週刊READING LIFE Vol.34

ケネディ兄弟から学んだこと《週刊READING LIFE Vol.34「歴史に学ぶ仕事術」》


記事:山田THX将治(READING LIFE公認ライター)
 
 

「あの人は誰?」
1962年の冬、東京駅丸の内口で3歳の私は、上京して来た祖父に尋ねた。沢山の人に囲まれ、沢山のフラッシュを浴びて写真を撮られている、金髪長身の外国男性が気になったからだ。冗談好きの祖父は、
「アレか? あの人は、次のアメリカ大統領だ」
私は幼過ぎて、祖父の冗談も真意も理解出来ずにいた。そばに居た両親が、大きく反応した記憶が無いので、必要以上に子供に聞かせたく無い話ではなかったのだろうと記憶している。ただ、自分の中でギリギリいっぱいに古い記憶ながら、
確かな場所と日時を覚えているのは、新幹線がまだ無い時代に、用事で名古屋から4時間近く掛けて祖父母が上京して来た時だからだ。加えて、当時の東海道本線の特急『つばめ』は、日に数本しか往復していなかったからだ。
 
その時、写真攻めにあっていたのは、現職のアメリカ司法長官のロバート・“ボビー”・ケネディ。兄のジョン・フィッツジェラルド・ケネディ大統領の人気が日本でも高く、つられる様に有名だった司法長官だ。
来日の目的は当時の私には幼過ぎて記憶に無く、調べてみると単なる外遊では無いことが分かる。何故なら、その3か月後にあの有名な『キューバ危機』が訪れるからだ。これは想像だが、大きな東西対決前の根回しだったのかもしれない。
 
私の両親は、ケネディ兄弟より少し年下の世代だったので、兄弟への憧れが特に強かった世代かも知れない。テレビの報道などで、大統領に行動をよくチェックしていたことを覚えている。
上流階級の出身ではなく、学も無かった私に両親にとって、財団が出来るほどの財力を持ち、名門ハーバード大学出身の兄弟は、憧れるに相応しい存在だったのだろう。そのことを知っていた祖父は、私を通じて両親に冗談を言ったのだろう。
しかし実際に、翌年の1963年11月22日(現地時間)に兄のジョン・F・ケネディ大統領が、ダラスで暗殺されると、弟の“ボビー”・ケネディが、大統領候補としてフィーチャーされたということなので、あの時の祖父の冗談は、全くの見当違いでは無かったようだ。
また、この記憶が有ったからか、実際に大統領の有力候補として選挙戦を闘い始めた“ボビー”が1968年6月に狙撃されたことを伝えるニュースを、私は衝撃をもって確かに記憶しているのだ。
 
その反対に、冗談で済ませられない事態にも遭遇する。
2007年11月23日、私は例年通り秩父宮ラグビー場に居た。日本最古の対校戦であるラグビー早慶戦を観る為だ。一回目から11月23日に開催されるので、思え易くて有り難い。
しかし、その年は例年と違っていた。実は私の父の容態が思わしくなく、今日か明日かといった状況だったのだ。騒がしくなるのが嫌だったので、私は特に親しい友人にしか、そのことを伝えてはいなかった。たまたま隣席の友人が知っていて、
「こんなところに来ていて、オヤジさん大丈夫か?」
と聞いてきた。
「俺が付いていたって、医者じゃないから何も出来ん。それに、オヤジはJFKに憧れていたから、22日を越せばしばらく大丈夫だ。終わったらすぐ帰るから、放っといてくれ」
と冗談で返し懇願した。
ところがだ、その日は何とか保った父だったが、次の朝、あっけない位に元大統領に逢いに行ってしまった。
人に生き死にで、つまらぬ冗談は言うものではないと、私は教訓を得た。
 
両親の影響なのか、私は趣味や生活、仕事の面でもケネディ兄弟の影響を受けてきたと思っている。余り気が付いて頂けてはいないが、私がスーツを着用する時、特に仕事用で着る時は、ケネディ兄弟の着こなしを手本としている。側近達が、国民から必要以上に上流階級と見られること無く(上から目線のボンボンとして見られること無く)、しかも、一生懸命仕事をしている印象を与える為に、苦労して指導した結果だと、本から知識を得たからだ。
また、兄JFKの習慣として、短時間でも昼寝をし、起きたらシャワーを浴びシャツを替え、リフレッシュして一日を2倍に、有効活用したというものがあった。これも、出来る限り実践するようにしている。
 
兄JFKの有名な大統領就任演説に、
「我が同胞アメリカ国民よ、国が諸君のために何が出来るかを問うのではなく、諸君が国のために何が出来るかを問うてほしい……」
「世界の友人たちよ。アメリカが諸君のために何を為すかを問うのではなく、人類の自由のためにともに何が出来るかを問うてほしい……」
「最後に、アメリカ国民、そして世界の市民よ、私達が諸君に求めることと同じだけの高い水準の強さと犠牲を私達に求めて欲しい」
がある。
前段が有名で、何度も見る機会が有ると思う。私はこの演説が大好きで、空で言えるほど記憶している。何度も何度も聞いてきたからだ。
特に、自分から何かを要求するときは、段階的に対象を広げていき、最後に最後には、自分が最も責任を取り、要求を聞き入れるという態度が、最終的には人を動かすと教えられた気がするからだ。今でも役立っているに違いない。
就任演説の中のこの部分は、スピーチライターに混ざって、弟“ボビー”が筆を入れたことも有名だ。
 
また、弟の“ボビー”からも影響を受けている。“ボビー”の口癖は、スタッフが出来ない理由を示してくると、常に、
「Why Not!?」
と聞き返したそうだ。やってもいないのに、出来ない理由が我慢できなかったからだろう。または、何もせずにネガティブな結論を持ってくる奴に、ロクな仕事は出来ないと知っていたからだろう。
だから私は、常に何事も出来ると信じて最後まで諦めない、正確には諦められない執拗な性格になってしまったようだ。しかし、物事を継続するモチベーションは、高めずに済んでいる。また、継続することを“ボビー”から教わった。決して、損はしていないと思う。
 
そして、私は今思う。
JFKが存命していたら、間違いなく2期大統領を全うし(1968年まで)、ベトナム戦争と東西冷戦を終結したことだろう。
“ボビー”が存命していたなら、間違いなくアメリカ大統領に当選したことだろう。マーティン・ルーサー・キング牧師(1968年に暗殺された)と交友があったことから、もっとリベラルな、格差のない社会を実現したことだろう。
 
こんなことを想像するだけで、自分の気持ちが前向きになる。
ケネディ兄弟の影響を受けたことで、とても得したと思えるから不思議だ。
これからも、この影響を大切に生きていこう。
 
志半ばにして、残念ながら天国へ召されてしまったケネディ兄弟。
私に、格好良い仕事術を授けてくれたと感謝する。

 
 
 

❏ライタープロフィール
山田THX将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))

天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
 


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2019-05-28 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.34

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