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週刊READING LIFE Vol.37

恋する女はおそろしい《週刊READING LIFE Vol.37「怖い話」》


記事:森野兎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「もう、死にたいっ……」
涼子は電話の向こうで、泣きじゃくりながらそう言った。息遣いは荒く、溢れ出す感情を抑えきれずに、思い切り取り乱していた。
「涼子、そんなこと言わないでよ。もう一回ちゃんと話してみなって。まだわからないでしょ。涼子の勘違いかもしれないし」
わたしはなるべく落ち着いた声を出して、涼子をなだめた。
「絶対そうだもん。もう無理なんだよ。なんで。やだやだやだ。どうしたらいいの」
涼子は普段、上品で落ち着いていて、感情的になるところなど、わたしは見たことがなかった。そんな涼子は初めてで、わたしは涼子が本当に死んでしまうのではないかと思った。
 
涼子からの着信があったとき、わたしは寝ていた。時刻は深夜2時を回ったころだった。着信音は耳に入ってくるが、そのまま無視してしまおうかと思った。起き抜けで電話を取るのは苦手だ。頭がよく回らないし、だいたいの人に「寝てたでしょ」と見破られるほど、寝ぼけた声を出してしまうからだ。大学生というのは、なにかと夜通し飲み会を開きたがる生き物で、友人から酔っ払って電話がかかってくることはよくあった。だから、どうせ「今から飲もうよー」とかそういった誘いだろうと思った。チラッと携帯の画面を見ると、涼子からの着信だった。一瞬迷ったが、わたしはやっぱり眠くて、電話を取らずに放置していた。着信音はしばらく鳴り続けたが、やがて留守電に接続されたのか、鳴りやんだ。
ホッとして、わたしは再び眠りに落ちた。しかし数分後に、再び着信音が鳴り響いた。
これはとりあえず電話にでないとずっとかかってくるなと思い、まだ半分寝ている頭で電話を取った。
「もしもし?」
最初に電話の向こうから聞こえてきたのは、100メートル走をダッシュしてきたかのような、乱れた息遣いだった。
「涼子? どうしたの?」
息を吐いたり、しゃくりあげたり、鼻をすすったりする音が聞こえてきた。
わたしは涼子が泣いていることに気が付いた。
「えっなんで泣いてるの。何があったの?」
「康介に別れようって言われたっ……。康介、他に誰かいるんだと思う」
涼子は泣きじゃくりながらやっとそう言った。
 
康介と涼子とわたしは大学で同じサークルに所属している。涼子は美人でスタイルが良くてオシャレで、サークルのマドンナ的な存在だった。涼子に憧れている男子は多かったが、彼女には年上の彼氏がいて、高嶺の花だった。そんな涼子が大学3年の夏ごろ、ついに年上の彼氏と別れた。落ち込む涼子だったが、そんなとき、康介がいち早く涼子の変化に気が付いて、彼女を元気づけた。気が付けば涼子はびっくりするほど康介に夢中になり、トントン拍子で2人は付き合うことになった。
最初のうちは上手くいっていた。沖縄の海をバックに、水着姿で笑い合う写真が旅先から送られてきたり、涼子が康介のために料理を振る舞うのだと言って、入手困難な香辛料を探して、何軒もの輸入食品店をわたしも一緒に回った。元彼と別れて落ち込んでいた涼子に幸せが訪れたことを、わたしは祝福した。美人の涼子と男前の康介はとてもお似合いだった。
 
康介もよくモテた。普段はおどけてばかりでお調子者のキャラクターなのに、周りをよく見ていて、落ち込んだり悩んだりしている人間に誰よりも早く気が付くタイプだった。そして何気なく話を引き出して、さりげなく寄り添って、力強く励ますことのできる人だった。康介の優しさや気遣いに救われた人はたくさんいた。と同時に、好きになってしまった女の子もたくさんもいた。
そのせいで涼子は、康介の彼女になったあとも、全く心穏やかではなかった。康介は涼子と付き合っていても、相変わらずみんなに優しかった。康介が女の子に優しくすると、恋愛感情が混ざっているのかと涼子は疑った。涼子は美人だがあまり自分に自信がなく、愛されているから大丈夫なのだという余裕を持てなかった。誰にでも優しくできることは康介の美点だが、それを彼女の立場として認められるほど、涼子は大人になれなかったのである。その感情は嫉妬となって、康介がみんなに優しくすればするほど、涼子の執着や束縛は激しくなっていった。
 
電話の向こうで、ヒステリックになっているの涼子を、わたしは必死になだめていた。涼子の感情は高ぶったままだ。
「最近、連絡返ってくるのも遅くなって。会いたいって言っても避けるし。会ってもなんかそっけないし。携帯にもロックかけるようになったんだよ。絶対あやしいと思ってて。今日、康介の家にいったら、わたしのじゃない化粧落としが置いてあったの。康介、自分が使わないから、わたしのじゃないって気が付かなかったんだよ。問い詰めたら、『前にお母さんが泊まっていったときのやつかな』とかバレバレな嘘つき始めて。絶対浮気相手がわざと置いていったんだよ。だんだん康介と言い合いになって、そしたら『別れよう』って言い出して。わたし、別れるつもりなんて全然なかったの。だから出来心の浮気なら許すって言ったんだよ。でも浮気のことは絶対認めなくて。わたしの束縛とか、独占しようとするところが嫌だから別れたいんだって言うの。でも、好きならそんなの普通じゃん。彼女なら、彼氏が他の女の子に優しくするのは嫌でしょ。わたし康介のために料理作ったり、洗濯したり、掃除したりして尽くしたんだよ。そういうのは無かったことにされて、嫌だったことだけが残るの?」
「そんなことないって。康介も頭に血がのぼって、勢いで言っちゃっただけだって」
「康介は結構冷静だったもん。やっと言いたいこと言えたって感じだった。ひどいよ。わたし康介がいないと生きていけない。康介のこと奪う女がいたら、わたしその女のこと殺す。康介と別れるんなら、わたしもう死にたいっ……」
殺すとか死ぬとか、危なっかしい言葉を涼子はためらいなく使った。そこに虚勢は感じられなくて、きっといまの涼子は本気なのだと思った。
 
わたしは涼子がこんなに康介に執着を見せるのが意外だった。涼子は美人だし、他にいくらでも言い寄ってくる男はいるだろう。なのに、康介じゃないとダメなのか。そんなに康介が好きだったのか。
普段は理性的でしっかりした涼子が、こんなに康介にしがみつこうとするのを、わたしは痛々しいと思ってしまった。そして恐ろしく感じたのだ。
本気で人を好きになるということは、恐ろしい。自分を見失って、周りが見えなくなって、冷静な判断ができなくなる。
手段を選ばず、相手の気持ちを考えず、自分の気持ちを正当化する。
嫉妬とか、欲望とか、執着とか、その真っ直ぐな想いさえも、恐ろしい。
 
涼子はひとしきり泣いたあと、落ち着いたらもう一回康介と話してみると言って電話を切った。
わたしは涼子の電話のあと、すぐにダイヤルを押した。
「もしもし、わたしだけど」
「あれ、もしかしてそっちに連絡あった?」
「あったよ。夜中に鳴りやまない着信音で起こされた」
「あーごめんごめん。今日浮気を疑われて、喧嘩になって。その勢いで別れようって言ったから」
きっと康介は、涼子が死にたいほど傷付いたと思っていないのだろう。
「らしいね。でも大丈夫。わたしだって気が付いてないみたいだから」
「なら良かった。別れても、それだけは気付かれないようにしなきゃと思って」
「あたりまえだよ。わたし刺されちゃう」
「大袈裟なこと言うなよ。それより明日うち来るだろ? 泊まっていく?」
大袈裟じゃないんだよなあ、と思いながら返事した。
「うんそうする。じゃあまた明日ね」

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
森野兎(READINGLIFE編集部 ライターズ倶楽部)

アラサーのOL。2018年10月より、天狼院書店のライティングゼミに参加。ライティング素人が、「文章で表現すること」に挑戦中。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜《6/19までの早期特典あり!》



2019-06-17 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.37

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