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週刊READING LIFE Vol.35

古い感情にとらわれそうになった時には……《週刊READING LIFE Vol.35「感情とうまくつき合う方法」》


記事:相澤綾子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部
 
 

「お前、バカじゃねーの?」
きつい言葉を投げかけて、保育所を出ていく。髪を金色に染めた若いお母さんだ。短パンからすらりと細い足が伸びている。後ろを振り返りもしない。残された子どもは泣きながら上靴を下駄箱に入れ、外靴を取り出す。下駄箱の名前を見ると、よく娘が名前を出していたエミリちゃんだった。しゃくりあげながら必死でスニーカーを履き、慌てて出ていく。外を見ると母親はすでに道路を渡って駐車場の方にいる。私はやっとのことで、その子に声をかける。
「だいじょうぶだから。車に気を付けて行くんだよ」
エミリちゃんに私の言葉が届いたかどうかはわからない。私は娘が靴を履き替えるのを待ちながら、エミリちゃんが無事お母さんに追いついたのを見届けた。
私はエミリちゃんのお母さんのことをひどい母親だとは思えない。こういうみんなが見ている場でも、そんな風になってしまうくらい、彼女はぎりぎりのところにいるのだろう。そして多分、彼女自身もそんな風に育てられてきた。
エミリちゃんの名前は、娘が何度か出していた。たまにいじめられることがあるらしく、「エミリちゃんともう遊ばない」と何度か言っていた。逆に「いい子いい子してもらった」ということもある。誰かエミリちゃんをそんな風にしてくれる人がいるのだろう。お母さんも気持ちに余裕があれば、頭を撫でたりすることもあるのかもしれない。そう思うと少しほっとした。
「エミリちゃんをいい子いい子してあげたら、仲良くなれるかもしれないよ」
と言いかけてやめた。4歳の娘は言われたとおりにするかもしれない。でもそれは本物じゃない。形だけ頭を撫でてもエミリちゃんは救われないかもしれない。そして、自分の仲良く過ごしたいという願望のために、心からの気持ちじゃなく形だけ行動することもあり得るということを、娘に教えてしまうところだった。
 
私自身、いつもいいお母さんでいられるわけではない。時々、イライラして、大きな声を出してしまうことがある。
昭和の時代に育てられた私は、しつけと称して叩かれることも日常的だった。ベランダに出されたり、押し入れに閉じ込められたりしたこともあった。私が特別だったというわけではなかったと思う。母はラジオの教育相談を日常的に聞いていて、どう育てるかについてとても熱心だった。責任を感じていた。
でも今の時代は違う。手を上げるなんてあり得ない。
まだ上の子たちを産んで数年のころ、テーブルの端の方につい置いてしまった食器に子供が手を伸ばして、床に落とし、割ってしまったことがあった。あーやっちゃった、と思った。そして、私がそういうとき、「何やってるの?」と怒られ、頭を叩かれそうになって腕でかばいながら泣いている記憶がフラッシュバックした。ある程度叩くと、母親は片づけ始める。私は部屋の隅に座り、それを片付け終わったら、母親がまた私を怒りに来るのだろうと考えて震えながら泣いていた。母親が来ると私は、
「ごめんなさい」
と言った。けれど私の言い方は、反省の気持ちが込められていないと指摘した。何度謝っても認めてもらえなかった。たぶん、もうそれはしつけなどではなく、怒りといら立ちの感情だったのだと思う。
私はそれを思い出して泣きながら割れたかけらを拾い集め、入っていたスープをぞうきんでぬぐい、遠くまで飛び散ったかけらがあるかもしれないと掃除機をかける。子どもは私のことを気にせず遊び始めている。
そうだった。たぶん、怒られた私は、今の私の子どもよりも、もっと大きくなっていたのだったのだろう。私がすぐに「ごめんなさい」と言えなかったからだったのだろう。何度も繰り返してしまったからなのだろう。
友人たちよりも少し遅く子供を産んだ私は、育休中に交流できる友人もあまり多くなかった。だから、古い記憶が掘り起こされて、苦しい気持ちになったのかもしれない。
それから私は、こういうことがないように、食器はなるべくテーブルの真ん中に置くように気を付けるようにした。テーブルに食器を並べるのは、すべて準備ができてからにするようにした。それだけじゃなくて、子育て本を読んだり、子育てカウンセリングなどというのも受けてみたりした。職場の友人たちにも、子供の育て方について、それとなく訊いたりもした。職場のコーチングの講義を聞きながら、子供との接し方について考えたこともあった。
実際に子どもが大きくなって、自分で注意できるのではという年齢になったのに不注意で落とすことがあったとしても、
「片付けなくちゃいけないね」
と落ち着いて対応できるようになった。するとこどもはすぐに言う。
「ごめんなさい」
今では、私が「あっ」とつい声を上げてしまっただけで、本当に心からのごめんなさいが聞けるようになった。そして気付けば、そういう失敗をすることもほとんどなくなっていた。
もちろん大声で怒ってしまうことがあるけれど、落ち着いたときに、「怒っちゃってごめんね」と謝るようにしている。怒った理由が伝わっていなかった時には、その後で改めて話をしている。
 
感情は滝つぼのようなものだと思う。流れ込んでくる水があるから、流れ出していく水がある。滝つぼの中でゆるやかに水が流れながら、満たされた水は新鮮さを保っている。もし流れ込む水の量が少なければ、徐々に水が古くなってしまうだろう。古くなった水はそのものがまた新たな刺激となって、感情を悪い方向にもっていく気がする。
母はラジオを熱心に聞いていたけれど、リアルに子育てについて相談する人はほとんどいなかった。自身の母親くらいしかいなかっただろう。友達もあまり多い方ではなかったから、自分の中の感情を入れ替える機会などなかったのかもしれない。
いまだに母は私のことや子供たちへの接し方について口を出してきて、そのこと自体がストレスになることもある。そういうときは私はできるだけいろんな人に会って話をしたり、それもできない時は、ラインで友達と会話をしたり、SNSを見たりして気を紛らわせる。新しい水がたくさん流れ込むようにすることで、滝つぼの中の水を入れ替えることができる。
友達がたくさんいることはいいことだと考えられているけれど、その意味は、いろんな人と仲良くすることというのもあるだろうけれど、それだけではない。色んな考え方の人と接することで、自分の感情が凝り固まって濁ってしまうことを防ぐことができるのだと思う。
 
しばらく経ってから、エミリちゃんとそのお母さんが楽しそうに手をつないで歩いているのを見かけた。子どもは、
「エミリちゃん、バイバイ!」
と声をかけた。エミリちゃんも振り返って手を振った。
子どもたちにも、いろんな人と接して、滝つぼの水がいつも新鮮になるようにしてもらいたい。感情が濁りそうになった時には、意識的にいろんな人に会ってみようと思えるようになって欲しい。

 
 
 
 


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2019-06-03 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.35

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