週刊READING LIFE vol.17

私はあなたに一目惚れしたのです!《週刊READING LIFE vol.17「オタクで何が悪い!」》

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記事:津田智子((READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

私は10年ほど前、あなたの中に入り込んで以来、ずっとあなたに魅せられています。
その時はあなたに会いに行ったわけではなく、目的は滝行でした。もちろん、初めての滝浴びでいろんなことを感じ、たくさんの刺激を受けました。でも、私は、滝だけじゃなくて、天高くそびえたつ木々、透明な水、せせらぎの音、木漏れ日、鳥の鳴き声、小さな草花、湧き水の爽やかな味といったあなたの世界まるごとにすっかり惚れ込んでしまったのです。
 
私はあなたと同じ都内に長らく住んでいるのに、40歳を過ぎるまであなたの美しさに気づきませんでした。というか、あなたに出会う機会がありませんでした。それまでも山には登ったことはありました。小学校3年生の時に高尾山には登ったはずです。大学の時には富士山にも登りました。でも、高尾山の時は登りきるのに精一杯で、ゆっくり眺めたり楽しんだりする余裕がありませんでした。そして、富士山は5合目から登ったので、歩き始めてほどなく森林限界を超えてしまいました。緑も木もない山は私の心を弾ませることなく、その道のりは拷問以外の何ものでもありませんでした。
 
「あなた」、私が心を込めてそう呼ぶあなたとは、「奥多摩地域」です。山で隣の村ともつながっているので、近隣の村も含めましょう。私があなたに初めて出会ったのは御岳山でしたね。滝行の後、私は一人で綾広の滝からロックガーデンにかけて散策しました。真昼間だったので、木々を通して日の光が降り注ぎ、水も葉っぱも苔もキラキラ輝いていました。
 
川の水があまりにも透明できれいだったので、私は手ですくい取って飲み干しました。日は照っているし、全然寒くないのに、水はとっても冷たくてびっくりしました。
 
私はそこにあるものすべてを存分に味わいたくて、ふかふかの苔や湿った岩に触れ、木を抱きしめ、思いっきり深呼吸しました。「東京からたった2時間、電車に乗るだけで、こんな美しい夢のような空間にたどり着けるなんて……」私は感動して言葉が出ませんでした。あの時の私の感動と言いましょうか。胸の高鳴りは、もしかしたらあなたにまで聞こえていたかもしれません。
 
あの時のあなたとの出会い以来、私は頻繁にあなたを訪れるようになりました。丸一日空いていて天気が良さそうであれば「今日はどのコースにしようかなあ」と考えます。日帰りで気軽に行ける山は山梨や神奈川にもありますが、私にとっては、やはりあなたは特別な存在です。山の魅力を教えてくれたあなたには特別な思い入れがあるので、ついあなたを選んでしまいます。
 
あなたに会いに行くとき、私は立川から青梅線に乗りますが、青梅から先は景色が一変します。それまで住宅街だったのが、一気に山また山の異世界に入っていきます。そしてあなたの山はかなり急峻です。車窓から見ているだけではわかりませんが、歩いてみると気づきます。標高1000メートル以下でも、侮れません。私は急こう配が苦手なので、数分おきに立ち止まって休みつつ、肩でゼシゼイ息をしながら登ったこともありました。
 
また、道幅が30センチほどしかなくて、それなのに土が少し崩れていて、しかも転げ落ちそうなくらい斜面が急だったりすると、足がすくみます。百名山のような有名な山の場合は、大勢の人が登るので広めの道がきちんと整備されていますが、低山では人がすれ違うことはほとんどありません。私の場合、運動神経が悪いせいもありますが、狭くて滑りそうな所に来るとよく周りの木につかまったり、四つ這いになったりしながら通っています。でも、それがまた楽しのです。「私、今がんばっているぞ~。冒険しているぞ~」という気になるのです。
 
奥多摩ならではの見どころはやはり滝でしょう。迫力満点の百尋の滝、山を登らないとたどり着けず、まさに天狗が住んでいそうな天狗の滝、日本の滝百選にランクインしている払沢の滝、綾の織物を垂れ下げたように流れる女性的な綾滝、三ツ釜ノ滝、ネジレノ滝、大滝というユニークな滝3本を見られる散歩道などなど……。山や温泉なら山梨や神奈川の丹沢でも楽しめますが、山歩きをしながらここまで数多くの滝を楽しめるコースは奥多摩にしかありません。
 
山を歩いているうちにいつのまにか奥多摩町の境を越え、都内の桧原村や山梨県の小菅村や丹波村に入っていることもあります。そういう時は温泉を楽しむチャンスです。それぞれの村に温泉があるので、異なる温泉に入れます。奥多摩駅周辺にも「もえぎの湯」のほか、いくつかの宿で日帰り湯に入ることはできますが、小菅村の「小菅の湯」、丹波村の「のめこい湯」はいずれも車かバスでないとアクセスできない不便な場所にあるので、秘湯感が強いのです。
 
初めて小菅の湯に入った時は、お湯のぬめりというか、とろみに驚きました。体中がぬめぬめになった記憶があります。ただ、この辺りでは熱いお湯は沸き出ていないので、いずれも鉱泉を加熱したものだそうです。無色透明なので、硫黄分と鉄分とかも入ってなさそうですが、山歩きで疲労した身体にとっては、お湯に浸かれるだけでも御の字です。
 
奥多摩町は面積の94%弱を森林が占めています。山また山の町ですが、その中で、御岳山は昔から信仰の山として関東近郊に知れ渡っていました。今でも御岳山には立派な神社が鎮座し、お店数件と民宿20軒近くがあり、一つの町を形成していますが、昔は今よりずっと多くの山伏が集落を作って生活しながら、山を駆け巡って修行していたことでしょう。
 
御岳山山頂にある御嶽神社は大口真神を祀っています。この神様はおいぬ様と呼ばれていますが、犬ではなくて狼です。昔々、ヤマトタケル(日本武尊)が御岳山から埼玉方面に東征しようとした際、霧が発生して道に迷ってしまいました。困っているところに白い狼が現れて、道案内してくれたと言われています。このときの狼への信仰心が今でも受け継がれ、御岳山や大岳山など、この辺りの山々では狼が祀られています。
 
私がこれまで一人であちこち歩き回っても、道に迷うことなく、ケガすることもなく、無事に山を楽しめていたのは、もしかしたら大口真神様が守って下さっていたからかもしれません。
 
私はたまに体全体であなたを感じたくて、素足で歩くこともあります。小石が少なくて土がふかふかのところに来ると、素肌で土を感じたくなるんです。靴と靴下を一気に脱いで靴下を靴に突っ込んで両手に持ち、歩き始めます。たまにほかの登山客に奇異な目で観られることもありますが、あまり気にしません。
 
日の光が注いでいると最高に気持ちが良いのですが、奥多摩はスギやヒノキなどの人工林も多いため、15時を過ぎると薄暗くなってきます。暗い森は都会人の私には想像がつかない世界です。結局いつも真っ暗になる前に山から里に着いてしまいますが、夜の森の不気味な感じは私に恐怖感を覚えさせる同時に冒険心をくすぐります。いつか夜のあなたをも体験できたらうれしいです。
 
樹木はフィトンチッドと呼ばれる揮発性の化学物質を発散して微生物から自分たちの体を守っていると言われています。そのフィトンチッドは殺菌性を持つけれど、人間にとっては癒しや安らぎをもたらしてくれて、私たちの体を健康にしてくれます。
 
森林セラピーの先生によると、森林浴の効果は1か月で切れるそうです。私は1か月以上森林に入らずにいると、そわそわしてきて都心から出たくなり、土日の天気をチェックし出すのですが、それはわたしの身体が「そろそろフィトンチッドを取り込んでくれ」と指令を出しているからかもしれません。
 
私はいつも一人であなたを訪れます。友達に話すと「えー、山に一人で?」と驚かれます。「何かあったら大変だから、誰かと一緒に行った方がいいよ」と諫められることもあります。でも、あなたは私にとって特別の存在だから、やっぱり独り占めしたいんです。自分のペースで楽しみたいんです。そんなときはいつも「私は奥多摩ファンを通り越して、奥多摩オタクだからほっといて~」と心の中で叫びます。あと数か月して温かくなり始めたら、また行きます! 今からあなたとの再会を楽しみにしています!

 
 
 

❏ライタープロフィール
津田智子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
京都府で生まれ、神奈川県で育つ。慶應義塾大学卒業。現在は金融機関で運用レポートの日英翻訳を担当。米メディアで7年間、企業ニュースを英日翻訳していた経験も持つ。英検1級。語順を入れ替えたり、文章を切り分けたりすることで、簡潔でわかりやすい文章を紡ぎ出すよう日々心掛けている。好奇心旺盛で旅をこよなく愛し、20~30代は長期休暇のたびに海外へ。これまで訪れた国の数は50以上。40歳を超えてからは、山登りや農村巡りなど国内の旅を楽しんでいる。奥多摩の御岳山で毎年滝行に励み、出羽三山の山伏修行にも3度参加。山伏名は「聖華」。

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2019-01-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.17

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