのスタート時間である20時も小雨が降っていた。そして走り始めて2時間したころには土砂降りの雨が降り出した。
 

<雨が容赦なく選手の身体を冷やす>

 
ONTAKE100は標高1,000m以上のところを走るため、7月とはいえ気温は平地よりも5~10度近く寒く、また雨が降ればさらに気温は下がった。またこれまでの雨の影響でトレイルはぬかるみ大きな水たまりがいくつもできていて、選手たちの靴はあっという間にびしょ濡れとなってしまった。
 
雨は断続的に強くなったり弱くなったりを繰り返したが、結局翌日のお昼過ぎまで止むことは無く、選手たちの心と身体を痛めつけることとなった。
 
 

終わりの見えない下り坂


今回100mileのコースは上松エリア、滝越エリアを合計3周走るのだが、それぞれ1周が約55km、累積標高は1,400mとなっている。累積標高とは登りだけを足し合わせた高さの合計のことで、トレイルランニングの大会において本来50kmで累積標高1,200mはさほど厳しい条件ではない。
 
ところがONTAKE100の厳しさはその関門時間で、選手たちが走らないと間に合わないように設定されていた。これは完走をギリギリ狙う選手たちにとっては常に時間を気にしなければならず、どんなに疲れていようとも走り続けなければいけないのだ。
 
そんな中で今回最も選手を苦しめたのが1周目と2周目の後半に用意されていた長い下り坂だった。
実はトレイルランニングにおいて、登りと下りでどちらの方が体にダメージがあるかと言えば、圧倒的に下り坂なのだ。自分の体重と加速された勢いが大腿四頭筋やふくらはぎ、足裏にかかり、長時間下り続けると足には大きなダメージを与えた。
 
その意味でこの上松エリアの最後の下りは最悪だった。
コース上の最高到達地点からスタートの松原スポーツ公園までのガレた林道を、ほぼノンストップで下り続けなければならなかったのだ。しかもこれが約2時間も続くのである。
 
1周目は真夜中の暗闇の中を永遠と走り続けなければならず、雨は幾分収まったものの、霧がたち込め足元が良く見えなかった。また夜中なので先を見通すこともできず、あとどのくらいこの下り坂を走らなければいけないかの検討が付かず、いつ終わるとも分からないこの長い下り坂が選手たちのメンタルを蝕んでいった。そしてようやく下りが終わってロードに出た時には、両足に大きなダメージが残っていた。
 
前足の太腿は筋肉疲労を起こし踏ん張りがきかず、足裏は石を何度も踏みつけたため、走るたびに痛みが出るようになっていた。ようやく1周目が終わってスタート地点に戻ってきたときには、雨で体も冷え、疲労でもう一回今のコースを走るのかと思うと気持ちが暗くなった。
 
 

針山地獄


上松エリアの2周目に入っても雨は降りやまず、レインウェアを着ていても全く意味をなさないほど体中が雨で濡れていた。また時折り強い眠気が襲ってきて、走りながら一瞬寝落ちするようになった。急いでカフェインを取るもまた1~2時間もすればまた眠気に襲われ、覚醒と眠気を何度も繰り返した。
 

<林道は雨でぬかるみ靴の中もぐちゃぐちゃに>

 
そして2回目の下り坂に差し掛かった。今度は昼間なので先を見通すことができ幾分気持ちは楽だったが、とにかく足裏の痛みが激しかった。
 
2周目が終わってスタート地点に戻ってきた際に、靴下を脱いだ時には、足裏はパグの頭のようにしわくちゃになっていて、見るも無残な姿になっていた。ここまで14時間以上、靴の中は濡れっぱなしだったため、足裏がふやけてマメがいくつもできていたのである。
 
無駄だとは分かっているもののワセリンを塗り、靴下を履き替えて3周目に出発しようとしたとき、大会主催者であり、コースディレクターであるOSJの滝川さんに「どう?楽しいでしょ!!」と声をかけられた。
しかし私は
 
「楽しくないです……」
 
と即答するほど、心身ともに疲労しきっていた。
(滝川さん、塩対応しかできずごめんなさい……)
 
そして3周目、ここからが本当に地獄だった。
3周目スタート間際に大雨が降ったのだが、その後は一転晴れ間が広がり、気温が急上昇し始めた。すると舗装路からは熱で蒸発した湯気が立ち込め、風がないところでは蒸し風呂のような暑さになった。
 
かと思えばまた雨が降りはじめせっかく変えた靴下もあっという間にびしょ濡れになってしまった。
そしてここからの林道はさらにガレはじめ無数の石が容赦なく足裏に刺さり始めた。
 

<ガレた林道が永遠と続く>

 
マメの箇所に石が当たったときには針で刺すような痛みが走り、それがまだ50kmも続くかと思うと絶望した気持ちになった。このころには胃もエネルギージェルを受け付けなくなり、ジェルの甘さにも腹が立ち、その場で持っているジェルを全部捨ててやろうかと思うほど腹が立った(もちろん、そんなことはしなかったが)
 
「ここは地獄だ」
 
そこから数十キロはまさに針山地獄の中を走るような痛みを感じながら、とにかく前進し続けるしかなかった。
 
 

全力を出し切る


腰越エリアの最後にもまた15kmほど続く長い下りが待ち構えていた。
疲労と痛みで体は限界だった。
一歩足を出すたびに足裏には激痛が走っていた。
 

<それでも時折りこんな景色が見えると「美しい」と思うことができた>

 
しかし、この苦しみから解放されるにはリタイヤするかゴールするかの二択しかない。
もちろんここにきてリタイヤするなんて選択肢はなかった。
であれば、できるだけ早くゴールすることがこの苦しみから解放される唯一の道だ。
 
私は長い林道を下りながら、突然「痛みのことなんて忘れろ。俺はできる。全力を出し切れ」と急に訳も分からず覚醒し、そこからゴールまでの10kmを全力で走りだした。
 
前にいる選手たちはもうゴールまでゆっくり行こうとしていたが、私はその後ろから猛然と追い上げ、次々と前の選手たちを抜いていった。
 
「なぜこの人はこんな最後に全力で走ってるんだろう」
 
抜かれた選手たちが呆然とする中、私は全力を尽くし、最終10kmだけで8人の選手を抜くことができた。そしてレース開始から23時間33分の44位(150人中)でゴールゲートをくぐった。
制限時間までは残り27分だった。
 
ゴールした瞬間、私は本当にすべてを出し切れたと心の底から思うことができた。
今まで出たどの100mileよりもキツかった。というより痛かった。
 
レース終了後、シャワー室に向かい足裏を見ると、今までに見たことが無いような無残な姿になっていた。
しかし、これも全力を尽くしたからこその結果なので、どこか誇らしい気持ちになった。
 

<お見苦しいが、これがレース直後の足裏。ふやけ過ぎてマメの場所が分からない>

 

<そしてこちらが丸1日経った後の足裏。血色も戻りやっとマメの場所が分かった>

 
いまこれを書いている時点では「ONTAKE100にはもう二度と出ない」と思っているが、正直これほど自分と向き合うレースも他にないかもしれない。
 
「走る座禅」
 
24時間ひたすら自分の心と身体と対話し、悟りを開いたわけではないが、45歳のおっさんが年甲斐もなくゴール後に感動で泣きそうになる経験は他ではなかなか味わうことができないだろう。
 
もしかしたら数年後にまた「あの時は楽しかったなぁ」なんて馬鹿なことを考えて、レースにエントリーしないことを今はただただ祈るしかない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)

静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


関連記事