第8回:想定外を制したものがウルトラを制する《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》
2023/3/6/公開
記事:佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
世の中、そう簡単には想定通りにいかない。
その物事を構成している「要素」が多くなればなるほど、状況は複雑に絡み合い先を読むことが難しくなる。
それはスポーツにしても同じことが言える。
例えばサッカーであれば自分の能力やコンディションだけでなく、味方の選手、そして相手チームの選手の能力まで考えれば無限と言っていいほどの組み合わせが存在し、その要素を読み切るなんてことはおよそ人間にできる代物ではない。
しかし、その物事に精通してくればだんだんと「重要なことが何か」をつかむことはできるようになる。
無限に見える組み合わせも、より重要なものを取り出せば全体の傾向をつかめるようになり、その読みの精度が高くなればなるほど、事前に対策を立てられるため成功確率も高まってくる。
トレイルランニングを構成する要素
ではトレイルランニングにはどんな要素があるのだろうか?
まず「走力」は外すことが出来ない要素だろう。
特に私が挑戦しているウルトラトレイルランニングは100km以上の山道を走るため、20時間、30時間走り続けるだけの脚力が必要になる。
そのために何日も、何か月も、何年もトレーニングを積み、自分の走力を鍛え上げなければならない。
またトレイルランニングが他のスポーツと大きく異なる点として「山」を相手にしているということだろう。
世の中のスポーツの殆どは人工的に作られた環境の中で行われている。
競技場や体育館などで行う競技もあれば、同じ走るスポーツでもマラソンやトライアスロンのように舗装路を走る競技もある。
ところが山という自然の地形を使ったトレイルランニングは、同じ走る競技にしても複雑さはさらに増してくる。まず山の形が二つとして同じものは存在しない。地面も土のところもあれば岩場もあるし、砂利道、また川の中を通らなければいけない場合だってある。これだけ地形が変わる競技も珍しいのではないだろうか。
またレースによっては3,000m近いところを走る場合もあり、そこまでくると酸素濃度も地表の70%ほどになり、高山病になる可能性だってある。
【標高による酸素量(Tarzan Webより引用)】
また「山の天気は変わりやすい」という言葉を聞いたことがあると思うが、さっきまで晴れていたのに突然雨が降り出すことも決して珍しくない。このようにトレイルランニングには他のスポーツにはない自分だけではコントロールできない要素を含んだスポーツなのである。
最もコントロールしにくい要素
他にもトレイルランニングを構成する要素はたくさんあるが、その中で最も読むのが難しいものの一つが、実は「自分の体調」である。
「社会人なら自分の体調は自分で管理しろ」
と入社一年目の時に会社の先輩から言われたことがあるが、その時はせいぜい風邪をひかないようにとか、前日に酒を飲みすぎても翌日は出社しろよぐらいのことだったが、ウルトラトレイルランニング挑戦するときの体調はこれとはレベルが違う。
なにせ走る時間が20~30時間、長ければ40時間を超えることもあるからだ。
そうなるとレース前に自分が意識しなければいけない要素は「体の疲労度」「脚の状態」「直前の練習量と質」「メンタルの状態」「睡眠量と質」「体重」「胃腸(消化器官)の状態」「会場までの移動時間」「カフェイン断ち」「当日の天候・気温」「直前の食事内容」「レース中の補給食」、そして「レース前にう〇こは出たか」など、体調を整えるだけでもチェックしなければいけない項目は山ほどあるのだ。
こういった入念な準備をしたとしてもレースが始まると様々なトラブルが発生するから本番は恐い。
京都一周ぐるり旅
2023年2月、私は京都ラウンドトレイルという練習会に参加をした。
【スタート地点にある京都・松尾大社】
練習会とはいえ、総距離120km、累積標高は6,000m、想定時間22時間というウルトラトレイルの練習会である。
このコースは京都嵐山をスタートし愛宕山から京都の山々を繋ぎ、比叡山、大文字山と主要な山を制覇する。また伏見稲荷大社や京都市内も通るルートのため、1日で京都の名所を見て回ることが出来るお得な練習会なのだ。
【京都の周りをぐるっと一周】
またこの練習会の良いところはスタートが昼の12時のため、鎌倉に住む私も朝一で新幹線に乗れば間に合う時間であり、終了は翌日の11時のため、宿泊費が必要ないというところも魅力の一つとなっている。
そのため私は練習会前日の金曜日は仕事も早々に切り上げ家路についた。
ところが私には一つ心配ごとがあった。
事前の天気予報で練習会当日に雪マークがついていたのである。
トレイルランニングは山を走るため、雪が降るということは死活問題である。当然トレイルは雪で覆われているため、走れば靴が雪に埋まり濡れてしまう。これが日中ならまだいいが、夜となれば靴が乾くことはないので、ずっと濡れた状態のまま走り続けなければならない。
また当然真冬の京都は気温も低く、山に登ればその寒さは平地の比ではない。
動き続けることができるレースであればまだ体も冷えにくいが、今回はグループ走のため途中で休憩や遅れた人を待つ時間が発生するとなると体は寒さで冷え切ってしまい、下手をすれば低体温症になり、最悪動けなくなる可能性も想像できた。
そのため私は事前にできるだけ防寒具を用意しザックに詰め込んだ。当然荷物が多くなればその分負荷は高まるが、それぐらいの準備をしなければ危険だと思ったのだ。
そして私はその緊張からか、柄にもなく前日あまり寝ることが出来なかった。
京都ラウンドトレイルスタート
天候ばかり気にしていたのだが、当日は予想を大きく裏切り「晴れ」。
さらに気温もこの時期にしては珍しいほど上がり、事前の予報が嘘のように暖かくなった。
「え、こんなに暖かいなら装備全然必要ないじゃん」
そう思い、私は事前に用意していた装備品を出来るだけ減らし、荷物を軽量化することにした。
そして2月11日(土)12時に練習会はスタートした。
【今回一緒に走った仲間】
全部で50名以上のランナーが参加していて、スタート会場は練習会とは思えないほどの熱気を帯びていた。
私のパーティは先導してくれるリーダーを含めて12名。
男性7名、女性5名で構成されている。
走り始めると予想通り暑いくらいで、長袖だと汗をかきすぎるので、出来るだけ薄手のシャツで走ることにした。ペースは自分にとっては速くもなく、遅くもなくちょうどいいくらいだったが、峠の登りになるとランナーたちの走力にバラつきが出始め、遅れるランナーも出始めた。分岐その都度遅れたランナーを待っているのだが、日中はこの休憩がちょうどよく体をクールダウンしてくれて気持ちが良かった。
【嵐山の竹林の小径は観光客で大賑わい】
そして最初の愛宕山の登りに入った。
愛宕山は京都で一番高い山で940mある。途中の登りは山道を進むのだが、標高600mを超えたあたりから雪が地面に現れ始めた。しかし、思ったほど積もっているわけでもなく、歩く場所を選べば靴が濡れる心配もなかった。
【愛宕神社に続く道】
ここまでスタートしてから3時間ほどである。通常であればペースからしても疲れるはずはなかった。
ところがどうも体調がおかしい。
いつもならこのぐらいから体がほぐれだしだんだんと調子が上がってくるはずなのだが、登りでやけに息が上がっていた。また汗の量もいつもより多い気がした(普段から人の二倍くらい汗をかくので、周りの人は「この人大丈夫?」と思っていたかもしれない)。
決してスピードについていけないわけではないのだが、何かいつもよりは調子が良くないと感じ始めていた。
経験をフル動員する
その後も調子が上がってくる気配はなく「まあ、このペースなら問題ないだろう」と自分に言い聞かせ集団の後ろの方をトボトボとついていった。
そしてスタートしてから5時間ほどたつと、あたりはだんだん暗くなり、18時を過ぎたころには夜パートに突入した。この時期は日が昇るのが朝6時過ぎなので、ここから12時間は暗闇の中を進まなければならない。そして日中は走っていると暑いくらいだったが、さすがに夜になり気温も下がり始めると、止まっている時間は身体がブルブル震えるほど寒くなってきた。
【真夜中の比叡山延暦寺】
【山頂に続く道には永遠と雪が積もっていた】
そしていつもならまだ眠気を感じない時間帯にも関わらず強い眠気が襲ってきた。
私は普段はカフェインをとらないため、カフェイン入りのジェルや飲み物を飲むと、一気に目が覚めるのだが、この時はカフェインをとっても一瞬は目が覚めるも、しばらくするとまた眠くなりだるさが再び襲ってきた。
「これはおかしい。今日は何かが変だ」
とここで私は自分の現状を分析した。
脚は特に問題はない。
ただ汗がいつも以上に汗が出ているため喉が渇く。
幸い胃腸は問題なく、食べ物を食べることはできる。
全く動けなくなるほどではないが、無理をするとさらに体調が悪くなる気がする。
眠気は襲ってくるが、カフェインを入れれば多少は眠気が取れる。
そういえば昨日は寝付けず睡眠が3時間ほどしか取れなかった。(それが原因か??)
そして過去にこういう状態になったときに何をしたかを色々思い出した。
①「最小出力モード」に切り替えペースを絶対に上げない
②補給しすぎると血糖値が上がって眠気が強くなるため補給を最低限に抑える
③水分は最小限にする(胃の吸収力が落ちているので、飲みすぎると胃に水が溜まり始める)
④体を冷やさない。特に胃の周りを冷やさない(重ね着する。温かいものを飲む。カイロを貼る)
⑤登りは足の力ではなく体全体を使って効率よく登る
⑥下りは全身をリラックスさせ重力を使って降りる
⑦無駄なエネルギーを使わないように出来るだけ会話を控える
ありがたいことに先頭と離れたとしても一定の距離を進めば待っていてくれるから迷うことはない。
あとは最小の出力でギリギリ遅れない程度についていければいい。
こんなことをずっと頭の中で考えながら、焦らずマイペースを維持することだけを心掛けた。
そして比叡山、大文字山と京都の名所の山を通過しているにも関わらず私はできるだけテンションを挙げずに進んだ。
【比叡山から見たテンションMAXになる夜景】
【真夜中に無言状態で大文字山に到着】
そしてコース終盤の伏見稲荷に到着したあたりで日が昇り始めた。
長かった夜パートが明けたのである。
【明け方に伏見稲荷に到着】
【朝日が昇り始めた】
そして日が昇り始めると、気温は上がりはじめ、日向にいれば十分暖を取ることが出来た。
そして人間はやはり日が昇ると目が覚めてくるものである。
あれほど眠かったのが嘘のように頭がすっきりし始めた。
そして最後のトレイルに到着。これを下れば嵐山に戻れると思うと、さすがにテンションが上がってきた。
(本当はもう一回愛宕山を登る予定だったが、今回は想定以上に時間がかかってしまったためパスさせてもらった)
【嵐山を見下ろす最後のトレイル】
【京都一周100km】
トータル22時間、総距離100km、累積標高4800m。
予定よりは少し短くなってしまったが、今回の体調では十分な練習量だろう。
そして想定外の体調不良をこれまでの経験を総動員して乗り越えることが出来たことが今回最大の収穫となった。
本当に楽しいこととは?
実は物事に対する面白さというのは、この想定外にこそ醍醐味があるのではないだろうか?
自分が思い描いた通りにすべての物事が進んでしまったら、私たちはそれを面白いと感じないかもしれない。
私たちは想定外の出来事にぶち当たったとき、それを自分で乗り越える努力をし、そして苦労しながら乗り越えた時に、本当に楽しさを感じるのではないだろうか。
これはきっと人生の全ての場面で当てはまる。
仕事でも趣味でも受験勉強でも恋愛でも、困難が大きければ大きいほど人は燃えるし、それを乗り越えることにやりがいを感じるはずだ。
ぜひ皆さんも自分の想定外にぶつかってみていただきたい。
そしてそれを乗り越える努力をすることが、人生を面白くする方法ではないだろうか。
□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。。
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