週刊READING LIFE

桃太郎に惚れた女の結末《週刊READING LIFE vol.1「自分史上、最低最悪の恋」》


 

記事:松下広美(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)

※この話はフィクションです

「これから、どうしたらいいんだろう……」

それはこっちのセリフだよ、と目の前の男に、心の中で悪態をつく。そんな私には目もくれずに、男は抱えている一升瓶に口をつける。
ここのところ、一日中、飲んだくれている。

なんで、こんな男に惚れてしまったのだろう。

目の前にいる男をじっと見つめて、そんなことを思う。
飲むのなら家で飲めばいいのに、砂浜にあぐらをかいて座り込む。タバコを吸っていないだけ、まだマシなのだろうか。何度も自分に言い聞かせて見たけれど、あのだらしなく着物を着ている姿を見ると、私の方がどうしようもなく落ち込む。
あの人は、海の先に見える島を見て、あの頃のことを懐かしんでいるんだろうか。

彼の、鬼ヶ島へ鬼退治に行く話が、ドキュメンタリーとして作られた。
はじめは岡山の、ローカル番組で取り上げられただけだったのだが、次第に口コミで話題になり、再放送として、各地域で放映された。岡山の最初の放映から1年後には全国で彼のことを知らない人はいないというところまでいった。絵本にもなり、子どもたちの憧れのヒーローになった。

そう、彼の名は、桃太郎という。

しかし、あのドキュメンタリーの裏側にあった、本当の話を知っている人は、あまりいない。

私と桃太郎との出会いは、偶然だった。

「桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけたきびだんご、ひとつ私にくださいな」
と、ドキュメンタリーの中で私は言ったことになっている。
でも、本当は……。

彼と出会う少し前、私はお見合いをしていた。順調に話も進み、結婚まで3ヶ月に迫っていた。

「なんか、このまま結婚しちゃっていいのかな?」
「えー、マリッジブルー?」
確かにマリッジブルーだったのかもしれない。そのまま親の言う通りの人生でいいのかなと、悩んでいた。相手が父親の部下だから、先の人生もなんとなく予想はついていた。つい、友達のクマ子に愚痴ってしまった。
「このまま平凡な人生も、つまんないなーって思っちゃって」
「じゃあ……ちょっと違う男も見てみる?」

あのときの私に言ってあげたい。「先のことをよく考えて、行動しなさい」と。

クマ子に誘われて、異業種交流会に行った。
異業種交流会というのは名前だけで、クラブで開かれた、街コンのようなものだった。
「ねぇ、一緒に飲まない?」
そう、声を掛けてきたのは、金太郎さんという人だった。
クマ子と金太郎さんは、柔道をやっているという共通点から盛り上がっていた。だから私は、金太郎さんのツレと話すしかなかった。そのツレが、桃太郎。
「そのツレ」なんて言ってみたけど、正直なところ、一目惚れだった。見た目もカッコよかったし、自分でベンチャーを立ち上げたっていうところもカッコよく感じた。

結婚も決まっていたし、一目惚れした気持ちは隠していた。それでも桃太郎に会いたくて、「仕事の相談があるの」と何度か誘った。誘いにはいつも快く応じてくれて、私の悩みに的確に答えをくれた。本当は答えなんていらないような悩みばかりだったんだけど、真剣に答えてくれている桃太郎を眺めているだけで満足だった。
結婚してからも、その付き合いは続いていた。
ただの相談相手だし、友達だし……と、しっかり自分に言い聞かせて。
でも、会うときは、薬指の指輪は外していた。

「俺の仕事、手伝ってくれないか?」
桃太郎との出会いから数年経ったある日、誘われた。
これまでにない真剣な眼差して見つめられ、その瞳の奥を見つめながら、
「もちろん!」
と、後先考えずに、OKしていた。

返事をした帰り道、駅から家まで、いつもより遠回りをして帰った。夫に転職をどう説明しようか考える時間が欲しかった。何も考えずにOKしてしまったことをほんの少しだけ後悔した。考えたところでOKしていたんだろうけど。
あぁ、転職するだなんて、絶対理由を聞かれる。いまの会社に不満があったと伝えようか。人間関係、仕事内容、どう説明しても嘘になる。
「少しでも桃太郎の近くにいたい」って、本当の気持ちなんて、絶対に言えない。

重い足を引きずり、玄関のドアを開ける。
「ただいま」
夫はビールの缶を片手に、テレビを見ていた。
「おかえり。今日も遅かったな」
「あ、うん。残業が、ね」
「そうか」
「私、転職しようかと思って」
「うん」
「新しい会社なんだけどね……」
今よりは残業が少なくなるだろうし、面白そうな仕事なの、と続けようとしたのに、
「わかった。じゃあ、僕たち、別れようか」
え?
思ってもみない、言葉が返ってきた。
「あいつのところ、行くんだろ。桃太郎とかいう奴の」

夫は、私がときどき桃太郎と会っていたことを知っていたのだ。知っていながら、知らないふりをしていた。
きっと、私の桃太郎への気持ちもわかっていたのだろう。

夫が元夫になるのを待って、桃太郎の会社で働くことになった。

桃太郎の会社に入ってすぐ、新しいプロジェクトが立ち上がった。
それが『鬼ヶ島への鬼退治』だった。
会社の中では猛反対にあっていたらしく、誰もプロジェクトリーダーをやりたがらなかった。そのポストへ私が入ることとなった。プロジェクトメンバーはサル男さんという少し年配の地味なおじさんと、キジ代さんというちょっと派手めのお姉さん。
プロジェクトの会議があると必ず、きびだんごの差し入れが社長の桃太郎からあった。
会議を重ねている時期は、これから鬼ヶ島へ行くんだという楽しさが、嫌なことを何もかも吹き飛ばしてくれた。
そして、熱い想いを語る桃太郎を、嫌というほど見つめていられる。

桃太郎の熱い想いは私たちプロジェクトメンバーにも伝染し、鬼ヶ島への鬼退治は大成功に終わった。
その結果を受けて、猛反対していた社員たちも手のひらを返したように絶賛した。私は転職組ながら、桃太郎の右腕として認められるようになった。

未来はどこまでもキラキラしていると、信じることができた。
ずっとずっと、そんな時が続くのだと、信じていた。

それなのに。

この、鬼ヶ島への鬼退治プロジェクトが、社長の桃太郎の生い立ちと共にドキュメンタリー化して、話題になり、桃太郎は各メディアに引っ張りだこだった。私はリーダーだったという経歴から、桃太郎と行動を共にしてメディアに顔を出すことも多かった。自然と、会社に行く時間が減っていた。
この頃から、気づかないうちに、風向きが変わっていたのだろう。
会社にもうちょっといることができたら、この流れを少しでも止めることができたのだろうか。

「ワタクシ、この度、辞めることに致しました」
サル男さんから、辞めるという言葉を聞いたのは、絵本が20万部を超えたあたりだっただろうか。サル男さんを引き止めておけばよかったと、今なら思う。
サル男さんは地道に信頼できる人を集め、会社を設立した。地味なのはフリだけで、裏ではズル賢い人だったらしいと後から聞いた。
しかもサル男さんが作った会社は、桃太郎の会社とライバルとなる会社だった。

少しずつ、桃太郎の会社の経営は傾いていった。
それでも過去の栄光を忘れられなかったのだろうか。経営を立て直すつもりで立ち上がった、桃太郎の指示で立ち上がった新たなプロジェクトは、『鬼ヶ島への鬼退治2』だった。
最初のプロジェクトとほとんど変わりのない計画は、鬼たちにはバレバレだった。しかも初期メンバーのような熱さや精細さがなく、大失敗に終わる。

会社は大打撃を受けた。
それでもなんとか、耐えていた。
耐えていたのに……。

「大変です! 一大事です!」
血相を変えて、私のところへ社員がやってきた。
「キジ代さんが、キジ代さんが……」
キジ代さんには経理を任せていた。キジ代さんが長期休暇を取っていたので、代わりに経理をしていた社員が、全く支払いができない状況だと報告にきた。
「どういうこと!?」
「よくわからないんです。ただ、引き落としができないと銀行から……」
電話を掛けてみるが繋がらない。「お掛けになった電話は現在使われておりません。もう一度お確かめの上……」というアナウンスが流れるだけだった。

「持ち逃げ!?」
「たぶん。どこにいるかもわからず、たぶん、高飛びを……」
桃太郎に報告すると、青鬼よりも青い顔をして、黙りこんでしまった。

いろいろなところへの支払いは滞り、桃太郎の会社は倒産という形を取るしか、方法がなかった。

「イヌ子、俺、これからどうしたらいい?」

今にも死にそうな声で、桃太郎は聞いてくる。
声だけではなく、頬はこけ、青白い顔をして、今にも死んでしまうのではないかという姿をしている。

桃太郎に惚れるんじゃなかった。
この人についていきたいと思った。
好きだとも言えなかった。
ホント、最低最悪の恋だ。

それでも……。
私がこうやって砂浜までついてくるのは、愛情なのか、同情なのか。
毎日、桃太郎の情けない姿を見るたびに、私があのとき、ああしておけば、こうしておけばという思いが駆け巡る。

でも、桃太郎と出会わなければよかったとは思わない。
あのまま平凡な結婚生活をして、平凡な生き方をしている私なんて、想像できない。

「寒くなってきたから、そろそろ帰ろっか」
夕日に映る横顔を見ると、私が惚れた桃太郎だと、大好きな桃太郎だと、そう思う。

あ、メールだ。

『桜がそろそろ見頃です。ご主人と一緒にいらしてください』

この前、バイトに行ったおじいさんのところの桜が、そろそろ見頃らしい。
ちょっと「ここ掘ってみたら?」って言っただけなんだけど、なんかそれから可愛がってくれるんだよね。

明日は、桃太郎をつれて、お花見に行こうかな。

 

❏ライタープロフィール
松下広美(Hiromi Matsushita)
1979年名古屋市生まれ。臨床検査技師。
会社員として働く傍ら、天狼院書店のライティング・ゼミを受講したことをきっかけにライターを目指す。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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