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ななにんめ 子育てしなかった父、堀川《小説連載「人生を変える割烹」》


記事:ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

「胃がん、ですね。ステージ4、スキルス性です。もうちょっと時間が経っていたら胃に穴が開いてしまうところでした」
「がん……、ですか」
 
どうも最近、胃が痛いと言っていたはずだ。毎晩寝る前にお酒を飲んで寝ていたのがいけなかったのだろうか。それとも連日のラーメンと焼き肉がいけなかったのだろうか。ケイコの夫である堀川は、10年ぶりに訪れた病院で胃がんと診断された。
 
「病気になるのがコワイ。病院なんかに行ったら病気になるわ」
それが堀川の口癖だった。それなのにわざわざ検査を受けたのは、ゴルフ仲間である内科医富澤が、最近の堀川の元気のなさを心配して、ほぼ無理やり検査の予約を入れてくれたからだ。外づらだけは異常にいい堀川は、友人のお膳立てを断ることができず、いやいや検査をうけたのだった。
 
「では、あといくつかの検査をして、手術の日程を決めましょう。今結構混んでいるので、早くとも来月末になります。こちらとこちらの書類を読んで、署名いただけますか……」
 
夫ががんの宣告をうけたというのに、ケイコは揺れ動く感情を感じる暇もなく、医師はテキパキと治療方針や今後のことを話していった。毎日がん患者と関わる医師からしてみたら、がんは珍しい病気でもなんでもなく、毎日当たり前に起こる日常なのだろう。ケイコもケイコで肚が据わっている。泣き崩れるわけでもなく、淡々と説明されるあれやこれやを受け取って、手術と入院のダンドリをつけた。堀川は隣で呆然としている。
 
「ほら、あんた、帰るで。来月手術やていうてはるし、ゴルフの予定なんか入れたらあかんで」
「わかった。富澤さんにも言うとくわ」
そうつぶやく堀川の背中は、明らかに一回り小さくなっていた。

 

 

 

「今日もパパ、ゴルフなん? よう毎日飽きんとゴルフばっかりできるなあ!」
 
ケイコが娘と朝ごはんを食べていた。堀川家の朝ごはんは大体トーストとコーヒーに決まっている。ハイカラだったケイコの父は大正生まれにも関わらず、朝はトーストを七輪で焼いて食べていたため、自然とケイコはパン党になった。パンがこんがりと焼ける甘い香りは、なぜか人を幸せにする。娘もパンが大好きで、あちこちのパン屋を食べ歩くぐらいだった。京都はパンの消費量が日本一の都道府県だけあって、美味しいパン屋があふれている。はやりのふわふわのパンも美味しいが、ケイコたちはもっぱらトーストやバゲットといった食事パンを好んで食べている。そのほうが飽きがこないし、バターやジャムといったトッピングを楽しめる。食べることを楽しむ、それが一番大切なことだとケイコは思っている。食べることは日常の幸せを感じるために最も重要な行為で、そこを手抜きすることは人生を手抜きすることだと、常々口に出して言っている。堀川家はとにかく食べることを大切にしている家族なのだ。
 
チーン、と、トーストが焼けた。
しかし父はもうとっくに出かけていた。ゴルフのために朝早く出かけてしまっていて、家族と一緒に朝ごはんを食べることはほとんどない。かといって夕方に帰ってきて食卓を囲むこともなく、だいたいいつもゴルフ仲間たちと焼き肉やラーメンを食べて帰ってくる。
 
「これは、美味いな!」
 
と堀川がいうのは、いつも肉、それも牛肉だった。
京都を始め関西は肉と言えば牛肉、和牛も近江牛や神戸牛、松阪牛などのブランド牛は全て西側から生まれたもので、関西人は牛肉をこよなく愛している。しゃぶしゃぶの肉も牛肉が主流、カツサンドは必ずビフカツ。豚を食べる文化は東の人間がやることだと、何かに付けて東の人間を見下したくなるのはもはや関西人の癖と言ってもいい。
 
「今日はどこまで行ったん? 宮崎? フェニックスか? ほんまゴルフやったらちゃんと早起きして行くんやなあ。でなかったら何時まででも寝てるくせに」
 
高校生である娘は、父が嫌いである。この年頃の娘は父が大好きか大嫌いかの2種類に分かれるが、堀川の娘はまさに後者で、それもそのはず、仕事もろくにしないで週に3〜4回はゴルフにいく父を、尊敬などできるはずはない。そもそもろくに会話もないのだ。顔をみても「ああ」とか「うん」と言うだけで、話すことなどなにもない。一応学費や生活費だけは滞りなく払ってくれているのだから、それだけで満足だし、そういうものだと思っていた。父は家にいないくて当たり前、さみしいとすら思わなかった。そもそも娘と父の間には、まともなコミュニケーションが一切なかったのである。
 
そんな娘と堀川の間で板挟みになっているのが母のケイコだった。父とはお見合いで結婚し、ひとまず堀川家の嫁となった。堀川家の嫁ではあるが、かわいいのはもちろん娘のほうである。堀川の味方をするより圧倒的に娘の味方であるケイコは、堀川の言うことには「はいはい」と従っているふりをしながら、うまくやり過ごしたり、聞いているふりをすることを覚えて、娘と二人、まあまあうまくやっていたのだ。もし一言でも口応えしようものなら、
 
「お前ら、何生意気なこというとんや、誰に向かって口きいとんや!」
 
とものすごい剣幕で堀川は怒りだす。彼はとにかく口が悪い。自分に楯突く者は徹底的に罵倒するのが彼の癖だが、家族が相手だとなおさらひどく怒る。娘がちょっと口応えしようものなら、棒金を投げつけて怒り狂ったこともある。おかげで家の壁にはあちこち穴が空いてしまっていて、そんな父だから娘もなるべく近づかないよう、なるべく話をしないようにと避けるようになった。ゴルフで家にいないことはむしろ好都合で、母と二人で気楽に暮らしているのである。
 
「パパ、来週手術でしょ? 大丈夫なん?」
父を案じて、というより、看病やなんやかやで奔走する母が心配で娘は言った。
 
「そやな、ステージ4てお医者さん言うてたし、難しいんちゃうか」
「あのおっさん、なんでそんなになるまで、病院いかへんかってん。アホちゃうか」
「怖がりやさかい、しょうがないで……。まあ、とにかく、お医者さんにはもしものことがあるかもしれへんさかい、ちゃんと話しときや、って言われてる」
「もしものことって、もしも? そういうことちゃんとしとかんと、死んだ後から色々大変なことになってもかなんしな。それにしても、あのおっさんのことやし、まさかどこかに隠し子とかいてへんやろなあ。遺産ほしいとかで出てこられても大変やで」
 
トーストを頬張りながら、娘は言いたい放題だった。普段家にいない父のことだから、外で何をしているかはわからない。典型的な内弁慶だった堀川は、とにかく周りからの評判がいい。家族には暴言を撒き散らかす堀川も、友人たちからしてみたら嘘みたいに「いい人」なのだ。オンナの一人や二人いても、全くおかしくない。このようにこじれてしまった家族の関係は、もはやどこから修復すればいいのかわからないほどになっていて、むしろ堀川が病気になったことで、いろんな重荷から解放されるかもしれないと、ケイコの頭をよぎったかどうかは、娘にもわからなかった。

 

 

 

1946年1月。日本が戦争に負けてから初めての正月、まだまだ日本のここそこは焼け野原で、毎日食べるものはおろか、ただ生きるだけでも精一杯の時代である。お腹が空いたら手当り次第、あるものを食べるしかない。米や野菜は配給だから、いつもたくさん食べられるとは限らない。コウスケはあまりにも腹が減って、畑に生えている芋のつるを盗んで食べたぐらいだった。食べられるだけでありがたい時代、戦後の食糧難の時代で、飢えているのはもちろんコウスケだけではない。
 
「コウちゃん、大変や、お母ちゃんがもう危ない。意識がないそうや」
 
戦争で父を失ったコウスケには、37歳になる母がいた。戦時中に肺を患い、感染ったらいけないとコウスケから隔離されているのだ。その母がいよいよ危ないらしいと、隣家のおばさんが教えてくれた。
 
慌ててコウスケは病院に駆けつけた。とはいえ、母親には近づくことも許されていない。「ここからは入らないでください」と、看護師さんに厳しく言われているのだ。肺の病気がわかってからというもの、コウスケは母の手すら触らせてもらえなかった。あまりにも会えないので、母が一体どんな顔をしているのか、そしてどんな表情でコウスケを見つめているのか、もはやすっかり思い出せないでいた。精のつくものを食べさせたいと思っても、食べるものがろくに手に入らない。病院を訪れるたびに、明らかに少しずつ母は弱っていった。しかし12歳であるコウスケにはなす術もなく、ただただ弱りゆく母を見つめていることしかなかった。決して触れることができない母、甘えるどころか、何もすることができない自分に感じる苛立ち。いろんな感情を受け止めきるには、コウスケはまだ小さかった。父もおらず、母もいなくなってしまったら、自分は一体どうなるんだろう?母亡きあとの生活など、考えられるはずもない。今を生きるだけで精一杯の時代、すでに実父は戦地で逝ってしまった。残されたコウスケはただ、戦後の荒れ野原で毎日を生きるだけで精一杯だったのだ。
 
程なくして、母は逝った。12歳のコウスケを残して。
 
「コウスケくん、あんたは今日から、うちの子や。お父ちゃんにもお母ちゃんにも頼まれてる」
となりに住むおじさんが、孤児になったコウスケを引き取ることになった。父とは長く友人関係にある堀川という夫婦だ。
 
「今日からお前は、堀川の子や。おっちゃんのことをお父ちゃんって呼んでや」
 
そんなことを急に言われても、なんて答えたらいいのかわからない。
 
「コウちゃんのお父ちゃんがやってた店は、しばらくお弟子さんが面倒みてくれたはる。お前は大きなったら、お父ちゃんの店を継いだらいい。お父ちゃんはええ板前やった。お前も器用やから、きっといい板前になる」
 
父を戦争で亡くし、相次いで母を病気で亡くした12歳の少年は、こうして堀川家の子となった。コウスケの父が残した店は、京都先斗町にある1軒の割烹料理屋で、中学を卒業したコウスケはそのまま板前になった。

 

 

 

「女将さん、今日の予約の山下さん、貝が苦手やっちゅうことですけど、どうします?」
 
調理場の脇のベンチで新聞を読みながらお茶を飲んでいた女将に、板前が話しかけてきた。
 
「そうやったそうやった、牡蠣を使おうと思てたんやけど、山下さんだけ違うのにしよ。ええ卵があるし、だし巻きにしよか。だし巻きは、板長に作らしてや。板長のでないと、あの味は出せへん」
「へい、わかりました」
 
だし巻きは、女将の割烹では特別なお品書きである。すこし家庭料理っぽすぎるので普段お客様に出すことはないが、山下のように「食べられないものがある」お客様が来るときで、かつ普段は手に入らない極上の卵が手に入ったときに、女将が判断したお客様にだけ、お出しするようにしていた。するとそれ「なかなか食べられない裏メニュー」とたちまち評判になり、「食べてみたい」という客が続出した。しかし女将はこれだけは、店の通常のメニューにはしたくないと思っていた。なぜならそれは女将にとって、父との唯一の思い出となる貴重な味だったからだ。
 
「卵、焼いたろか」
 
時間は夜の3時、受験勉強をしていた娘が部屋から出てきて、キッチンでお茶を入れ始めた。それを横目に見た父は、ソファに寝そべったまま話しかけた。
 
「え、こんな時間に?」
と思ったが、娘は父に口答えはしない。食べたくないな、こんな時間に、とは思ったものの、父に歯向かえばこてんぱんに怒鳴りつけられるのがわかっている。素直に食べてしまおうと、「うん」と言葉を飲み込んだ。
 
父もその夜、眠れなかった。リビングでソファに横たわりながら、深夜番組をみていたところ、娘が起き出してきたのだ。病気がわかってからというもの、とにかく食欲がなく、何もやる気にならない。ソファに寝転んで大好きな時代物を見ることすら辛くなってきたぐらいだ。普段なら自分から声などかけない父だったが、なぜかその夜父は、娘に声をかけたくなった。
 
父に言われて面食らっている娘をよそ目に、ソファから起き出して慣れた手付きで卵を3個冷蔵庫から取り出すと、ボウルに割って菜箸でしゃかしゃかとかきまぜ始めた。そこにお出汁、塩少々をぱらりと振って卵液を作り、四角い銅製の卵焼き器を温め始め、菜種油をコットンに染み込ませて油をひいた。手付きは慣れてはいるものの、ボウルを持つ手や菜箸を握る手は震えており、いまにも落としそうなほどだった。
 
「パパ、大丈夫なんか」
 
そういう娘の声が聞こえているのかいないのか、父は黙々とだし巻きを作っている。娘は父の手料理など実は食べたことがない。板前である父は家では決して料理をしたことがなく、また普段ゴルフばっかりしているので店の板場にも立つことはなかった。母からは父が板前だとはきいていたけど、娘は父が本当に板前だったことを、このとき目で見て初めて納得した。
 
「だし巻きはな、火加減が一番大事なんや。硬うなるんがこわあて、弱火でちょろちょろ作る板前がいるけど、そんなんあかんあかん。こうやって少し強めの火で、手際よう巻いていく。そやからふんわり柔らかいだし巻きになる」
 
思うように手が動かないのか、やたらがちゃがちゃと卵焼き器がコンロに打ち付けられていた。テーブルに置かれたボウルにはお玉が無造作に突っ込まれ、あちこちに卵液が飛び散ってしまっていた。しかし父はそんなことには目もくれず、ただひたすら卵を焼いていた。
 
程なくだし巻きが出来上がった。娘が家庭科の時間に作る卵焼きとは天と地ほど違って、さすがプロが作っただし巻きである。ふんわり、あふれんばかりの出汁を含んだ卵はやわらかそうで、食欲をそそる。
 
「ほな、寝るわ」
 
卵を焼き終えた父はあっさりと寝室に向かった。自分の役目を終えたらもうそれでいいと、そそくさと寝に行ってしまったのである。普通なら一緒に食べながら話をしたりしても良さそうなものであるが、父は娘に何を話せばいいのかがさっぱりわからない。昭和の男子だから子育ては母親にまかせっきりで、自分は好きなゴルフばかり、娘の子育てにはろくに関わってこなかった。
 
とにかく衣食住がきちんとしていればいい、お金の不自由だけはさせなければいい。子育てとはそういうものだと父は思っていた。おかげで娘はお金に困ることも、ひもじい思いをすることなく、行きたい高校にも行かせてもらい、今も行きたい大学に行くために勉強させてもらえている。何不自由ない環境はあったし、娘もそういうものだと思っていたから、さみしいとも父が嫌いとも思ったことがなかった。ただ母が父のおかげで辛い顔をしていたり、なにやら体調不良を訴えてくると、母をそんなふうに追い詰める父がただただ憎かった。
 
父が作っただし巻きをほうばると、あまりのしょっぱさに吹き出してしまった。どう考えても塩の量を間違えているとしか思えない味だった。キッチンは父が散らかし放題に散らかしていったので、ボウルやお玉が散乱し、卵焼き器が無造作にシンクに突っ込まれている。後片付けを全くせずに寝てしまった父のあと、娘は一人キッチンに座り、お世辞にも美味しくないだし巻きを食べながら、なぜか涙がとまらなかった。父は一体、いつまで生きてくれるのだろう。
 
「女将さん、女将さん」
 
板前の呼ぶ声ではっと我に返った。
父が死んでから、もう大分長い時間がたってしまった。あれ以来女将は、だし巻きを食べるたびに父のことを思い出す。ろくに会話もできなかった父、なんの思い出もくれなかった父のことを、許していいのか、怒り続けていいのか、ずっと心の整理がつかないでいるのである。
 
「お父ちゃんは、幸せやったんかなあ」
女将のつぶやきは、板前には聞こえなかった。

 

 

 

「女将、今日のだし巻きも、美味いなあ。さすがやな。なんでこれを普段も出さへんのか、さっぱりわからん!」
 
お出汁を含んでふわふわのだし巻きを、山下は美味しそうにほうばった。他の客が食べている牡蠣も決して悪くないのであるが、自分だけ特別にしてもらっているという感覚がいいのか、山下はやたらめったら女将とだし巻きを褒めちぎった。
 
「お口におうて、よかったわ。うちのだし巻きはちょっと秘伝なんで、ほかでは絶対に食べられへん。今日は召し上がって頂いておおきに」
 
「このだし巻きを食べるとな、なんか、ものすごいホッとするんや。なんかもやもやしていることも、これを一口食べたら幸せになる。不思議なもんやな」
 
「そらそうえ、山下さん。料理っちゅうんは、人の心をとろかすもんなんや。そやしどっかでお姉さん口説くときは、ご飯にお誘いするやろ。食べるもん、っちゅうんは、人が人とつながるときに、一番間違いのない道具にもなるんえ。美味しいもんを美味しいなあ、って一緒に食べられる相手っちゅうんが、生涯の伴侶って言うんや」
 
「そやから女将を口説いてるんやないか」
 
女将はにこりと笑うと、笑顔で山下をあしらった。
 
山下は明らかに酔っ払っていたが、酔っ払いの一人や二人軽くあしらうことができなかったら、女将業など務まらない。しかし山下ぐらいならかわいいものである。男はささいなことで傷ついたり、心が折れたりする片面、ちっちゃなことでも気をよくしたりもする。女から見たら男ほど単純な生き物はいない。
 
「お父ちゃんの卵焼きは、人の心をとろかすチカラがあるんかも知れへんな」
 
美味しいものを食べることは、かんたんに人を幸せにする。
そして美味しいものを作ることは、人を幸せにするチカラがあるということだ。
 
両親からの愛を知ることなく育った父の、父なりの愛情表現の意味が、今ならようやく解るような気がするのだ。
 
「ほんと、オトコってものはねえ」
 
京都先斗町にある割烹は、今日も美味しい笑顔で賑わっていた。
 
 
<<第8話につづく>>

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女将のお懐紙レシピ
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父のだし巻き
 

材料(二人分)
たまご3個
一番だし 80〜90cc
薄口醤油 小さじ1/2
塩 ひとつまみ
 
作り方
1 たまごをボウルに割る。泡が出ないように菜箸でかきまぜる。
2 出汁、薄口醤油、塩を入れてよくまぜる。
3 卵焼き器に菜種油をひき、火にかけてよくあたためる。
4 中火ぐらいでだし巻きを焼いていく。
5 1巻ごとに、卵焼き器に油をひくのを忘れないように。
6 焼き上がったら巻きすに巻いて形を整え、食べやすい大きさに切って大根おろしを添える。
 

幸せのトースト
 

材料(二人分)
ル・プティメックの食パン お好みのサイズで
バター 1切れ
 
作り方
1 こんがりとトースターでパンを焼く。
2 熱いうちにバターを乗せて食べる

* この物語はフィクションであり、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
* レシピの効果には個人差があり、効果・効用を保証するものではありません。
*関西の卵焼きはだし巻きといい、砂糖を入れずに作る。出汁をいっぱいいれて焼き上げるので、ふわふわの美味しいだし巻きになる。

 
 

◻︎ライタープロフィール
ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)

食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、現職は食べるトレーニングキッズアカデミー協会の代表を勤める。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。

 
 
 
 
http://tenro-in.com/zemi/102023

 


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