ライティング・ゼミ

お気に入りのレストランには3つの「絶妙」がある


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

2025/10/16 公開

記事 :木藤奈音(ライティング・ゼミ25年11月開講コース)

 

 

 誰にだって近所にお気に入りの飲食店があるだろう。満席で自分が行きにくくなる事態を避けるため、あえて誰にも教えないお店。この記事では、私にとって宝物である飲食店の魅力を伝えたい。店名等の詳細は伏せるが、興味を持った人のためにヒントを残しておく。

 それではお店に向かおう。山手線のとある駅から徒歩10分弱、小さな雑居ビルの2階にある。1階には居酒屋があり、脇の階段が入口である。この階段が狭くて暗く、怪しげな金融会社への道といった雰囲気である。飛び込みで入るには勇気が必要だ。ほとんどの人は気づかず通り過ぎるか、怯んで行き先を変える。

 会計を終えた先客たちが下りてくる。私は壁にぴったりと寄り、下りの客を先に通す。階段室では、ラストオーダー直前なのに待機客がひしめいていた。前に3組、中年と若いカップルが1組ずつで、あとはおひとり様。気が付くと後ろに2組増えていた。この店は公式サイトをもたない。ここにいる皆、この店めがけてやってきた猛者である。

「お待たせしました! 1名様ですね、お入りください」

 マダムが歌うような抑揚で案内する。私と同世代くらいだろう、いつも微笑みを絶やさない品がある女性だ。

 店内は木と漆喰をベースにしたナチュラルなつくりで、20席ほどの狭いお店は今日も客でいっぱいだ。右奥のオープンキッチンでは、シェフが一人で動き回っている。正面には大きな窓があり、隣の公営庭園の森が見える。窓際の一等席では、若い男女がランチをシェアしていた。

 この店は週替わりで肉・魚・パスタ・グラタンのランチセットを供している。今日はカレードリアを注文した。注文後すぐにお冷とコンソメスープが提供される。

 一つ目の「絶妙」は料理である。一見カフェ風の店内だが、スープもドレッシングも自家製という本格志向の味だ。

 澄んだスープを含むと、滋味が口の中にふわっとひろがる。ごくりと飲み干して、体温が少しあがるのを確かめる。お腹が暖まると、階段室で冷えたからだがゆるんでいく。私は深く息をつき、も一度カップに口をつける。はあ、おいしい。ほっとする。

 しばらくするとカレードリアも到着した。

「アツアツでーす。そして、カリカリでーす。お皿も熱いので気を付けてください」

ドリアの神髄はこんがりチーズにある派である。クレームブリュレよろしく、スプーンでチーズを割る。

 ライスとチーズを一思いに口の中に放り込み、やけどしない程度に口の中で塊をころがしていく。粗熱がとれたころ合いで、えいっと思い切りよくかみつぶす。カレーの辛味、ライスの甘味、チーズの塩味が一体になり、また幸せが身体に広がる。ライスの柔らかさとチーズのカリカリのコントラストも楽しい。一度でいろんな味や食感があらわれては消える、シャボン玉みたいな一皿である。

次は、ライスとチーズの比率を変えてみようか。チーズだけ、ライスだけで試してみて、チーズ&ライスに戻り食べ比べるのもよさそうだ。ハフハフハフ。ぱくぱくぱく。そうして、どんどんお皿の底が広がってくる。

 えっ、もう食べ終わっちゃった。

 未練たらしくお皿を見つめる。そんな私にナイフを持ったマダムがやってくる。

「あのー、お皿に残っているホワイトソースを、こそげ落として召し上がりますか?」

 彼女のナイフが、皿のソースをはがしていく。これがワインを飲みたくなるようなスナック感で、おいしい。魔法のような最後の一口をかみしめる。なんというお行儀の悪さ。でも、この店なら背徳感すら調味料である。

 二つ目の「絶妙」はマダムの接客である。客との関係性を瞬時に判断し、コミュニケーションを臨機応変に変える。一見様には居心地の良さを、そして常連客には親近感を伝えていく。この技はプロフェッショナルの水準をはるかに超える、名人芸といってよいだろう。

狭い店内をくるくると駆けながら、オーダーをとり、料理を提供し、片づけを行い、代金を精算する。その作業の合間に、各テーブルに声をかけ、客の無意識下に爪あとを残していく。どこかのテーブルでわっと笑い声がおきると、その中心には彼女がいるのである。

 何度か通っていると、意地悪な客が無理を言ってくることもある。そんなときは、優雅に決めセリフを発する。

「はーい、ご指摘ありがとうございます。ご要望に応えられず申し訳ありません」

 そんなコミュ強かつ漢気あふれる方なので、当然ながらファンも多い。私の夫もその一人で、開店〇周年記念Tシャツをホイホイ予約し、前金を払っていた(すごくマダムに恐縮された)。

 食後のコーヒーは、レジ奥のコーヒーマシンで淹れている。小さめのカップに入ったコーヒーから、バニラを感じさせる香りがたちのぼる。奥行きを感じさせる苦みは、甘いものと一緒にたしなむとよさそうだ。いつもはブラックで飲むのだが、この店のコーヒーには砂糖を入れる。

 コーヒーを終えると会計だ。客は半分に減り、なじみの常連だけになった。

 レジでのマダムはいつもフレンドリーで、一組一組丁寧に対話を重ねている。すでに何組かの列になっているが、誰も文句ひとつ言わず、自分の番を待っているのだ。

 私は1100円を財布から出し準備した。そう、今日の会計はスープ・メイン・ライス・食後のコーヒーがついて税込1100円だ。この味この雰囲気の都心の店で、である。ネットではここのコストパフォーマンスが絶賛されている。ただ、私はこれを「絶妙」と呼ばない。

 私は考える。もう少し値上げしてもよいから、このお店が持続可能なものになってほしい。マダムの技や負担を引き受ける誰かがきてくれないものか。

 界隈の観光客が増える春と秋に、この店の混雑度は急上昇する。常連客は、ピークタイムを避けるため、ラストオーダー直前に行列に並ぶ。そんな日には、何度かマダムの苦しそうな表情をみかけることがあった。

 ある週末、ついにマダムは入院した。代打に立った親戚の男性のサービスに不足はなかったが、彼女の太陽のような明るさや朗らかさはマネできるものではない。翌週もお休みだった。私たち夫婦は土曜の楽しみが失われかねない事態に悲しんだ。

 しかしマダムは戻ってきた。ぎっくり腰だった。不在を詫び、再び歌うような声が店内に響くようになった。

 そんなことを思い出し、3つ目の「絶妙」に気づいた。それは「本当のファンを選ぶ仕組み」ではないか。冴えない入口、常時行列、徹底した無宣伝と、この店にたどり着くハードルは高い。たどり着いたものだけが上質の料理とサービスを満喫できるのだ。ニワカのメンツは門前払い。ハードルを乗り越えたつわものたちは、通ううちにお店に共感し、応援団となる。ここは長年そういった客層に支えられてきたのである。

 個人経営の飲食店がインフレや承継問題で次々と閉店している。近所にお気に入りのお店があるのは幸せなことだ。客としてできることは、お店が長く続くよう気持ちよく通い続けることだと思う。

 ごちそうさまでした、また来ます。そうつぶやき、私は階段をおりた。

≪終わり≫

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2025-11-20 | Posted in ライティング・ゼミ

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