週刊READING LIFE Vol.35

人生に適度なエスケープを!!《週刊READING LIFE Vol.35「感情とうまくつき合う方法」》


記事:高林忠正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

7年前、私は心療内科を受診した。
心と身体のバランスが芳しくないためだった。
 
医師からは、薬を処方されたものの、服用しているうちに、内蔵の動きがが芳しくなくなった。
人生で初めての経験。
それまで、どんな仕事上の危機であっても、胃が痛くなるような経験は一回もなかった。
海外出張しても、他のメンバーが内蔵を壊すなか、私だけは不死身だった。
そんな私の身体が支障をきたした。
 
もとはといえば、百貨店からケーブルテレビ局に転職したが、その前年から、業務委託で転職エージェントの仕事を始めていた。
具体的には、転職の仲介である。
代表を含め、社員3人の会社でのことだった。
 
百貨店時代から、人と人とのかけ橋となるのは、もとより望むところだと思っていたが、それは自分の想像の範疇を越えていた。
シンプルではなかったからである。
 
販売の仕事は、ご来店のお客さまに品物を販売するという構図である。
しかし、転職エージェントに来る、転職希望の人たちは、一人一人がすべて、状況も条件も異なるもの。
現在の年収と希望年収。希望の仕事。どんなスキルがあるか。さらには人生の方針など。
相手の言葉は事実である。
それが、心の声かどうかはまったく分からなかった。
 
エージェントの代表からは、「まあ好きなようにやってください」と言われただけ。
面接の練習をすることもなくいきなりぶっつけ本番で始めることになった。
恥ずかしいことに、給与をはじめとした事実と、希望、さらには今後の人生の方針などを分けて考えることができなかったのである。
 
「こんな会社ってどうでしょう?」と根拠があるわけでもなく、あいまいな紹介に終始してしまった。
 
結果は火を見るより明らかだった。
なかなかマッチングに至らないのである。
 
企業側からは、ふさわしくない人を紹介してと詰められた。
転職希望者からは、「ピンと来ないんですよね」と本音を言われた。
代表からは、「社会人生活をいったい何年してるんですか?」と言われ続けた。
 
一言一言に身体が過敏に反応するようになっていた。
携帯電話での会話がカンタンではなくなった。
メールの着信音を聞くと、胸がドキドキしてきた。
 
自分の生命線だった人からの信頼が失われていた。
 
成果報酬型だったが、気がつくと、居場所感がなくなっていた。
心を落ち着かせようと飲むコーヒーの量が倍になっていた。
 
ある朝、起きようとしても起きられなくなった。
身体が悲鳴を上げていた。
 
心と身体は一体化していると初めて気がついた朝だった。
 
ケーブルテレビ時代の産業医の先生が、近かったことから、軽い気持ちで尋ねてみた。
悩み相談のつもりが、専門的な薬を処方されたのである。
 
しかしその薬がどうも合わなかった。
 
即座に服用を止めた私にとって、転職エージェントの仕事を続ける気持ちはなかった。
どうしよう……
 
「がんばらなくては」と思っても、身体に力が入らなかった。
 
「勇気が必要だ」と思っても、湧き立つような気持ちが浮かんでこなかった。
 
これからの人生を思うと不安だけが募ったが、知人の勧めもあり、人生で初めて自分から休もうと決心した。
 
家族も理解を示してくれた。
大学を卒業後、走り続けてきた人生に、この際休養があってもいいだろうというのが家内の意見だった。
 
1週間の間、起きたいときに起きて、寝たいときに寝た。
家内と一緒に映画を見たときもあれば、プールで軽く水泳もした。
 
50代の半ばである。自分の人生を振り返る機会となった。
 
人生初のリラックスしたときだったのかもしれない。
大学を卒業後、入社した百貨店の販売は当初、決して向いているとはいえなかった。
 
業務知識が不十分なまま店頭に立った新入社員時代。
コミュニケーション能力は決して向上したとはいえなかったが、慣れで仕事を継続してた中堅社員時代。
考えてみれば、もっと仕事の本質に迫ることができたにもかかわらず、中途半端なままだったように感じた。
 
中途半端。
 
仕事の知識が不十分なら、つければいい。
 
しかし大きな問題に気づいた。
それは、「なぜ?」という問いへの説明ができていなかったからである。
 
品物を勧める理由の「なぜ?」
 
新しいサービスを提案する「なぜ?」
 
自分の仕事に対する「なぜ?」
 
これらの「なぜ?」が不十分なまま、列車に飛び乗ってしまい、多忙を理由に追求してこなかったのである。
 
お客さまへ、「なぜか?」の説明ができないならば、片手落ちどころか、ミッションそのものの欠如につながってしまう。
 
ならばどうすればよかったか?
 
もし、できうるならば今からできることって、いったい何だろう?
 
私の中で浮かんだ言葉があった。
無意識から出た言葉だった。
 
それは、「エスケープ」だった。
 
がんばらなくてもいい。
 
みんなのことをムリに好きにならなくてもいい。
 
何かをするのに、勇気が必要だと思わなくてもいい。
 
スキルが必要だと思っても、すべてを習得しようとしなくてもいい。
 
そのときの自分に必要な「なぜ?」を知るためだったら、あえて我慢なんかしなくてもいいというものである。
サラリーマンは「忍の一字」と教わってきた私にとって、初めての感覚だった。
 
いつも「店頭に立つ」、「現場第一主義」から一見すると真逆の世界のように見えるが、現実逃避ではない。
 
この「エスケープ」のイメージとしては、「ちょっとバックヤードにこもってみようか」という感覚である。
 
最前線にいると、地上戦に終始することから、周りが見えなくなってしまう。
 
「今週の目標は◯◯。 がんばろう!!」という仕事の流儀を経験してきたからこそ、見えてきた生きるポジションである。
 
では、何のために働くか?
それは欲しい結果のためなんだと思い始めた。
 
「1日が24時間なんてとても足りない」と思っていた百貨店の法人営業時代。
 
それすら、プロとしてもっと短い時間でパフォーマンスは上げられたという結論に至った。
 
本当のプロとは?
イメージとしては、体調不良で降板した天海祐希の舞台を、代役としてたった一晩でセリフを覚えて完遂させた宮沢りえの姿が浮かんだ。
 
すべては心療内科に行くことから始まった、エアースポットのような期間。
エスケープから始まった気づきの連続であった。
 
現場で最高のパフォーマンスをするために、エスケープをする。
 
私のケースは数ヶ月に及んだ。
長年の勤続に対する癒やしからだったのかもしれない。
 
以来、私にとって必要なことは、ロングであれ、ショートであれ、必要なタイミングと場所でのエスケープである。
 
では、いつエスケープするか?という問題についての答えは、たった一つである。
 
それは「ピンときた」とき。
 
定義はない。
 
心と身体は一体である以上、それは、「心と身体の声」との対話である。
 
私の場合のエスケープのタイミングは、朝起きたときの骨盤を中心とする腰が本来の柔らかさがないときである。
 
心がスムーズさを欠くと、途端に身体がサイレンを鳴らす
それが、朝起きたときの骨盤の状態である。痛みではない。なぜなら、人は痛みに鈍感になるからである。
整体をしたり、プールで泳いだり、できるだけ負荷のかかりにくい方法でのほぐしである。
終わった後、ゆったりとした気持ちで飲むコーヒーに、自分の中に溜まっていた灰汁洗い流すようなものである。
 
人生の後半戦。私にとって感情とうまくつき合うとは、いかに適度にエスケープするか? かもしれない。

 
 
 

❏ライタープロフィール
高林忠正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

ベストメモリーコンシェルジュ。
慶應義塾大学商学部を卒業後、三越に入社。
販売、仕入をはじめ、24年間で14の職務を担当後、社内公募で
法人外商を志望。ノベルティ(おまけ)の企画提案営業により、
その後の4年間で3度の社内MVPを受賞。新入社員時代、
三百年の伝統に培われた「変わらざるもの=まごころの精神」と、
「変わるべきもの=時代の変化に合わせて自らを変革すること」が職業観の根幹となる。

一方で、10年間のブランクの後に店頭の販売に復帰した40代、
「人は言えないことが9割」という認識の下、お客様の観察に活路を見いだす。
現在は、三越の先人から引き継がれる原理原則を基に、接遇を含めた問題解決に当たっている。
 


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2019-06-03 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.35

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