週刊READING LIFE vol.16

あの時は分からなかったこと《週刊READING LIFE vol.16「先輩と後輩」》


記事:中川文香(READING LIFE公認ライター)

 
 

※文中の人物名は仮名です。

 
 

「田中くんが辞めたの、連絡あった?」
 
久しぶりに先輩から届いたLINEのメッセージ画面を見て「えっ!?」と思わず小さく声が出た。
とともに、「ついにきたか……」というしんとした気持ちになる。
 
田中さんは、以前私が勤めていた会社の先輩だった。
2つ年上で年齢が近いこともあり、すごくお世話になった方だ。
どちらかというと寡黙なタイプのイケメン。
入社してすぐは「静かな方だなぁ」と思って遠巻きに見ていたけれど、だんだんと同じプロジェクトに入るようになり、慣れるとよく話してくれるようになった。
寡黙なのは変わらないのだけれど、話してみるとすごく優しい方なんだな、というのが伝わってきた。
私が困っていると「どうした?」と声をかけてくれ、疲れていると「やってらんないよね!」とふざけて一緒に愚痴を言う。
たまに「まだ結婚すらしてないのに、実年齢より10歳上の子持ちに見られた……」とか「前の仕事先にいたあの人が芸能人の〇〇に似てたと思うんだけど、どう思う?」などと小さい声でぼそっとつぶやき、私がつっこむ、というどうでも良いやりとりをして、笑わせてくれた。
あまり多くは語らないけれど、人の気持ちをすごく深くまでとらえて静かに自分の中に持っていて、必要なときだけ助けてくれる、そんな方だった。
本当に優しい人って、そういう人のことを言うんだと思う。

 
 

そんな田中さんの様子がおかしくなったのは、私が入社してしばらくした頃だった。

 
 

朝のミーティングで「しばらくお休みすることになりました」と上司が告げた。
鬱だった。
入社したての頃、田中さんと同じプロジェクトになったことがあった。
後から知ったのだけれど、そのプロジェクトは新しい仕組みを取り入れた肝入りプロジェクトだったらしく、プロジェクトリーダーもすごく張り切っていた。
ただ、その地区で導入事例がほぼ無かったため、みんな手探りで連日深夜までこもって作業していた。
田中さんと、私と、他にもう二人、私の会社から人が出ていてチームとしては四人だったのだけれど、私は入社したてのぺーぺーだし、田中さんを含めた他の三人も会社の中ではかなり若手の方で、それでもそのプロジェクトを進めながら、私の面倒も見ないといけない、という立場だった。
自分の仕事も抱えながら、後輩の面倒も見て、お客さんの要望に手探りで応えないといけない。
今考えてみると、本当にきつかっただろうなぁ、と思う。
だけど、当時の私は自分の仕事をこなすのが精一杯で、周りがまったく見えていなかった。
お客さんの元へ打ち合わせに行って、田中さんがなかなか帰ってこられないことがしょっちゅうあったのも、その後深夜まで作業するのも「そんなものなんだ」と思って必死にくらいついて、自分を支えるのでいっぱいいっぱいだった。
その後、田中さんは私とは別のプロジェクトに入ることになり、頻繁に顔を合わせることはなくなった。
その間、仕事に出てこられなくなることがしばしばあり、私が気づいた頃には、ついに“しばらく休業します”というところまできていた。

 
 

休みが明けて、田中さんが出勤してくるようになった。
やはり、元気が無いように見えることも多かったけれど、だんだんと以前のような状態に戻っているような気がして、私もうれしかった。
休みを終えた後、私と田中さんは同じプロジェクトに入ることが多くなった。
ある日、お客さんの元へ二人で行く予定だった日。
朝、駅で待ち合わせて一緒に行くことになっていた。
けれど、時間になっても姿が見えない。
電話をかけても出ない。
約束の時間を5分……10分……時間が過ぎていく。
ロータリーの中を無人のタクシーだけが静かに通り過ぎてゆく。
打ち合わせの時間に間に合うぎりぎりになって、私はあきらめて電車に乗った。
 
その日、田中さんは仕事に来なかった。
 
翌日、携帯にメッセージが来ていた。
「昨日はごめん。ちょっと体調が悪くて行けなかった。本当に申し訳ない」
絞り出したような、ほんの短いメッセージに気持ちがざわざわした。
 
それから、田中さんは調子が良いなと思っていたら急にぱったりと連絡が取れなくなり、数日休んで出てくる、ということを繰り返していた。
休んだ後に仕事に出てくるときには、毎回必ず「申し訳ない」と言ってみんなに謝っていた。
心から言っているのだと分かった。

 
 

この人は今、すごく苦しんでいる。
 
なんとか力になりたいと思った。
 
私ができるのは、彼が休んで空いた穴を少し埋めることだと思った。
だから一生懸命サポートした。
急に出られなくなった打ち合わせに代わりに出席したり、ほとんどはスケジュール通り進んでいるものの、ちょっとだけ終わっていない作業を進めたり、考えつくことを出来るだけやった。
ただ、戻ってきて欲しい一心だった。
それだけがむしゃらにやっていると、だんだんと私に任される仕事が増えていった。
仕事は好きだったし楽しかったし、信頼されるのは嬉しかった。
けれど、だんだんと上手く回らなくなってきた。
その時私は増えてくる仕事量以外にもいくつか問題を抱えていて、それを両手いっぱいに抱えながら走っていて、「もう歩けないよ!」と全部放り出す一歩手前だったと思う。
気持ちが固くなって、いつもぴりぴりしていた。
田中さんとまた一緒に仕事したい、という気持ちの余裕も無くなりつつあった。
ぎりぎりの状態で、なんとかひとつずつ荷物を下ろして、でも自分の限界を感じて会社を去ることに決めたとき。
気がかりだったのは、田中さんのことだった。
彼がまだ本調子でない中、私が先に辞めるのはなんだかすごく後ろめたかった。
裏切っているような、そんな気がした。
 
「辞めます」ということを伝えた後、社内で飲み会があったとき帰り道で田中さんと二人になった。
そのとき、田中さんは少し調子が良い状態で、少し酔っ払っていて「そうかぁ~、辞めるのかぁ~」と悔しそうに言っていた。
酔っ払っていたのも手伝って、私はそれまで自分に起きていた色々な嫌なことを、「こんなことがあったんですよ!!」とすべて田中さんに話していた。
それまで誰にも相談できなかった色々なこと。
田中さんは「それはきつかったね」「うわ、最悪やな!」と言いながら、聞いてくれた。
私の話を聞きながら、自分の思うこと、考えていたことも話してくれた。
そして、「なんとなく、“ちょっと様子がおかしいな”と思ったりしていたけど、何も出来なくてごめんね」とぽつりと言った。
私は、その一言でちょっと泣いてしまった。
それだけで、なんだか少し胸がすーっとした気がした。
そしてふと、「この人ももしかしたらこれが必要だったんじゃないか?」という気持ちになった。
 
私はなんとか助けようとして、仕事のサポートをすることを頑張っていたけれど、田中さんに必要だったのはこんな風に気持ちをさらけ出して話をし合える環境だったのではないか。
ただでさえ、人の気持ちを敏感に感じ取ってしまう田中さんには、それを吐き出す場がどこかに必要だったんじゃないか?
最後の最後にじっくり話をしてみて、そのことに気づいた。
それから程なくして私は会社を辞め、田中さんもその一年後には会社を去っていた。

 
 

「この人を助けたい」
「この人のちからになりたい」
そう思うような相手は、きっと自分にとって大切な人だ。
私にとっての田中さんも、そんな存在だった。
「異性として好き」とか「付き合いたい」とかいう感情は全く無く、でもまた一緒に仕事をしたい、くだらない話をしたい、と思うような人だった。
なんというか、ひとりの人として好きな人。
そんな人が何かに困ったり、立ち止まったりしている時に大切なのは、自分なりに考えてその人のために何かをすることではなく、まずはその相手の気持ちを分かろうとすることではないか。
自分の頭だけで考えて行動することには限界がある。
そこには相手の感情が一切入っていないからだ。
もしかしたら、自分は良かれと思ってやっていても相手にとっては嬉しいことではなかった、ということも起こり得るかもしれない。
まずは本人に歩調を合わせて、その人から見た世界を自分の世界に重ねてみることだ。
そうしたら、少し、気持ちが理解できるかもしれない。
なにか相手のためになることをやろうとするのは、そこからでも遅くはないだろう。
 
田中さんは、今どこで何をしているのだろうか。
分からないけれど、誰かと笑顔で過ごしていたら良いと思う。
楽しいと思うことをたくさんして、元気でいたら良いと思う。
そしてまた何年後かに「おー、久しぶり! 元気にしてた?」と笑って話せる日がきたらいいな、と思っている。

 
 

ライタープロフィール

中川 文香(READING LIFE公認ライター)
鹿児島県生まれ。大学進学で宮崎県、就職にて福岡県に住む。
システムエンジニアとして働く間に九州各県を仕事でまわる。
2017年Uターン。

Uターン後、地元コミュニティFM局でのパーソナリティー、地域情報発信の記事執筆などの活動を経て、まちづくりに興味を持つようになる。
現在は事務職として働きながら文章を書いている。
NLP(神経言語プログラミング)勉強中。
NLPマスタープラクティショナー、LABプロファイルプラクティショナー。

興味のある分野は まちづくり・心理学。

http://tenro-in.com/zemi/66768


2019-01-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.16

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