週刊READING LIFE vol.19

あらためて、相田みつを《週刊READING LIFE vol.19「今こそ知りたいARTの話」》


記事:飯田峰空(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「情熱と基礎、どちらが大事なのか?」
この言葉に悩んだ時期があった。情熱さえあれば技術や知識が足りなくても進んでいける、という考え方がある。一方で、基礎がないと何をやっても成長につながらない、という見方もできる。

 
 
 

9年前、私は入っていた書道会で師範試験に合格した。
その時の私は、師範の試験に受かったものの、自分はまだまだひよっこ。上には上がいるからもっと練習をして、ゆくゆくは書道で表現活動をしていきたいなと思っていた。
そんな時に、駅前でとある光景を目にした。
筆と墨をもって、路上で言葉を書いている男性の姿だった。そこには「そのままでいいよ」とか「あなたは頑張っている」とか、疲れた人を励ますような言葉があった。そして、書かれているのは「味のある」「ヘタうま」と言われるような、子供っぽい太く直線的な文字だった。書き手の男性に声をかけ、話をしている人がいた。またその場に立ち止まって、言葉に見入る人もいた。そこには笑い声が広がっていた。

 
 
 

私はその様子を見て、強烈な苦々しさを感じた。並べられていた文字が美しくなく、まったく魅力を感じなかったからだ。
「よくこんなものを人前に出せるな」
「この人、書道勉強してるの? 習ったりしてないんじゃないの?」
と心の中で毒づきながら、見下すようにその場を通りすぎた。
でもその後、何日経ってもその時のことを忘れられない自分がいた。
 
私は、下手な字で表現をするあの男性を馬鹿にしていた。でもその反面、技術なんて気にせず、臆せず怖がらずに表現できる彼を、羨ましく思う自分もいた。基礎技術を吹っ飛ばすほどの情熱と行動力がある彼に、自分にはないものを感じて嫉妬心や嫌悪感を抱いていた。
そして、私が思い悩んだ理由はもう一つある。その男性の書く文字が「相田みつを風」だったからだ。
私は当時から、相田みつをの作品が好きだった。相田みつをの作品というと、「雰囲気だけの字で決して上手くはない」とか「俺でも書けそう」などと言われることが多い。けれども、私には胸をえぐるような言葉も、素朴な字体も心に響いてくる。そんな相田みつをの作品は惹かれるけれど、「相田みつを風」の彼の作品には惹かれない。その理由が、はっきりと自分の中に浮かばなかったのだ。
好き嫌いの基準が、有名か否で決めているのだとしたら、自分の感性にがっかりする。そうでないなら、好き嫌いを分けている要因がわからない自分の鈍さにも腹がたつ。色々な気持ちが絡み合って、深い霧の中に迷い込んで前に進めない気分になった。

 
 
 

そんな想いを抱えてモヤモヤしていたある日。私は、有楽町にある相田みつを美術館に行くことにした。何かヒントを得て、この状況を打破したいと思ったからだ。
東京国際フォーラムの建物内にある美術館には、相田みつをの作品が100点ほど常設展示されている。館内には、青年期から壮年期、晩年にわたって書かれた作品が並んでいて、中にはあの有名な「にんげんだもの」と書かれた作品もある。平日にもかかわらず、館内には見ている人が多くいて、有名な作品の前では中央を譲りあうような混み具合だった。
私は会場に入って、まずハッとした。生の相田みつをの作品を初めて見た第一印象は、

 
 
 

「この人、悩んでいるな……」だった。

 
 
 

本やテレビ、ハガキやカレンダーでみられる相田みつをの作品は、苦悩している人へ救いを差し伸べるような言葉として紹介されることが多い。だからその言葉を発する相田みつを自身は、悟りを開いた仏のような人、苦悩の次元を超えた人のイメージがあった。しかし、そうではなく、彼は作品を書いた瞬間も現在進行形で悩んでいて、悩みながら筆を動かしている様子が作品からありありと感じられるのだ。
それは同じ言葉がいろんな作品に何度も出ていることからもよくわかる。
一つの言葉を、何年か経って別の作品で書くこともあった。彼の中の正解が決まってなくて、しっくりくる答えを模索しながら何年も日々を生きていたのだろう。
それは言葉選びだけでなく、文字の書き方からも現れている。すべての作品が、あの「相田みつをっぽい」太くて濃くて直線的な線で、わかりやすく書かれているのではない。細い線、かすれた線を出したり、文字を崩したり、一部に象形文字のようなモチーフを使ったりと、試行錯誤を繰り返しているのだ。また、色や模様の入った布を紙代わりにして、筆を動かして文字を書いた部分が白く色が抜ける「ろうけつ染め」の手法で創った作品もあった。

 
 
 

そして作品によっては、墨が誤ってこぼれていたり、筆の毛先が一本だけ別の方向に流れていたり(そのため、一本の線が汚れにも見える)、印鑑が滲んでいたり、と本や広告では気づかない部分も発見できる。「あ、しまった」と相田みつをが言っているかのような、彼の人間味や気配を感じるのだ。
道を進むごとに、知らなかった相田みつをの一面が一つずつわかってくる。夢中になって館内を進むと、一番奥に明かりは灯っているものの誰もいないエリアがあった。

 
 
 

そこに足を踏み入れた瞬間、あまりの意外さに絶句してしまった。
その空間には、相田みつをが青年時代に書いた掛け軸があった。そこには、書家のお手本のような綺麗な楷書(かいしょ)で漢文が書かれていた。楷書は、一画一画ずつ、崩さずに書く手法で、書道を習う上で一番の基礎とされている。楷書で何百字も書かれたその掛け軸は、当時の書道展で入賞した時のものだった。

 
 
 

相田みつをは、感性のままに自由な作風を追求し、自分のスタイルを確立した書家だと思っていた。でも実はそうでなく、専門技術を学び、伝統芸術としての書道を身につけた上で、古い考えの書道界を去り、独自の表現を探しにいった人だったのだ。
相田みつをの表現は、生涯にわたる苦悩や執念、探求といった高い熱量の中で生まれたものだ。でもその根底には、若い頃から積み重ねてきた基礎と確固たる技術があったのだ。

 
 
 

私の探していた答えがここにあった。そう思った時、自然と涙が溢れていた。
多くの相田みつを作品が、その時々で多くの人の心を揺さぶったと思う。でも、注目されないこの掛け軸の前で泣いた人は、おそらく私が初めてだと思う。

 
 
 

「情熱と基礎、どちらが大事なのか?」
その問いに答えができた。何かを形作るのに、情熱と基礎はどちらも必要なのだ。情熱がなければ高く飛べないし、基礎がなければ深く潜れない。
でも、身に付け方は人それぞれで、情熱を機動力に基礎をつくってもいいし、基礎の上に情熱を積み上げてもいい。

 
 
 

私が、路上で文字を書いている男性をみて心がざわついたのは、彼の行動力をみてその情熱では負けている、と思ったからだ。
そんな私に、相田みつをは教えてくれたのだと思う。私の進んでいる道は正しいから安心していいんだと。ただし、相当険しい道だけどね、と注釈をつけて、比べものにならないほど高い位置から言われたような気がしている。

 
 
 

この時以来、何かに迷った時、心の洗濯をしたい時に、私は相田みつを美術館を訪れるようにしている。期間が決まっている展示ではなく、一年中好きな時に作品が見られるのは安心感がある。そして、生涯にわたる作品を順番に展示されていると、彼の歴史としても作品を楽しむことができるので格別だ。
今は作品の配置が変わっていて、順路の初めに楷書の掛け軸が展示されている。相田みつをの原点として、素通りしないでみてほしい。きっとその先の作品の見方が変わるはずだ。

 
 
 

「にんげんだもの、の人だよね」だけで、終わってしまうのはもったいない。
一人でも、実物の作品をみてくれる人がいたらいいな……とこれを書きながら思っている。

 
 
 

❏ライタープロフィール
飯田峰空(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
神奈川県生まれ、東京都在住。
大学卒業後、出版社・スポーツメーカーに勤務。その後、26年続けている書道で独立。書道家として、商品ロゴ、広告・テレビの番組タイトルなどを手がけている。文字に命とストーリーを吹き込んで届けるのがテーマ。魅力的な文章を書きたくて、天狼院書店ライティング・ゼミに参加。2020年東京オリンピックに、書道家・作家として関わるのが目標。

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2019-02-11 | Posted in 週刊READING LIFE vol.19

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