私は、他人を傷つけないために他人の感情に無関心になった《週刊READING LIFE Vol.35「感情とうまくつき合う方法」》
記事:坂田幸太郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部
「お前は本当に寄生虫だな」
高校の部室で先輩にそう言われた。
「そうですかね」
「お前は他人の感情に振り回されすぎだ。もっと自分をしっかり持て」
「へへ。すいません」
私はその忠告を笑いながら受け流した。
私は寄生虫である。他人の感情に寄生する寄生虫だ。
友達のテンションが高ければ、私も楽しい気分になるし、他人が浮かない表情をしていたら私も静かになる。
「他人の感情に合わせられる」
といえば随分聞こえがいい。
でも、それは本当のことを言えば「友達に嫌われたくないから寄生している」に過ぎない。
友達や同級生に嫌われたくないからテンションを合わせているにすぎない。
しかし、私はそれを悪いことだと思っていなかった。
特に高校時代は誰かの感情に寄生していた。
高校生活は生徒の感情で成り立っているといっても過言でない。
部活は「もっと上手くなりたい」や「優勝したい」という生徒の感情や熱意の集合体だ。
学祭は「この祭りを楽しみたい」という気持ちがないと盛り上がらない。
休み時間も「この少ない時間をいかに効率的に楽しむか」と考えなければ、あんなに楽しい時間にならなかった。
私の高校は特に感情的になる人が多く、感情と感情がぶつかる光景も何度か見てきた。
学祭になれば、出し物を何にするか揉めて、他の部活と体育館の使用権で揉めていた。
1人1人の自我が強く歩み寄ろうとしない。
私が他人の感情に寄生し始めたのも、もしかしたらその環境が原因の一つかもしれない。
自分の考えや、感情を伏せ、相手のやりたい事を優先させる癖がついてしまったのだ。
また相手の気持ちを尊重する人材が不足していた高校で、私は良く「仲裁役」で活用されていた。
学祭はA案とB案を組み合わせて、C案を作った。
他部活との体育館争いでは、半面ずつコートを使い、お互い大会が近くなれば、そちらの部活を尊重するという事で合意した。
そんな「仲裁役」キャラが染み付き、3年の頃には生徒会長になっていた。
いいコマ。でも嫌ではない。
対立する意見を持つ人たちの感情に寄生して、どちらも嫌な思いをしない合理点を見つける作業は苦痛ではなかった。
それより、自分の意見を押し通す方が根気のいる作業だ。
「お前は本当に寄生虫だな」
先輩に言われたその一言は褒め言葉にも感じていた。
しかし、その言葉の本当の意味を知る事となるのは、先輩が卒業してからであった。
私は高3になり、部活では、副キャプテンを務めるようになった。
私は先輩として新入部員を指導した。
挨拶からはじまり、後片付けまで。
私が歴代の先輩から教わってきた事を教えたつもりだ。
ただ一つ問題が起きた。
後輩に厳しくなれないのだ。
私は、先輩から厳しく指導を受けていた。
クラスの友達から「あの先輩、お前に荒くない」と心配されたが、その指導が愛だと知っていたので特に苦痛と感じた事はない。
師弟愛とでもいうべきだろうか。
しかし、私にはそれができなかった。
自分の感情より、相手の感情を優先させる事に徹していた私は「怒って後輩が傷ついたらどうしよう……」と不安になりなかなか感情的になれなかった。
私はそんな悩みを抱えながら、夏休みを迎えた。
「夏休み」を体育会系部活出身の方は、「休み」と思わない。
なぜなら、夏休みは当然の如く部活の練習があるからだ。
私もその一人である。
1年の頃には厳しい練習に加え、夏の暑さに耐えきれなく何度か倒れそうになったものだ。
3年にもなると、暑さに抵抗は無くなったが、やはり新入部員は次々と潰れていった。
そんな猛暑の8月初旬、事件が起きた。
ある1年がグラウンドに現れなかった。
無断欠席だ。別に珍しいことではない。
その度に私は顧問に呼び出され「連れ戻して来い」と言われる。
ここでも私は「仲裁役」というわけだ。
その日の部活終わり私は後輩に電話をして、事情を聞いた。
やはり、部活がキツくって辞める事を考えているとか細い声で伝えてきた。
こういう時、私の先輩なら「バカヤロー。そんな甘ったれたこと言ってないで明日とにかくグラウンドに来い」と一喝入れてくれるだろう。ほんとは私も一喝入れてやりたい。
だが私にはできない。
言葉に詰まった私は「そうだよね。辛いよね。急いで決めるんじゃなくて少し休んで部活を辞めるか辞めないか決めてもいいと思うよ」
と言った。先輩と真逆のことを言ってしまったと思いながら。
すると、数秒沈黙が流れた後、後輩が口を開いた。
「先輩って本心で話していますか」
「え」
「なんか、先輩の本当に気持ちが見えなくって。仮面を被っているというか。僕の気持ちに寄り添ってくれるのはありがたいのですが。なんか本心で喋っていただきたかったです」
と言われ電話が切れた。
私はその時「お前は本当に寄生虫だな」の意味がわかった気がした。
先輩はあの時、自分の気持ちを殺す事に慣れてしまっていた私を危惧していたのだと。
相手を尊重する事は大切だ。相手を傷つけない事は大事なことだ。
そのために自分の感情を殺す事も必要な時もあるだろう。
でも、自分の感情を打ち明けないと逆に相手を傷つけてしまう事もある。
自分の感情を出さないと相手も感情を出せない。
先輩はそこまで見透かして私に忠告したのだろうか。
その後、私は後輩に再び電話をした。
今度は本心をぶつけた。キツイ事も言った。
傷つけてしまうかもしれない事も言った。嫌われる事も言った。
嫌われても構わなかった。ただただ本心をぶつけたかった。
翌日後輩はグラウンドに来た。
もちろん無断欠席の罰は受けたが、それでも「戻ってきて良かった」と後輩は私に笑ってみせた。
「お前は本当に寄生虫だな」
時々、先輩の言葉を思い出す。
社会に出てからは特に。
社会はさまざまな人がいる。
若い人、ベテランの人、外国人や障がい者。
その全ての人のバックグラウンドや考え方は当然同じではない。
会社はそんなバラバラの考え方を持つ社会人が集まってできている。
どの人に寄生しても、全ての人が私を評価してくれることはなかなか難しい。
そんな時、だれかの感情に合わせるのではなく自分という指針があると感情がブレることはない。
今まで「自分の感情」というものをもつことで相手を傷つけないか心配していた。
だから「自分の感情」をあまり表に出さなかった。
しかし、逆だった。
「自分の感情」をぶつけることで、相手を傷つけない事もあるのだ。
相手の感情に寄生しない、結果的にそれが相手を傷つけないことになる。
「お前は本当に寄生虫だな」
先輩は今の私を見てもそういうだろうか。
次会う時は「自分の感情に正直だな」といわれたいものだ。
「相手の感情に寄生しない自分になる」
その目標は目下継続中だ。
❏ライタープロフィール
坂田幸太郎 26歳
READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部
東京生まれ東京育ち
10代の頃は小説家を目指し、公募に数多くの作品を出すも夢半ば挫折し、現在IT会社に勤務。
それでも書くことに、携わりたいと思いライティングゼミを受講する
今後読者に寄り添えるライターになるため現在修行中。。。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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