第27回:Malaysia Ultra-Trail by UTMB③ 〜レース編(後編)〜《ウルトラトレイルランナーが案内する日本一過酷な鎌倉・湘南観光》
2024/12/16/公開
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
赤道直下の灼熱の地で、私は自分の限界に挑むためC4エイドを後にした。
日が上るまでは明け方に降った雨の影響もあり、湿度は高いがそこまで強い暑さは感じなかった。
ところが日が上ると、肌を刺すような直射日光の下で、汗が滝のように流れた。
加えてこのレースは普段は人が通らない山道をレースの時だけ通れるようにしているため、目印がなかったら間違いなく遭難するだろうと思うほどのけもの道を走らされた。
山と山を繋ぐロードと林道では日差しにやられ、山に入れば整備されていないトレイルを走らなければならず、太陽が上ってからも過酷な状況が続いた。
C4エイドを出てから小さめの山を二つ超えたところで、中間のC5エイドに到着した。
「こんな山の中にエイド?」と思うほど、走っている最中に突然エイドが現れて驚いた。
C5エイドはドロップバッグを受け取れるエイドで、到着するとすぐにサポートスタッフが私のゼッケン番号が着いたデポバッグを持ってきてくれた。また何か手伝うことはないかと親身に声をかけてくれて、この辺りのホスピタリティはさすが「by UTMB」のレースだなと思わせてくれた。
エイドの中には椅子が10脚ほど並んでいたが、そこには先に到着した4〜5人の選手が荷物の詰め替えを行なっていた。C4エイドでも感じたが明らかに選手たちの動きが悪い。
暑さや足の痛みで疲労しているのが伝わってきた。
しかし、私はジェルもヘッドライトの充電も十分残っていたので正直デポから詰め替えるものはなかった。
そのため通常の補給を行い、早々にC5エイドを出ることにした。
おそらくこのエイドだけで5〜6人は抜いたのではないかと思う。
レース中どこで一番時間を稼ぐことができるかといえばやはりエイドでの滞在時間の短縮だ。
例え他の選手よりも後についても簡単に5分、10分の差は挽回することができる。
もちろん長く休憩を取ることで少しは疲労を回復をさせることはできるかもしれないが、疲れて走るのが辛いのであればコースに戻ってから歩けばいい。
止まっている間は1ミリもゴールに近づいていないが、歩いてれば少しずつでもゴールに近づくことができる。
「きつくて辛いのであれば止まるのではなく歩け」
というのが私のレースでの信条の一つである。
【50km地点にあるC5エイド】
ジャングルの門番
さてレースに話を戻そう。
C5でちょうどレースの半分の50km地点まできた。
残すところはラスボスの2つの山だけである。
ところがこのラスボス前の山が曲者だった。
時折ロープを使って登らなければいけないほどの急斜面が現れたかと思うと、今度は同じ角度で下りを走らされた。
しかも雨でぬかるんでスリッピーなため、できれば何かに捕まりながら降りたいと思っていたところに手頃な木があったのでそれを掴もうとした。
ところがその木を掴もうとした瞬間、木からトゲが生えているのが見えたため慌てて手を引っ込めた。
よく見るとその木にはびっしりとトゲが生えており掴んだ瞬間に手が血だらけになること間違いなしの危険な樹木だったのである。
そして辺り一体の細い木には同じようなトゲが生えた木がたくさんあった。
スリッピーな下りを降りていて、ちょうど手を伸ばしたくなるところにトゲ…
トゲの木々はまるでジャングルの番人のように立ちはだかり、触れるだけで血を流す罠のようだった。
コースディレクターもわざとここにこの木を植えたわけではないが、人間心理を逆手にとっているというか「ここでコレかよ?」と思うようなトラップに気持ちを折られそうになった。
【これがまたちょうど良いところに生えている】
【至る所に危険なトゲの罠が仕込まれていた】
ラスボスに到着
トゲトゲゾーンを抜け、なんとか怪我なくC6エイドまで来ることができた。
実はここに来る途中から、先ほどまでの晴天からどんよりとした雲が上空を覆い、ポツポツと雨が降り出していた。天気予報でも午後は雨マークが出ていた。しかも雨マークには雷のマークまでついていたので、おそらくこれからスコールのような土砂降りの雨になるであろうことは予測がついた。
自分より後ろにいる選手は先ほどのトゲトゲゾーンを雨が降ったさらにスリッピーな状態で通るのかと思うと、ちょっと可哀想に思えた。どうかトゲトゲを掴みませんように…
さてC6までくれば残りはあと35kmである。
気合いを入れ直して、私は一つ目の山に向かった。
山に入ってまもなく急斜面の登りが始まった。
そして傍にロープがあったため、そのロープを手繰りながら斜面を登った。
途中で少し傾斜が緩やかになるも、またすぐにロープが張られている斜面にぶつかり、それが何度も続いた。
「え、もしかしてあと1,000mくらいずっとこんな感じなの?」
雨でぬかるんだ斜面は相変わらずスリッピーで、ロープが張られた箇所ではロープを使わないととてもではないが登れない。
時々、大きな岩場が現れ、そこにも当然ロープが張られているのだが、背が高い自分だから届いたけど「これ女性の場合どうやって登るのだろう?」という場所が何箇所もあった。
山頂まで約8kmで1200mUP。
日本でもこのくらいの斜度の山はあるが、日本の山のように整備された登山道ではないので、足場が悪くとにかく前に進まない。
途中で前にいる選手が見えたのだが、その数十mが壁のような斜面なので、見えている場所に辿り着くまでに数分を要し、結局追いつくことはできなかった。
【斜面の至る所にロープが張られている】
【たまに前に選手が見えるが斜度がキツくて追いつかない】
結局この最初の山の山頂に辿り着くまでに2時間半かかった。
山頂で前の選手に追いつくと自然とお互いに顔を見合わせて、
「exhausted(疲れ果てた)」
と言ったときに海外選手と初めて心が通じ合った気がした(笑)
本当にこの1本登っただけで全身疲れ切ってしまった。
これと同じレベルの山をもう一本登ると思うと悪夢としか思えなかった。
さらに辛いのが山頂からのロード12kmの下りたった。
しかも遠くの方で雷の音も鳴り出し、この状態で先ほどのモンスター級の山をもう一回登ると思うと、流石に前向きな気持ちにはなれなかった。
【とても優しいC7エイドのお兄さんたち】
雷雨の恐怖
雨は激しさを増し、空は黒い雷雲が覆い始めた。
ここで初めて気がついたが、実はコースプロフィールにあった最後の二つの山は、同じ山を違うルートから2回登るということだった。
ということは標高や山の特徴もほぼ同じということだ。
全く知らない山に向かうよりは、少しでも知った山に向かう方が気持ちは楽に感じた。
人間キツい時は体より先にメンタルが弱ってしまうが、レース終盤でメンタルが残っているというのは、調子がいい証拠なのだろう。そしてここで初めて私は自分の順位が16位まで上がっていることを知らされた。
「もしかしたら最後の走り次第でトップ10も狙えるかもしれない」
最後の山を前にして私はさらに気持ちが高揚した。
ところがそんな気持ちの高まりは最後の山に入った途端すぐにへし折られることになった。
山を登り始めてすぐに雷が近くに迫ってきているのが分かった。
雷が光ってから落雷の音がするまでの間隔がどんどん短くなってきたのである。
「ここから1,000mアップするけど、これって雷雲に自分から突っ込んでいっているのでは」
この自分の予感は見事に的中した。
雷の光と音の間隔は益々短くなった。
もう耳を両手で塞いでいないと音の大きさに耐えられないほどになった。
その瞬間、私の周囲がパッと強い光で明るくなった。
それと同時に「ズドーン!!!」と爆音が鳴り響いた。
耳をつんざくような雷鳴に体中の毛が逆立つような感覚を覚え、私は反射的にその場にしゃがみ込んだ。
これは非常に危険な状況である。
雷はその周辺で一番高いところに落ちるという。
そのため山の中で雷が鳴り始めたらできるだけ高い木から離れ、身を低くして雷が過ぎるのを待つというのが鉄則だ。
ところが周囲を見渡すと高い木しかない。
もうどこにいても落雷の可能性があるとしか思えなかった。
【こんな木しかない…】
私は幸いストックを使っていなかったので、金属類は身につけていない。
であればここにとどまるよりも少しでも高い木から離れながら進んだ方がいいのではないかと思い、ゆっくりゆっくり先に進むことにした。
その間も雷は鳴り響き、私は生まれて初めて落雷による死を身近に感じながら山道を歩いた。
幸い10分ほどすると、光と音の間隔は遠くなり雷雲からは抜けられたのだと分かったが、生きた心地がしないとはまさにあのことを言うのだろう。
正直そこから先山頂までのことはあまり覚えていない。
あまりに怖くて必死でその場から離れることばかり考えていたので正直体の疲れとか急斜面がどうのというより「逃げる」という気持ちの方が優ったのだ。
山頂に出てまた下りのロードに入り、雷の音がほとんど聞こえなくなってやっと私は安堵することができた。
私の前後の選手も同様に山の中を命からがら登っていたのではないだろうか。
ロードを降りてC10エイドに到着したが、ここは1回目に降りてきたC8エイドと同じエイドなので、本来なら私の後続のランナーがもっといても良さそうなものだが意外と人が少なかった。
これは後で聞いた話だが、雷雨が激しくなったため、レースが一時的に中断されていたらしい。
その後レースは再開されたが、最後の山に入るのは危険と判断されたようで、コースが一部カットされたとのことだった。
【C8、C10エイドには思ったより選手が少なかった】
完走
C10エイドからゴールまではロードを進んだ。
ゴールに向かう途中から50k、25kの選手たちと一緒になり、ゴールは人でごった返していた。
選手の中には何人も背中一面泥だらけになっている選手かいて、おそらくスリッピーな山の中で何度も転んだのだろうと想像することができた。
そんな選手たちと一緒に私もゴールした。
【ゴール会場は選手で溢れかえっていた】
結果は総合13位、男性10位、40代4位、日本人1位だった。
正直海外のレース、しかも「by UTMB」の冠がつくこのレースで、この結果を出せたことに非常に驚いている。
いくつか今回のレースで結果が出た理由があると思うが思いつくところでは
・ダイエットの効果が出た
・マレーシアに来てからレースまでの間に体を休息させることができた
・レースまでの食事で意図せず「カーボローディング」していた
・マレーシアで家族と楽しい時間を過ごしていたのでストレスフリーの状態だった
・自分が思った以上に暑さに強い体質だった
・天候が荒れたため他の選手が調子を落とした
・このレースに強い選手が出てなかった
こんなところが理由に挙げられる。
特に自分が感じたのは、ダイエットからのリカバリーである。
正直1ヶ月前に出た「ハセツネ」では体にあまり力が入らなかった。
体重を減らすためにレースの直前まで食事をセーブしていたので、エネルギーが枯渇していたのだ。
(参考)ハセツネの反省録はこちら
https://x.gd/77Vnj
ところがマレーシアに来てから5日間ほど練習量も朝のジョギングくらいだったし、最高に美味しい食事を家族と楽しむことができたので、心も体も十分リカバリーすることができていた。
今回マレーシアに来て食事に対する見方がガラリと変わった。
これまでも食事には注意を払っていたつもりだったが、人間の体は食べ物で作られていることを今更ながら実感することができた。
ちなみにこの大会、決して万人にオススメできるという類のレースではないが、怖いもの見たさに参加してみるのは面白いと思うので、ぜひ来年我こそはと思う方は参加してほしい(笑)
【表彰式で大会会長と記念撮影】
【痛んだお肌もリカバリー】
□ライターズプロフィール
佐藤謙介(READING LIFE編集部公認ライター)
静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの大会「UTMB」に参戦し完走。2023年イタリアで開催された330kmの超ロングトレイルレース「トルデジアン」に完走。普段は鎌倉・湘南エリアを中心にトレイルランニングを日常として楽しんでいる。
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