週刊READING LIFE vol.44

いくらもっててもキリがない《 週刊READING LIFE Vol.44「くらしの定番」》


記事:ギール里映(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「視力が回復するなんて、そんなことあるんだ、初めて聞いた」
 
と、誰もが口を揃えて言う。
大学時代に両目の視力が0.1だったためにコンタクトレンズをしていた私は、いまでは裸眼で生活している。運転免許書にも要メガネとは書かれていない。視力は右で0.9、左で1.0、これだけあれば充分快適に日常生活を送ることができる。もちろん、レーシックは受けていない。
 
どうして視力は回復したのか。
 
自分でも、わからない。
ただ、もし理由を考えるとすれば、それはもしかしたら、私がめんどくさがりで、縛られることがキライだからかも知れない。たくさんのモノを持つことが必須になってしまうと、そのモノに縛られてしまうような気がするからだ。
 
大学を卒業してから、外国に引っ越した。引っ越した先はイギリスのロンドン。初めて暮らす外国の土地では、毎日新しいことに出会う。場所、人、暮らし、それらに慣れるためには、モノに翻弄されている時間はないのだ。
 
留学生として滞在した私は、小さなフラットと呼ばれるイギリスのマンションの1室に居を構え、そこで留学生ライフをスタートさせた。留学生だから、荷物はスーツケース1個。必要なものは現地で買い揃えていけばいい。また部屋も狭いからたくさんのものは置けない。私は自然と、ミニマムな日常品で暮らす生活を始めることになった。
 
そうなると、とにかく、なるべくたくさんのモノをもちたくないのである。
 
できればシャンプーとトリートメントは1本ずつではなく、ツーインワンといわれる、1本で両方の機能を果たしてくれるものがいい。置く場所のない電子レンジは、もう使わないと決めた。さすがにテレビがなくては留学生としては勉強にならないので、テレビだけはレンタルで借りた。とにかく持ち物を少なくすることに情熱を燃やした。
 
すると、邪魔なのである、コンタクトレンズが。
 
毎日洗うための洗浄液と、保存しておくための保存液、ケースも必要。しかもなくしたらこまるので、メガネも作ってもっておかなければならない。とにかくコンタクトレンズというのは、それに付随するモノたちが多すぎる。
 
しかも、毎日朝晩ものすごい労力がかかる。
朝は洗って装着し、夜は洗って保存する。メンテナンスをきちんとしないと、レンズが汚れて目に悪い。しっかり洗ったつもりでも汚れが溜まっていたりする。
 
日中も、何かの拍子でコンタクトレンズが外れたら大変なことになる。
「動かないで」といいながら、地面に這いつくばって探さなければならない。
また目にゴミが入ろうものならむちゃくちゃ痛いだけでなく、眼球に傷がついたりする。
 
いくらよく見えるようになるから、と言っても、そのために必要な労力や代償が半端ない。
めどくさすぎる。
 
だから私は、コンタクトレンズを手放した。
 
その直後はもちろん、よく見えない。当たり前だ。
しかし不思議なもので、どんどんとその状態に慣れていった。見えなくても不便を感じなくなっていった。反対に、コンタクトレンズにまつわるモノと儀式一式を手放せたのだから、気持ちも荷物も軽くなった。そのうち視力のことは全く気にならなくなっていった。裸眼で暮らす、という、視力が普通によい人達が営んでいる普通の生活を、私もできるようになった。
 
こうして3年がすぎ、帰国した。
 
スーツケース1こで始めた留学生活は、結果ダンボール箱10箱に増えていたが、そこにはもちろん、コンタクトグッズは一切入っていない。
 
留学中はなんども引っ越しを余儀なくされた。その都度モノを整理しては捨てたりしたが、何より買わなくなった。生きていくために本当に必要なモノなんて、実はたかがしれている。そんなにたくさんのモノがなくても、機嫌よく毎日暮らしていけることを、私は3年の間に嫌という程学んだ。
 
「これだけは外せないモノ」
 
なんていうものは、少ないに越したことはない。
それでなくても毎日することはいっぱいあるのに、そのなかで必需品や不可欠なものが増えれば増えるほど、それらは自分の場所や心や時間を侵食してくる。一つひとつは小さいことかもしれないが、それらが多くなればなるほど、人は却って自由を奪われてしまうのだ。
 
だけど、どうだろう。
何か一つを手放したら、そこから得られるものは実は数倍、数十倍の価値がある。
 
コンタクトレンズを手放してみたら、人並みの視力が手に入った。これはうれしい誤算だったが、実はこういうことは案外日常でよく起こることなのかも知れない。
 
例えばレストランで、自分が食べたかったメニューがあと1人前しかない、というときに、お友達も同じものを欲しがっていた。自分もどうしても食べたかったが、友達にそれを譲ってあげて別物ものを注文したら、それが予想外に美味しくて新しい発見になった、とか、飛行機の予約をダブルブッキングされてしまったときに、カウンターでその相手に席を譲ってみたら、自分はファーストクラスにアップグレードしてもらえた、みたいなことである。
 
こういうふうに、手放してみることでしか得られない、なにか素敵な人生のオマケみたいなものが、実はあちこちに転がっているような気がする。
 
これがなきゃいけない、というのは、実は思い込みなのかもしれない。
あったらあったで自分が豊かになるような気もするけど、実は手放してみたらもっと豊かになる。しかしそれは、自分が本当に手放してみるまで、決して気づけることではないのである。
 
となると、私にとってたった一つ、これだけは手放せないモノ、それは、
 
「手放す勇気」
 
だろうな。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
ギール里映(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、現職は食べるトレーニングキッズアカデミー協会の代表を勤める。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。

 
 
 
 
http://tenro-in.com/zemi/86808

 


2019-08-12 | Posted in 週刊READING LIFE vol.44

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