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週刊READING LIFE Vol.31

仕事に恋するお年頃《週刊READING LIFE Vol.31「恋がしたい、恋がしたい、恋がしたい」》


記事:なつむ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

最近、どうもパッとしない。
なんだかちょっとつまらない顔をして過ごしている自分を、知っている。
疲れていることも多いし。
以前よりも、顔色も、冴えない。
……え、歳のせい、ですか? そんなこと、言わないでください。
 
自分で、なんとなく、わかっているのだ。原因は。
それはね。
 
仕事がね。
 
言ってしまえばまぁ、つまらないのですよ。えぇ。
 
……。
 
そうなのだ。そこなのだ、問題は。
 
私は、基本的には仕事が好きだ。
仕事が好きな人たちのことも好きだ。
 
社会人をやっていると、結構な時間を仕事に使う。
その仕事に一種の「恋」をしていれば、その「結構な時間」はまるごとハッピーになる。
プライベートで素敵なことがあれば更に人生は素晴らしいし、もし辛いことがあっても、仕事が仕事として充実しているということは、一種の救いにもなる。
どうせやるなら、仕事に「恋」をしていたい、自分はそう考える人間だ。
 
実際、会社員を11年間やっているが、いつも前向きにやろうとしてきた。
激務の時も、激務でないときも、思い通りに進んだ時も、うまくいかないときも、仕事は好きだった。
 
今でも、嫌いなわけではない。
 
でも、最近、なんとなく。
今までと違う。
気が付いたら、「つまらなく」なってしまっていた。
 
「気が付いたら」
 
そう、本当に、そういう感じだった。
 
いつも前向きに仕事をしてきて、いつも楽しいつもりだったのに、ある日ふと、つまらないと思っている自分に、気づいてしまった。
いつのまにか、だんだん、実はつまらなくなっていて、実はつまらないなと思っている自分の気持ちにはあまり気づいていなくて、でもある時、そのことを急に自覚したのだ。
 
あれ?
なんで?
いやだな。
 
仕事はいつも面白いはずだったのに。
 
こんなに、つまらないと感じるなんて。
 
まるで、恋から醒めたときのような、違和感。
 
あれ?昨日までの格好良かった彼はどこへ行ったんだっけ?
というか、あれ?私、どうしてこの人に惹かれたんだったっけ?
の、あの感じ。
 
男女の「恋」の場合は、生物学的に、そのタイマーは3年で切れるようにできていると聞いたことがある。
まさか、仕事にも、恋のタイマーがあるのだろうか。
 
しかし、人間の男女の場合の恋のタイマーが切れるのには、きちんと原理があって、「生物学的に、一対の男女が、出会って、惹かれて、種の保存に必要な出来事が起きるまで、およそそれだけあれば足りるでしょうという経験則に、人類の進化の過程でなってしまっている」ということらしい。
仕事に対して、そういう話が何か当てはまるのかと考えると、あまりそうとは思えない。
 
実際、世の中のハイパーエリートな人たちは、何十年にも渡って全速力で仕事をしていそうだ。彼らはそれこそ、仕事に対する「恋」が醒めることなどないのではないか。
 
だとしたら、私の仕事の「恋」が醒めたのには、何か別の要因がありそうだ。
 
私の今の仕事は、社内のシステムの管理と、周囲の業務の改善に関する仕事だ。
ほぼ同じような業務を担当し始めて、6年になる。
私の社会人人生の最初の5年間は、3つの部署で4種類の仕事と異動続きだったから、それに比べたら、ここ6年は一気に「一か所に落ち着いてしまった」感じだ。
 
部署や仕事が変わらない。それも、原因の一部であるというになるとは思う。
 
でも、異動がないと楽しく仕事ができませんなどという理由で、数年ごとに毎回部署を変わっていくという働き方や、そう「しかできない」というのも、どうなのか。
 
もちろん、「場」や「環境」というのはとてつもなく重要だ。
場のセッティングを間違えたら、できるものもできないということはあるのだから。
実際、男女の間の恋で「フラれる」ことがあるように、仕事でも、希望の仕事に就けないという「場」のミスマッチングのようなものはあり得るだろう。
 
でも、基本的に、「仕事が楽しいかどうかは、本人の考え方・取り組み方次第」、そう思っている私にとっては、仕事が楽しくないというのは、自己責任だ。
しかも、今回の場合は「自分が醒めた」のだから、フラれたわけではない。
 
これは、仕事に恋をしていたい人間にとっては、自らの敗北を意味する。
 
あー。
自分に負けている。
 
どこで負け始めたのか、気がついていない間に、私は負けていた。
 
つまらなくなっていく工程に気づけなかったその間、何があったのだろう。
その時、自分は、今振り返ると一体、何をしていたのだろう。
 
その答えが、ここ最近で、だんだんと見つかってきた。
 
答えの見えてきたきっかけが、ふたつ。
 
一つは実は、他でもない、この、ライターズ倶楽部での活動だった。
前回の週刊テーマは、「お金には代えられない私の人生テーマ」。
自分が、人生において大事にしてきたことを思い出し、考え、まとめて、書いた。
人生において大事にしてきたことは、仕事においても、大事にしているものだ。
書き終わって、数日して、また読み返して、気が付いた。
 
あれ? 最近、それ、仕事の中で、実感できていないじゃないか、と。
記事を書く中で、人生のテーマを、洗い出し、探し出し、まとめて、改めて自覚したような状態だったから、無理もない。
自分が大切にしているものも明らかにしないで、生活していれば、気が付くと、大切にしたかったものを大切にできなくなっているのは、つらいけれど、よくあることだ。
 
もう一つのきっかけは、社内行事だった。
直近のことではなく、少し先の未来のことを、考える機会があった。
一つ間違えると、楽天的すぎる、絵に描いた餅が並びかねないが、関係者の真剣な討議があり、「本当にやりたかったはずのこと」を、思い出す時間になった。
 
私の今いる部署は6年前にできた。私自身が、創設メンバーの一人だ。
当初、一種の大改革を目論んで、作った部署だった。
それはまさに、自分の人生テーマにも適っていたし、「恋」できる、仕事だった。
「社内のシステムの根幹を、再構築する」
そう掲げ、そう息巻いていた、6年前。
 
けれど、創設後すぐに私たちに与えられた喫緊のミッションは、再構築などと未来のことを見た仕事ではなかった。目の前の、「今のシステム」にがっつりどっぷりと関わらざるを得ない仕事。
会社としても、経営上、そうせざるを得ない状況ではあったが、私たちは、早々の路線変更に、相当、拍子抜けした。
 
もちろん、それはそれで、代えがたい経験であり、自分の財産にはなった。
今までの自社流のやり方の中に、世の中の標準モデルとなる業務の運用手順をインストールする。業務を根幹から変えたものでもあり、経営にとっての意義という意味でも、やりがいのある、仕事だった。
 
しかし、その業務の重要性ゆえに、当初の目論見からは、大きく外れざるを得なくなっていた。日々、喫緊の課題を抱えて、その解消に忙殺されていった。
 
やるべきことを分類し判断するときの有名なフレームワークに、「重要×緊急マトリックス」というものがある。ご存知の方も多いと思うが、おさらいすると、縦と横に線を引き、重要度合と緊急度合いという、二つの軸だと考える。たとえば、上に行くほど重要で、右に行くほど緊急というように。そして、やるべきことがそれぞれ、どの程度の重要度、緊急度なのか考えて、その中に当てはめてみる。
そういった軸でいえば、「当初やりたかったこと」と「実際やった仕事」は、違う分類のものだった。
 
当初やりたかったことは「緊急ではないけれど、とても重要なこと」だ。それをやるために作ったチームだったが、「実際にやった仕事」は、「とても緊急、かつ、結構重要なこと」だった。
 
「緊急かつ重要なこと」なので、もう、やらざるを得ない。
後に回すという選択肢がない。
とにかく取り組んだ。
「恋」しているというより、「ランナーズハイ」に近いような精神世界。
それで少なくとも最初の3年くらいが消えていった。
 
当初の夢は、なかなか進まなかった。
「緊急ではないけれど、とても重要なこと」は、言い換えれば「とても重要だけど、緊急ではないこと」なので、いつも、やりたいやりたいといいつつ、ほぼ、手つかずになった。
 
最初の3年で大きな山場が落ち着いた。
そのあと、どうなったか。これで夢に、「恋」に、取り組めるのか。
 
そうも、いかなかった。
 
「緊急でないが重要なこと」をやらなかったら、その一部が、「緊急」になり始めた。
またしても、「緊急かつ重要なこと」のお出ましだ。
 
仕方がないので、「緊急かつ重要なこと」に取り組む。
「緊急ではないが重要なこと」が進まない。
そのうち、その一部が「緊急」になって現れる。
その、繰り返し。
 
「緊急ではないが重要なこと」に取り組む時間は、いつも消えて行ってしまう。
 
悪循環だ。
 
今あるシステムに、詳しくなればなるほど、問題点が見つかった。
その中にはできるだけ早く解消したほうが良いものがたくさんあった。
見れば見るほど、どれもが「緊急かつ重要なこと」のように思えてきた。
いつも、目の前の課題の解消に、振り回されていた。
 
そうするうちに、たぶん、麻痺した。
 
視界から、「未来」が消えていった。
 
このころから、たぶん、「恋」の感覚を思い出すこともできなくなっている。
 
そうだ。
そうだったんだ。
 
なんだか、ずいぶん、別のところへ、来てしまったようだと、やっと気づく。
 
ずっと「緊急かつ重要なこと」をやってきたつもりだったけれど、チームを作ったときの視点から冷静に見ると、どうだろう。
最近は、もしかして、「緊急に見えるかもしれないけど、重要ではないこと」まで、やろうとしているんじゃないだろうか。
緊急なことに振り回されて、満足しているんじゃないだろうか。
 
「緊急ではないけれど、重要なこと」というのは、大事だけれど、難しい。
未来をちゃんと見ていないと、できない。
緊急ではないから、つい、つい、後へ回っていく。
 
でも、それでは、望んでいる未来は永遠に来ないのだ。
 
今の自分は、ただ「仕事がつまらない」ことに気づいた時の自分とは、もう、違う。
 
人生で、仕事で、自分が大切にしたいものが何なのかが、見えてきた。
もともと自分たちが、やろうとしてきた、そのために部署まで作ったはずの目的地を、思い出した。
 
また、仕事に、「恋」がしたい。
「緊急ではなくても、ずっとずっと、とても重要な仕事」を視界のど真ん中において、毎日、目をキラキラとさせて、仕事に向かいたい。
 
大量の「緊急」の仕事だってあるけれど、大丈夫。
自分の仕事は、自分で作る。
 
だって、そうしないと、「恋」、できないから!
 
恋がしたい!「恋」するぞー!

 
 
 
 


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2019-05-13 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.31

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