第23回:難しいからこそ、面白い!!《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》
2024/10/21/公開
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
トレイルランニングを少しでもかじったことがある人なら誰もが知っているレースがある。
「ハセツネ」である。
本当の名前は「日本山岳耐久レース」というのだが、伝説的なクライマーであった「長谷川恒男」の功績を称え「長谷川恒男CUP」とし、それを略して「ハセツネ」と呼ぶようになったのである。
思えば私がトレイルランニングを始めて最初に目標としたレースはハセツネだった。
トレイルランニングはマラソンのように距離がきっちり42.195kmと決まっておらず、レースによって距離や地形があまりにも違うため、どこかのレースを何時間で完走したと言っても、それがどのぐらいすごいのかは直感的にわかりにくい。
しかしハセツネは毎年開催され、しかもコースが変わることもない。
またハセツネに完走することはトレイルランナーの登竜門となっているため、ほとんどの人が一度は参加したことがあるので比較しやすいのである。
そのため、ハセツネを何時間で走ったというのは、その人のトレイルランナーとしての実力を最も客観的に判断することができる唯一と言っていいレースなのだ。
ハセツネはなぜきついのか?
ところでトレイルランニング業界でここまで名が広まっている「長谷川恒男」とは誰なのか?
ここは外せない部分なので簡単に触れておきたい。
長谷川恒男はソロクライマーとして世界で初めてヨーロッパアルプス三大北壁(マッターホルン北壁、アイガー北壁、グランド・ジョラス北壁の3つの北壁)冬季単独登攀、また南米のアコンカグア南壁冬季単独登攀を成功した伝説の登山家である。
残念ながら43歳の時にはパキスタン・カラコルム山脈にあるウルタルⅡ峰を登っている際に雪崩に巻き込まれこの世を去ってしまった。ちなみにこのウルタルⅡ峰とは7,000m級の山ながら現在になってもまだ誰も踏破したことがない山なのだという。この山に長谷川は2度挑戦したが、結局その頂を見ることは叶わなかった。
しかし、この長谷川の「未知」「未踏」「挑戦」という精神を引き継ぐために日本山岳耐久レースはできたと言っても過言ではない。なぜならこのレースには間違いなく山に対して挑戦するという精神が引き継がれているからである。
まずハセツネを過酷にしている最も象徴的なものがエイドステーションがないことだろう。
正確には一箇所だけスタートから42km走った月夜見第二駐車場で水かスポーツドリンクを1.5ℓだけ補給することができる。
現在国内で行われているレースでエイドステーションがないというレースは聞いたことがない。
特に最近ではエイドステーションがどれほど充実しているかということをウリとしているレースが増えたくらい、エイドステーションというものはトレイルランニングのレースとは切っても切り離せないものとなっている。
それは選手の補給という観点だけでなく、何かあった時にすぐに駆けつけられる場所に人を配置しておきたかったり、選手がリタイアする際に安全に辞めさせることができる体制を整えておくという意味合いも含まれている。
しかし、ハセツネにはそのエイドステーションが無いのである。
そのため選手は基本的に自分が走る間に必要な食料と水分、防寒着などを全部持っていかなければいけないのだ。またリタイヤできるポイントも限られているため、選手はレース中に自分の身に何かあった時もリタイヤできるポイントまで自力でいかなければならない。
【今回持っていった補給食】
そしてハセツネを過酷にしている二つ目の特徴が全ての選手が夜間走るという点である。
ハセツネはスタート時間が13時のため、どんなに早いトップ選手であっても、ゴールするまでに間に夜間に突入することになり、そして多くの選手が一晩山の中を走るように設定されている。
実はこれも山を走る総合的な力を判断するためのハセツネ独自の考え方なのである。
そのため、選手は夜間走ることを想定して対策を立てなければならない。10月開催のレースとはいえ、夜間の山の中はかなり冷え込むことがある。また開催場所である奥多摩は夜になると濃い霧が発生するため、ホワイトアウトしてしまい視界がかなり悪くなり走るのが非常に難しくなる。
こういった特徴はすべて長谷川恒男の山への「挑戦」の気持ちの表れであり、山に対する本当に必要な力を備えているかどうかを測るレースなのである。
9年ぶりの挑戦
さてそんなハセツに私は今回9年ぶりに参加することを決めた。
現在私は47歳なので、前回参加した時は38歳だった。
この9年間で多くのレースに参加してきて、それなりに経験は積んだつもりではあるが、まさに今回チャレンジした理由が「年齢に抗うことはできるのか?」だった。
実はハセツネは今回で3回目である。
1回目はトレイルランニングを初めてまだ2年目だったと思うが、その時は見事にハセツネの洗礼を浴びて途中でリタイヤしてしまった。
ちなみにこれまで12年トレイルランニングを続けてきて、レースでリタイヤしたのは2回しかないのだが、そのうちの1回が初めて参加したハセツネだったのである。
その悔しさを晴らすために1年間必死で練習して参加したのが2015年の大会だった。
途中で潰れた時間帯はあったものの、なんとか最後まで力を出し切ることができて、10時間46分でゴールすることができた。
あれから9年が経ち、年齢も40代後半となった。
9年前と比べると、どうしたって加齢の影響は出てきている。
老眼が始まり、自分の腕時計を見ても視点が合うところを見つけるのが難しくなった。
変な怪我が多くなり、しかもその怪我が長引くようになった。
体重が落ちにくくなり、現在減量プロジェクトを行っているが、30代で減量していた時と比べて体重を落とす作業が劇的に難しくなっている。
そして目に見えて変わったのは、髪の毛がなくなったことだろう。
昔も薄かったが、今は完全にツルッとなった。
挙げればきりがないが加齢というものは人間誰しもが経験するものなのである。
しかし、心の中では「いや、40代になろうが、50代になろうが俺はまだ成長できる」と思っている自分がいるのである。年齢を重ねたから競技力が落ちていっても仕方がないなんてショボい考えなんて持ちたくない。
まだ成長できる、まだ伸び代がある、ネバー、neverなのだと思っている自分がいるのである!!
気合いが空回り
ところが、年齢に挑戦すると意気込んでエントリーしてみたものの、気合いが空回りしてしまい6月にアキレス腱を痛めてしまった。。。
本当はハセツネに向けて練習量を増やしたいと思った時期に、いきなり練習量を減らさざるを得なくなってしまい、加齢による洗礼を浴びてしまった。
結局まともに走れるようになったのは8月に入ってからだ。
また練習がほとんどできなかった2ヶ月の間に体重も少しずつ増え、3kgほど増量してしまった。
そこから急ぎ減量プロジェクトを始めてハセツネまでに5kg減量することを目標に必死で頑張った。
結果的には目標の86kgはクリアーし85kgで当日を迎えることができた。
しかし、2ヶ月で6kg落とした影響は体力面にはっきりと表れ、9月に入って練習で走っていてもすぐに息切れしてしまい、長距離の練習はほとんどすることができなかったのである。
加齢恐るべしである。
マイペースが作れない
ハセツネは大きく前半と後半で分けることができる。
スタートから35km過ぎの三頭山までは登り中心、そこからゴールまでは下り基調となっている。
しかし下り基調とはいえ、途中の御前山、大岳山といった山には登らないといけないため、本当に走れる下りは金毘羅尾根に入ってからだ。
タイムを伸ばすためには、前半の登りで力を出し切りすぎずに、いかに後半の下りを走れるかにかかっている。
これまでに何度も試走し、前回の記憶からコースプロフィールはだいたい頭に入っていたはずだった。
しかし、9年ぶりに走ったハセツネはやはり簡単ではなかった。
【参加者数も国内最大級】
走り始めて数キロは暑さこそあるが比較的良く走れた。
また今回は先頭ブロックから一つ後ろのブロックからスタートしたため、ペースもそこまで早くなく、どちらかといえば余裕を持って走れるぐらいのペースで走れた。
ところが、第一関門の浅間峠(22km地点)になかなかつかない。
この区間は登りが多くてスピードを上げにくいことと、シングルトラックのため下りでも前の選手を抜くのが簡単ではなく、結局全体の中で走るしかできなかった。
そのためペースを上げたくても上げられず、時間はどんどん過ぎていった。
やっと浅間峠に着いたが前回走った時よりも40分も遅くなっていた。
ここからはあげようと前にいる選手を少しずつパスして順位を上げていった。
そして前半の一番のピークである三頭山に入ったところで19時を回ってしまった。
実は三頭山には1.9kmの「歩行指定区間」があり、19時を過ぎるとその区間は走ることができないのである。
【歩行区間のある三頭山山頂】
私はちょうど19時に歩行指定区間に到着したため、丸々この区間を歩くことになった。
ちなみに前回参加した時には歩行指定区間というルールがなかったため、三頭山から先の下りは走ることができたのだが、今回はそこを全て歩かなければならなかった。
そしてやっと給水ポイントの月夜見第二駐車場(第二関門)に到着し、1.5ℓの水分を補給して早々にスタートした。
【唯一の補給ポイント】
あと大きな難所といえば、御前山と大岳山である。ここさえ乗り越えればあとは比較的走れる下りなので、そこまで今の調子でいければ11時間を切れるかもしれないと期待をしていた。
ところが、ここでハセツネの難しさにぶつかったのである。
ハセツネの洗礼
御前山を登り始めるまでは調子は比較的良かった。
前半ペースが上がらなかったので、比較的足も残っていた。
ところが午前山を登り始めたあたりから、急にエネルギージェルが食べられなくなった。
気持ちが悪いのである。
ジェルを口に入れるのだが、その甘さが我慢できず、水で流し込んでようやく胃のなかに入れることができた。しかしこの時に無理やり押し込んだジェルが胃をさらに気持ち悪くさせてしまい、結局このあとジェルも水も全く口にすることができなくなってしまったのだ。
気持ち悪さはどんどん増し、ペースも急激に落ちていった。
吐いた方が楽になると思って吐こうと試みるも、すでに気持ち悪くなってから30分以上立っていたため、胃のなかのジェルも水分も腸の方に流れたらしく全く吐くことができなかった。
ペースが上がらないから体が冷えてしまい、持っているシェルを着て寒さを少しでもしのごうとするものの、エネルギーも切れているため体が温まらずさらにペースは落ちていった。
【澄み渡った空に美しい東京の夜景】
結局御前山の手前から金毘羅尾根に入るまでの15kmは3時間以上かけてほぼ全部歩き通した。
なんとかギリギリ「リタイヤする」という選択肢だけは取らずにゴールまで目指すことができたのは収穫だったが、それ以外は何もうまくできず、完全にハセツネの洗礼を浴びる形になってしまった。
簡単だったらつまらない
こうして9年ぶりのハセツネは終わった。
記録は12時間27分(総合230位/1818人中)
決して悪い記録ではないものの9年前の記録から比べたら1時間45分遅くなったわけである。
年齢に挑戦するという自分の目標は達成することはできなかった。
しかしこうして走ってみると、ハセツネは本当に自分の力が試されるレースだということを改めて感じることができた。コースの難易度もさることながら、エネルギー補給、水分補給、全てを自分の力で対処しなければならない。また今回は晴れていたので良かったが、昨年や一昨年のように雨の中であれば、さらに難易度は上がり、おそらくあれだけゆっくり歩いていたら低体温症になるリスクもあったはずだ。
終わってみて思うのは
「ハセツネは難しい。でもだからこそ面白い」
ということである。
日本でも最も古いトレイルランニングレースの一つであり、昨今の豪華なエイドステーションが売りのレースとは全く異なり、その無骨さが逆にこのレースを他のレースとは一線を画すものにしている。
そして走る人の力量によって、戦略も全く変わる。
だからこそこれだけ多くの人がこのレースに挑戦をし、自分の今の実力を試しているのだろう。
私もあらためて自分の原点を振り返るような思いがした。
「簡単だったらつまらない」
まさにこの気持ちである。
またこれから鍛え直して、またこの舞台に戻ってこようと思う。
その時こそ、もう一度年齢に挑戦しようと思う。
これだからトレイルランニングは辞められない!!
□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。2023年イタリアで開催された330kmの超ロングトレイルレース「トルデジアン」に完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。
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