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週刊READING LIFE vol.18

私が変わったのは、ひとりのおばあさんが目の前を通り過ぎていったからだ。《週刊READING LIFE vol.18「習慣と思考法」》


記事:松下広美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「えー、私、結構ネガティブだよ?」
「そんなことないですよー。めっちゃ前向きじゃないですかー」
「そうかなぁ……」

 

仕事中に、同僚と話をしていたときのこと。
どういう流れだったかは忘れたけれど、プラス思考なのかマイナス思考なのかという話になった。

 

その同僚は、私がプラス思考の持ち主だと、やけに力説をする。

 
 
 

でも……。
私はかなりのネガティブな考えの持ち主だった。

 
 
 

「ねー、なんかいいことないかなー」
「次もビール? それともボトル?」

 

私のつぶやきなど、なかったかのように追加ドリンクの注文を聞かれる。

 

20代の頃、仕事帰りによく立ち寄る店があった。立ち寄りすぎて、いつしか「いらっしゃいませ」ではなくて「おかえり」と言われるような客になっていた。
会社の近くに見つけた、創作イタリアンの店。居酒屋よりバーに近いその店は、大人になったことをアピールしたい私にはぴったりだった。
一枚岩のカウンターに座り、その日にあったことを一通り話すと決まって
「なんかいいことないかなー」
とつぶやく。

 

仕事は毎日、同じことの繰り返し。
家に帰っても、親が待っているだけ。休日にちょっとダラダラしているだけで「たまには家のことも手伝いなさい」と、うるさく言われる。
彼氏だって、何年もいない。
「なんかいいこと」がないような気がして、「なんかいいこと」いつも探していた。

 

その日も、いつもと同じように「なんかいいこと」を探す人として……いや、そんな自覚もなく「なんかいいことないかなー」と、つぶやいていた。

 

「ひろみちゃんってさ、いつもそう言ってるよね」
「え? そう?」
隣の席の佐野ちゃんから、話しかけられる。
佐野ちゃんとはその店で、よく一緒になった。お互い、入り浸っていただけなんだけど。
「だって、日記の中でもよく言ってるじゃん」
「えー、マジ? 自覚ないわー。っていうか、読んでるの? 私の日記」
「この間、教えてくれたじゃん」
日記といっても、作っていたホームページの中のブログのような日記。ブログという言葉が生まれる前から、不定期で細々と書いていた、つぶやきのような日記。
そういえば少し前に、日記やってるんだー、って佐野ちゃんに話した気がする。

 

「それにさー、読んでて思ったんだけど、ひろみちゃんの日記って、愚痴っぽいよね」
あ、確かにそうかも。
書くのは、いつも深夜。その日のことを書いていると、思い出すのはイラッとしたことやムカつくこと。そういうことの方が勢いよく書けるので、どうしてもそっち寄りになってしまう。

 

でも、じゃあ、どうすれば……?

 

酔って話すことは、本音が出やすい。
だけど、酔って聞くことなので、すぐに忘れる。
いつもなら、忘れる。
でも「愚痴っぽいよね」と言われたことは、なんだか引っかかった。心にほんの少しだけ、ざらっとしたものが残っていた。
いざ日記の更新をしようと思ったとき、そのざらつきは大きくなった。
だから、書くときに迷ってしまった。

 

愚痴とか、ムカつくこととか、マイナスのこと。
だったら、プラスのことを書けばいいのか。
でもプラスのことって、別にいいことがいつもあるわけじゃないし……。
いや、なんか、また愚痴っぽいとか言われるのも、嫌だ……。

 

『先日、日記が愚痴っぽいって言われちゃいました。
なので、今日から最後に「きょうのいいこと」を書くことにします。
ほんのちょっとした「いいこと」を探そうと思います』

 

考えた末に、思いついたのは『きょうのいいこと』を日記に書くことだった。
そして、日記の中でも宣言した。
本文にはどれだけ「ムカついたー」と書いても、最後に『きょうのいいこと』を書いた。全く本文には関係ないことでも、その日にあった「いいこと」を記すことにした。
そうなると「いいこと」を探さなくてはいけない。
「なんかいいことないかなー」とつぶやいている場合じゃない。
とはいえ、最初は
『今日はご飯がおいしかった』とか『早く仕事が終わった』とか、そんなことだった。
それでも、日記を書いた最後には「きょうのいいこと」を書いていた。

 

でも、ある日のこと。
いつもの通勤途中。赤信号で車を止めた。
先頭だったので、ぼーっと目の前の横断歩道を歩く人を見る。
そのとき、一人のおばあさんが目に入った。
最初に渡り始めた人が渡り終える頃、そのおばあさんは横断歩道を渡り始めた。若い人とは違って、ゆっくりゆっくり歩く。渡り終わるかな、とちょっと心配になる。
ほらほら、歩行者信号が点滅し始めたよ。早く渡らなきゃ。
おばあさんも、点滅を始めた信号に気づいたみたい。
あーどうするんだろう。
ハラハラして、様子をうかがう。
おばあさんは、横断歩道の中央の、安全なところに止まった。
渡るのをあきらめたんだ。そのまま待つんだろうな、と思った。
あっ。
そのまま立って待つんだろうと思ったら、引いていたキャリーバッグに座った。
座れるんだ、あのバッグ。
ドキドキしながら見守っていた私は、あわてない様子で横断歩道の真ん中で座り込んでいるおばあさんを見ていたら、ほっこりした。
今日いちにち、なんだかいいことありそう。
そんなふうに思えた。

 

『きょうのいいこと
横断歩道を渡るおばあさんを見ていたら、なんだかほっこりしました』

 

その日の日記には、そう記した。

 
 
 

横断歩道を渡るおばあさんなんて、それまで何回も見ていたのかもしれない。通り過ぎてしまうような、些細なこと、だと思う。
でもそのとき、その些細なことに気づいたのは、毎日のように「いいこと」を探し始めたからだと、今なら確信する。

 

始めたことは「きょうのいいこと」を、日記に必ず記すことにしたこと。
「なんかいいことないかなー」とつぶやいていた日と大きく変わったわけではないだろう。きっと、起きている出来事なんて、変わらない。
最初は苦労したけれど、気づいたら「いいこと」を探すことが習慣になっていた。

 

「あの、きょうのいいこと、いいねー」
後日、佐野ちゃんには、ちょっとほめられた。
そして、いつのまにか「なんかいいことないかなー」とはつぶやかなくなっていた。

 

今の私が少しでも、プラス思考の持ち主だと思ってもらえるのは、きっと、「きょうのいいこと」を探すという習慣が、自然と私の中で考えるときの土台として根付いたからなんだ思う。
そのときは大きな習慣ではなくても、何年か先には大きく変わるキッカケとなる。

 

「松下さんって、なんでそんなに前向きなんだろうなーって思います」
「なんでだろうねー」

 

そう答えながら、心の中では「佐野ちゃんのおかげかな」とつぶやいてみる。

 
 
 

❏ライタープロフィール
松下広美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
1979年、名古屋市生まれ。名古屋で育ち名古屋で過ごす生粋の名古屋人。
臨床検査技師。会社員として働く傍ら、天狼院書店のライティング・ゼミを受講したことをきっかけにライターを目指す。

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2019-02-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.18

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