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死にたてのゾンビ

あんなことを考えたことは死んでも言えない《週刊READING LIFE 「死にたてのゾンビ」》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/08/29/公開
記事:塚本よしこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ホラーマンみたいだったよ」
病室にやってきた姉がつぶやいた。
「ホラーマン? なにそれ?」
「アンパンマンにでてくるホラーマン」
「え? 知らない」
検索してみると、今にも倒れそうなガリガリのガイコツが出てきた。
「ホラーマン! あはははは」
少し涙が混ざったような高笑いをした。
 
40歳過ぎてもできなかったら諦めよう……。
同じころに結婚した友人が妊娠、出産していく中、私はなかなか子どもを授かることができなかった。別に期限なんて決めなくていいのは分かっている。それでもずっと叶わない夢を持ち続けるのはきつい。宝くじだって、当選日には結果が分かるものだ。どこかで線を引いて、はいここまで! なんて、気持ちにキリをつけようと思っていた。そうしないと心のやりどころが分からなかった。
 
40歳がどんどん近づく。鍼に行ったりお灸をしたり、サプリを飲んだり、一通りのことはやってみた。子宝についてのお話会があると聞けば、新幹線で会場に向かい、体に取り入れるものが大切だと聞けば、それに沿って食生活を整えた。
アロマの匂いを嗅いで、自分に足りないものが分かるという検査のようなこともした。黒豆が足りないと言われ、それからは黒豆茶を取っていたように思う。カフェインや、体を冷やすという牛乳もやめた。気休めかもしれないが子宝温泉にも行った。
「これいいよ……」
こっそり同僚から渡された京都土産は、すっぽんスープだった。
 
そんなある日、初めて妊娠検査薬で陽性の反応があらわれた。今まで幾度も試したけど、何も起こらず、全て壊れているのではないかと思っていた。
クリニックできちんと検査し、それは確実なものとなった。
心の中でガッツポーズをした。天にも昇る思いだった。
諦めかけていたところで、ようやく妊娠できたのだ。
 
しかし、キラキラ星とピンクのハートが自分の周りに飛び交っているような時間は長くは続かなかった。何回目かの検診で、
「心拍を確認できません」
そんなことを医師から告げられた。
 
一瞬にして辺りから音が消えた。
言葉は理解できるけど、自分にそれが起こったことを理解できない。しかも、取り出すための処置をしなければならないという。
後日手術が終わり麻酔からさめると、子どものように大泣きをしてしまった。
家に帰ってから、どうしていたか、その頃のことはあまり覚えていない。何もしたくなかった。ただエレカシの歌に励まされながら日々を過ごした。
 
それから私は、子どものことを考えるのはやめた。このことから距離を置こうとした。
そして、気づくと1年近くが経っていた。その間に仕事を辞め、引っ越しもしていた。
気分が変わったのがよかったのか? ストレスが軽減されたのか? 春が来たころ、再びお腹に命が宿った。
でも前回のこともあり、両手離しでは喜べなかった。それに、これが本当に最後のチャンスではないかと思った。
 
つわりの時期に入り、家にいた時のことだった。
え、なにこれ? 破水? こんな時期にないよね……。
まただめなのか?
泣き出しそうになるのを必死に抑えて、お腹に声を掛けながら病院に向かった。
「お願い頑張って! 頑張って!」
顔は真っ青だったろう。
でも病院で心拍はちゃんと確認できた。やっと生きている心地がした。
 
「家にいると動いてしまうから、入院して安静にして下さい」
医師によると、切迫早産だという。切迫早産というのは、早産の可能性がある切迫した状況だということだ。
破水したり、お腹が頻繁に張ったり、子宮の出口である子宮頸管の長さが3センチ以下になるとそのように診断されるらしい。軽度の場合は自宅安静だが、より安静を求められる場合はこのように入院となる。
とにかく私は即入院となり、帰宅することなく、そのまま病室に通された。
 
それからはただただ安静の日々だった。
部屋からは出てはいけない、売店にお散歩にも行けない。トイレ以外はベッドで過ごしてくださいというのだ。
良いか悪いかその病院の産科は全てが個室だった。一人きりの部屋で話す相手もいないし、人の気配が感じられない。
有料のテレビを1日中つけるわけにもいかず、本を読んだりしても一日が長すぎる。今思えば、色んなDVDでも見たらよかったが、とにかく気楽に過ごすことができなかった。
まるで、綱渡りしているようで、気を抜いたら何か起こるのではないかと思えてしまった。
いつも、このまま妊娠を継続できるのかという不安が、勝手に襲ってきた。
 
誰かと話したいが、友達はだいたい仕事をしている。引っ越したばかりで知っている人も近くにいない。動きたいのに動けない。動いたら動いたで怖い。ベットの上で悶々と過ごした。幸せな妊娠のはずが、白い壁に囲まれた空間はまるで監獄のようだった。
 
4週間経ち、やっと退院の許可が出た。自宅に戻っても安静にということだった。出産予定日までは、まだ5か月近くある。気が遠くなった。
 
それからはマンションの部屋で一日を過ごした。雑誌で見られるような、大きなお腹を抱えて楽しそうにランチなんてことは一度もなかった。出産準備グッツも、どうなるか分からないと思って、買うことができない。いつも気持ちがスッキリ晴れない妊婦だった。
 
「つわりとか特になかったんですよ」
「え、そうなの?」
「そうなんですよ、普通に出歩いて、何でも食べてました」
宅配のお姉さんとお話をした。
何でこんなに人によって違うのだろう。
平穏な妊娠生活を送る人が、羨ましくて仕方なかった。
 
しばらく経ち検診行くと、また入院してくださいと言われてしまった。
今度は子宮頸管が短いといいうのだ。この時は、入院と聞くだけで泣きそうになった。あの暇で孤独な日々を想像しただけで嫌だった。
私はもともと動くのが好きなタイプだ。散歩にも行けず、ベッドにいてくださいという生活が耐えられない。それに今回は、絶対安静で24時間点滴になってしまった。シャワーも1週間しないように言われ、1日中ほとんど横になっていた。
 
疲れていないので、眠ることが出来ない。寝たい。寝て考えることをやめたい。眠れることは本当に幸せなことだと分かった。
体が動かないのに反して、マインドは活発に心配を繰り返す。だんだん心が消耗してきた。今思えば、鬱っぽくなっていたように思う。
 
そしてある日、医師から早産を防止するのに、子宮頸管をしばる手術をしないかと提案をされた。子宮頸管縫縮術というらしい。子宮口の外側を切開せずに縫うマクドナルド法と、外に縫う長さがない場合は、子宮口の内側を縛るシロッカー法があるという。そのシロッカー法をしないかというのだ。これは予定日が近づくとすることができない。やるかやらないか、数日で結論を出してくださいと言われた。
 
その手術をしたら早産は免れるかもしれない。でも私は初期に破水の経験している。その手術の間に、破水してしまう可能性はゼロではない、何とも保証できないというのだ。悩みに悩んだ末、結局手術はしないことにした。
 
毎日ほとんど眠れず、 精神的に弱りはてていたけれど、その手術をしないと決めた夜、腹の底からある思いが湧き上がってきた。
「絶対にこの子を生きて産んでやる!!」
こんちくしょう! とでも言わんばかりに、自分の中のオッサンがおらおらと立ち上がった。今でもあれは何だったか分からない。自分の中で何かスイッチが入った瞬間だった。
 
前回と同じく、1か月で退院した。予定日まではあと3か月だった。
あと何日たてば早産しても助かるだろう?
肺はもうできているのだろうか? そんなことを思いながら月日が早く過ぎないかカレンダーばかり見ていた。出産までの3か月は1年くらいに感じた。
 
少し寒くなってきた頃、やっと予定日が近づいてきた。半年間寝てばかりで体力がないこと、年齢も高いことから、帝王切開をすることになった。
 
前日に入院し、夜シャワーを浴びながら、パンパンに張ったお腹を眺めた。大きなお腹の中には戦友のような子がいる。ようやくここまできたという思いと、離れる寂しさが込み上げ涙が溢れた。
 
次の朝、ドキドキする気持ちに蓋をして、手術台に上がった。
背中から麻酔を入れるための処置をしているが、それがなかなか上手くいかないという。
「だめですね……」
ベッドの上で横向きに寝たまま30分以上は経っていた。出産予定時間もとうに過ぎている。
 
ようやく準備が整ったところで、電子メスの音と焦げた匂いがした。
下半身麻酔で意識はずっとある。なかなか出てこない。先生が上からお腹を抑え込むような動きをした。そしてようやく取り出したようだ。
 
「……声出さないね」
「……」
「息してる? 吸引して!」
「……」
血の気が引いていった。私には何もできないし、何も見えない。
 
「ギャー」
しばらくして声がした。
生きてる……。
よかった、よかった、生きて産まれてきた。
 
本当にこんな一難去って、また一難のようなシナリオを誰が用意したのだろう。
産まれたばかりの我が子は最初息をしなかったので、NICUに行ってしまった。私はその姿を見ることができなかった。
 
そして後処置が始まった。先生たちは雑談をしている。頭に響く、静かにして欲しい。睡眠薬をもらえばよかった。とにかくしんどかった。
お腹が開いたままの自分を想像し、心から出た言葉は
「このまま誰か殺してくれないか?」
だった。自分から出たその思いに、自分が驚いた。もう何もかも限界だった。まるでお腹を切られても、死ねずに苦しんでいる兵士のようで、消えて楽になりたかった。
 
処置が終わり、部屋に戻ると、エコノミークラス症候群を防ぐために、足に器具がつけられた。周期的に足を圧迫するものだ。寝ようとするとそれが作動し、ふくらはぎ辺りが締めつけられる。結局その日の夜もほぼ寝られなかった。
 
次の日、
「置きあがってみましょうか?」
看護師さんがやってきて言った。
「はい」
しかし、体に力が入らない。ベッドから起き上がることができない。
情けなくて、泣けてくる。それに、なぜか38度以上の熱があった。
そう、この頃の私を見て姉が「ホラーマンのようだった」と言ったのだ。
 
次の日なんとかベッドから起き上がると、ようやく我が子と対面できることになった。
一度死んでよみがえったゾンビのような形相で、点滴をがらがら引きながらNICUに向かった。
 
保育器の中で眠る小さな子には、管や線がついていた。
思わず涙が込み上げる。
「ごめんね」
急にお腹から出されて、びっくりしただろう。
それに、色んなものにつながれて、人の温もりもなく嫌だったろう。
 
じっと見ていると、小さい目が突然開いてこちらに向いた。
「きたんだね」
その時、そう言われた気がした。
 
子どもを授かるのも、子どもが無事生まれてくるのも、今の時代でも私は奇跡だと思う。
出産に至るストーリーは千差万別だ。高齢出産でも気持ちよかった、何人でも産みたいという人もいれば、若くても切迫で病院から出られない人もいる。
私にとって妊娠・出産は思い出したくないくらい精神的にも体力的にも厳しい経験だった。高齢で後がないという気持ちがよりナーバスにさせた。
 
産んだ後に「殺してほしい」なんて思ったことは、娘には死んでも言えないと思ってきた。産んだ時どうだったかと聞かれたら「とても幸せに思った」と言ってやりたかった。
母親の精神の状態が子どもに伝播すると思っても、泣いてばかりでどうしようもなかった。帝王切開にしたことも、これでよかったのかと産んでから悩んだ。帝王切開の子は、産道を突破してきてないからやり遂げる力がないというような記事を見ると心が痛んだ。誰がそんなことを証明できるのだろう。
とにかくあの辛かった日々は記憶から消すことにした。思い出さなくていい、忘れてしまえばいいのだ。
 
大変だったという話を聞いても特段面白くないだろう。それにこの文章を読んであまりいい気持ちがしない人もいるかもしれない。だから、私はこのことを今まで何度か書こうとしたけれど、ためらってきた。
けれど、ひょっとしたら誰かの役に立つこともあるかもしれない。
 
もし、娘が将来壁にぶち当たるようなことがあれば「あなたは色々乗り越えて生まれてきた強い命だから、何があっても大丈夫!」と言ってやりたい。
そして、この文章を読んでくれているあなたの命もそうなのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
塚本よしこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

奈良女子大学卒業。
一般企業をはじめ、小・中・高校・特別支援学校での勤務経験を持つ。
興味のあることは何でもやってみたい、一児の母。
2022年2月ライティング・ゼミに参加。
2022年7月にREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。

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