発達障害グレーの子育てはパパが重要!

第一回:発達障害グレーとの出会い《発達障害グレーの子育てはパパが重要!》


記事:鹿内智治(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

「うちの子は前からおかしいと思ってた」
 
2013年、我が家に男の子が生まれた。3000グラムほどの彼は、生まれたときはしっかり目を閉じ、白くて、か弱かく見えた。大きな声を出し、体重計に乗せられる小さな彼を見て、命の誕生を感じた。我が家の宝物がひとつ増えた。彼には健康に育ってほしいと思い、健と名付けた。ここではタケと呼ぶことにする。
 
タケは私たち夫婦には育てやすかった。夜泣きはあまりしなかったし、おっぱいもしっかり飲んだ。鼻水をたらすことは少なく、風邪を引くことも少なかったので、病院に行くことも少なかった。会社から帰り、毎日タケの寝顔を見るのが、楽しみだった。順調に育っている、と思っていた。
 
1歳になったとき、役所から「1歳児検診」を受けるよう通知が来た。「1歳児検診」とは、1歳になった子に、体の成長や言葉の成長を小児科の先生に診てもらうことだ。うちも検診の予約をとり、タケが生まれた産婦人科に3人で向かった。
 
久しぶりの産婦人科は感じが変わっていた。以前ならば、妊婦さんとその旦那さんとを見ると、「一緒に頑張りましょう」と思っていた。でも、このときは「頑張れ」と応援したい気持ちになった。少し先輩の気になっていた。
 
タケの名前が呼ばれた。診察室に入った。妻が息子を先生に預けた。先生はタケの身長、体重を測って手際よく紙に書いてくれた。手や足を触ったり、手を叩いて音の反応を見たり、話しかけて応答の様子をみていた。
 
「言葉が少ないね」
 
一通りの検診が終わってから、先生にそう言われた。どうやら、1歳くらいになると、2,3個の言葉を使って話をするのが普通だと言う。タケの場合は、よくて1個の言葉だったそうで、平均からすると遅いとのことだった。その話を聞いて少しドキッとした。「タケが遅れているなんて?」公園で遊んでいると、タケはよく2、3歳に間違えられた。体は大きい方だった。だから、タケは成長が早いと思っていた。でも、どうやら、言葉の発達は遅いようだ。でも、「まだ関係ない」と思い直した。まだ生まれて1年しか経っていない。個人差はある時期だろうと思うことにした。気にしても仕方ないと思った。
 
「目の動きも気になる」
 
さらに先生はそう付け足した。自閉症の子に見られる独特の目の動かし方を、タケがしていると言う。そんなこと、1歳で分かるのかと驚いた。でもこれも、話し半分で聞いた。成長はこれからこれから。私は先生の話を流したものの、妻はこのとき、そうとう気になっていたとあとで知らされた。
 
たしかにタケには、前から気になることがあった。公園に行くと冷や冷やすることがあった。それは、タケが滑り台で遊ぶ時、前に居る子を押したり頭を叩く癖があったからだ。相手の子の親は、そうとう嫌な顔をする。「タケ、押しちゃダメ、待って!」「タケ、叩いちゃダメ!」注意していなければいけないのが、気にはなっていた。

 

 

 

平日の昼間、妻とタケは近所の児童館へ行くようになった。そこには、同年代の子どもやママたちが来ていた。よく会う人たちがいると妻から話を聞いていて、順調だと思った。でもある日仕事から帰ったとき、妻が疲れた顔をして座っていた。
 
「タケ、全く遊びに参加しない!」
 
児童館では、小さい子とママ向けにレクリエーションの企画があった。内容は、音遊びや、体を動かす遊びがあった。そこに妻とタケも参加した。でも、タケが他の子と同じように遊ばなかったそうなのだ。勝手に動き回り、自分だけ一人別の遊びを初めて、周りの子の邪魔をしたそうだ。気まずくなって、逃げるように帰ってきたのだそうだ。
 
「タケ、元気じゃん!」
 
私はそう返した。そう返してしまった。枠にはまらない感じがカッコイイではないかとそのときは思った。会社員をしていると、規則や枠にハマらなくてならないことがある。そういうとき、ふと自分がつまらない人間に思えることがある。タケはルールを無視して、自分の好きなことをした。とても子どもらいしいではないか。でもそう言う私を妻は残念に思ったとあとで知らさせれた。
 
1年が過ぎて、また、検診の通知が届いた。2歳半検診だ。私は仕事の都合がつかず行けなかった。その日、会社から帰って、妻から様子を聞いてみた。
 
「大学病院を紹介された」
 
「どういうこと?」
「1歳のころと比べても、言葉が育ってないらしい。専門の病院で診てもらった方がいいって言われた。もしかすると、ADHDかもしれない」
 
「ADHDってなに?」
「落ち着きがなかったり、忘れ物が多かったり、うろうろしちゃったりする特性のことらしい。ひとつのことに集中できなかったり、興奮しやすかったり、怒りやすかったりするらしいの。まさにタケよね」
 
たしかに、タケにはその傾向があった。嬉しくなって興奮すると暴れまわり、注意すると逆ギレしたりすることがあった。でも、病院なんてオーバーすぎる。公園では周りの子とそんなに変わらない。タケがおかしいなら、その辺にいる子だってみんなおかしい。もしかして医者はタケの将来を気楽に考えているのではと思った。だんだんと医者に腹が立った。妻にも腹が立ってきた。医者に言われて不安になるな。簡単に騙されるな。翻弄されてんな。
 
「療育にも通わせようと思っている」
 
「療育って何?」
「ADHDの子の場合、小学生に上がったときに、つまずかないように、言葉や人とのコミュニケーションを学ぶらしい」
 
どうやら、ADHDの傾向をもつ子は学生のうちだと、あまり問題にはならないらしい。でも、社会に出てから、周りに合わせることにストレスを感じたり、ルールを守ることに窮屈さを感じて、うまく馴染めないことがある。人ともコミュニケーションとれないことがあるらしいので、今のうちから教育した方がいい場合がある」
 
「療育は前から考えていた」
 
その話を聞いて、私はさらに腹が立った。
 
「大学病院とか、検査とか、療育とか、大げさだよ! まだタケは2歳だぞ。そんな歳で何が決まんだよ!」
 
医者の言いなりになりすぎだ。妻がタケの将来を心配するのは分かる。でも、急すぎるし、やりすぎだし、考えすぎだ。それにタケはオレの子だぞ。オレはちゃんとした大学を卒業して、ちゃんとした企業に勤めている。そんな血を分けた子が、療育なんて。勝手にタケの人生、決めるな。
 
「大学病院も仕事がないんだよ。病気を増やして治療費を取ろうとしてるんだって」
「いや、行くって決めたから。予約もしてきた」
「なんで勝手に決めるかな? 相談しろよ」
 
「いや、行きますから。うちの子は前からおかしいと思った!」
 
「何、それ……」
「私ひとりで行くから。気にしなくていいから」
 
妻は説得できる感じではなかった。聞く耳はなかった。まるで、部外者を見るような目だった。なら勝手にしろと、このときは思ったが、今ではこのときの自分を反省する。
 
それは妻の不安に気付かなかったことだ。妻は前からタケの言動がおかしいことに気付いていた。でも、私はタケのいい所ばかりを見ていて、妻の話は聞いてなかった。妻はたくさん考え、悩み、医者が進められて、これまでの不安の答えが出せると思い、発達障害の診断を決めた。療育も同じだ。そんな思いを私が真っ向から否定した。寂しさから、妻は怒り、ぶつかってしまった。私は、妻を労うこともせず、自分の今の見えることで言ってしまった。私に落ち度があった。
 
こんなとき、父親は、ドンと構えて(動揺したくても)動揺しない方が良いのだろう。妻が考えて決めたことは、まず尊重する。不安になりやすい女性の気持ちを分かろうとすることが大切なのだろう。どうしてそう考えたのか? 何があってそう思うのか? ゆっくりと聞き出すのが得策だったと今なら思う。こういうときこそ、パパの存在は大きいのだ。

 
 
 
 

❏ライタープロフィール
鹿内智治(READING LIFE 編集部公認ライター)

妻と息子と3人暮らし。都内在住。私も妻も子どもが2歳になるまで発達障害グレーなんて言葉は全く知らなかった。。分からないなりに試行錯誤して、今では未就学児向けの療育サービスを利用して、発達障害グレーと向き合っている。今春から小学校進学。普通級の進学が決まっている。

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